注 : 被害者の氏名は、一人ひとりの墓碑銘を私たちの心に深く刻むために、書籍等に掲載された氏名をそのまま使用させていただいています。ただし、加害者や担当教師名等については、個人に問題を帰すよりも、社会全体の、あるいは学校、教師全体の問題として捉えるべきではないかと考え、匿名にしてあります。 また、学校名については類似事件と区別するためと、隠蔽をはかるよりも、学校も、地域も、事実を事実として重く受けとめて、二度と同じ悲劇を繰り返さないで欲しいという願いを込めて、そのまま使用しています。 |
S.TAKEDA |
850926 | いじめ自殺 | 2000.9.10 2001.5.3 2003.6.22更新 |
1985/9/26 | 福島県いわき市立小川中学校の佐藤清二くん(中3・14)が、自宅近くの農機具小屋軒下でビニールホースで首吊り自殺。 | |
遺書・ほか | 足元にあったカバンの中に入っていた教科書に、2枚の紙片が挟んであった。 「今日つきあえ。 学校からリヤカーをかりて、D君のバイク(きのうのワインレッドのバイク)を、リヤカーにのせ、もってくから! もし、これないなら、D君に言え、(帰ったら、××君に、ヤキ入れられるよ) そして、おまえらが、学校からリヤカーを借りてこい、あとはまかせなさい、 清二とFへ Sより」 「清二へ Fと二人で、今日、千円あつめてくれ、クラブのじかんに、ぜったいな! あと、あした金もってこい、一万円な、ぜったいだぞ、D君にやらなきゃなんないから」 と書かれていた。 (※その後、いわき中央署の調べで、この脅迫メモは夏休み前、7月頃のもので解決済みの内容であることが判明。) また、自宅から、「先生のバカ、先生のバカ、バカ」と何度も書いてあるメモが見つかる。 自殺直前、現場近くの友人宅を訪れ、「あとでオレを見つけたら教えてくれ」と別れを告げていた。 家出したとき、部屋の中はきれいに整理整頓されており、机の上にそれまで書いていた日記だけがポツンとあった。日記には、前に書かれていたものが全部切り取られており、最後の前の日の1日のことだけ、楽しかったと書かれていた。 |
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家族の対応 | 自殺する前は、家族は家出を軽く考えていた。「また山にでも行っているんじゃないか。そのうちすぐに帰ってくるだろう」と考え、前に家出をしたときに寝泊まりしていた農機具小屋を探さなかった。 | |
調 査 | 清二くんは1年生の時からSに子分のように扱われ、言うことを聞かないときなどは、殴る蹴るの暴力を受けていた。金銭強要も1年の時からすでにあった。1年前から同級生の番長グループから暴行されたり、現金を奪われていた。 Sは、2年、3年になってからはより多額の金銭を要求するようになった。清二くんは、これに応じてきたが、給食費等を母親が直接学校に持参するようになった3年時からは、同級生や下級生から借金をしたり、カンパと称して金を集めたり、盗みをして現金を調達することもあった。 Sは、清二くんが要求された金を渡さなかったり、Sの命令をきかなかったり、金銭の強要を教師に告げたとき、あるいは理由もなく遊び半分や憂さ晴らしで、暴力を振るった。暴力はだんだんエスカレートし、顔や頭、腹、足などところ構わず殴ったり蹴ったりするほか、掃除用具等で殴打するなどを月に数度以上重ねていた。これらの金銭強要や暴行などは、教室、廊下、便所等の学校内及び下校途中でなされた。 また、盗みの強要、洗剤や泥などを無理矢理飲ませる、マジックインキで顔にイタズラ書きをするなどの、いじめを受けていた。他にも、清二くんを縄跳びのひもでグルグル巻きにして教壇に置き、教師が教室に来るまでに「縄抜け」をやらせることや、犬のように首にひもをまきつけ、床に這わせてひもを引っ張り歩き、すまきにして教壇に転がしておくようなこともした。 1984/4/26 2年生の時、遠足で行ったレジャー・センターで、清二くんは、食べ物や飲み物を買いたくて、「28日までに返す。もし、返せなかったら、1週間ごとに5倍ずつにする」という約束で、Sから1500円を借りた。 5/18 約束通りの条件で金を返すことができず、Sから腕力と言葉で強い圧力を受け、友人のFくんを誘って家出。隣町まで自転車で遠出したが、夜になって行く先のあてもなく、自ら110番して保護される。教師は、祖母を学校に呼び、金の貸し借りについて注意。Sに対しても注意し、「わかりました」との回答を得ている。その後、清二くんは金の貸し借りを教師にチクったことを理由に、Sに殴られる。 5/28 清二くんは、学校の休み時間に廊下でSほか1人に頭を殴られたため、担任教師に置き手紙をして学校を抜け出す。教師に発見され連れ戻される。逃げた理由を聞かれ、Sの名前を出したことから、担任は殴った2人を呼んで叱った。2人は、教師に言われて清二くんに謝った。 5/29 清二くんは、Sの報復を恐れて学校近くの洞穴にこもって外泊。翌朝、帰宅。 8/29 下校途中、Sは清二くんに暴力を振るったうえ、「明日までに2500円もってこい」と命じる。 8/30 金が工面できず、同じく「3500円をもってこい」と言われていたFくんを誘って、学校を逃げ出す。夕方、探しに出た担任が発見。理由を問いつめられて恐喝の事実を告げる。 8/31 Sに校長と担任が厳しく説教をするがSに反省の色なし。Sの親を呼んで児童相談所に相談に行くことを勧めるが母親は乗り気でなく、「私からよく言ってきかせます」と言って帰った。 10/6 Sから要求された金が工面できず、「帰り道で待ち伏せされている」と担任に訴えたため、担任は清二くんとFくんを車に乗せて送る。担任はSに注意。 10/9 3000円の金が清二くんからSにわたったことを知って、担任がSの母親に連絡して、金を返させる。 10/27 給食費、諸会費の納入が遅れているのを学校から指摘された祖母が、未納分の2万円を持参して、担任に詫びる。以降、祖母が直接、金を届けることになる。 1984/12から1985/2/11まで、Sにそそのかされて「車上狙い」をし、車の所有者に発見されている。 1985/2 清二くんの早退が目立って増えたため担任が問いつめたが、清二くんは黙っていた。Sにも問いつめるが「やっていない」と言われてそのままになる。 2/23 Sは清二くんと他1人を連れて、路上かのバイクからエンジンキーとヘルメットを奪い、バイクを盗もうとして補導される。 4/5、6 新しい担任に、清二くんはSから5000円を要求されたことを告げ、担任と生徒指導主事の教師が聞く。教師がSとSの親に注意する。 4/13 清二くんが別の3年生に殴られたと清二くんの兄が抗議。その後(4/14)祖母から「先方が謝ってくれました」と手紙が来る。担任と生徒指導主事は、2人を呼んで仲直りをさせる。 4/16 金の貸し借りで口論。担任は生徒の前で「カネの貸し借りは間違いのもとだから、けっしてするな」と訓示。 4/21 清二くんの犯した教室荒らしに対しては、学校は保護者を呼んで被害金品を弁償することを承知させる対応にとどまった。 4/23 担任が清二くんの家を家庭訪問。祖母から「2年生の時に友だちからずいぶんいじめられた。いじめられないよう、気を付けてやってください」と頼まれる。 5/11 清二くんは担任に、「Sに、お前が持っていないのなら、ほかの生徒から1500円を集めて持ってこい」と言われたと担任に告げる。担任はSを呼んで注意する。 5/14 清二くんとFくんとが、同じ3年生の友人に、「先輩から金を集めろと言われている。お前は千円出してくれ」と伝えるが嘘だとばれて、その友人から殴られる。担任は2人を叱り、友人には「人を殴ってはいけない」と注意した。 5/15 登校後、「体の具合が悪いので、これから病院に行く」言って外出、夕方学校に戻る。 事情を聞いてみると病院行きは嘘だとばれるが、担任の問いには沈黙したままだった。 5/24 再び「病院に行く」と言い、早退して家に帰る。担任の問いつめに、「2000円集めろと言われた。集めないと殴られる。それがいやで早退した」と告白。担任は嘘をついて早退した旨を祖母に連絡。「今後、手紙がなかったら早退させないでください」と頼まれる。Sの母親には、「今後、また同じようなことをしたら、もう施設に送るほかはない」と強く伝える。 6/17 清二くんとFくんは朝、同級生に、「気分が悪いから休むと言ってくれ」と頼み、Fくんとともに学校をさぼるがばれて、翌日、担任に叱られる。 7/10 学校の理科室の掃除の時間中、試験管に入った水酸化ナトリウムを手につけ遊んでいるうちに、Sが清二くんの襟元から背中に流し込んだ。背中全体が赤くなり、同級生が職員室に通報。担任と生徒指導主事が駆けつけ、応急手当をする。清二くんは、「駆け回っていたとき、机にぶつかり、試験管が倒れた」と言い、Sは「かけてもいいと言ったからかけた」と弁解。Sに注意をし、清二くんには、「ほんとうのことを隠したり、嘘をつくのはよくない」と指導。担任が家に連絡した。 7/ 上旬頃、約10回にわたって雑草を食えと命じられて言われるままに食ったが、一度は気分が悪くなって吐いた。 7/ 下旬頃、清二くんはSに竹刀で頭、腹、背中を20回ほど殴打された。 9/4 技術の時間中、パンとジュースを買ってこいと言われ、「行けない」と答えると、ビニール・コードの先端の被膜をはぎとり、金属線をむき出しにして球に丸めたもので頭、腕、手の甲などを打たれた。この時は回りにいた同級生が割って入ってやめさせた。 9/5 「気分が悪い」と言って早退し、同じくいじめられ役のFくんともう1人の同級生の3人で神社に行ってタバコを吸う。中学生が喫煙しているのを見た住民の通報で、かけつけた教頭らにつかまる。早退理由については沈黙していた。 9/14 清二くんと友だちのFくんが「いじめられる悩み」を語り合っているのを知り、Fくんに「なんであいつと遊ぶのだ」と責め、硬いボール紙のパイプで殴打。「もうヤツとは一言も話すな」と命じた。 9/16 SがDにあったとき、バイクを2万円で売ってやると言われて必要になったため、清二くんに「2万円持ってこい」と命じる。。また、Sは別の先輩から「1万6千円持ってこい」と言われ、その分も清二くんに調達してくるように命じた。しかし、清二くんは5千円しかつくれなかった。 9/17 学校を無断で早退してFくんの家で遊ぶ。翌日、担任が早退理由をただしたが沈黙していた。 9/ 下旬頃、タバコ8本を立て続けに吸わせ、気分が悪くなって嘔吐するのを見て笑っていた。 9/18-20 Sに金を持ってこなかったとビンタを食らい、持ってくるよう強く念を押される。 9/21 清二くんが教室荒らしをして見つかる。前にも2回ほど盗ったことを告白。金は食べ物を買うのに使ったと話していた。(後に裁判で、提出された警察調書により、この時、清二くんがSから金を持ってこいと言われて殴られたことを告げ、教師がSに確認したところ「あれは冗談だった」と言われたため、「言っていい冗談と悪い冗談がある」と言ったことが判明) 担任、生徒指導主事は校長室で、「お金の返済は、先生のほうからお母さんに連絡しておく。このことは誰も知らないから、安心して帰るように」「二度とやってはいけない」と清二くんに注意して帰した。 9/24 母親が呼びだされ、学校で金の返済を約束する。その日の朝、清二くんは中学校前でバスを降り、正門に行く途中であった同じクラスの生徒に、「オレ、ぐあいが悪いんで病院に行く。先生に遅れるといっといてくれ」と頼み、そのまま姿を消した。清二くんは友だちの家に電話して、「Sがひどく怒っていて、お前をぶん殴ると言って探しているぞ」と知らされていた。 9/25 腹痛で早退し家にいたFくんのところに清二くんがあらわれ、家出していて、これから家に帰るときだと話した。「母親に怒られたらナイフを見せて、これで自殺するつもりだったと言う」と言って刃渡り10センチほどの果物ナイフを借りていった。 |
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担任教師の対応 | 学校に行きたがらないこともあり、父親が担任教師に相談したが、「いじめはありませんから、心配しないでください」と言われていた。一方で、清二くんは担任教師にいじめられていることを訴えていた。 2年生の10月6日頃までは清二くんは、担任にいじめを訴えていたが、教師らが将来にわたってSらの暴力を根絶する有効な措置をとらず、かえって酷い暴行を受けたため、その後は教師から尋ねられても、事実を話さなくなった。 3年生になってから、4月に他校から転任してきた担任のO教師が、被害を受けた場合は相談するよう言っていたこともあり、4、5月は担任に打ち明けていた。しかし、その後は話さなくなり、Sとのことについて事情を聞かれても黙っていた。さらには、これを否定するようになった。 O教師をはじめ関与した教師らは、Sの清二くんに対するいじめ関しては、概ね担任が単独で担当。他クラスの生徒も加わった事件については他クラスの担任とともに処理。学校全体として取り組むほど重大な問題ではないと考えていた。 表面化した問題に対して、その都度、関係した生徒、両親、担任らが話しあって、いじめた生徒に「もう二度としない」と約束させて、加害を繰り返さないことを期待。教師は、家庭訪問や電話で、いじめた子どもの家庭に情報を伝えていたが、「注意してください」「家のほうでよろしくお願いします」等のレベルにとどまっていた。ほかには、清二くんやSの家族に時々連絡する程度だった。 親が学校に訴えても、「学校は勉強を教えるだけ。いじめをする子どもがいたら、きちんとしたところに出てもらわなければ、学校では何もできない」と教師に言われた。 教師は加害者の生徒に対しては「心をひきしめて生活するように」といった形式的な注意をし、一方で清二くんには、「同じこと(カネを要求されること)を何回も繰り返すのは、お前自身にも悪いところがあるので、十分注意するように」「勇気をもって拒否しろ」などと指導していた。 教師らの指導が弱く逃げ腰だったため、生徒たちも教師らに告げても仕方がないし、かえって自分自身もSから暴力を受けるのではないかと恐れ、暴行の事実を見聞きしても、教師らに告げることはほとんどなかった。 |
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学校・ほかの対応 | いじめ暴行について、教頭や校長は時々報告を受け、指導の仕方について指示をし、時には直接指導に加わったことがあったが、生徒指導委員会に取りあげられたり、全校的に解決にあたったということはなかった。 1985/2 市の教育委員会が市内の全中学校に対し、「『いじめ』の実態について」というアンケート調査を送った。アンケート記入要旨に、「すでに解決ずみの過去のケースについては記入する必要はない」とあったため、同校では、「『いじめ』と思われるような行動は1件あったが、現在は指導・解決しているので、本校には該当事例はない」と回答していた。 記者会見で校長は、「わが校にいじめがあるとは考えられない。予想もしなかったことです。なぜ死んだのか、まったくわからない。われわれとしても当惑しているのです」と話した。また、「警察ではいじめを苦にした自殺を疑っています。どうなんですか」の問いに、「いじめといっても、いじめの被害者はいじめられていることをなかなか話さないものだから、わかりにくいんです。われわれ教職員が気付かなかったとしてもやむをえない面がある。とにかく、そういうことは担任もふくめ、学校側は報告を受けていません」と回答。 9/28 葬儀の席で校長が弔辞を読む。その中で、「私たち教職員一同、心からお詫び申し上げる次第であります。学校長としてただただ申し訳なく、謝罪の言葉もありません。どうか、お許しくださるよう、心からお願い申しあげます。」と謝罪した。 |
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背 景 | いわき市は、いわき高校、いわき女子高校を頂点とした受験競争が加熱しており、中学校の教師のエネルギーはそちらに割かれていた。 一方で、学校は非常に荒れており、校内暴力が多発。学級崩壊も相次いでいた。生徒指導の中心は校内暴力のグループに向けられていた。 |
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カンパの構造 | 小川中には番長が歴代いて、その番長が卒業すると地域にたまる。そこでやくざとの関係が出てくる。縦のつながりがとても強く、現役の番長を通じて中学校に支配が及ぶ。卒業生・上級生からのカンパ要請に応じるため、在校生の少年たちが自分たちより弱い生徒を子分として支配下におくという、段階的な構造があった。主犯格のS少年は、資金調達の責任者だった。清二くんと同じように、お金を取られたりしていた生徒がいた。 いじめの3人グループは、自分たちに回ってきた先輩からのカンパ要請に対して、清二くんに、「誰それからいくらずつカンパを集めてこい」という指令メモをもたせて教室を回らせていた。 |
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加害者 | いじめの3人グループは中卒で就職するグループだった。学力的にも、落ちこぼされていた。 主犯格の少年Sの父親は10年ほど前に蒸発して、母親が看護婦をして女手ひとつで育てていた。 Sは学校のなかで自転車を乗り回したり、土足履きで歩いたり、教師たちからも恐れられていた。 Sも同校卒業の高校生の少年D(のちに教護院送致)から金銭を要求されていた。 校内暴力グループからボンタン(ダボタボのズボン)などを法外な値段で売りつけられ、金巻き上げられたり、殴られたりしていた。 清二くんの自殺後もSは、「皆がいじめていたから自分のせいとは思わない」と述べ、自分たちの行為との関連を自覚せず、カンパを集めようとしていた。 10/11、生徒7人を書類送検。 10/25 Sは、自己中心的な性格を矯正する必要があるとして、少年院送致。 暴行・脅迫の容疑で一緒に補導された他の少年たちは、保護観察処分。 |
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警察・ほかの対応 | 警察・家庭裁判所は、「小川中におけるカンパの段階的な構造」の背景があることを認定したものの、十分な解明を行わないまま、捜査を打ち切った。 問題になった脅迫メモについては夏休み前の古いもので、自殺とは直接関係がなかったと判断。 金銭強要の卒業生を頂点とするグループは摘発されず、補導された校内暴力グループは無関係として処理。 |
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加害者の言い分 | 1985/10/28 主犯格のSは、「たしかにぼくは清二に悪いことをした。反省している。しかし、ほかにもいじめた者がいる。どうしてぼく一人にすべての責任を負わせようとするのか」として「抗告」。母親に「自殺の前、清二君は別のいじめグループから“ボンタンを2万円で買え”と押し付けられて困っていた。ぼくに相談したので、“ボンタンを返せばよい”と言うと、“いじめられるからそうはいかない”と沈んでいた」などの手紙を送った。そして「こうしたグループが補導もされないのに、自分だけが少年院送致処分を受けるのはあまりに不公平」と話した。 抗告の理由として 1.清二くんが連日のように校内暴力グループから暴力を受けていたという事実 2.先輩の非行グループがカンパと称して後輩から金銭を強要する段階的な構造が学校に存在し、Sがその先輩グルーブから命令されそれを清二くんに指示して後輩からカンパを取り立てていた事実が軽視されたことを上げた。 11/15 「抗告の趣旨が明示されていないので不適法」として棄却。 家庭裁判所は、Sの性格的な歪みと母子家庭の不十分な監護能力を問題にし、上記の2つの事実は背景事情にすぎないと判断した。 |
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関 連 | 10/2 職員室に30代くらいま男性の声で、「10時に爆発する時限爆弾を学校にしかけた」と、いたずら電話がかかってきた。午後にもう一度、「明日の11時20分、校長室を爆破する」という電話がかかった。両日とも爆発はおこらなかった。 | |
裁 判 | 1986/8 遺族が「自殺したのは、学校が適切ないじめ対策を怠り、同級生のいじめを放置したため」として、市と主犯格とみられる少年の両親を相手どって提訴。 |
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判 決 | 1986/8 いじめた少年の両親とは、500万円を支払うことで、和解成立。 1990/12/26 福島地裁いわき支部は、「いじめと自殺は因果関係があり、いじめ対策を怠った学校に過失がある」と判決。市に合計1109万円の支払いを命じた。原告勝訴。 「そもそも学校側の安全保持義務違反の有無を判断するに際しては、悪質かつ重大ないじめが清二の心身に重大な危害を及ぼすような悪質ないじめであることの認識があれば足り、必ずしも清二が自殺することまでの予見可能性があったことを要しないものと解するのが相当である」として、学校設置者に被害生徒が自殺したことによる損害の賠償責任を認めている。 「過失相殺ないしはその類推適用の考え方によって、清二が(中略)自殺したということ自体について4割強程度の責任分担をなさしめるべく、また(中略)清二らの家族の責任にも考慮すれば、原告らに生じた損害のうち、7割までは原告側の負担とし、被告については3割の限度で責任を負わしめるべきこととするのが相当である」 「清二の自殺は、既に見たとおり、清二の性格的な弱さがあったところにSの悪質で苛烈ないじめが加えられたことを主因とし、これに学校側の過失行為や清二方家族の問題点などが副次的要因として相互に絡まってもたらされたものと見ることができ、したがって、学校側とS側のそれぞれの行為は共同不法行為の関係をなすわけであるが、いじめという積極的な故意に準じるSの加害行為に比べ、学校側の行為はあくまで消極的な不作為によるものであって、清二への影響のあり方は大きく異なっていたものというべきであるから、本件において過失相殺を検討するにあたっては、専ら被告の過失と原告ら(清二を含む)のそれとが比較衡量とされるべきである」 1990/12/28 いわき市は、遺族・市民の感情を考慮し控訴を断念。 |
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判決の意味 | 争点となった学校側の自殺の予見性に関し、悪質ないじめが原因の自殺については「必ずしも具体的な自殺の予見可能性があったことを要しない」と判断。初めて学校の管理責任が認められる。 この事件では、清二くんが自殺したことに対して4割、両親が清二くんの教育に無関心であり、被害者生徒の心情を理解してやる者がいなかったことを考慮して3割、合計7割を過失相殺している。 |
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法廷での証言 | 子どもたちはいずれも、いじめの事実を認めた。 一方で校長は、「いじめを隠そうなどという考えは全然なかった。ほかの全教職員にしても同じことだ。それらは単なるいたずら、悪ふざけ、からかい、喧嘩などと考えて対応していたからである。そういうことをひっくるめて、問題行動ととらえていた。しかし、こうした行動もいわゆるいじめの範疇に入るのかと、ここで改めて認識を改めた」と証言。 捜査記録で「いじめを苦にした自殺」「教育の限界」「(加害者たちの)少年院送致を求める」と供述したのは、「警察に無理強いされた」「当時のマスコミの状況からして、そう言わざるを得なかった」として、供述を撤回。最終的にも、「今もって私は、清二くんがいじめによって自殺したとは、今もって考えられない」として、「いじめはなかった。したがって、それを苦にしての自殺とは思えない」と証言。 また、教師は、「遺体が発見された時の状況からして、これは自殺ではなくて、同情を引くために自殺の真似をしていたらまちがって死んでしまった、一種の事故死ではないか」との推測を警察の調書で述べていた。遺体は見ていないが、職員室でそういう噂がたったと証言。 教師たちも、「いじめはなかった」「自殺の原因は家庭にある」といじめを全面否定。嫁姑との葛藤や教育への無関心などの家庭の問題を自殺の原因としてあげた。 |
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法廷での(Sの)証言 | 清二くんが亡くなったときにカバンの中にあったメモのうち、「きょうつきあえ」で始まるものは9/7頃に渡したもの。「F君と千円集める」というものは7月中旬頃のもので、自殺直前に渡したものではないと証言。また、要求した千円は清二くんから受け取ったが、D君に渡すはずだった1万円は清二くんが集められず、1円も渡していない。D君には、「今度から必ず集めるから」と言って許してもらった」と証言。 | |
参考資料 | 「醒めない夢」金属バット事件から女子高生監禁殺人事件へ/青木信人/1991年9月太郎次郎社、「いじめられて、さようなら」/佐瀬 稔/1992年2月相思社、『せめてあのとき一言でも』/鎌田慧/1996年10月草思社、いじめ・自殺・遺書 「ぼくたちは、生きたかった!」/子どものしあわせ編集部編/草土文化、「愛しき娘よ」13歳の遺稿と母親の手記/吉野和子/1992年9月母と子社、季刊教育法2000年9月臨時増刊号「いじめ裁判」/2000年9月エイデル研究所、イジメブックス イジメの総合的研究4 「イジメと子どもの人権」/中川 明/2000年11月20日信山社、「子どもたちの人権」/若穂井透/1987.6.5朝日新聞社 | |
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