子どもたちは二度殺される【事例】



注 :
被害者の氏名は、一人ひとりの墓碑銘を私たちの心に深く刻むために、書籍等に掲載された氏名をそのまま使用させていただいています。ただし、加害者や担当教師名等については、個人に問題を帰すよりも、社会全体の、あるいは学校、教師全体の問題として捉えるべきではないかと考え、匿名にしてあります。
また、学校名については類似事件と区別するためと、隠蔽をはかるよりも、学校も、地域も、事実を事実として重く受けとめて、二度と同じ悲劇を繰り返さないで欲しいという願いを込めて、そのまま使用しています。
S.TAKEDA
850826 いじめ自殺 2000.9.10. 2002.1.13更新
1985/8/26 三重県一志郡白山町の全寮制高校・私立日生学園第二高校多田武秀くん(高1・15剣道部合宿中に本館屋上の時計塔窓から飛び降り自殺。
経 緯 8/22 剣道部の合宿に参加するため帰省先の自宅(東京都足立区)を出たが、途中の名古屋市内でビルの屋上から飛び降り自殺をしようとして、警察に保護された。

8/23 母親に付き添われて同校に行き、合宿に参加。

8/26 剣道部の合宿中、午後、他の部員たちが仮眠をとっている間に本館屋上の高さ17メートルの時計塔窓から飛び降り自殺。
裁 判 生徒の母親が、「二男は剣道部のいじめ、しごきに耐えかねて自殺した。死の数日前に自殺未遂するなど、自殺は予見可能。学校側が防止の義務を怠ったためにおきた」として、私立日生学園を相手取って5550万円の損害賠償を求めて訴えた。
判 決 1 1991/9 一審で、学校の手落ちを否定。原告控訴。
判 決 2 1991/9/26 名古屋高裁で、土田勇裁判長は、「本人が数日前に自殺未遂したことを学校側は知らされていなかったうえ、本人にも死をうかがわせる深刻な表情がなかった」として、津地裁の一審判決同様、棄却。原告上告。
判 決 3 1993/2/18 最高裁第一小法廷(三好達裁判長)は、「学校側が自殺を客観的に予見できる状況にはなかった」とした二審の名古屋高裁判決を支持し、上告を棄却。
参考資料 1991/9/26中日新聞・夕(月刊「子ども論」1991年11月号/クレヨンハウス)、いじめ・自殺・遺書 「ぼくたちは、生きたかった!」/子どものしあわせ編集部編/草土文化



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