子どもたちは二度殺される【事例】



注 :
被害者の氏名は、一人ひとりの墓碑銘を私たちの心に深く刻むために、書籍等に掲載された氏名をそのまま使用させていただいています。ただし、加害者や担当教師名等については、個人に問題を帰すよりも、社会全体の、あるいは学校、教師全体の問題として捉えるべきではないかと考え、匿名にしてあります。
また、学校名については類似事件と区別するためと、隠蔽をはかるよりも、学校も、地域も、事実を事実として重く受けとめて、二度と同じ悲劇を繰り返さないで欲しいという願いを込めて、そのまま使用しています。
S.TAKEDA
860222 いじめ自殺 2000.9.10. 2001.5.3 2001.8.12 2003.8.19 2005.6.更新
1986/2/22 大阪市西成区で、市立橘小学校の田村勤也くん(小6・12)が、8階建てマンション屋上の貯水塔から飛び降り自殺。
遺書・ほか 現場に残されていたカバンの中に勤也くんのノートがあった。
「この世の中 何にもぼくは、のぞむことは、なかった。毎日いやなことばかりだった。でもぼくのらくなみちは、このしゅだんしかなかった。さようなら。
(K君と書いて消してあった)
             田村勤也
がんばれえ、みんな。ぼくは、これがげんかいです」

と書いてあった。

交換日記にいじめをほのめかすようなことを書いていた。(いじめを直接に告白する記載はない)
経 緯 2/21 自殺の前日、勤也くんの所属するグループの3人が、他の学校の生徒とけんかした件で学校に呼びだされて注意を受けた。
この問題行動に加わっていなかった勤也くんに、3人(前記K君を含む)は、板で尻をたたく、かなづちで背中をこづく、ズボンを脱がせるなどした。そして、「グループの喫煙が発覚したので、親が学校に呼びだされるかもしれない」と言って精神的圧迫を加えた。

翌日、朝、平常通りに家を出た後、勤也くんは自殺。
調 査 勤也くんと同級生3名とが4人でグループを作り、喫煙・万引・恐喝などを行っていた。グループ内で、問題行動に参加しなかったようなときに、いじめが加えられたようだ。

級友や父母らの話では、勤也くんは同級生グループのリーダーらに金を要求されたり、万引きを強要されたり、暴行されたりしており、「ぬけ出したい」ともらすなど悩んでいた。
同級生と担任
との交換日記
同級生が、勤也くんともう一人いじめを受けている生徒(Kくん)に対するいじめを交換日記に書いていた。
「先生、K君を助けてあげて下さい。最初は遊びと思っていたけど、だんだんひどくなって、ゲロを吐きそうだった」

「自殺4日前に勤也君がすもうやびんたでいじめられ、前日も背中をかなづちでこづかれたり、ズボンを無理やり脱がされたりしていた。


「勤也君はS君とM君にやられてました。S君はとんかちで勤也君の背中をたたいたり、M君はすもうで、そしてびんたも。勤也君が一番かわいそうです。いつもそんな目にあっていると思ったからです」

などと書いていた。

別の同級生は、「このままではK君が死ぬ」と書き、勤也くんが自殺した当日には、「先生、K君もなるかもしれんからちゅういして」と書いていた。

学校の対応 2/24 校長は事件2日後の記者会見で、「いじめがあった可能性が強い。察知できなかったのは残念」と話していた。

3/末 学校側がまとめた中間報告書では、
学校は、加害生徒からかなり詳細に聞き取り調査を実施した結果、「自殺の原因はわからない」とし、勤也くんの自殺の原因を被害者の性格の弱さ、被害者の家庭の厳しいしつけに求め、学校や加害児童の責任を一切、否定した。

1.勤也君の(自殺にいたる)家出は、前日、喫煙が学校にばれ親にしかられるのをひどくおそれたせいで、いじめとは関係ない。
2.クラスでは3学期に入り、一部の男子にいじめ的傾向が出てきたが、遊びと受け取った児童が多かった。
3.勤也君は逃避型で家出に走りやすく、生命に対する認識も浅かった
とした。

4/ 学校はPTA総会で報告した内容は、勤也くんの問題行動のみを詳細に述べ、いじめについては一切言及しなかった。
加害者 当初、話し合いによる解決を期待して大阪簡易裁判所に調停を申し立てていたが、同級生の両親がいじめの事実そのものを認めなかった。
人権救済 遺族は、「校長は原因を本人の性格と家庭の問題にすり替えて息子の名誉を傷つけた。担任教諭はグループのいじめに十分注意を払わず、息子がマンション屋上に2時間以上もいたのだから、無断欠席を親に連絡していれば、自殺は防げたかもしれない。過失による人権侵犯の疑いがある」「自殺前に激しいいじめを受けていたのに、学校側は実態の解明や防止を怠っていた」として、大阪弁護士会に人権救済の申し立てをした。

学校側は、「学校として徹底的に調べた。いじめらしい行為はあったが、遊びとも解釈できるもので、いじめとは思われない。本人の性格と家庭が原因と断定したわけではなく、はっきりしない」と主張。
遺族が行った弁護士会へ人権救済の申し立ての弁護士会の調査に一切応じず、事情聴取も拒否した。
弁護士会は、一人の教師とPTA役員との事情聴取ならびに、学校の拒否をもって、いじめを認定し、学校の対応すべき課題に不十分な点があるとの勧告を出した。
裁 判 1989/3/27、両親が「自殺の原因は同級生の男の子のいじめだった」として、同級生の両親を相手取って1100万円の損害賠償を求める訴えを大阪地裁に起こした。

裁判の場でも、学校および加害者側の拒否対応により、いじめについての十分な立証ができなかった。

1990/8/29、「いじめでは、被害者が登校をいやがるなど、いくつかサインがあるが、それがなかった」として、大阪地裁(下司正明裁判官)が棄却。原告敗訴。
司法が「いじめの基準」を示したのは初めて。
参考資料 いじめ・自殺・遺書 「ぼくたちは、生きたかった!」/子どものしあわせ編集部・編/1995年2月草土文化、いじめ問題ハンドブック 学校に子どもの人権を/日本弁護士連合会/1995年6月10日こうち書房、「自殺 死に追い込まれる心」/君和田和一・西原由記子/1995年7月京都・法政出版、「子どもの権利マニュアル」/日本弁護士連合会/1995年9月3日こうち書房1987/2/18讀賣新聞・大阪(月刊「子ども」1987年4月号)



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