子どもに関する事件【事例】



注 :
被害者の氏名は書籍等に掲載された氏名をそのまま使用させていただいています。ただし、加害者や担当教師名等については、個人に問題を帰すよりも、社会全体の、あるいは学校、教師全体の問題として捉えるべきではないかと考え、匿名にしてあります。
また、学校名については類似事件と区別するためと、隠蔽をはかるよりも、学校も、地域も、事実を事実として重く受けとめて、二度と同じ悲劇を繰り返さないで欲しいという願いを込めて、そのまま使用しています。
S.TAKEDA
650518 暴行殺人 2003.9.25. 2004.9.26 更新
1965/5/18 東京農業大学のワンダーフォーゲル部の和田昇くん(大1・18)が、合宿の山行途中で、上級生らに生木で殴られるなどのリンチにあう。5/22 入院先の病院で死亡。同じく1年生部員Kくん(大1・19)が全身打撲傷や右手首骨折で2カ月の重傷で入院。
経緯1 5/15 ワンゲル部員48名(1年生28名、上級生18名、OB2名)は新宿から夜行列車に乗る。

/16 午前2時すぎ、山梨県塩山で下車、雲取山へ向かった。中腹でキャンプを張る。

/17 午前4時起床で6時頃、出発。前夜の雨でほとんど寝られなかった和田くんが午後になってバテはじめた。主将のWや副将のMらにしごかれ始める。

/18 午前4時起床、5時50分頃出発。雲取山の山頂につく。
そのまま雲の巣山、六石山に向かうが、和田くんは意識がもうろうとする状態でひざが折れると、副将のTらに生木で前から、後ろから殴りつけられた。

合宿終了。青梅線氷川駅で解散。先輩部員らは衰弱した和田くんを置いたまま引き揚げた。
1年生部員が、和田くんを立川駅まで連れていった。

連絡を受けた和田くんの父親と兄が、医師を伴って車で迎えに行き、自宅に運んだ。
一時は快方に向かうように見えた。

/21 意識不明となって入院。

/22 午前3時40分、呼吸困難に陥って死亡。

22 東大法医学教室で遺体を解剖。背中に直径20センチくらいのえぐれた外傷があり、眉間から鼻にかけて打撲傷があった。特に下半身の打撲傷がひどく、下腹部から出血していた。
全身打撲で内臓が圧迫されたために肺炎、肺水腫を併発、呼吸困難によって死亡したものとみられる。
経緯2 同じく1年生のKくん(大1・19)の場合。

5/16 1日目、30キロの荷物を背負わされて歩かされた。しばらくして倒れたところを、木の枝で尻をたたかれた。枝は直径5センチくらい。生皮をはいで、先はナイフで尖らせてあった。
一行から少しでも遅れると、くつで尻や足をけられた。
荷物の重みで左手がしびれたことを上級生に告げると、激しい言葉で叱られ、たたかれた。

5/18 3日目、少しでも遅れると、棒で頭をなぐられ、ロープや素手で頬を打たれた。口の中が切れて血が出た。
歩いているあいだ、水を一切、飲ませてもらえず、昼食時にはカラカラになったのどに乾パンを押し込まれる。早く食べたものから、ジュースが一口ずつ飲ませてもらえた。

何度なぐられたか数え切れない。新宿に着いたときには、ひとりで歩けなかった。

Kくんは、殴られたため左腕の神経がおかされ、手首、指などが動かないほか、全身に打撲傷、右手首骨折で2カ月の重傷。入院。
警察の対応 練馬署が暴行、傷害の疑いで捜査に乗り出す。
5/25 主将のWと副将のFを逮捕。
5/29 副将M、副将Tら5名を逮捕。
6/4 OBで監督のI(農大ワンゲル部のトップでリンチ事件の首謀者)を逮捕。

6/9-12 練馬署と東京地検は農大ワンゲル部と全く同じコースを歩き、現場検証を行った。
加害者 練馬署が、首謀者Iの自宅を捜索しアルバム等を押収。アルバムには今回のリンチを記録した約100枚の写真が貼ってあった。
リンチの態様 写真からリンチの様子が明らかになる。
上級生らはみな身長ほどもある生木をもっていた。
地べたに倒れた新人の腹の上に泥だらけの登山靴で乗っかったり、頭をかかえてしゃがみこんでいる新人の上に棒を振り上げたりしていた。
新人の両手足を4人で掴んで引きずっている写真もあった。
Iや上級生が笑いながら見ている姿も写っていた。
加害者らの処分 大学は、主将のWを退学処分、上級生全員を無期停学処分。
大学の対応 「奥秩父事故対策本部」を学内で組織。
5/28 「報告書」を練馬署に提出。
事故報告書 2年生以上の部員が提出した作文をもとに「報告書」を作成。
「下級生を殴ったのは、眠いので刺激を与えてくれと頼まれたから」「和田君も上級生に、疲れたから気合いを入れてくれと頼んでいた」という証言が引用されていた。
その後 事件をきっかけに、学生のなから、日頃の同大学の暴力的、非民主的体質に対して不満が噴出。学園民主化闘争委員会が結成される。

5/29 「第二の和田君を出すな」をスローガンに、抗議集会が開かれ、6項目の要求が提出される(ワンゲル部上級生らの処分白紙撤回要求を含む)。
参考資料 農大ワンゲル部「死のシゴキ」事件/永野恒雄氏/「学校の中の事件と犯罪1945−1985、朝日新聞・夕1965/5/22



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