2006年7月12日(水)、11時から千葉地裁仮庁舎301号法廷で、千葉県浦安市立小学校養護学級でのわいせつ事件(030521)の民事裁判(平成18年(ワ)第978号)の第1回口頭弁論が開かれた。
当日は、千葉地裁の仮庁舎前の傍聴券配布のに並び、10時10分頃、全員に行き渡った。当日、傍聴券の配布があることを知らなかったひともいたようで、何人かが遅れてやってきて、先着順で空いている席には座れたものの、法廷に入れなかったひとも何人かいたようだった。
原告のAさん側は児玉勇二弁護士を始めとする、樫尾、黒岩、関谷、山田、杉浦弁護士の6人。
被告側は、県と浦安市、男性教師で、弁護士が3人と後ろにそれぞれの関係者とみられる人物。
長谷川誠裁判長の声は、仮庁舎でマイクを使うとかえって反響して聞き取りにくいということで、声もあまり大きくなく、今ひとつ内容が聞き取りにくかった。進行についての双方の意見を聞き、書類等の提出期限を決めた。
原告弁護団は、証拠の提出について、小出しではなく、出せるものは最初からほとんど全部提出するつもりであることを話した。
そのあと、被害者A子さんの母親が意見陳述を行った。支援者の手には予め「支える会」の事務局が用意した陳述書のコピーが配られていた。
大切に育んできたわが子への思わぬ出来事。今もA子さんの心に残る深い傷。PTSD。親の後悔。
どうして、何の罪もない子どもたちがこんな目にあわせられるのだろうと思う。
そして、事後の学校や教育委員会の対応のひどさ。
障がいがあるひとの証言が裁判でどれだけ不利かをよく知っているのだろう。最も、学校は障がいがあろうとなかろうと、生徒を守ろうとはしない。自分たちさえ安泰であれば、生徒の心の傷がどれだけひどくなろうとかまわないという姿勢が日本全国、どこでも繰り返されている。
これでは、子どもたちに「大人を信じなさい」「何かあったら、助けを求めなさい」などと、とても言えない。
そして、この裁判で驚くべきことは、被告の教師が、原告の言い分は余りに一方的だとして、自ら出廷して、傍聴人の前で意見陳述を行ったことだった。
開口一番、「これは冤罪である」とした。そして、そのために、自分や家族がどれだけ被害を被ったか、「自分こそが被害者である」と話した。マスコミも批判した。刑事裁判では自分の言い分が認められて無罪になったのだとした。
被害児童が日時を特定したが裁判所が認めなかったことを勝ち誇ったように言った。カルテには、母親は女児が転校してよかったと言っていると書いてあると、母親が嘘をついているかのようなことを言った。女児らのPTSDは信じられない、怪しいと言った。
見るからに強気な雰囲気のこの教師に体罰を振るわれたら、知的障がいがなかったとしても、子どもは恐くて絶対に逆らえないだろうと思う。
普段から言葉遣いの悪さは保護者たちの間で問題になっていたという。そして体罰。
学校であれ、児童養護施設であれ、ほとんどのセクハラ教師が、体罰を振るっている。直接的、間接的に暴力を振るうことで相手に恐怖心を与え、どんなことにも逆らえなくする。また、本人も周囲の子どもたちも、体罰が恐くて、他の大人たちに告発できない。
自分は無罪であると強弁する。
ならば、なぜ子どもたちはPTSDを発症したというのか。子どもたちの心を心配する気遣いはないのか。
刑事裁判の1審、2審とも、K教師を「白」と認めたわけではない。
小学校のしかも知的障がいのある子どもが想像で言えることではない内容が次々と子どもたちから語られている。
子どもが証言した通りの柄のバンダナが自宅から見つかっている。児童ポルノの映像も見つかっている。
教師は刑事裁判で、性器を子どもたちに見せたことは認めている。トイレに行って収まりが悪かったから教室で直したと。それが事実だとしても、普通の学級ではあり得ないことだろう。また、体罰したことも認めている。児童の手が当たったのでかっとなったと。小学校のの、しかも知的障がいのある児童に体罰を振るったことへの反省もないようた。
裁判では、「疑わしきは被告の利益に」の原則で、「少なくとも教諭から被害を受けたという女児供述には一貫性があることなどから、疑問を差し挟む余地がないようにも思われる」と極めて「黒」に近い「灰色」と認定している。
裁判官は、他の教師や児童がいる前でのわいせつ行為はあり得ないと判断した。
しかし、小学校での教師のわいせつ行為は、知的障がいがなくとも、他の児童の見ている前で平気で女児をひざに乗せたりしている。胸に触ったり、ブルマのなかに手を入れたのを目撃したりしている。
事件になるまで、子どもたちはそれを見ても何も言えずにいる。教師は学級王国の王様だから、逆らえばひどい目にあうと知っている。(教師と生徒に関する事件 参照)
浦安の事件の場合、ほとんどの女児が被害にあっていたという話もある。他の子どもたちが見ていようが、関係なかったのではないかと思う。
そして、児童への性的虐待のほとんどで、やはり脅しとともに口止めをしている。子どもたちは、大人の、まして教師の言うことに、真実味を感じて、強い恐怖を感じただろう。
それにつけても、被害の訴えを放置し続けた学校や教育委員会の責任は重い。
子どもが恐怖を感じてる事実は、子どもたちにきちんと向き合えば、容易に知れる。それをやってこなかった。加害者の言い分にのみ耳を傾けて、事件にふたをしようとした。
今また、教育委員会は、刑事罰で無罪になったのだから、本人が希望すれば現場に戻すという。
自宅から見つかった児童ポルノ、児童への暴言、体罰。これだけでも、十分に担任からはずす理由にはなると思うのだが。
浦安市の市長は自ら、被告教師に弁護士を紹介したという。最初から、児童に寄り添うのではなく、対決の姿勢が見えている。市長は、教育委員会、学校関係者は、自分の幼い娘を孫を、あるいは親戚の子どもを、この教師に安心して預けられるだろうか。2人きりの密室に大切な子どもを置けるだろうか。
千葉県といえば、児童養護施設「恩寵園」の事件を思い出す。児童たちが必死の思いで虐待する職員から逃げてきたのを、調査もせず、ただ返した。反省しているとの言葉を信じて、同じことを繰り返させた。そこでも、園長の息子による性的虐待があったことがその後に判明した。
子どもたちの叫びを無視して封じようとする。事件を反省することなく、その体質は今だ変わらないのだろうか。障がいをもったら、誰にどんなめに合わされても仕方がないというのだろうか。子どもたちを一致団結して大人たちが守る姿勢はないのだろうか。
次回は10月11日(水)、午前10時30分から、千葉地裁仮庁舎301号法廷にて、口頭弁論。
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