子どもに関する事件【事例】



注 :
被害者の氏名は、一人ひとりの墓碑銘を私たちの心に深く刻むために、書籍等に掲載された氏名をそのまま使用させていただいています。ただし、加害者や担当教師名等については、個人に問題を帰すよりも、社会全体の、あるいは学校、教師全体の問題として捉えるべきではないかと考え、匿名にしてあります。
また、学校名については類似事件と区別するためと、隠蔽をはかるよりも、学校も、地域も、事実を事実として重く受けとめて、二度と同じ悲劇を繰り返さないで欲しいという願いを込めて、そのまま使用しています。
S.TAKEDA
780224 同級生殺人
事件
2004.6.6.新規
1978/2/24 北海道羽幌町の町立中学校で、池田育代さん(中3・14)が同級生の女子生徒A子(中3・14)と口論の末、果物ナイフで胸や腹など5カ所を刺されて、出血多量で死亡。
経 緯 1977/ 中学3年生の初め、クラスの班の編成替えで、A子が親しくしていたC子さんが育代さんの班に移った。A子は育代さんが自分の悪口を言うために、C子さんが離れていったのではないかと思っていた。

1978/1 A子と育代さんは、たびたび口論を繰り返していた。

2/23 事件の前夜、A子は育代さんに電話で、「グループに入れてほしい」と言ったが、育代さんから冷たくされた。

2/24 2人は1時間目の授業が終わったあと、1階体育館入り口横、階段下の照明設備のない用具室に行った。口論の末、A子は育代さんのの胸や腹などをナイフで5回、突いた。

2時間目の授業が始まっても育代さんの姿が見えないことから、教師が探したところ、用具室で血塗れになった育代さんが発見された。

A子は、それまで着ていたセーラー服を体操着に着替えて、4時限まで普通に授業を受けていた。
挙動にも不審な点があったため、警察署員が追及した結果、犯行を認めた。
A子が所属していた部活の部室にあったバックの中から血のついたセーラー服と果物ナイフが見つかった。
凶 器 刃渡り10センチの果物ナイフ。
ナイフは前夜体育館を使用したママさんバレーの人たちが置き忘れたのか、A子が持っていたのか不明(1979/4/29朝日新聞)。
加害者の言い分 A子は調べに対して、「日頃から仲が悪かった。育代さんを廊下に呼び出し、自分の親友の悪口をなぜいうのか、と言ったところ、育代さんが『いい所がある』というので2人で用具置き場に行った。そこでけんかになり、育代さんに顔を殴られ押し倒された。その時、床にあった刃物が手に触れたので、それをもって刺した」と話した。
関 連 1977/ 中学2年生の3学期、生活班の班長だったA子は、育代さんに「あんた、服装がちょっと派手じゃないの。それに高校生ともつき合っているっていうし、不良じゃない?」と言った。
育代さんは、クラスメイトが見ている前で、A子の頬を平手でたたいた。
この事件を教師は誰も知らなかったという。
加害者と被害者の関係 2人は、小学校4年から6年まで、中学校でも2年、3年と同じクラスだった。
中学1年くらいまでは一緒に遊んだり、学校に行ったりして仲がよかった。

2人とも、成績は中の上。A子は小学校時代から、成績のことなどで、育代さんだけには負けたくないと対抗心を燃やしていた。
加害者 A子の両親は再婚同士。A子は小学校6年生まで、父親が実父でないことを知らなかった。
親類から聞かされて知った。
母親はしつけには厳しかった。非行歴などはなかった。
両親は建設土木会社の作業員として共働きだった。A子はもの心つく頃から弟の食事の世話をするなどしていた。
A子はバレーボール部のレギュラーとして活躍していた。
被害者 1975/ 育代さんの父親は、育代さんが小学校6年生時に、交通事故で死亡していた。
5、6年前に新築した3階建てに住んでいた。母親は父親が亡くなる前から働いており、育代さんは祖母の手で育てられた。
加害者の処分 女子少年院に収容。
参考資料 (1979/4/29朝日新聞、ルポルタージュ「死角からの報告 −子どもが「人間」を殺した」/斉藤茂男編著、共同通信教育取材班取材/1983.3.10太郎次郎社



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