子どもたちは二度殺される【事例】



注 :
被害者の氏名は、一人ひとりの墓碑銘を私たちの心に深く刻むために、書籍等に掲載された氏名をそのまま使用させていただいています。ただし、加害者や担当教師名等については、個人に問題を帰すよりも、社会全体の、あるいは学校、教師全体の問題として捉えるべきではないかと考え、匿名にしてあります。
また、学校名については類似事件と区別するためと、隠蔽をはかるよりも、学校も、地域も、事実を事実として重く受けとめて、二度と同じ悲劇を繰り返さないで欲しいという願いを込めて、そのまま使用しています。
S.TAKEDA
851209 いじめ自殺 2001.2.25 2001.3.12更新
1985/12/9 青森県上北郡野辺地町の野辺地中学校の熊沢憲くん(中2・14)が、山中の農作業小屋で首を吊って自殺。
遺書・ほか 「野辺地中学校さようなら 野辺地中学校全国大会(吹奏楽)金賞目ざして頑張って下さい  さようなら 十二月九日月曜日、死にたい、死にたい、絶対に死んでやる 学校にいえばいったでワ(方言で自分という意)と友だちが仲間と一緒に殴られる。何が何でものろってやる。これから青春したかったのにお前たちのせいで この野郎」と現場近くにあったノート3枚にわたって書いてあった。また、いじめていた生徒3、4人の名前も書き連ねていた。
経 緯 同中学校の卒業生と在校生のグループに殴れたり、金銭を強要されていた。春先から母親に、「一年のうち半分死にたい」漏らしていた。

この日、いつも下校が一緒の同級生と、「学校に行きたくない」などの話から、「いっそ死んでしまおう」と2人で首を吊るしぐさをしたがうまくいかず、一度は断念していた。
学校・ほかの対応 12/6 憲くんは、亡くなる3日前、「卒業生から呼びだされているので早退したい」と学年主任に申し出て早退。その日のうちに、同じくいじめられていた同級生と一緒に警察に駆け込んで、「校内のつっぱりグループから金を持ってこいといわれ、嫌がらせを受けている」と相談していた。
しかし、学校も警察も何の手だても打たなかった。
加害者 いじめていた6人の少年を書類送検。
参考資料 いじめ・自殺・遺書「ぼくたちは、生きたかった!」/子どものしあわせ編集部編/1995年2月草土文化、人権ライブラリー「体罰と子どもの人権」の中の「子どもたちの肉声を聴く旅/村上義雄著/1986年11月有斐閣、「いじめ少年犯罪に、宣戦布告」史上最強の告発マニュアル/プレスプラン編集部/2000年10月23日プレスプラン



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