注 : 被害者の氏名は、一人ひとりの墓碑銘を私たちの心に深く刻むために、書籍等に掲載された氏名をそのまま使用させていただいています。ただし、加害者や担当教師名等については、個人に問題を帰すよりも、社会全体の、あるいは学校、教師全体の問題として捉えるべきではないかと考え、匿名にしてあります。 また、学校名については類似事件と区別するためと、隠蔽をはかるよりも、学校も、地域も、事実を事実として重く受けとめて、二度と同じ悲劇を繰り返さないで欲しいという願いを込めて、そのまま使用しています。 |
S.TAKEDA |
851014 | いじめ自殺 | 2002.12.16新規 |
1985/10/14 | 群馬県勢多郡富士見村の村立富士見中学校の樺沢崇くん(中2・14)が、バスケットボール部内でのいじめを苦に除草剤を飲み、自殺をはかる。10/22死亡。 | |
遺書・ほか | 自宅にあったノートの端に「うらんでいる」と書いていた。 | |
経 緯 | 1年生の時から、必修クラブ活動ではバスケット部員だった。 校庭や砂場で、ほかの部員からよくいじめられていた。 1985/ 10/12、13の新人戦に向けて練習が厳しくなっていた。 崇くんは一度「退部したい」と顧問に申し出たが、部員たちが説得し、本人も納得していた。 10/7 崇くんと顧問が話し合ったあと、体育館裏でバスケット部の同級生たちが「へたくそ」「なぜ練習に遅れるんだ」と言って、暴行を加えた。 10/11 崇くんは学校を腹痛で休んだ。 10/12-13 新人戦にも参加しなかった。 10/14 朝、自宅を出たまま登校せず、農家の自宅から持ち出したパラコート系の除草剤を林の中で飲む。自宅に戻って、苦しんでいるのを父親が見つけて、病院に運んだ。 10/22 死亡。 |
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いじめ態様 | 同じバスケット部に所属する同級生らから暴行されるなどいじめられていた。 女子生徒からも「バイキン」などと言われていた。 |
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学校・ほかの対応 | 10/18 午前8時からの職員会議で、校長が事件と崇くんの病状を報告。 記者に対して「樺沢くんには早く元気になってほしい。生徒指導には十分気を配ってきたが、こんな事態になったのは残念だ。目の行き届かないところがあった。これからは全職員が一丸となって生徒指導を進めたい。このような事態になって申し訳ない気持ちでいっぱいだ」と話した。 |
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背 景 | 同校バスケット部は、郡内の春、夏の大会で準優勝していた。 | |
被害者 | 崇くんは身長180センチで、1年生の時からバスケットを選択していたが、体育が不得手でレギュラーではなかった。気が弱かった。 | |
親の対応 | 両親はいじめに気づいて、同級生の家に「いじめないでほしい」と電話していたが効果がなかった。 10/24 父親(42)が校長に、全生徒と職員の前で話をさせてほしいと要望。午後、同中体育館で、約30分話をした。 「崇の両手両足の血管ははれあがり、注射をする余地もなかった」「手足を苦しみでバタつかせ、4人でおさえていなければならなかった」「できれば、ノドを裂いて楽にしてやりたかった」 「先生たちは頭を下げ、泣いてくれた。だが、ただ頭を下げ泣く人形なら、おもちゃ屋に行けば売っている」「崇には数学も国語も教えてくれなくてよかった。もっと楽な死に方を教えてほしかった」などと話した。 |
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作文・手紙 | 10/25 父親が10/24に「学校をよくするには何をしたらいいか、みんなの心の中にあることを手紙で教えてほしい」と涙ながらに訴えたことを受けて、生徒と教師約800人のうち半数近くが、崇くんの自殺や学校でのいじめ問題について書いた手紙を遺族に手渡した。 | |
参考資料 | 1985/10/18、10/26朝日新聞(「いじめ問題ハンドブック/高徳忍著/1999.2.10つげ書房新社)、「いじめ・自殺・遺書」/子どものしあわせ編集部編/1995.2.1草土文化 | |
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