わたしの雑記帳

2015/10/19 山下英三郎さんの話から。スクールソーシャルワーカー導入の課題について。

2015年10月12日(月・祝)  早稲田大学戸山キャンパスで開催された学校安全全国ネットワークの公開学習会に参加した。今回は、日本スクールソーシャルワーカー協会 名誉会長・山下英三郎さんの報告で、テーマは「学校における教師とスクールソーシャルワーカーの全校配置の動きをふまえて」。

山下さんは、日本のスクールソーシャルワーカーの草分け。
実は「世界子ども通信プラッサ」で、私が関わるようになる前の1998年にメンバーがインタビューをし、1999年のプラッサ第10号に掲載している。
改めて記事を読んでみて、今に通じる大切な内容がたくさん盛り込まれていると感じた。

以下は、12日に約90分間話されたなかから、私なりにまとめたもの。理解が足りない部分もあるかもしれない。
(項目立ては武田)


スクールソーシャルワーカー導入の経緯

1986年からにスクールソーシャルワーカー(以下SSW)として活動をはじめた。埼玉県の所沢市で活動していた。
1997年度から日本社会事業大学の教員になったが、日本で活動して10年たってもまだ、次の人がいなかった。
大学の教員になって2年くらいたってから、兵庫県や香川県、千葉などではじまるようになった。
2005年度に、大阪府で一挙に5人導入したことをきっかけに、少しずつ広がって行った。
2008年度から、文科省がSSWを全国的に導入することになった。

今は貧困対策やいじめ対策など、あちこちでSSWの名前があがるようになったが、その動きに不安を覚えている。
本当にSSWの理念や価値をベースにした広がりではなく、運用する側の恣意や思惑で導入され、思惑に沿った活動が要求されるようになってきている状況。本来のSSWからずれた形で広がってきているという感覚がある。

子どもたちの状況について、1970年代の終わりくらいから全国各地の中学校で校内暴力が取りざたされるようになった。そうい状況になると、子どもたちや親がバッシングされるようになる。その時にSSWに興味をもった。
しかし、子どもたちがあちこちでそういう行動をしているということは、社会的背景や子どもたちの言い分があるはずだが、そういうことを抜きで、「最近の子どもたちはなっていない」、「親がなっていない」と言っても、絶対に的外れになってしまう。その的外れな考え方をベースにして対策や方針を立てても絶対、ずれてしまうに違いないと思った。

等身大の子どもたちの声をきちんと聞いて、その子どもたちの思いのに近くで支える活動が絶対に必要ではないか、制度的につくっていくことが必要ではないかと思ている時に、アメリカにはSSWがいると聞いた。日本では勉強できないので、1983年にアメリカに渡ってSSWの勉強をした。

1980年代半ば頃から、いじめ問題が報道されるようになり、少したつと学級崩壊、児童虐待や引きこもり、最近では発達障がい、貧困などが報じられるようになった。子どもたちが直面している課題の幅がすごく広がって、関わる対象も複雑化、問題も重層化している。
背景のひとつとして、学校を含めた地域のネットワーク、互いにサポートする力が弱体化していると思う。
家庭や地域、学校のなかで、子どもたちが安全に過ごす状況ができにくくなっている。
子どもは常に敗者・弱者。言葉でうまく伝えられないから、行動で伝える。しかし、大人は分ってくれない。
このサイクルを断ち切るためには、子どもたちの言葉に真摯に耳を傾けることにつきるのではないかと思っている。
こういう背景があって、SSWが必要性を感じた。


スクールソーシャルワーカーとは

SSWとは、地域や家族、友人、学校などの環境と子どもが、折り合いがうまくついていないところに入っていく役割。カウンセリング、グループワーク、調整、仲介、連携、協働、代弁、情報共有などをする。
SSWが対応する事項は幅広い。特定の問題に限定しない。
学校関連の問題としては、不登校・いじめ、行動上の問題(非行・発達障がい)、学級崩壊、対家族問題(モンスターペアレント)。
学校外の問題としては、家庭問題(貧困、児童虐待、メンタルヘルス、離別など)、多文化関連問題(外国籍、国際結婚など)、災害支援など。
日々研さんをしていかなければならないが、力量がないからできないということではないと思う。
その人たちのそばにいて、寄り添い続ければ、やるべきことが見えてくる。その人たちが自分をちゃんとSSWとして育ててくれる。クライアントの声を聞く、そこから学ぶ姿勢、柔軟性さえあれば何とかやっていけると思っている。

活動の対象者も広い。子どもだけでなく、家族、学校の教職員、地域の人々、地域の諸機関。
活動のスタイルは地域によってかなり異なる。非常に偏っていて、「これしかやらない」というところもけっこうあり、それが困っている。

SSWの活動形態も広い。
配置型 : 特定の学校に配置された活動。
派遣型 : 教委・教育センターなどに所属し、学校の要請に応じて活動。
巡回型 : 教委などに所属し、所轄の学校を巡回。

どの型にも一長一短がある。ただし、現在は学校や地域の特性を考慮してというよりは、予算などの理由により形態が採られている傾向がある。結果、大したことができないこともある。
そのなかでも、子どもと直接関わる「直接支援」と、子どもに関わらないでアドバイスとかコンサルテーションなどに終始するという「間接支援」の活動もある。
自治体によっては、「子どもに直接会ってはいけない」というところがある。私からすれば、それはソーシャルワークではないと思う。ソーシャルワークのなかにも間接支援はあるが、それは、直接支援をベースにしてやること。

学校の先生から相談を受けることはあるが、それは二次情報。子どもからの情報ではなく、教員や職員の目を通しての情報にはバイアスがかかっている。かなりひずみがある。ひずみを基にアドバイスをしてもとんでもなく違った方向に行ってしまうことがある。ニーズからはどうしてもずれてしまう。
その子を知ったうえで間接的に機関と連携したり、協働したりするのは有りだと思う。
こういう間接支援の方針の自治体が全国にかなりあることが心配のひとつ。
ソーシャルワークはいろいろな幅があるが、個人のニーズにベースを置いて活動すること。
もちろんSSWが直接子どもにあったからと言ってバイアスがかからないわけではない。しかし、直接会えば誤差が少なくなる。


●スクールソーシャルワーカーの現状と課題

スクールソーシャルワーカーの配置状況。文科省「文部科学省初等中等教育局」基礎資料から。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/052/siryo/__icsFiles/afieldfile/2015/05/07/1357412_04_1.pdf



グラフにある人数は、文科省のSSW活用事業分のみ。自治体の独自予算で実施しているところや私立中学校のSSW数は含まれていない。私立の学校や高校でも配置するところは増えている。2000名は超えていないと思う。

初年度(2008)は900人以上いて、2年目は560人と急に減っている。
2008年度、国の負担で15億円の予算をかけて、SSW全国の自治体900カ所以上に配置するなどと、急にアドバルーンをあげた。
2008年4月から採用を初めて、9月くらいから実際の活動をはじめた。10月くらいには「来年の予算をカットします。次は3分の1しか出しません。あとの3分の2は自治体で負担をお願いします」と、予算配置が変わってしまった。
普通は事業を容認したら、3年や4年はみて整備するものだが、実際にやりもしないのに大幅に減らした。

そもそも、はじめるときに大風呂敷を広げすぎた。
2008年の時点では、SSWを知らない人は福祉関係者や児童分野でも知らない人はけっこういた。それなのに900人ものSSWをどこから捜してくるのか。
元警察官だったから、児童福祉士だったから、校長だったからという、SSWを知らない人が半数以上だった。あまりにずさんなやり方だった。
小さい自治体などは、国の予算ならできるが、3分の2負担するならできないと、とりやめたところがけっこうあった。
予算案はものすごく少なく、SSWの時給は1000円なんてところもけっこうあった。
それでも、2年目少し増えて、3年目、4年目と徐々に増えていった。
それは実際に、学校と家庭をつないだり、子どもとつないだり、地域とつないだり、連携が学校現場から評価された結果だと思う。

それがまた1万人に増やし全校配置にすると言うが、人材をどこから連れてくるのか、予算はどうするのか。
実は、人数は増えているが、最初15億だった国の予算はずっと減らされて、4億くらいになっている。
予算はずっと減らしておきながら、来年度は4500人くらいまで増やすという。
結局、時給を安くして、有償ボランティア化みたいに持って行くつもりではないか。人件費は出さないで、やりたい人がやっていくみたいに。

一番まずいのは、SSWを配置して傷つけられる子どもたちがでること。
相談員に傷つけられるということはけっこうある。
私がなぜ大学の教員になったかというと、実際に活動しているときに、あっちの相談員に傷つけられました、こっちのカウンセラーに傷つけられましたという話を保護者からいっぱい聞いた。
自分自身は子どもたちと関わって手ごたえを感じているが、SSWになる人たちが最低、人を傷つけないという思いを抱きながら関わることを伝えたいという気持ちに、10年くらいたったときに変わってきた。丁度、その頃、社会事業大学から声がかかった。

SSWの支援の状況は、2013年の時点では、不登校と家庭問題への対応、発達障がいの問題が多い。これはずっとそう。いじめや暴力、虐待なども非常に少ない。
これから貧困問題も出てくるかもしれないが、貧困問題にSSWが関わるとして、ではどういう知識やスキルがあるのかと思う。いじめ問題にもSSWが必要と言われるが、一体何ができるのかと思う。いろいろ幅広くできることはあると思うが、具体的にどういうふうにしていくのかという合意がSSWのなかにない。
そういった状況で、周りの期待だけが過剰に膨らんできて、結局、期待倒れに終わってしまうのではないか、SSWを入れたが、何も役に立たないではないかと言われるのではないかという恐れもある。
SSWは福祉のなかでたいへんマイナーな存在だが、不思議なことに本だけはたくさん出ている。ある部分が現実遊離で肥大化している。

SSWが連携、協働した学校関係者は、学級担任が当然多い。それから管理職。
スクールカウンセラー(SC)とは比較的少ない。これは仕方がない部分がある。SCはだいたい週1日、SSWは最近では週3日、4日になっているところもあるが、お互いに勤務日が重ならない。連携する時間がない。これからは当然、増えてくるとは思うが。
意外と少ないのが養護教諭。協働するうえで、養護教諭を窓口にするということは、もっと力を入れたほうがよいのではないかと思う。


SSWを学校に配置する意義と懸念

学校にSSWを配置する意義としては、
@異なる視点の導入
学校は病理モデル。生態学的視点で、問題に焦点を当てて、問題をいかになくしていくか、治療したり、指導したり、懲戒を加えたり、問題を取り除こうという発想。
SSWはストレングス・モデルと言って、人の持っている力・可能性に焦点を当てて、それをいか発揮できるようにサポートするかという考え方。

Aネットワーキングの機能
連携・協働はSSWの大きな特徴。学校の立場からすると、今のSSW活用事業でいちばん評価されている部分ではないかと思う。いろいろな機関とつないだり、縦横つないだりとか、学校の教員ができないことができる。

B子どもの代弁者としての役割
ここが希薄。SSWが入る意味はここにすごく意味があると思うが、前面に出てこない。教育委員会に雇用されているので、子どもの側に立って発言すると、偏っていると言われる。
自分の立場みたいなことを考えると、その辺りが鈍ってしまう場合がある。けんかすると、SSWは弱い立場。辞めざるを得ない。子どもたちと関われなくなる。安心・安全ということを言うならば、SSWの資格としてきちんと出していく必要がある。

C新たな資源開発
学校のなかで、グループワークが非常に弱い。ソーシャルワークは伝統的に同じような課題を持っている人たちと一緒に問題解決を考えていく。自助力を高めていくための手伝いをする。いろいろな災害にしても、学校事故にしてもの危機対応チームを組織したりもできる。学校外でも、自助グループを組織したり、居場所を作ったりもできる。

最終的には、子ども、保護者、教師をエンパワメントしていくことだと思う。
もうひとつは、学校に違った価値観を持ち込むことで、それまでの見方を広げる。そうすると、学校の包摂性が高まっていくので、子どもにとって安心・安全な学校コミュニティに少しでも近づけるのではないかと思う。
SSWが学校や教育委員会の意向を受けてやるのでは、豊かな学校を創造するということからはずれてしまう。意見の対立、考え方の違いがあるということを大事にしていきたい。


SSWの全校配置については、基本的には無理だと思う。私は反対している
何故かと言うと、

@SSWの人材不足
現在の状況でも半数近くは福祉関連資格とは異なる人たちが活動している。退職教員や退職校長、心理職が多い。
ソーシャルワークというものを認識しないで、自分の価値観や自分の職業分野のところでやってしまうと、サービスの質が非常に不安定になる。
大学で福祉系の養成課程は32校くらいある。学部でやっているが、ここを出てもなかなかSSWとして採用されにくい。家族や学校管理職と関わることが多いので、学校出たての若い人だと採用するほうが躊躇してしまう。やるほうも自信がないところもある。
かといって、SSWとして働いている人を途中から採用するにしても、待遇も不安定。
常勤は全国でも1、2か所しかないと思う。あとは非常勤で、週3回はよいほう。ひどいところでは、年に2回などというところもある。

SSWは導入されても、確立されていないと思っている。生活が成り立たない。
毎年、4月くらいになると、あちこちの自治体で人が足りないで、募集されている。
そこに全校配置となると、年に3回、4回、あるいは年間20時間などというところが増えてくると思う。それだとあってもしょうがないということにもなってくる。

A財源不足
予算の手当てもない状況で、人を増やすと言っている。ある程度は国が出すにしても、3分の2は自治体が出さなければならない。財政規模が小さいところでは、雇用しにくいということがある。

このことが、B有償ボランティア化の恐れにつながっていく。
専門性からの遊離。専門性とは価値観とコーディネートだと思う。SSWの人間尊重だと思う。それがそこから遊離してしまって、子どもを操作する対象と見ていくような形になっていく動きが強まっていくのではないかと懸念する。
ゆえに、全校配置を前提とした教員との協働について論じることは難しい。
ただし、教員との協働については考えていかなければならないと思っている。

私はSSWの力量をはかるひとつの目安は、人の持っている力、可能性にいかに鋭敏になれるかだと思う。
すべての子どもたち、全ての親、教師は可能性を持っている。
学校と子どもの連携や協働を考えたときに、子どもの最善の利益を阻害するような連携や協働があるのではないかと思う。
協働ということ言葉がすべてプラスになるわけでなく、監視や管理、規制をベースにしたものの典型がけっこうあるのではないか。大人が子どもにやる場合、こちらの要素のものが強いのではないかと思ったりする。
福祉の世界では、「見守り」という言葉がよく使われるが、支援という方向で、子どもの最善の利益を追求するのが正しいやり方だと思う。

他機関など、どこかに紹介するのは連携ではなく、紹介。教育現場でよくあるのが、丸投げ。
連携とは、継続的に関わっていくこと、協働すること。
連携や協働の意味は問題を解決するということで考えられがちだが、大事なことは、子どもへの多様なサポートネットワークの形成。これだけの人があなたを支えますというメッセージが遅れるようなものでありたい。
担任などは抱え込んで状況が悪化することがある。そういうことを防止するためにも、教員も一人ぼっちではないよというメッセージを発したい。
問題が非常に複雑化しているので、教員やSC、SSW単独では難しい。いろんな視点で考えていくことが大切。内容に応じては、専門的対応が必要。得意なことを得意な人がやる。
教師の負担軽減がSSW導入の動機になっているが、それが目的になってはいけない。あくまでも、子どもの負担軽減が目的。


学校との連携・協働

連携・協働するに当たっては、
◎連携・協働の目的確認
学校(おとな)の体面を保つことが優先されがちだが、子どもの利益の最優先。

◎守秘義務の取り扱いは大事。
チームで対応したほうがよいし、情報を共有したほうがよいが、個人のプライバシーが危機に瀕する場面が出てくる。ソーシャルワーカーの持っているひとつのジレンマ。
それを切り開くひとつの糸口は、ケース会議など連携の輪のなかに、常に当事者が参加すること。子どもの自身が参加できないときには、子どもの立場を代弁できる人が参加すること。
この場がこの人のサポートのネットワークをつくることで、子どもの安心安全を脅かすものがあれば解消するためにみなが集まっているということをを確認しながらやっていくことがあれば、本人をそっちのけでやるということはなくなる。
少しずつそれに取り組むところができている。

◎連携・協働するひと、他職種、他機関の特徴を把握することは必要。
関わることに責任を持つ。不都合があればすぐにひくことができるようにする。

◎協働するときには、職種・機関間の対等な関係が大切。
職種によって優劣が出ることは克服していかなければならない。


協働・連携を阻害する条件は、
・SSWに対する認知度の低さ。効果に対する疑問もある。
・組織優先の体質。
・学校のなかの関係の独立(孤立)性。合意形成が難しい。
・縄張り意識。それぞれの分掌で対応しようとする姿勢。


学校のなかで、伝統的に難しい状況がこれまであった。今は少し外とつながるような条件はできてきたが、まだカルチャーとして体面を保つところや秘密主義がある。そこを少し開くということにSSWが貢献できる部分はある。

学校事故やいじめ、体罰、過剰指導、不登校などではとくに、学校側の考え方と、SSWの理念価値に沿った場合、対立しがち。衝突を避けるために学校の伝統的な考え方にあわせてしまうと、SSW導入の意味がなくなる。
SSWはきちんとアイデンティティを確立していくことがとても大事。権利擁護や代弁というのは、SSWの大事な機能。そこにSSW導入する意味があるのだということを推進する人たちは声を発していくことが大事。

サポートが不足すると、孤立・孤独になり、そのことによって自尊心が低下したり、生活の質が低下する。そのことによって自虐行為や他虐行為、他者への攻撃行動になる。
マザーテレサが言っている言葉「人にとってもっとも不幸なことは、誰からも愛されていない、必要とされていないと感じながら生きることです。」
これは実感的にわかる。誰も自分のことを愛していないし、必要としていないと思った時には、非常に無。生きる希望もないし、人を恨むし、攻撃的な気持ちになったりする。
協働することの意味はそういうことを思わないでいいようにする。誰かが自分のことを愛してくれている、心配してくれる、気にかけてくれる人がいるというメッセージを伝えるための協働。

サポーターの重要性について、アリス・ミラーが「虐待の連鎖」のところで言っている言葉が参考になる。
「事情をわきまえた証人」「助ける証人」ということを言っているが、これは虐待の世代間連鎖のことを言っている。
「子どもが虐待を受けている渦中にいるときに、その人のことを常に受け止め、理解してくれる人がいた人は、虐待を繰り返さない可能性が高い」と言っている。
本当に大変なときにわかってくれる人がいる。「事情をわかまえた証人」がその時にいなかったとしても、その後に出会えた人で、理解して支えてくれる人がいれば攻撃行動を繰り返さない可能性があるという。

虐待に限らず攻撃行動としていろいろな課題が出てくる。自分を辛いときに支えてくれる人がいる、いた、今もいるということが、人が安全安心して生きていくことのキーワード。
それが不足しているから、安心したり安全を感じて生きることのできない子どもたちが多い。
寝屋川の事件、川崎の事件、ああいうことが事件にならなくても、いろんなところでたくさん起きている。
誰からも愛されていない、必要とされていないと思う人を一人でも減らしていくために、それを実現するために私たちは連携したり、協働したりすることが必要だと思う。

豊かな子どもとは、理解し、尊重し、支えてくれる人に囲まれて生きる子どものこと。
社会自体を一気に変えていくことはできなくても、少なくとも自分のかかわりの範囲内でできることだと思う。そういうことをあちこちで積み重ねることで、社会全体が変わっていく。連携・協働する動きが孤立化を防ぐ力になる。そういうところに希望を託したい。



【武田雑感】

SSWは、私を含めた世間一般が考えているような子どもを取り巻くあらゆる問題を解決してくれるスパーマンではないということ。思ったより、児童虐待や貧困問題、いじめ問題には取り組んできていないということを改めて知った。
ある面、スクールカウンセラー(SC)の導入時に似ている。
カウンセラーをよいものとして、まるでどんなに困難な問題をも、魔法のように解決するスキルを持っているかのような錯覚。

そして今回、SCの導入にあれほど熱心だった文科省が、今度はSSWの導入を言い出したことに少し疑問を抱いていた。その疑問がいくつか解けた気がした。

文科省はSC制度を導入するときに、高待遇を決めてしまった。増やせばその分、かなりの費用がかかる。
(※SCの待遇については聞きかじりで、きちんと調べたわけではないので、要注意!)
しかし、数が少ないゆえか、業界団体とのかけひきもなく、待遇の指針も決めていないSSWなら、同じ人数をもっと安い金で使える。


「スクールカウンセラー」について  文部科学省ウェブサイトから
http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/detail/__icsFiles/afieldfile/2014/11/14/1341643_1.pdf




SCは現在、多くの学校で週1回程度しか導入されていない。増やすところも出て来てはいるようだが。
時給は平均して5千円くらいだと聞く。SSWは時給千円程度の人もいるというから、雲泥の差だ。
最も、カウンセリングを受ければ、1時間5千円から1万円くらいだと聞くので、とくに高いわけではないのかもしれない。
たとえSCの日給が4万円だとしても、週1日しか働けなくて、月16万円程度ではけっして割のよい仕事ではないと、私も以前は思っていた。
しかし、SC養成にも関わったある専門家から聞いた話では、多くのSCは数校を掛け持ちしているという。自身の心理面でも、クライアントに丁寧に対応できるようにするためにも、SCの仕事は週3、4日で留めておいたほうがよいと、その方は教え子にはアドバイスしているという。

そして、ほとんどの自治体で、経験年数は報酬に反映されない。卒業したてでも、大ベテランでも同じ。
実際に、週5日、様々な学校を掛け持ちしているという若い女性のSCと会ったことがある。彼女は月60万から80万円も稼いでいることになる。同世代の女性たちの収入に比べれば破格だろう。
しかし、それに見合った活動をしているのかといえば、正直いって大いに疑問を持った。
かえってSCも常勤職として雇用し、複数校巡回したほうが、安くすむし、責任感も出るのではないかと思う。

そのSCも、国の補助率が100%から2分の1、3分の1と減らされている。もちろん、SSWへの補助削減ほど極端ではないが。このあたりの財政負担もあって、高額なSCを雇うより、今流行のSSW活用へという方向性があるのではないか。
(平成20年から、SCへの国の補助率も3分の1になっているので、このあたり、政治的な動きと連動しているのかもしれない)
あるいは、いじめ問題が大きく取り上げられるたびに、国はSC導入を掲げてきたものの、SCを導入してもいじめも、いじめ自殺も、不登校も減らないではないかという批判をかわすための手段かもしれない。新規事業のほうが予算を組みやすいという事情もあるかもしれない。

SSWは、卒業したての若い人より、保護者や管理職と対等に話せるようある程度年期の入った人のうが好まれるという。しかし、SCは子どもたちから話を聞くにも、学校管理職が御しやすいという意味でも、教職員が愚痴をこぼす相手としても、むしろ若いほうが好まれると聞いたことがある。最も県などから給料が支払われるから、学校管理職はSCを選べないという。

一日、カウンセリングルームにいて人の話を聞く職業と、真夏の炎天下でも雪や雨の日にも駆けずり回らなければならないSSW(その人の活動にもよると思うが)と、どちらが大変かと考えると、むしろSSWのほうの待遇こそ、上げてほしいと思う。
カウンセラーなら、何時から何時までと時間を決めて、カウンセリングルームで待機していたり、予め面談の予定を組んだりということが可能だろう。
しかし、SSWの仕事は人間関係の調整。今、多くの親は共働き。あるいはひとり親家庭もある。9時5時で活動していたらほとんど会うことはできないだろう。
また、週何日と決めていても、子どもの問題行動は曜日を選んではくれない。大人であれば待てるかもしれないが、子どもの問題は表面化したときには一刻の猶予もないことが少なくない。1日先のばしたことで、命が失われてしまうことさえある。

待遇の切り下げは、専門性を破壊して行きかねない。名前だけ、形だけ、国は対策をとっているかのように装う。
SSWのボランティア精神に頼っていては、次のSSWが育たないし、熱心な人ほど燃え尽きてしまう。
結果的に、期待して裏切られるのは、子どもや保護者、教職員だ。

いじめ問題が社会問題になったとき、各地で電話相談事業や教育相談が導入された。しかし、多くは退職教員、退職校長だった。自治体によっては管理職が退職するとき、何年間は職を確保するということが条例などで決まっているようだ。その受け皿にされた。

SCも同じで、やはり退職前に教員に資格を取らせて、退職後にSCとして雇用するという仕組みをとっているところもあるという。
しかし、現役時代にいじめ問題に対応できなかった人たちが、退職しても、やはり対応できない。
むしろ、学校と同じ価値観を持つので、学校や教育委員会にとっては使い勝手がよくても、学校に適切に対応してもらえず苦しんでいる子どもや親を救う手だてとはならない。かえって苦しめることさえある。
本当に子どもの相談に適切な人材であればよい。しかし、子どもの問題を掲げつつ、むしろそれを利用して、公務員の再雇用や天下りなど、大人の利権が優先、利用されてはならない。教育行政の単なるアリバイ作りに利用されてはならない。

本気で子どもの問題にSSWを活用しようと思うのであれば、
まずSSWの役割を、子どもオンブズパーソンのように、子どもの権利擁護や代弁者として、しっかりと位置付けること。

SSWが役所の都合ではなく、子どもと、それを取り巻く大人の都合に合わせて自由に動けるようにすること。
そのための指示命令系統や規則を工夫し、まずは常勤として雇用すること。できれば複数配置が望ましいが、それが無理なのであれば、一人は常勤として、非常勤のSSWと組み、ボランティアではなく実働した部分はきちんと報酬として還元させること。あるいは、児童相談所などの常勤職員と組み合わせるなどがあってもよいのではないか。
その時にも、単に手足として雑用を押し付ける相手として扱うのではなく、専門職としてその知見・アドバイスには真摯に耳を傾けること。

学校教師、行政職員、保護者、地域民、それぞれの役割のなかで、分断している部分を上手にSSWがつなぐことで、子どものニーズに沿った効果的な支援が可能になるかもしれない。
それには、SSWの導入時の環境整備こそが成否のカギを握っているのではないかと思う。

言葉では何とでも言える。しかし、本当に大切に思っているものには人は金を惜しまない。
国のやっていることは、言葉では子どもの大切さを言い、産めや増やせやという。しかし、せっかく生まれてきてくれた子どもたちをいかに自分たちにとって都合よく利用するかばかりを考えて、子どもたちの最善の利益のために、今の大人たちがいったい何ができるかを真剣に考え、取り組もうとはしない。子どもに使う労力も金も出し惜しんでいる。

人的コスト削減と、SSWが少なく、資格のあいまいさから元教師や警察官などの退職後の受け皿となり得ること。
ずっと批判を受け続けている学校教職員の多忙化の解消いじめ問題、子どもの貧困対策、虐待問題に向き合っているというポーズ。
これがSSW導入の主な動機だとしたら、事業が失敗することは目に見えている。
今の国の施策では、子どもも、親も、学校教師も、そしてSSW自身も、かえって苦しむことになりはしないかと懸念する。SSWを国が導入するのであれば、きちんとSSWの役割を理解している人の意見を入れて、導入してほしい。


 HOME   検 索   雑記帳一覧   わたしの雑記帳・新 



 
Copyright (C) 2015 S.TAKEDA All rights reserved.