子どもたちは二度殺される【事例】



注 :
被害者の氏名は、一人ひとりの墓碑銘を私たちの心に深く刻むために、書籍等に掲載された氏名をそのまま使用させていただいています。ただし、加害者や担当教師名等については、個人に問題を帰すよりも、社会全体の、あるいは学校、教師全体の問題として捉えるべきではないかと考え、匿名にしてあります。
また、学校名については類似事件と区別するためと、隠蔽をはかるよりも、学校も、地域も、事実を事実として重く受けとめて、二度と同じ悲劇を繰り返さないで欲しいという願いを込めて、そのまま使用しています。
S.TAKEDA
630900 体罰自殺
1963/9/26 福岡県田川市の県立田川東高校の男子生徒Nくん(高3・17)が、担任教師T(25)の体罰の翌朝、午前6時40分頃、自宅倉庫で首吊り自殺。
遺 書 級友にあてて6通の手紙を書いていた。
9月25日の1日中がたいへん不愉快であったことや「先生の仕打ちをうらむ。死んでも忘れない」こと、2学期になって少しは自重したつもりだったが先生たちが自分に対する評価を変えてくれなかったのが残念でならないこと、自分は今から自殺するが、君たちが卒業するときには、T教師に対する報復行為を期待する趣旨のことが書かれていた。
経 緯 9/25 自殺の前日、Nくんは午前の2時限目の人文地理の授業中、隣席の生徒と私語を続けていた。
J教師が注意するためにNくんらの席に近寄ったところ、Nくんはその時間の教科の本を開いておらず、生物の参考書を机の上に置いていた。
J教師はNくんら3人を叱責して、授業が終了するまで教室の教壇横に立たせた。

授業終了後、J教師は3人を職員室に呼び、同人らが日頃、人文地理の成績が悪いこと、内1人は合格点にも達しない成績であることをあわせて訓戒し、3人が納得したので、3時限目の授業開始(午前10時50分)とともに教室に戻るよう指示した。

職員室でこの状況を認めたT教師は、3人のうちNくんに対して、自分が担任するクラスの生徒であり、しかも日頃から学業、素行について問題があると感じていた生徒だったので、J教師から訓戒を受けていた理由をただすと共に、十分注意を与えようとして、教室に戻ろうとするNくんを呼び止めて、職員室隣の応接室に入れた。

T教師は、Nくんをソファーに腰掛けさせ、「君は反省することがあるのではないか」と言って、非行事実の告白を求めた。Nくんは「反省することは何もない」と言って反抗的な態度をとったため、「そんなことなら学校を辞めてしまえ」と叱責したところ、「辞める」と言って部屋を飛び出した。

T教師は、校長室の入り口でNくんの腕を捉えて、「話はまだ終わっていない」と言って、応接室に連れ戻した。
再び、J教師から訓戒を受けた理由を問いただしたり、Nくんの日頃の問題ある非行例をあげて、反省すべき点があることを認めさせようとしたが、Nくんは口を閉ざしていた。
T教師は別の教師にも来てもらい説得してもらったが、Nくんは「わかりました。辞めればいいのでしょう」と言って立ち上がり、部屋を出ようとしたので、教師2人で引き止めて腰かけさせ、説諭を続けた。

12時40分(昼食時間の開始)頃、もう一人の教師は退室。T教師は昼食抜きで説得を続けた。
午後1時10分頃、5時限目の授業にT教師は出かけ、Nくんには同室に残って反省するように告げた。
2時、応接室に戻ったT教師が反省したかどうかを尋ねたが、Nくんはなおも反省する気持ちはないとした。その際、同室で新聞を読んでいて居合わせたJ教師が、Nくんが前に喫煙やカンニングをしたことをあげて反省を促したところ、Nくんはこれらの非行事実を認めた。
T教師は、「なんだそんなことをやっていたのか、やはり反省すべき点があるではないか」と言いながらNくんの頭を平手で数回殴打。
午後2時30分頃、明日父親を学校に出頭させるように言って、Nくんをクラスに帰した。
その際、Nくんは、父親はかかる問題について理解がなく出頭しても無駄であることをT教師に告げて、父親を呼びだすことは許してくれるよう懇願したが、T教師は聞き入れなかった。

Nくんは教室に戻ったあと、級友に自分の唯一のトレーニングパンツをあげた。
午後3時30分頃、下校。その際、友人に、自分は今後、学校には来ないことを伝えた。

Nくんは帰宅後、午後7時頃外出して、切手・便箋・封筒などを購入。級友にあてて6通の手紙を書いた。


翌朝、自宅の倉庫で首吊り自殺。
関 連 9/19 Nくんは、ノイローゼに起因する身体疲労と胸苦しさを訴えて、内科医の診察を受け、心臓神経症および蛋白尿の診断を受けていた。
担任教師 T教師(25)は潔癖感が強く、教育に熱心で、生徒の非行に対し、寛大に処したり、看過することができない性格だった。軽重を問わず、非行ある生徒を職員室などに呼びつけて訓戒することが多かった。
NくんもT教師から再三、職員室に呼ばれて訓戒を受けたことがあった。
いくぶん短気で激情に走りやすく、体罰を加えたり、激昂のうえ訓戒にのぞむ場合もあり、激しく殴打することもあった。生徒に負傷させたり、逆に生徒から刃物で刺されたりしたことがあった。
訴 訟 両親は、自殺は担任教師による体罰が原因として、担任のT教師、校長、福岡県に対して、慰謝料と謝罪広告を求めて民事訴訟をおこした。
1審判決 1970/8/12 福岡地裁飯塚支部判決で、福岡県に3万円の支払いを命じる。

「教師としては時間をかけ、繰り返し説得を続け、時に厳格な懲戒に及ぶことがあってもやむを得ないことであるが、かかる点を考慮しても許される範囲を逸脱している。
本件懲戒行為は、単に教育的効果を期待しえない不適当な訓戒の方法であるというのにとどまらず、右Nの身体的自由を長時間にわたって拘束し、その自由意思を抑圧し、もって精神的自由意思を抑圧し、もって精神的自由をも侵害し、ついには体罰による身体への侵害にも及んだものである。これらの点を総合して判断するとき、本件懲戒行為は、故意に、または少なくともその行使の正当性の範囲に関する判断を誤った過失により、担任教師としての懲戒権を行使するにつき許容される限界を著しく逸脱した違法なものであると解するのが相当である。」とした。

本件懲戒の程度生徒の非行の程度その他諸般の事情を考慮すると、慰藉料3万円が相当である。

一方で、「Nの自殺による死亡が本件懲戒行為により誘発されたものであって、その間にいわゆる条件関係があったことは容易に推認できるところである。しかしながら、不法行為の直接的結果から、更に派生した損害を当該不法行為に基づくものとしてその行為者に帰責せしめるためには、
行為と損害との間に単にかかる条件関係があるのみでは足りず、両者の間にいわゆる相当因果関係があるとみられる場合であることを要するものというべきである。而して学校の教師の懲戒行為(懲戒行為がその正当な範囲を超えていたとしても)によって受けた精神的苦痛ないし衝撃により、当該生徒が自殺を決意し、更にこれを決行するような心理的反応を起こすことは通常生ずべき結果ではなく、極めて稀有な事例に属することは、鑑定人池田数好の鑑定結果によりこれを認めることができるのみならず吾人の経験則上容易に肯定できるところである。それ故かかる場合になお当該懲戒行為と自殺という結果との間に法律上の因果関係ありとするためには、生徒の自殺を招来するということについての特別の事情につき教師において当時これを予見していたか、または少なくとも予見し得べかりし状況にあったことを要するものと言わなければならない。しかしながら本件において被告Tがかかる特別の事情を予見し、または予見可能であったことを認めるに足りる証拠はない。」として自殺の予見可能性を否定、懲戒行為の慰謝料だけを認めた

教師T個人については、国賠法一条に照らし、公務員個人に対する直接責任は許されないとした。
2審判決 1975/5/12 福岡高裁で、「担任教師の懲戒行為は限界を超えて違法」としながら、そのことと自殺との間に因果関係はないとし、1審と同じく懲戒行為の慰謝料だけを認める。

「日頃、必ずしも心服していたわけでもない担任教師から受けた屈辱感、劣等感、その他諸般の事情をしんしゃくすると慰藉料60万円(原告2名=父母に各々)が相当である」とした。
最高裁判決 1977/10/25 最高裁第三小法廷は上告棄却。

「違法な懲戒がされるに至ったいきさつや、男子生徒の態度からみて、担任教師は自分の懲戒によって男子生徒が自殺を決意することを予見することは困難だった」懲戒行為と自殺の間に法的な意味での相当因果関係を認めない」として、2審の慰藉料各々60万円を支持。
(ただし、損害賠償請求を認めながら、弁護士費用を認めなかった点が違法であるとして、一部破棄、差し戻された。)
参考資料 『新 書かれる立場 書く立場』 読売新聞の[報道と人権]/1995年4月読売新聞社「賠償金の分岐点 教師が責任を問われるとき」/下村哲夫著/学研教育選書、「学校事故の民事判例」/野村好弘著/1973.5.25有斐閣、「学校教育と体罰−日本と米・英の体罰判例−」/杉田荘治/1983.4.15有斐閣、(「判例時報)613号・P30、「判例タイムズ」252号・P114)



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