子どもたちは二度殺される【事例】



注 :
被害者の氏名は、一人ひとりの墓碑銘を私たちの心に深く刻むために、書籍等に掲載された氏名をそのまま使用させていただいています。ただし、加害者や担当教師名等については、個人に問題を帰すよりも、社会全体の、あるいは学校、教師全体の問題として捉えるべきではないかと考え、匿名にしてあります。
また、学校名については類似事件と区別するためと、隠蔽をはかるよりも、学校も、地域も、事実を事実として重く受けとめて、二度と同じ悲劇を繰り返さないで欲しいという願いを込めて、そのまま使用しています。
S.TAKEDA
850121 いじめ自殺 2001.3.13. 2001.8.12 2001.12.15  2002.12.23 2004.1.13更新
1985/1/21 茨城県水戸市の笠原中学校の村口江梨子さん(中2・13)が、自宅脇の電柱の足かけに電気コードをかけて首吊り自殺。
遺 書・ほか 部屋から、便せんやちぎったノートに走り書きしたメモが出てきた。同級生ら9人の名前も書かれていた。とくに「仲良し7人組」の名前が多い。
「友だち関係で 今はすごく学校にいくのがいやでした」「学校へいっても もう友だちはいません」「うそをついてごめんね。待ち合わせの場所に急に行けなくなり、電話で連絡しようとしたけれど、できなかった。誤解です。」「ウソをついてごめんさない いつも勝手なことをしてごめんなさい 好きなマンガの本を棺に入れて下さい もういじめないでね」と書いていた。
いじめ態様と経緯 1983/11 2年前に県内の別の中学校から転校。母子家庭だった。

1985/ 初め 江梨子さんは自分の成績をグループの友だちに打ち明けて、高校進学の悩みなどを語っていた。

グループの友だちに、「二階建ての家に住んでいる」「まえの学校では“番”をはっていた」などウソを言っていたのがばれて、1年前から仲間から、さまざまないじめを受けていた。


シカトされる、カバンをナイフで傷つけられたり、2年生になってから4月から10月にかけて筆入れが4回もなくなる、教科書に「あほ」「しね」「あんたなんかしんじまえ」「うそつき、ばか」など落書きされていた。

2学期になってから、江梨子さんは母親に「転校したい」と繰り返していた。

1/16 江梨子さんは、朝、「具合が悪い」と言って早退。1/18、19、21の3日間無断欠席をした。

1/21 4時過ぎ、6人の同級生が「先生に様子を見てこいと言われた」と家に押し掛け、江梨子さんが玄関に出ないため、家を取り囲み、石をぶつけて、「出てこないと踏み込むぞ!」と大声で叫んでいた。また、6人は母親が留守の自宅に強引に上がり込んだうえ、「(スケートに行く)約束していたのに来なかったのはうそつきだ」「うそつき、死んでしまえばいい」などキツイ言葉を浴びせていた。

※私が読んだ資料では「母親を部屋から追いだし」となっていましたが、実際には外出中だったというご指摘をご遺族の方から受けました。6人は母親がいないのを知ったからこそ、キツイ言葉を浴びせたということでした。内容が間違っていたことを訂正して、ご遺族の方にはお詫び申し上げます。(S.TAKEDA)
事件前の
学校・ほかの対応
1984/10/ 母親が学校に電話をして、校長に娘がいじめられた事実を話したが、「担任が出張しているので伝えておく」と答えただけで、その後、連絡がなかった。
担任の対応 11/ 親と教師の二者面談で、再度いじめのことを話すが、担任は「そうですね。いじめがあるんですよね」と答えるだけだった。

1/18、19、21 3日間無断欠席するが、担任から何の問い合わせもなかった。
事件後の
学校・ほかの対応
自殺後、校長も担任も、江梨子さんがいじめられていたことを「全く知らなかった」と話した。
加害者 「仲良し7人組」の一人は「わたしたちは“過去ある人”の集まりなの」と説明。「いじめられ、すぐに落ち込みやすいタイプの子ばかり。でも、このグループにいると、すごく落ち着くの」と話した。
グルーブ外の女子生徒は「あるグループは“低い人たち”が寄り集まった」という。(「教育を追う 日本の教育風土」/毎日新聞編)

クラス内でかつていじめられていた生徒たちのグループ。
被害者 見栄をはるところがあった。神経が細かかった。(母親の話)
背 景 学校は非常に荒れており、授業中にヘッドホンを聞いていたり、廊下で自転車を乗り回したり、多いときは半数の生徒が授業をエスケープする、教師にパンを投げたり、牛乳を浴びせたりするような状態だった。一方、教師も受験で子どもたちを煽ったり、体罰をくわえることが横行していた。
1984/12 PTAが3年生に対して、「受験も最終盤、がんばれ」と書いた日の丸のはちまきを配ったりしていた。
参考資料 『いじめ・自殺・遺書』「ぼくたちは、生きたかった!」/子どものしあわせ編集部編/1995年2月草土文化、「子ども白書」1985年版/日本子どもを守る会編/1985年7月草土文化、/君和田和一・西原由記子/1995年7月京都・法政出版(1985/1/24朝日新聞)「いじめ問題ハンドブック」分析・資料・年表/高徳忍著/1999.2.10つげ書房新社「教育を追う 日本の教育風土」/毎日新聞編/1986年3月毎日新聞社



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