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生徒を追いつめる教師の指導 |
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1985/3/23
自殺 |
岐阜県立中津商業高校陸上部の竹内恵美さん(高2・17)が自殺。 「お父さん、お母さん、私は疲れました。もうこれ以上、逃げ道はありません。なんで、他の子は楽しいクラブなのに、私はこんなに苦しまなければいけないの。たたかれるのも もうイヤ 泣くのも もうイヤ 私はどうしたらいいかナ だから もうこの世にいたくないの ゴメンネ お父さん お母さん 私・・・本トにつかれたの もう・・ダメなの もう イヤなの 私そんなに強くないの ゴメンネ」と書いてあった。
顧問については、「私は先生が好きだったけれど何も恩返しできんかった」と書いていた。
自殺の前日、恵美さんは進級に必要な成績がとれず、「計算実務」の追試試験を受けた。追試験終了後の採点で無事進級が決まったが、期末試験で追試だったことに対し、陸上部顧問が体育教官室で1時間指導。続いて担任教師から勉強や部活動について1時間15分にわたって説諭。更に、午後3時すぎから2時間半、再び陸上部顧問から説諭。計4時間45分に及ぶ訓戒を受けた。その日、朝寝坊をして朝食抜きで家を出た恵美さんは、昼食もとれなかった。直立不動の姿勢をとり続け、罵声を浴びせられ、竹刀を突きつけられ、殴られた。
恵美さんは、有望選手を集めて3月26日から開かれる県陸協主催の強化合宿に参加する予定だったが、欠点を取ったあと、顧問の教師に「お前は(合宿に)連れて行かん」と言われショックを受けていた(後に顧問は「合宿には参加させるハラだった」と説明しているが、本人には伝えていなかった)。
槍投げの練習もさせないと言われて、グランドの片すみでもいいから練習させて欲しいと懇願したが許されなかった。
顧問の「お前なんかしらん。お前の顔など見たくない」などの言葉を最後に帰宅し、自殺。
竹内恵美さんは小学校の時から運動が得意な快活な少女で、スポーツが盛んな学校だからという理由で、自ら希望して中津商業高校に入学し陸上部に入った。
陸上部では、1年生の秋の岐阜県新人戦の女子槍投げで優勝。2年生の県高校選手権大会で優勝。全国高校生やり投げランキングで16位。全日本ジュニアオリンピックや国体にも出場するなど活躍していた。県下ナンバーワンの将来を期待されたホープだった。有望選手として特別厳しい練習を課せられていた。
顧問の指導はたいへん厳しく、部活の練習時間は毎朝40分。放課後2〜3時間。土曜日は午後2時〜5時まで。日曜日は午前10時〜午後5時までだった。高校1年の1学期を過ぎた頃からシゴキが始まった。
日誌をつけずに寝て顔が腫れあがり左目横が内出血するほど殴られたり、槍投げの記録が悪いと槍の穂先で頭にみみず腫れができるほど殴られた。
夏休みの日曜日、自主トレーニングをさぼってコンサートに行ったときも体罰を受けた。「もう練習をみてやらない」と顧問に言われ、恵美さんは落胆して家出した。(結局、その日のうちに帰宅)
修学旅行中の朝練に遅れ、正座をさせられ大腿部に黒あざができるほど蹴られた。
両親が何度も学校に抗議に行こうとしたが、「また私が叱られるからやめてくれ」と恵美さんに止められた。
顧問は、 女子部員の雰囲気が悪いと、恵美さんを呼んで、「お前がリーダーを取っていかねばならん頂点におる人間だから」と言って叩かれていた。髪の毛が洗えないほど叩かれ、くしを通すのもいやだっという時がしょっちゅうあった。
練習中に恵美さんに対して、「もうやらなくていい」「お前はばかだから、何度言ったらわかるんだ。やめろ」などと言った。
恵美さんが腰が痛いのを顔に出したとして、「やめていけ」と怒鳴った。恵美さんは他の部員の前で「やらせて下さい」と土下座して謝った。
疲労骨折で、医師から2カ月間、練習をしないように診断されていたが、無視して練習をやらせた。
他の部員が病院にいくのを止めなかったとして、恵美さんを叱責。「痛いときには練習を休ませないのが本当の思いやりだ」と言った。
合宿時、恵美さんら3人が昼食のご飯を一杯しか食べなかったことに腹を立てて、正座させて竹の棒で数回ずつ叩き、竹の棒が割れて飛び散った。
1年後輩の部員が練習に出てこなくなったことについて、恵美さんを2時間にわたって責め続けた。恵美さんは土下座して謝った。
後輩部員が退部したことや、記録が伸びないことを理由に恵美さんの頭をジュラルミン製の試合用の棒で数回たたいた。
恵美さんの死後、焼香にきたときに顧問は、遺族から「恵美になにか言うことはないか」と言われ、「今はバカとしか言えん」「死人にクチなしや」「人の噂も75日」などと反省が見られなかった。
http://www.jca.apc.org/praca/takeda/number/850323.html
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1988/8/5
熱中症死 |
愛媛県新居浜市の市立新居浜中央高校で、バスケット部の練習後、阿部智美さん(高1・16)が、意識を失って倒れ、搬入先の病院で急性心不全のため死亡。
智美さんは中学時代、バスケット部のキャプテンを務め、選手としても活躍していた。同高校の顧問教師が智美さんを熱心に勧誘。自宅から遠くの学校で下宿生活をしながら厳しい練習をこなさなければならないことに不安を抱き、入部に反対する母親を説得して、本人の意志で高校入学、バスケット部入部を決めた。
女子バスケット部顧問教師(34)は、体育大卒で保健体育担当。県下随一のバスケット指導者で、この顧問指導のもと、同バスケット部はインターハイ出場の常連だった。
土日祭日もなく過密スケジュールの厳しい練習と、時にはアザになるほど激しい体罰を知って家族は不安に思っていた。
遺族は同期生数人に会って当日何があったのかを聞く。その結果、顧問の報告とは異なる証言を得る
1.「この日は卒業生が見に来ていたせいか、通常の練習よりハードで、顧問の指導も厳しかった。智美さんはシュートがなかなか入らず、顧問に叩かれ倒れた。
2.この後トイレで吐いたらしい。練習が再開されたとき、疲れ切った顔をして倒れこんだので、部員の一人が水を飲ませていると、顧問が「そんなことはせんでいい」「そんなふうにするけん、つけあがるんじゃ」と言って智美さんに水をかけた。
3.顧問の皮肉や嫌みに、10分くらい休んで練習を再開。インターバルトレーニングの途中で倒れ動かなくなったが、顧問に「ほっとけ」と怒鳴られて、ほおっておかれた。
4.トレーニングが終わってから卒業生が介抱しドリンク剤を飲ませたが、回復せずボンヤリした感じだった。
5.帰宅時、智美さんは脚がガクガクふるえ、意識も朦朧として、自分で着替えることも立ち上がることもできない状態だった。
6.顧問は「飲み会じゃ」と言ってすでに帰っており、同じ下宿の部員2人がタクシーで連れ帰ったが、下宿の入り口で座り込んでしまったので、あわてて下宿の管理人のおばさんに救急車を呼んでもらった。
(顧問は遺族に、練習中に気分が悪くなったというので、約1時間、横に寝かせて頭を冷やし水を飲ませて休ませた。その後元気を回復し、本人の強い希望で練習を再開。ミーティングの後、同室の友人とタクシーで下宿に戻ったが部屋の前まで行って突然倒れ、下宿の世話人が救急車を呼んで搬入された。と説明していた。)
校長は、たびたび遺族宅を訪れたが説明なし。部活動のやり方について遺族に改善を約束したが、実際には何もしていなかった。部活動の練習はほとんど中断することもなく、手加減もされず続いていた。また、学校集会などで、知美さんが亡くなったことさえ一切、報告されなかった。
遺族が学校相手に起こした民事裁判のスポーツ・ドクター等の証言で、智美さんの死因が熱中症であること、練習中に倒れた段階で救急車を呼んでいれば、助かった可能性が高いことが判明。
被告側は、「死因は急性心不全である」「ショック死などと共に(異常な)体質に因るもの」として、予測の可能性や、過激な練習との因果関係を否定。
裁判係争中の1993/9/2 新居浜中央高校のバスケット部で、同じ顧問のもと、知美さんの同期生の妹である1年生女子部員が練習中に熱中症で倒れ死亡。しかし2度目の事故直後も、同年宮崎県で開かれたインターハイに同女子バスケット部が準優勝したことが評価され、顧問教師は秋の国体監督に選ばれた。
県教育委員会が調査に乗り出したというニュースも、4年前の事故と関連づけての報道もなし。更に翌年2月には愛媛県体育協会から「優秀指導者賞」の表彰を受ける。
http://www.jca.apc.org/praca/takeda/number/880805.html
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1994/11/13
自殺 |
大阪府羽曳野市の市立河原城中学校で、ソフトボール部に所属していた青木亜也子さん(中2・13)が、顧問の男性教師(35)らから叱責された翌朝、自室でユニホーム姿で自殺。
「お母さん、ごめんな クラブもうつづけられへんねん あんなこもんと一緒やったら好きなソフトボールもきらいになるから。あんなクラブ入らんかったらよかった」と遺書を残していた。
同部は西日本大会優勝の実績のある強豪チームだった。
亜也子さんはキャッチャーで、今秋から副キャプテンを務めていた。チームの中心選手だった。
亡くなる前日、亜也子さんは、市外の中学校との練習試合で送球ミスなどが重なり、「同じミスばかりするな」と怒られ、途中で交替されられた。試合後、顧問の男性教師と他の2年生たちとともに、「明日の公式試合に来なくてええ。背番号も返せ。(試合に)出せへんからな」と言われた。
亜也子さんの死後、顧問教諭(35)は、「きつい言葉でプレッシャーをかけたりしたのは、成長してもらおうと思ったから。気持ちはわかってもらえると信じていたが・・・」と涙ながらに話した。
http://www.jca.apc.org/praca/takeda/number2/941113.htm
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2002/3/25
自殺 |
群馬県高崎市の東京農業大学第二高等学校(東京農大二高)ラグビー部の金沢昌輝くん(当時高2・17)が、部活動でたびたび過呼吸の発作を起こしていたが、合宿当日に自殺。
同校ラグビー部は全国大会18年連続出場の強豪チーム。
2002/1/ 新総監督、新監督という新体制を開始。またこの年度、学校が新校長、新教頭となった。新教頭はラグビー部部長の教諭だった。体制の移行期となっていた。
昌輝くんは、1年生の9月に学校で過呼吸を起こす。その後も何度かラグビー絡みで、かなり激しい発作を起こす。かなり激しい発作の後もラグビーの練習に参加させられていた。
昌輝くんは1年生時、ラグビー部の顧問のI教諭に、理由は告げずにラグビー部をやめたいということを伝えていた。(後に判明)
昌輝くんは、2年生になって、主要メンバーに入っていた。
夏合宿頃から、指導陣のプレッシャーがきつくなっていた。
他の選手のミスを昌輝くんのせいだとて怒ったり、「お前バックスとして駄目だよ」「使えねぇ」などの言葉を浴びせたりした。
特定の部員に注意が集中することを部員たちは、「ハメ」と呼んでいた。
合宿の前日、自宅で激しい過呼吸の発作を起こし、当日朝も玄関でしゃがみこみ荒い呼吸のなか、「行けない」「お母さん、(休みの)連絡は自分でしないとだめなんだ」と言った。
母親が総監督に電話。昌輝くんの状況を細かく説明し合宿の欠席を申し出たが、「治ったら参加させてください」と言われる。
連絡は1時間半近く放置され、自宅からすでに連絡があったことを知らないS監督がマネージャーに、昌輝くんの自宅へ連絡を入れさせた。昌輝くんは、「これは策略だ」と言い、指導者らに対して「あいつら人間じゃあないから」と言った。
その後、自室で自殺をはかり、ぐったりしている昌輝くんを母親が発見。救急車で病院に運ぶが、死亡。
昌輝くんの死から1カ月余り後、Aくんの「自分たちで考える自分たちのラグビーがしたい」という発念から、同期生ら21人が指導者に「抗議文」を提出。
この話を聞いた昌輝くんの両親が、ラグビー部部長に頼んで、2カ月近くたってからようやくコピーを受け取る。その時に部長から、「指導者に対する誹謗・中傷が多い」「無記名で出されたものなので、誰にも見せないで子どもたちを守ってほしい」と言われる。
両親が起こした民事裁判のなかで、ラグビー部の同期生らが実名で陳述書を提出。
校長は、家庭(両親)と本人の性格が自殺に追い込んだ背景であって、ラグビー指導とは全く関係しないと主張。
http://www.jca.apc.org/praca/takeda/number2/020325.htm
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2009/8/22
熱中症死 |
大分県竹田市の県立竹田高校剣道部の工藤剣太くん(高2・17)が、部活動中に重度の熱中症を発症して死亡。
亡くなる前日の 8月21日、8月に入って4校合同の夏合宿でインフルエンザが出たあと、久しぶりの本格的な練習が始まったなかで、顧問は体育教官室で、主将である剣太くんに「足が動かんなるまでやれ」と言って練習内容を指示。練習終了後、剣太くんと他の部員が顧問に報告に行くと、「お前らここまでどうやって来た!
歩いて来たんじゃねんか! 足が動かんなるまでやれと言ったはず。明日の練習は覚えちょけよ!」と言われた。実際に翌日、日中は30度を超える真夏日のなかで厳しい練習が行われた。。
激しい打ち込み練習のなか、剣太くんは熱中症の症状が出始め、ふらつき、声が出なくなったが、顧問は「キツイふりをするな!」と言ってパイプいすを頭上高く持ち上げて投げつけたり、他の部員の前で剣太くんの面を持ち上げ喉をむき出しにして手で叩いたり、正座をして面を付け直そうとするのを「またそうやって休もうとしちょるんやろが!」と言って、体が壁にぶち当たるほどの勢いで体を押したりした。
顧問が納得するような打ち込みができていないという理由で、剣太くんの打ち込み練習は続けられ、何度も倒れたり、「もう無理です」の言葉にも耳を貸すことなく、体が「く」の字に曲がるほど蹴りを入れたりした。
剣太くんは意識障害をおこし、竹刀を落したことにも気付かず、何も持っていないのに、持っているかのように構えたり、壁にぶつかって倒れたりしたが、顧問は倒れた体に馬乗りになって、「演技するな! そげん演技は俺には通用せん! 目を開けろ! 俺は何人もの熱中症ま人間を見ている。お前は熱中症じゃねぇ!」と言って、壁にぶつけて怪我をした額から血が吹き飛ぶ勢いで、往復ビンタを10発程度した。
顧問は防具を付けていない箇所を狙って、竹刀で叩いていた。両方の太股に15cmくらいのミミズ腫れがあるのを家族が見つけると、「キャプテンだからしょうがない」と話していた。
他校との合同合宿で、本来主将である剣太くんが号令をかけるはずなのを、別の部員に号令をかけさせたり、主将が挨拶するところを別の部員にさせたりした。顧問はよく「お前みたいなキャプテンは見た事が無い!」とか「お前は精神的に弱い!」と言っていた。
また、剣太くんは父親に、「先生の質問には答えが幾つかある。何を答えても怒られる。」「どうして、先生に怒られているのか意味がわからない」ともらしていた。
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2012/12/23
自殺 |
大阪府大阪市の市立桜宮高校のバスケット部キャプテンの男子生徒(高2)が、自殺。
顧問は「キャプテン辞めろ!」等の威迫的発言をしながら、殴るなどしていた。
また、専攻実技授業において、男子及び女子の各バスケット部のキャプテンに対してリーダーについての考え方を発表させ、発表が意に沿わない内容であったことを理由に、当該生徒を他の生徒らの前でひどく責め立て、キャプテン失格である趣旨の人格非難を行った。
高校の「オープンスクール」の際、当該生徒のプレーが意に沿わないものであったことを理由に、中学生等の見学者らや他の部員ら等の面前で、「キャプテン辞めろ!」と怒鳴りつけるなどの威迫的発言をした。
他校との練習試合の際、練習試合の合間に当該生徒を呼びつけてその両頬を平手で数回殴打し、休憩時間中にもルーズボールヘの飛びつきの練習をさせ、「やる気が感じられない」などと難癖を付けて顔面又は頭部を平手で数回殴る暴行を加えた上、練習試合の終了後、再びルーズボールヘの飛びつきの練習をさせ、失敗する度に1回ずつ、合計で5回程度、その顔面及び頭部を平手で殴打する暴行を加えた。
また、バスケットボールを投げつけて2回くらい顔面に当て、「なんぼやっても一緒や。キャプテンも辞めろ」等の威迫的発言をし、その後、体育教官室に来た本件生徒に対して「聞かれても何も答えられなかったら、キャプテンなんかできんやないか。キャプテンなんか辞めてしまえ」等の威迫的発言をした。これらの暴行により、当該生徒は唇及びその周辺の出血及び打撲傷、鼻の打撲傷等の傷害を負った。 練習試合の後、部員らを集めた上で、「Aのせいで今日は負けたんや」、「Aをキャプテンから外す」等と責任を全て本件生徒に押しつける威迫的発言をした。
体育教官室にAを呼び出し、Aが「しんどい」ことを理由としてキャプテンを辞めたいと申し出たにもかかわらずこれを認めず、約3ないし4時間にわたって当該生徒に対する威迫的言動を繰り返した。
Aを体育教官室に連れて行った上、約1時間にわたり責め立て、その際、「殴られるのがしんどいなら、キャプテン辞めて控えチームに行きな。試合も出さへん、それでいいんやな」、「これからも怒ったり叩いたりするけどキャプテン続けれるか」、「殴られてもいいんやな」等と理不尽な選択を強制した。
http://www.jca.apc.org/praca/takeda/message2016/me160224.html
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2018/5/6
反則指導 |
東京都調布市のアミノバイタルフィールドで開催された日本大学フェニックス 対 関西(かんせい)学院大学の定期戦で、日大のディフェンス選手が、関西学院大学のボールを持っていないクォーターバック選手に背後から強いタックルをしかけ、けが(ひざなどに全治3週間)を負わせた。その後も、2回にわたり同じ選手が、反則を繰り返し、退場処分になった。
U前監督は、2003年から2015年まで、日大フェニックスの監督を務め、一度は退いたが、2017年に再登板。
U氏は、学校法人日本大学の常務理事(人事担当)でもあった。
U前監督の気に障ることがあると、コーチでも選手でも、ある日突然辞めさせられることがあり、誰も何も言えない状況だった。
2017年の春には、約20名の選手が自ら部を辞めていた。
U前監督は時期ごとに選手を選び、M選手のように精神的に追い込む指導を何度も繰り返していた。ターゲットになることを、部員たちは「ハマる」と言って恐れていた。
2018年の春から、M選手が対象になった。
5月3日には監督から「やる気が足りない」と指摘を受けレギュラー陣が行う練習から外された。
5月4日、日本代表に選抜されていたM選手に対して、監督は理由も告げず、代表を辞退させられた。
M選手は、ただグラウンドを走らされたり、声出しをさせられたりした。練習終了後に、全員の前で名指しで叱責されることもあった。
5月5日、コーチから呼ばれて、監督が相手のQB(クォーターバック)選手を潰すなら、試合に出してやると言われた。
コーチに丸刈りにしてこいと言われて、丸刈りにした。
5月6日、M選手はスタートメンバーに入っていなかった。コーチから、自分で監督に言いに行くよう促されて、「QB潰すんで出してください」と伝え、U前監督からは「やらなきゃ意味がないよ」と言われた。
試合前にはコーチから、「できませんでしたじゃ、済まされないからな」と念押しされたという。
試合出場したM選手は第1プレーで、ボールをパスし終わっていた関西(かんせい)学院大学QBの下半身に突っ込むようにしてタックルした。
その後も、けがで交代した関学大QBがボールを他の選手に手渡したあと、タックルし、転倒させた。
また、関学大の選手からプレー中に引っ張られ、尻もちをついたことをきっかけに、小突きあいとなり、M選手が相手のヘルメットを手で殴った。レフェリーがこれを暴行行為として、3度目のパーソナルファールを取り、退場となった。
危険タックルが問題化すると、監督やコーチは、「相手のQBに怪我をさせてこいという指示は一切出していない。」「QBをつぶしてこいと言ったのは、思いっ切りスタートしろという意味を頃手言った」「監督・コーチと選手の間のコミュニケーションの問題」とした。
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指導者にターゲットにされるのは、反抗的な部員だけではなく、有望選手やキャプテンなどが多い。
これらの選手は、努力に努力を重ね、競技に対しても強い執着を持っているので、どんなに理不尽な目にあっても、なかなか辞められない。
そして、一番強い選手を指導者が叩くことで、他の部員たちには、「誰が一番強いのか」「実権を握っているのは誰なのか」を示すことができる。
東京電機大学の助教・山本宏樹は、このような闇の指導方法を「ダークペダゴジー」と名づけている。
・衆人環境のなかで過酷な叱責や謝罪を要求する「公開処刑」。
・指導用意者(部長・道化キャラ)、弱者(スクールカースト低位者・いじめ被害者)を「生贄の山羊(スケープ・ゴート)として代理処罰する「スケープ・ゴーディング」
・被害者の正常な常識を加害者の異常な「常識」で上書きすることによる心理的支配方法「ガス・ライティング」
などなど。
洗脳された選手たちは、理不尽な指導を恨むより、努力が足りない、自分が悪いと思い込まされる。自尊感情が低下して、自死に至ることもある。今回、悪質タックルをした選手も、もしそれを拒否したとしたら、選手生命を絶たれ、自死に追い詰められていたかもしれない。
また、多くのケースで、教え子をここまで追い込んで死なせても、指導者に反省がないことも少なくない。おそらく、現役のころから、そうやって他人を蹴落としてまでのし上がってきて、それでも価値さえすれば、成果に対する周囲の対応や評価が高いことが影響しているのだろう。
今、世間から批判を浴びている日大のアメフト関係者、経営陣のあの強靭な対応に対して、遺族たちは単独で立ち向かってきた。当時は、裁判を起こす以外に、学校と交渉する術さえなかった。