注 : 被害者の氏名は、一人ひとりの墓碑銘を私たちの心に深く刻むために、書籍等に掲載された氏名をそのまま使用させていただいています。ただし、加害者や担当教師名等については、個人に問題を帰すよりも、社会全体の、あるいは学校、教師全体の問題として捉えるべきではないかと考え、匿名にしてあります。 また、学校名については類似事件と区別するためと、隠蔽をはかるよりも、学校も、地域も、事実を事実として重く受けとめて、二度と同じ悲劇を繰り返さないで欲しいという願いを込めて、そのまま使用しています。 |
S.TAKEDA |
800916 | いじめ自殺 | 2000.9.10. 2000.11.23 2001.3.13 2001.5.25 2001.12.15 更新 |
1980/9/16 | 大阪府高石市立高石中学校の中尾隆彦くん(中1・12)が、朝、家を出たあと、自宅近くの倉庫で荷造り用ロープを使って首吊り自殺。 | |
遺 書 | なし | |
犯行態様 | 遺族が保護者立ち会いのもと、同級生らから聞き取り調査。 入学直後の4月から、同級生5人と2年生2人から、のべ30回にわたるリンチまがいの集団暴行を受け、最終的に230万円近くの現金を脅しとられていたことが判明。 暴行現場は、学校内や近くのスーパー、公園、塾帰りの路上などで、何人かが目撃。 他にも、学校の写生会で絵筆を洗ったバケツの水を飲むことを強要。拒否した隆彦くんに水をかけたり、何度も水を汲みにいかせたりした。万引きを強要したこともあった。 加害者のひとりが隆彦くんの弁当にツバを吐いて、それを知らない隆彦くんが食べたこともあった。 1980/6 中1の6月から1学期終了まで9回の金銭要求。1回千円〜1万円要求。 7/20-8/31 夏休み中、9回の金銭要求。1回5千円以上。金を持ってこなかったという理由で、6回暴行。 9/1-16 4回の金銭要求。隆彦くんは、この間、頭痛などを理由に6日間欠席。2学期が始まってからは登校した日は毎日、暴行と多額の現金を要求されていた。学校を欠席した翌日は、4人から「親に告げ口したのか」と殴られ、改めてお金を要求された。 9/11 最後の登校日になったこの日、学校内で3万円を4人に渡したが、更に1万円を要求された。9/12、9/13は欠席。9/14、9/15の連休明けに自殺。 |
|
親の対応と経緯 | 夏休み中、グループからたびたび電話があり、隆彦くんは呼びだされていた。 Eは、他のおとなしい生徒の名前を語って電話をしてきたことがあった。母親がEだと気づいたが、「Eではない」と否定。「柔道部の練習があるのに、中尾が来ていない、呼べと先生がいうてはる」と言われ、今日は休むと伝えてくれと母親が返事して取り次がなかった。 その直後、電話が鳴り、「クソババァ」と言って切れた。柔道部顧問に電話で問い合わせるが、事実なし。 1980/9/2 死の2週間前、目の下に青あざをつくり顔を腫らして帰宅。「自転車で正面衝突した」と答えていた。翌日から3日間、「頭が痛い」と言って学校を休んだ。心配した家族に、隆彦くんが「4人の友だちになぐられた」と名前を告げたた。 9/6 父親(48)が学校に出向き、担任教師や学年主任に、プロレスごっこなどについて適切な処置を要望。しかし、担任らは軽く注意した程度で有効な手を打たなかった。 9/9 隆彦くんは無断欠席。自宅横にある倉庫に1日中隠れていた。 9/10 母親(41)が、教師や学年主任に会い、「うちの子を4人から引き離してほしい」と訴えた。 隆彦くんは親の目を盗み、家の財布からお金を抜き取っていた。一度、母親に見つかったが、「自分で、自転車の部品を買うのに使った」と説明したために、恐喝に気付かなかった。 お金の管理が厳しくなってからは、母親の実家のたんすのうえに置いてあった地代に手をつけていたらしい。 隆彦くんは、派手な服装をしたり、夜遊びをしたりすることもなく、小学生時代の陽気さと快活さを保ち続けていたので、おかしいと思いつつ、確証が持てないでいた。 9/12 隆彦くんは「行きたくない」と言って泣いて、学校を休んだ。 9/13 朝、ふつう通りに家を出たが、学校には行かず、倉庫で隠れていた。 9/14は日曜日、隆彦くんは父親と一緒に建築関係の見本市に出かけた。 9/15は敬老の日で休みだった。叔父と一緒にデパートに行き、プラモデルを買ってもらって、帰宅後には熱中してつくっていた。 9/16 隆彦くかは朝から元気がなく、登校時間が迫ってもぐずぐずしていた。母親が「はよう行きなさい」と促すと「学校に行きたい・・・こともないんや」と返事をした。 その後、担任からの電話で隆彦くんが登校していないのを知り、倉庫のなかを捜していて、首を吊っている隆彦くんを発見。 9/17 報道で自殺を知った父母や同級生が、葬儀の席や電話で、隆彦くんが恐喝や暴力、その他のいじめを受けていたことを遺族に話した。 |
|
事件前の 学校の対応 |
9/6 学校は、いじめの事実を父親から聞き、加害生徒や隆彦くんから事情を聞いたが、プロレスごっこをしていただけと言われて、深刻には受け止めなかった。 隆彦くんのお母さんから、4人の生徒からもっと事情を聞いて欲しいと電話があるが、生活指導主任に「4人の生徒を呼ぶのは、もっと事情を調べてからでよいのではないか」と言われ、そのままになっていた。 また隆彦くんの無断欠席などが起きたので、1年生を担当する教師らが「学年会議」を開き、隆彦くんと4人の生徒に冷却期間をおかせること、行動に注意して見守ることなどを申し合わせたが、事の深刻さには気付かなかった。加害生徒へは注意などを行った。 教師らが加害生徒たちに注意をしたその間も、ほとんど毎日のように暴力と恐喝が続き、隆彦くんの欠席もなくなっていなかった。 |
|
事件後の 学校の対応 |
9/16 生徒がショックで動揺するという理由で、学校は生徒たちに隆彦くんの自殺を知らせていなかった。 事件直後、教頭は、「けんかの話などまったく知らない。子ども同士のことでもあり、いじめる、いじめられるなどというのは、どこの学校でもあること。本校は市内の中学校の中でも、そうした問題が少ない学校だと自信を持っている。直接の原因は思い当たらない」と発表。 遺族が加害少年らから聞き取りを行っていることを知って急に動き出す。 学校側は遺族に対し、「生徒がどんなことを言っているか教えて欲しい。学校で調べてもなかなかわからない」と要請。しかし、両親が調べた内容についてだけは事実を認めるが、学校側が調べてわかった新しい事実はほとんどなかった。 1980/10/6 保護者からの要望に押されて学校は、報道・取材関係者を閉め出して説明会を開催。中尾家が録音テープを要請したが学校側は拒否。一部の保護者によって録音され届けられたテープの内容から、内容がきわめてあいまいにされていることや事実誤認があることが判明。2年生の関与については、生徒から回収したアンケート調査に名前があるにもかかわらず、「本人たちに聞いたところ、そんなことは絶対ないと言っている」「本人たちの話も信じてやらなければならない」として、話していない。 事件後の学級懇談会で教師は、「子どもの持ち物、とくに小遣いの管理に注意してほしい」というばかり。保護者が事件について具体的に聞こうとすると、「4人の将来もあるから」とぼかした。 隆彦くんは死の直前、上級生2人から高額を恐喝されていたという証言があるが、学校側は「学校側で調べた結果、ふたりは、隆彦くんを技術室に呼んで『おまえ、ずいぶんいじめられてるんやなあ。わしらが、いじめている連中をやつつけてやるよって安心せい』といったにすぎないと答えている。したがって、中尾隆彦くんの自殺とはまったく関わりがない」と遺族に回答。 |
|
報告書 | 1980/9/22 隆彦くんの叔父さんが府教育委員会に出向いて、自殺の原因が級友らの脅しと暴行の結果であることを訴えたことで、府教委は高石市教委に報告書の提出を求める。 9/27 『中間報告』ということで、担任教師らが、暴行の事実、脅しの事実関係、学校での被害者・加害者らの生活態度等をまとめ、市教委に提出。 10/7 『最終報告書』を提出。 |
|
学校・ほかの対応 | 泉北教組が、真実を明らかにするべきだとして、この問題を取りあげる。 各戸に高石中事件の概要を書いたビラを配り意見を求めた。 教師が、事件の真相を明らかにするよう校長や職員会議に提案しても、校長や教頭が「事実関係がはっきりしていない」「具体的な対策を立ててから」という態度に終始したこと。新聞報道がなされてから、校長は職員に「詳しい内容は絶対、両親に報せるな。事実の経過は絶対に文書で出すな。事実関係はできるだけ抽象的に、漠然と伝えておけ」と指示を出した。など内部告発した。 |
|
学校・ほかの対応 | 市教育委員長は、「確かに交友関係のなかで金をとられたとか、いじめられたとかいう事実があって、自殺背景になっているが、それだけが自殺の原因になっていたかどうか、はっきりしていない」と言い、「学校、市教委の責任問題ではないと考えていますので、市教育長の私から中尾家に謝罪するということは必要もないし、今後もない」と断言。 自殺の原因は被害者の性格とその家庭の問題であると結論づけた。 事件対策委員会が設けられる動きもなかった。 |
|
担任教師 | 担任の男性教師(25)は教師歴4年目。 1980/9/6 父親から「息子がいじめられている」と相談があってから、放課後に隆彦くんに問いただしたところ、「4人にプロレスごっこみたいなことをしていじめられた」と答えたため、さほど深刻に悩んでいないと判断。4人からも事情を聞いたが、「ただプロレスごっこをしていだけ」と口裏を合わせていた。教師たちは、いじめだとは捉えていなかった。 また隆彦くんからは、7月初めに500円借りたのが、7月には3000円、9月2日には1万円返せと言われたということや、ラジコンを壊したので1万5千円弁償しなければならないという話を聞かされた。それに対して、「4人から借りた金は早く返して、4人との関係を正常にしろ」と助言。また、高額の利子等については、4人にただすが強く否定されて終わる。 9/9 隆彦くんが学校に行くふりをして自宅横の倉庫に隠れていため、学校に呼びだして再び事情を聴いた。隆彦くんは、「いじめられるのが怖くて……」と、暴行を恐れて登校拒否していたことを明らかにした。 9/10 翌日、隆彦くんは母親と一緒に学校へ来て、母親の財布から現金を抜き取ったことなど、金銭にからんだ事情があることもほのめかしたが、4人との関係ははっきりしなかった。このとき担任が、「(グループと)もう手を切れ」と言ったが、本人は「暴力やそんなもの振るわなかったら、かもてくれる時があったから、別にいややない」と返事したため、それ以上踏み込めなかった。 9/16 隆彦くんに人工呼吸を施しているところに担任が駆けつけたが、死亡を確認するや自宅に帰って背広に着替えてから中尾家に戻ってきた。 担任は事件後、新聞の取材に「アンケートの回答を見てびっくりした。生徒たちは、私にも何もいってくれなかった。プロレスごっこをしているとしか聞いていなかった。私はだまされていたのかもしれない」と答えていた。 |
|
加害者1 | 4人は隆彦くんとは小学校時代からの同級生だったが、葬儀には出席しなかった。 1980/9/20 遺族や親類が子どもたちを別々に家に招いて、「本当のことを言ってくれ」と懇願したときには、4人は、隆彦君の遺影の前で、ある者は泣きながら、ほぼ正直に話していた。また遺族は、別々に聴いた内容の矛盾点をついて事実を引き出した。 しかし、学校が4人を一緒に呼んで同じ場所で話を聞いたときには、口裏をあわせて本当のことを話さなかった。 E少年は、「ふざけっこをしてプロレスごっこや拳法をしようといって、中尾を引っぱり出して頭を2〜3回どついたりして、その後で『1万円貸してくれ』というと、持っていない時が多いから、中尾君は『持っていない』というので、『家に取りに帰れ』と命令して取りに帰らせた」と供述。 少年たちは、「自殺するなんて考えもしなかった」と口を揃える。奪った金はゲームセンターやバッティングセンターなどの遊技代や飲食代に使っていた。 加害者の親たちと教師たちの会合は、子どもたちが取ったお金の返却と分担の話に終始していた。 |
|
加害者2 | 9/11 同グループが隆彦くんからお金を巻き上げていることを知った上級生の男子生徒(中2)2人が、隆彦くんを技術室の裏に連れ込んだ後、隆彦くんは「今にも泣きそうな蒼い顔で、ふるえ声を出して『すごく大きな金額を言われた』としょんぼりしていた」と、恐喝グループが証言していたが、上級生は否定。 9/16 2時間目が終わったあと、内1人がEに中尾くんが来ているかと聞いていた。 この2年生はEからお金を取りあげてはいたが、それが中尾くんから取りあげたものとは知らなかったと供述。後に、1人を訓戒措置。 2人の生徒は中学校の番長的存在だった。学校にはあまり出席せず、暴力行為の常習者で警察に何度も補導されていた。暴力団組織の末端に加わっているとの噂もある。 |
|
加害者の過去 | 4人は隆彦くんの小学校5、6年の同級生で、同一グループを形成し交友関係があった。 小学校6年生のときにも暴力がらみのいじめを行い、1人の子から7〜8万円を恐喝。主犯格のE少年はそのお金を流行りのインベーダーゲームにつぎ込んでいた。(隆彦くんは、この事件には無関係だった)事件発覚後、少年たちは反省して、小学校の担任から言われた通り、恐喝した分のお金をこづかいから毎月少しずつ被害者に返していた。 隆彦くんのお母さんは、同グループから離したがっていたが、別のグループに入っても、いつの間にか自分から戻ってしまっていた。 小学校の担任から中学校への口頭での申し送りで、恐喝事件のことと、中尾くんとE少年をできれば離してほしい旨を伝えていた。 E少年は中学校に入ってから、好きだったサッカー部に実力上の問題で拒否されてから生活態度が荒れ始める。 同グループは、小学校時代の被害少年に再び金を要求していたが、それを察知した少年の保護者が知り合いの大人に頼んで、実力行使で寄りつけなくした。金が取れなくなったため、替わりに隆彦くんに目をつけたとみられる。 |
|
警察の対応と 加害者の処分 |
高石署は当初、「同級生とプロレスごっこをして殴られから、学校に行くのがいやになったのが原因らしい。気の弱い生徒だったようだ」と発表。遺族が問題の生徒の告白を含む調査結果をまとめて警察に行き、事件を調べ直すよう訴えてから、ようやく捜査に乗り出す。 12/5 調査の結果、「暴行・脅迫の事実があった」と認め、高石中の男子生徒(中1)5人を大阪府堺児童相談所に送致、1人を訓戒処分にした。 |
|
被害者 | 隆彦くんは、体格はクラスでも大きいほう。 中学に入学した当時は、明るく、人なつっこい性格で、自分から学級会会長に立候補し、会長を務めていた。成績は中位。1学期は無遅刻、無欠席。柔道部のマネージャーをしていた。 しかし、1学期の終わり頃から、暗い表情の日が続くようになり、ひとりで階段に座って弁当を食べるなど孤立していた。 |
|
報 道 | 新聞は、高石署の発表を元に「友人といざこざがあって、それを苦にして自殺した」と報道したため、遺族が朝日新聞社に電話。 9/26 いじめのリーダー格の少年が担任教師同行のもと、事実を認めたため、恐喝とリンチがあったことを朝日新聞が報道。9/27以降、各紙が大々的に取りあげた。 |
|
加害者の作文 | 9/17付けの作文での記述。 主犯格のE:「中尾君が死んで悲しい。初めに中尾君の死を来いて(ママ)ビックリして、うそやろうと、そうおもいたくなった。でもほんとうだった。(中略)水をかけたのは、じょうだん半分でやってみたいで(ママ)中尾君もMらにわらっていっしょになってわらってた見たい。(ママ)」 K:「ぼくらのせいでしんだかなーと思いながら、一日中かんがえながらねた。あくる日友だちから、中尾、友だちになぐられて、学校にいきたくなくなって、そのあまりじさつしたってきいて、やっぱり、ぼくらのせいやと思った。どうしたらいいかなーと思っていたけど、どうしようもないし、そのままかんがえつづけた。(中略)中学になってすこしふまじめすぎた。じぎょう中にしゃべったりして、ものすごくじぎょうたいどがわるいから中尾君の件けん(ママ)をおこしたとおもいます。これから二どとこんなじけんをおこさないようにどりょくして、じぎょう中は、ぜったいまじめにしようと思う」 T:「中尾君が死んだと小学校の先生にきき、ぼくはいきがつまりそうになった。きがくるいそうになったし、しにたくもなった。でも、その自分をおちつけていた。でもぼくは、中尾君にわるいことをやったぼくは、もう一度でいいから中尾君にあっておわびをしたい。でも中尾君にはあえない。だから天国へいってほしい。それをなんかいもかみさまにたのんだ」 M:「どんなりゆうかしらんけど、なんで自さつなしたんかしらんけども、ぼくもわるかったし、また、わるいとこなおすからな。ぼくたちのグループで中尾君をケライみたいにしたようでした。これからは、中尾君みたいなことがおこらないようにいきたいとおもいます。そして弱い人の力になれるような人になりたい。もう一つ、中尾君は自さつするゆうきがあれば、元気に学校にきてほしかったとぼくは思いました」 |
|
アンケート・作 文 | 隆彦くんが自殺した翌日の9/17、学校は生徒たちに作文や追悼文を書かせる。 9/22 1年生全員を対象にアンケート調査を実施。4人の加害者のうち3人は別のクラスだが、1年3組の分のみ遺族に公開。 アンケートの項目は、 (1)今まで「いじめ」を目撃したこと。 a.いつごろ b.でこで c.誰が d.どのように (2)中尾君たちと接していた他学年の生徒名。 (3)中尾君に対して思いあたること。 (4)弁論大会のクラス代表1名推選。 (5)クラスの出しもの推選する人があれば書く。 (6)学級新聞を発行するかどうか。 アンケートの結果、3組では級友のほぼ7割が「いじめ」を知り、その半数が暴行や恐喝の現場を目撃していた。その内2人が「E君達が中尾君にお金をせびっていた」と記入。小学校時代のグループの中ですでに、隆彦くんがいじめられていたことも書かれていた。 「中尾君は口げんかではなく、一方的になぐられていた。けられたりして、めちゃくちゃなことをされていた」「休み時間になると三人か四人ぐらいが中尾くんのところへきて連れて行き、しばらくすると、中尾君は泣きそうになって帰ってくるから、いじめられているとわかっていた」「いやがるのをむりやり連れて行こうとし、急に手を放して反動で転んだところを、笑って、けって、また引っ張って連れて行った」などと書かれていた。 一方で生徒たちは、「どんな理由で自殺したのか、ぼくにはいくら考えてもわからない」「なぜ相談してくれなかったのだろう。気が弱すぎる」などと書いていた。 |
|
誹謗・中傷 | 新聞に、「親が甘やかし、過保護に育てたのがいけない。なぐられたら、なぐり返したらすむことだ」「子どもの事故の85%は母親の責任だ。子どもをいつも注意して見ていたら、何かあれば、顔色でわかるはず。(中略)子どもは学校であったことを、お母さんにいいたがっているのに、それを聞いてやることができない。(中略)母親の再教育が必要です」「いじめは昔からあった。原因は子どもの性格によるところが大きい。いじめられっ子の共通点は、他人に告げ口する一方で、自分は義務を果たさない、ということだ。これは幼いころからの親のしつけに問題がある。中尾君の場合、親が小学校のPTA会長で外にカッコよくしようとするから、子どもも無理して目立とうとしたのではないか。(中略)昔の子はもっと素直だった。私は担任や学校側に同情する」等の投書も。親のお金の管理が悪いとの批判の声もあった。 また、遺族のもとに、「高石中学校三年生の子供を来春高校に進学さす父兄一同」の名で、「マスコミで大きく取りあげられたため、有名私立進学校が高石中生徒の受験受付を断ってきている。貴殿のお気持ちはよくわかりますが、生徒たちは皆うらんでいます。高石中学校に出向いて、生徒諸くんに迷惑をかけたことをわびてやってください」という旨のハガキが届く。(名指しされた高校に問い合わせるが事実なし) 親たちから、「親の監督も不十分だった」「生徒も先生もみな十分苦しんだ。いじめたといわれるあの子たちには将来があるんですから」との発言がある。 |
|
関 連 | 1980/5/ 同校の女子生徒(中3)がガス自殺未遂。学校は「クラス替えになって親しい友だちとはなればなれになったのを悲観して」と発表。一方で、女子生徒は校内の女子非行グループからリンチを受けており、目撃した生徒も大勢いたという話もある。その後、女子生徒は後遺症が残り、入院加療。転校した。 1980/6/ いじめられ続けた男子生徒(中1)が転校。隆彦くんと同じH小学校6年生のときから、Eたちに10万円近く恐喝されていたという。 1980/10/6付けの朝日新聞大阪版に、「3年前に高石中の3年生だった娘が、女生徒10人ほどに学校の屋上でひどい仕打ちをされ、スカートはボロボロ、髪を切られ、顔をはらして帰ってきた。娘は何も言わずに耐えていたが、事件を目撃した級友やその母たちから『なぐられたあと、屋上で2時間一人泣いていた。もう少しで飛び降りたかもしれない状態だった』と聞かされ、すぐ学校に連絡。しかし、担任も学年主任も「そんな事実はない。いまそんなことで相談に来られては受験生に悪い影響を与える。来てもらっては困る」と言われた」と投書がある。 |
|
背 景 | 学内に3年生、2年生、1年生という非行グループの縦の関係があり、3年生のグループは暴走族やOBの非行グループとの関係をもっていると父母の間では噂されている。 しかし、学校はほとんど指導体制をとっていない。 |
|
裁 判 | 1981/5/19 両親が高石市と加害生徒6人の両親12人を相手どり、計2200万円の損害賠償を求めて提訴。 | |
提訴の理由と意義 | 1.遺族は、学校が事件の結果を開示しようとしないため、真相を明らかにするためには、裁判の提起しか方法がなかった。 2.本件自殺の原因が、被害者の性格とその家庭の問題であると言われたので、両親としては納得がいかなかった。 3.学校の指導上の問題点を明らかにすることによって、本件のような被害を二度とくり返すことのないようにしたいと願った。 |
|
裁判の結果 | 1986/3/31 大阪地裁堺支部で和解。 1.この教訓を教育行政・教育現場に生かす 2.加害者両親が連帯して200万円の慰謝料を支払う 裁判によって、一定程度、真相を明らかにすることができた。 市は賠償責任を認めなかったものの、本件いじめに対して不十分な対応しかできなかったという教訓を今後の教育行政に生かすことを約束した。 和解後、被告側代理人は、「慰謝料は暴行・脅迫に対して支払うもので、自殺との因果関係は認めていない」と発言。 |
|
裁判での証言 | 裁判で被告側は、「学校には、常に校内を見回るなどといった義務・責任はない。いじめについては、学校としてできるだけの方法で指導していた」と主張。 加害者の親も、「暴行・脅迫だけの理由で自殺したとは考えられない。かりにそうだったとしても、自殺というのは予見できないものであり、いじめと自殺との間には因果関係はない」と主張。 |
|
参考資料 | 『遺書のない自殺』「いじめられっ子」の死・高石中学校事件/金賛汀(キム・チャンジョン)著/1981年1月一光社、『教師たちの犯罪−若いいのちが壊されていく−』/大島幸夫/1981年11月太郎次郎社、『犯罪ドキュメントシリーズ 少年少女犯罪』/安田雅企/1985年6月東京法経学院出版、「いじめられて、さようなら」/佐瀬 稔/1992年2月相思社、「いじめ問題ハンドブック」/日本弁護士連合会編・著/1995年6月こうち書房、(1980/9/27、1981/5/20朝日新聞)「いじめ問題ハンドブック」分析・資料・年表/高徳忍著/1999.2.10つげ書房新社、「隆彦なんで死んだんや 校内暴力が息子を殺した」/保阪正康著/1981.5.30朝日ソノラマ | |
Copyright (C) 2000 S.TAKEDA All rights reserved.