子どもたちは二度殺される【事例】



注 :
被害者の氏名は、一人ひとりの墓碑銘を私たちの心に深く刻むために、書籍等に掲載された氏名をそのまま使用させていただいています。ただし、加害者や担当教師名等については、個人に問題を帰すよりも、社会全体の、あるいは学校、教師全体の問題として捉えるべきではないかと考え、匿名にしてあります。
また、学校名については類似事件と区別するためと、隠蔽をはかるよりも、学校も、地域も、事実を事実として重く受けとめて、二度と同じ悲劇を繰り返さないで欲しいという願いを込めて、そのまま使用しています。
S.TAKEDA
850509 体罰死  2001.2.17. 2001.3.15 2001.9.20更新
1985/5/9 岐阜県立岐陽高校の高橋利尚くん(高2・16)が、つくば科学万博の修学旅行先の宿で、持参を禁止されていたヘアドライヤーを持ってきたとして、数人の教師から殴る蹴るの体罰を受けショック死。
経 緯 5/9 午前6時20分頃、見回りの教師が利尚くんがヘアードライヤーを使っているのを発見し、規則違反として生活指導部のF教師に報告した。(ヘアードライヤーは友人から借りたものだった)

朝食後の7時30分頃 担任教師らが、修学旅行に持参を禁止されていたブラシ付きのヘヤードライヤーを使っていたとして、高橋利尚くんと、名古屋・東京間の船の中でドライヤーを発見された男子生徒Aくん、宿舎でドライヤーを発見された女子生徒B子さんの3人をホテルの自室に呼びだした。

同室で若手の
生活指導担当の男性教師F(32)と、3人のホームルーム担任のM男性教師(36)が「指導」。まず女子生徒にはかけていたメガネをはずさせ、F教師が3人の頭を平手で数回ずつ殴った。そのあと、集合時間がせまっているため、教師2人は3人を残して一旦部屋を出た。

10分くらいして、戻ってきたM教師は、「おまえたちを信用していたんだが、情けないぞ。なぜ、裏切った」と言って、Aくんの頭を数回殴ったり、足で蹴った。Aくんは一度後ろに倒れたのち、正座し直した。
その時、F教師が戻ってきて、「ヨシ」と言ってAくんを許し退室させた。

2人の教師が何事か相談のあと、M教師は利尚くんの前に立って、「おれは、なぐる教師ではない」と言い、「おれを裏切ったな」と叫び、頭を数回殴り、右肩などを蹴り、さらに腹を蹴った。利尚くんが「ごめんなさい」と、うめき声をあげたり、泣き出したりしたが、倒れたところを、鳩尾のあたりを踏みつけたところ、「ギャー」と言って動かなくなった。

意識不明になったため、F教師があわてて他の教師を呼び、人工呼吸や心臓マッサージをするが、胃の内容物を吐いたりして、救急車で筑波メディカルセンターに運ばれる。2時間後の10時10分、死亡。末梢循環不全によるショック死と診断。遺体の損傷は相当、激しかったという。
背 景 岐陽高校は、約10年前に進学校を目指してスタートしながら進学率が悪く、校内規律が乱れたため入学希望者が減って定員割れが続いていた。教師たちは、校内秩序の回復に躍起になっていた。

1982年4月に新しい校長が来てから、生徒指導部の部長とともに、規則を盾にした生徒指導に着手。厳しい校則を制定し、教師は竹刀をもって校内を歩き、校則違反者はその場でビンタ、ナックルパンチ、ケツバットなどの処分を行っていた。「岐陽チケット」と呼ばれる10枚綴りの切符のようなものを生徒に配り、減点していって、なくなると体罰があるという体制があった。

校則で、男子生徒の学生服やズボンのすそ幅や、女子生徒のスカートのひだ数、スカート丈、頭髪の長さなど細かく規程。くせ毛の生徒は「くせ毛届証明書」を生徒手帳に貼り付ける、女子で肩より長く髪を伸ばすものは「束髪届」を出し束ねるか編むことの許可をもらう。「束髪届」をもらったら1年間はその髪型を通さなければならない。冬でもマフラーは禁止。うすいカバンは没収され燃やされる。宿題を忘れると正座。授業開始チャイムできちんと席に座っていないとたたかれる。正座が2〜3時間に及ぶこともあった。

PTAにも体罰容認の雰囲気が非常に強かった。服装の乱れや非行が沈静化し、「規則正しいいい学校、いい高校」として、1985年3月の入試では定員オーバーするほどになった。
背 景 利尚くんは以前、雨の日に自転車に乗る時は雨合羽を着用しなければならない規則を破って、傘をさして自転車に乗っていた。校門チェックにひっかかり、カバンの中身を雨の道路に放り出され、自転車がひっくり返るくらい激しく竹刀で叩かれ、骨折したことがあった。
加害者 M教師は教師歴13年。1985年4月に同校に転任してきたばかりだった。日頃は、全くと言ってよいほど体罰を振るわなかった。前の学校では、全校生徒による「好きな先生」のアンケートの2位に入っていた。

事件前夜、Mのクラスに禁止されているヘヤードライヤーを持ってきたものが多いと、若い教師から責められていた。

事件当日、F教師が利尚くんを殴った上、暗に担任の日ごろの指導の甘さをなじったため、Mは「自分がやらねば生徒指導担当の手前、示しがつかない」と思い、割って入って殴りつけた。もっともひどく殴ったのは担任のMだった。

5/10 事件の翌日、M教師は傷害致死容疑で筑波学園署に逮捕される。
5/30 M教師起訴。F教師不起訴。

7/15   岐阜県教育委員会は、M教師を懲戒免職処分にする。F教師は停職2か月
学校・教育委員会の対応 校長は、「これはM教諭の弱さだった」と発言。生徒指導部長も、「高橋くんは元気でちゃめな子だった。彼のよさがM先生にはすぐにわからなかったのではないでしょうか」と発言。

岐阜県の教育委員会は、事件直後の「教育県民会議」で、「体罰死」事件について、「信じられない特異なケース」「教師個人の体質、資質の問題」「体罰は日常化していない」と断言。「教師は人格者であらねばならない。その教師が生徒を殴る。ましてや死なせてはならない。だからこの人間は教師として失格である」と述べた。一方で、体罰・暴力の実態を調査するべきという意見に対しては、「そういった調査は教育の場にそぐわない」と却下。

事件から1年、判決後の記者会見で校長は、「学校側の管理上、教育上の責任が全くゼロとは感じていないが、教育現場では、教師の個々の生徒に対する力量が最後に出てくる」と発言。

また、岐阜県の校長会長は会誌に、「こと教育に関しては、『変わらないもの』、さらに『変えてはならないもの』があると思います。時宜に応じた厳しい指導や集団生活におけるマナーやルールの徹底がそれであり、かりそめにも、今回の事件が教育活動の後退を招いたり、教員の傍観者的態度を助長するようなことがあれば、これほど大きな不幸はありません。・・・岐阜県の高校教育には根本的な誤謬はないと確信しています。むしろ大切なことは、教育の本質を見失わないことだと考えています」と書いている。
アンケート・ほか 1985/6/22 「体罰暴力調査研究委員会」が発足。学者、文化人、社会党・共産党の県・国会議員などで構成。調査研究活動を開始。
岐阜県下小中高生の約1%、2655人を対象にアンケート調査を実施した結果、「4人に3人(75%)の小中高生が体罰を受けている」「体罰を11回以上受けたことがある生徒は19.7%、4回以上の体罰経験者は50%に達していた」ことが判明。

1985/6/24 「体罰110番」を設置した結果、130件を超える訴えが寄せられた。
裁 判 1986/3/18 事件から役10ヶ月後、水戸地方裁判所土浦支部で結審。

「被告人は、・・・被害者が何ら逆らうことなく正座し、途中から謝罪していたにもかかわらず、・・・暴行行為に及んだものであって、その態様は被害者の校則違反の程度に比しても熾烈極まるものといわなければならない。しかも被告人の本件犯行は、校則違反者全員が自己の担任する生徒であったことに対する無念さや同輩教師から生徒指導について暗になじられたこと等に誘発された私的感情によるものというべきで、たとえ、被告人が当初、教育的意図を有していたとしても、本件行為自体は、教育的懲戒とおよそ無縁のものと評するほかない」として、
M教師に傷害致死で懲役3年の実刑判決。F教師は不起訴。
裁判での証言 第5回公判でM教師は、「指導の厳しい学校であった。頭髪検査で違反した生徒が、頭を叩かれたり、謝罪しないと生徒が職員室で竹の棒で殴られた」「旅行前にも、『お前の指導が甘い』と言われた。日ごろ、体罰をされる先生は、体を張って自分の手を汚しても第一線で頑張っているんだという自負がある。体罰を加えない先生は教育に不熱心と見られる場合があり、担任の私はじっとしておれない気になった」「『(前任校の)指導はこんなものか』」と言われ、『お前の指導が甘いからこんなことになる』と、自分のクラスの生徒の違反をなじられた」ことなどを話した。
その後 1986/5/9 「高橋利尚君を追悼し、まことの教育をめざす市民の集い」を開催。400名の父母・生徒・教師が参加。体罰・暴力否定の教育へ向けて一歩を踏み出す。
参考資料 『教師の体罰と子どもの人権−現場からの報告−』/「子どもの人権と体罰」研究会編/1986年9月学陽書房、「子どもの犯罪と死」/山崎哲・芹沢俊介著/1987年12月春秋社、『車輪の下の子どもたち』/渥美雅子編/1988年1月国土社、『新 書かれる立場 書く立場』 読売新聞の[報道と人権]/1995年4月読売新聞社、『先生! 涙ありますか 全国の中・高生のキミへ』/はやし たけし/1996年11月駒草出版



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