わたしの雑記帳

2012/9/7 文部科学省は、本気で、子どもの「命」と向き合っているか?

2012年9月5日、文部科学省は、「いじめ、学校安全等に関する相互的な取組方針」〜子どもの「命」を守るために〜を発表した。
http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/detail/__icsFiles/afieldfile/2012/09/05/1325364_1_1.pdf

同時に、平成25年度概算要求「いじめ対策関連事業」平成25年度概算要求額(案)を発表した。
http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/detail/__icsFiles/afieldfile/2012/09/05/1325364_2_1.pdf


「大津のいじめ自殺事件をきっかけに、ついに国は本気になって、この問題に取り組む姿勢を見せた!」と多くの人たちは思ったことだろう。
本当にこれって有効なの? 今までもやってきたように、単なるアリバイ作りではないの? とうがった見方をするのは私たちジェントルハートプロジェクトの理事だけだろうか。(ただし、以下はあくまで武田の私見)


大きく報道されたときだけ動く文科省

「いじめ、学校安全等に関する相互的な取組方針」〜子どもの「命」を守るために〜
の内容は、いじめだけではない。
第1 いじめの問題への対策強化
第2 学校安全の推進
第3 体育活動中の安全確保

こういった方針自体は評価できる。では、中身は目新しいことが書かれているだろうか?
そもそも、大津の事件はたまたま大きく報道されたが、いじめ問題、子どもの自殺は今に始まったことではない(PDF 参照)。
部活動における柔道事故しかり。
それらのデータをいちばん容易に得ることができる文部科学省が、自ら問題提起することなく、いつでも報道や世の中の関心など、外部圧力がないと動こうとはしない。
そして、問題が表面化すると、その時だけ積極的に動くが、世間の関心が薄れると、せっかく始まった新しい対策もなし崩しになってしまう。(PDF 参照)
プラン(plan)は立てるが、ドゥ(do)は現場まかせ。チェック(check)も、改善(act)もない。
そもそもプラン自体、実情を把握して、正しい認識のもとに、つくられたものではないから、問題解決に役立たない。
かえって、現場の事務量を増やすだけの結果となってしまう。現場も一時しのぎの方針だとわかっているから、本気で末端の教師にまで文科省の方針を周知徹底しようとも思わない。
国家国旗法や学力テストへの徹底ぶりとは大きく異なるのは、現場の意識の問題ではなく、むしろ文科省の「子どもの命」に対する認識、意識の低さの問題なのだと思う。


今回はどうだろう?
アクションプランは、
1.学校・家庭・地域が一丸となって子どもの生命を守る
2.学校・教育委員会等との連携を強化する
3.いじめの発見と適切な対応を促進する
4.学校と関係機関の連携を促進する

今までもさんざん言われてきたことばかりだ。そして、2の学校・教育委員会の連携に至っては、今までも十分にはかられており、むしろその連携のもとに、いじめ問題が隠ぺいされてきた。
学校・家庭・地域が一丸となってというが、それ以前に、教師間のコミュニケーションや連携がとれていない。しかも、それを壊してきたのは文部科学省の職制化だったり、評価主義制度だったり、教師の契約社員化だったりする。
学校と家庭、地域についても、情報の共有、問題の共有なしに、一方的に学校側の都合に合わせて動けというのは、単なる便利使いでしかない。


予算配分を見れば、何に重点を置いているがわかる

言葉ではなく、予算配分をみれば、国が本当は何を大切にしようとしているのかがわかる。
本音は、美辞麗句のなかではなく、金の使い方にこそ、現れる。

平成25年度概算要求「いじめ対策関連事業」平成25年度概算要求額(案)を見ると、概算要求は「いじめ対策関連事業」だけで約73億円。前年度比約27億円増となっている。
予算配分の大きさは、省庁の発言権の大きさにもつながる。税金の使い道をめぐって、あまたの企業・団体、個人がすり寄ってくる。使い道によって、自分たちの利益、たとえば天下り先などにも反映される。
「いじめ対策関連事業」だけで、対前年比約27億円増の予算案は、文科省にとって、むしろおいしい話ではないか。

総額約73億円。その内訳は
1.早期発見・早期対応(外部人材を活用した教育相談・関係機関との連携強化等) 約47億円
 具体的には、@スクールカウンセラーの配置拡充、A生徒指導推進協力員・学校相談員の配置(・元警察官、元教員等を課題のある学校へ派遣)、B24時間いじめ相談ダイヤル(紹介カードの配布)、Cスクールソーシャルワーカーの配置拡充

2.未然防止(道徳教育等の推進、体験活動の推進) 約9億円
 具体的には、@道徳教育総合支援事業、A対話・創作・表現活動等を通じた児童生徒の思考力、人間関係形成能力等の育成

3.教員研修の充実・教職員の体制整備の充実 約9億円
 具体的には、@教職員定数の改善、A教員研修の充実、B健全育成のための体験活動の推進

4.国及び自治体に外部人材活用による、いじめ問題への支援体制を構築 約4億円
 具体的には、第三者的立場から調整・解決する取組、外部専門家を活用して学校を支援する取組

5.いじめ対策等生徒指導に係る調査研究等 約4億円


予算73億円のうち、64%をスクールカウンセラーや学校相談員、スクールソーシャルワーカーの配置に使うという。
では、スクールカウンセラーや学校相談員は、いじめ問題の解決に役立っているだろうか。(スクールソーシャルワーカーについては、その実態や実績が私にはわからない)

文科省の平成22年度児童生徒等の問題行動等諸問題に関する調査(http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/List.do?bid=000001033840&cycode=0)で、「スクールカウンセラー等の外部の相談員が発見」は平均して0.3%程度しかない。「いじめられた児童生徒の相談」も、4.8%程度
おそらく、理由としては、週数日程度、わずか数時間程度しか学校にいない。どういう人物かわからない。相談室に行ったことがばれると、報復を受ける、あるいは精神に問題を抱えているとしていじめの対象にさえされる。相談しても、話を聞くだけで具体的にいじめ問題を解決してくれるわけではない。などが挙げられるだろう。
また、今は退職した教員がカウンセラーの資格をとって、スクールカウンセラーになることも地域によっては多いという。人事権は学校が握っているから、学校の方針に従わざるを得ない(正職員のクビを切ることは容易ではないが、契約であれば簡単にクビを切れる)。職員会議にも出させてもらえなかったり、ただ被害者の気持ちの吐き出しを受け持つだけで、加害者の指導につながらないなどの話は聞いても、スクールカウンセラーや外部相談員の存在が、いじめの発見やいじめ問題の解決に具体的に役立ったという話は残念ながら、聞かない。

「月刊 地方自治 職員研修 2012年3月号 通巻629号 公職研「特集 自治体教育の課題 「いじめをなくすために学校や自治体は何をすべきか」にも書かせていただいたが、スクールカウンセラーに予算を使うくらいなら、養護教諭の人員を増やし、研修を充実したほうがよい。
上記調査で、「養護教諭がいじめを発見」は0.9%。しかも意外なことに、小学生0.5%、中学生1.1%、高校生1.7%と、年齢があがるごとに親や家族には相談しなくなっている(小学生35.45%、中学生30.6%、高校生24.1%)にもかかわらず、養護教諭への「相談」は、小学生4.9%、中学生8.3%、高校生10.1%と、年齢があがるにつれ、かえって相談の割合が増えている。(スクールカウンセラーへの相談は小学校2.8%、中学校6.7%、高校5.6%)
しかも、今は、家庭が十分に子どもをみてやれない環境のなかで、体調を崩し保健室に来る子や、「保健室登校」の名前があるくらい、クラスに入れない子どもたちの心の居場所にもなっている。
いじめ問題と、虐待は密接な関係があるが、虐待を発見することができるのも、カウンセラーよりむしろ養護教諭だろう。
そして、いじめを受けると体調に出やすい。保健室は誰でもが利用するところなので、周囲の目を気にすることなく、行くことができる。
スクールカウンセラーや外部の相談員ではなく、養護教諭こそが、いじめの被害者だけでなく、多くの子どもたちの心の拠りどころになっている。

では、なぜそこに予算を注ぎ込むのか。結局は文科省と精神医学会との利権がらみだったり、団塊世代の元教師(なかでもとくに管理職)や元警察官の再就職先として、スクールカウンセラーや学校相談員、電話相談員が受け皿となっていることと関係しているのではないか。
現役時代にいじめを解決できなかった教師やいじめのことも、子どもの心理もわからない元警察官がかかわったところで、いじめが解決するとは思えない。学校的考えをする人たちは、学校や教育委員会にとっては都合がよいだろうが、いじめで苦しんでいる子や親には役に立たないどころか、害になることさえある。

また、予算には書いていないが、自治体がいじめ対策として力を入れる人権擁護委員もまた、いじめのことも子どもの心理もわからない。いじめられているという相談電話に平気で、「あなたにはいじめられる理由があるのではないか」「ちゃんと拒否しなさい」「なぜ親や先生に言わないんだ」「勉強やスポーツで見返してやればいい」「社会に出てもいじめはあるのだから、がまんしなさい」などと説教して、かえっていじめられている子どもや親を傷つけてしまう。いじめ被害者責任論が非常に根強い。

同じことが、「体育活動中の安全確保」予算案約6億円にもいえる。
6億円中約5億円を「地域の指導者の参加促進」とくに、具体的に武道関係団体における支援体制強化に充てるという。
柔道事故の多さ、機序を明らかにして、具体的に予防対策を提言してきたのは、武道関係団体ではなく、全国柔道事故被害者の会である。重大な事故を惹き起こしてきたのは、柔道の経験が浅い指導者ではなく、ベテランの指導者だ。
授業にしろ、部活動にしろ、児童生徒の安全にいちばん責任を持たなければならないのは学校の教員であるにもかかわらず、安全指導を行うための教員等を対象とした講習会の開催等「指導者の資質向上」にはわずか0.6億円しか予算がついていない

結局、「子どものため」と言いながら、大人の都合を真っ先に優先して、対策を立てている。いじめ問題解決や学校事故防止に有効なはずがない。


本当に必要ないじめ対策

いじめられている子どもの身になったら、どこにいちばん力を注ぐのがよいのか。具体的な解決が可能なのは誰なのか。
学校教師である。
しかも、特別にいじめに詳しい外部の人間(そうそういないと思うが)を各校に1人ずつ程度配置するより、今いるすべての教師が、いじめ問題を正しくとらえて、きちんと対応できたほうが、個々のいじめの解決につながるだろう。
現在、教育課程で、生徒指導やいじめ対応のカリキュラムがない。教員免許更新のための研修にも、ほとんど見られない。
日々の研修も、学力テストの影響もあり、教科中心で、いじめ問題は一部の人権担当教諭や生徒指導担当が年に1、2回研修を受けるだけで、勉強する機会もないし、予算も組まれていない。(いじめが社会問題化すると、1、2年程度予算がつく自治体が多い。その後は予算がないので、研修もない)

そして、不安定な教師の身分や正職員が減らされて契約教師が増やされるなど、どんどん劣悪になりつつある待遇。
文科省は体制強化やいじめ問題の解決に対する評価の導入をうたっているが、今でさえ事務仕事に忙殺されて、児童生徒と向き合う時間も心のゆとりもないなかで、ますます教師を苦しめるだろう。
評価が強化されれば、ますます上司に相談ができず、解決していなくとも、「解決」したことにしてしまうだろう。
文科省は教員の職制化をむりやり推し進め、評価制度を使って、上意下達の仕組みづくりを強化してきたが、管理職の権限強化は問題の隠蔽にこそ有効に働きはするものの、日々の問題解決にはむしろ足かせになっている。
(NPO法人ジェントルハートプロジェクトが、2010年にとった学校事故事件の当事者や親へのアンケート調査で、「事実を知るうえで、障害になったもの」は、複数回答で第1位は学校管理者の拒否や抵抗約20%だった)

今の教師に必要なのは管理強化ではなく、教師が本来の仕事ができるように、あらゆるサポートを行っていくことだと思う。
心身共に疲弊しきっている教師らに、複数いて、かつ手ごわい、いじめ加害者の子や親への対応力はない。
そして、学校管理職にいじめ問題の解決策がない以上、上意下達は有効ではなく、むしろ教師らが忌憚のない意見を言い合えること、同僚教師に「助けて!」と言えることのほうが大事だと思う。


文科省がいじめ問題の専門家として掲げているのは、弁護士、精神科医、元警察官、大学の教授(なぜかNPOや市民団体は一切登場しない)。しかし、現代のいじめがどういうものかも、いじめられている子どもの心理、いじめている子どもの心理に詳しいとはとても思えない。まして、学校のいじめの実情が正しく報告されていないなかで、そのデータをみて状況を判断している学者や弁護士に、正しいいじめ認識や具体的かつ有効な解決策があるとは思えない。

文科省はいつも、現場の声、当事者の声を吸い上げようとしない。
いじめられている児童生徒やその保護者が何を望んでいるか、学校の先生方が今、何に困っているか、いじめ問題に真剣に取り組んできたNPO法人、市民団体の要望、柔道事故に真剣に取り組んできた全国柔道事故被害者の会、そして被災者の声。

たとえば、大津のいじめ自殺事件で、どこが変われば男子生徒は死なずにすんだだろうか?
スクールカウンセラーが配置されていたとして、毎日のように暴力を振るわれて、恐怖心から親にさえ話せなかった子どもが、スクールカウンセラーになら、話せただろうか。
保護者等へのワークショップが開催されていたとして、事件が起きる前に、加害者の親は、それ以外の親たちは関心をもって参加しただうろか。それが、具体的な抑止力になっただろうか。
加害者を出席停止にする制度があったとして、被害生徒は安心して教師に相談できただろうか。わずか数日、あるいは数週間学校に来ないだけで、反省の機会が得られるわけではない。その後の報復が怖くてむしろ、被害者はいじめを頑なに否定するのではないか。
学校はいじめがあっても否定する複数の親たち相手に、出席停止を申し渡すことができただろうか。親と子はそれに素直に従っただろうか。

一方で、もし、教師が目の前の子どもたちの行為をいじめだと判断して、声をかけてくれていたら、被害者の声に真摯に耳を傾け、親にも情報共有して、教師同士も連携して、いじめ問題に対応する姿勢を見せていたとしたら、男子生徒はいじめを打ち明けることができただろう。あるいは、教師がいじめを発見して、被害者を守りつつ、加害者の親と子を指導することができただろう。
いじめは加害者問題である。出席停止にしても、退学処分にしても、その地域に住み続ける限り、被害者は報復に怯えて暮らすしかない。教師が中心となって、家庭を巻き込み、問題の根本を探り、時間をかけて根気強く、加害者やその原因となっている大人たちの反省を促すしかない。外部専門家や他機関との連携は、そうしたときのサポートにこそ使われるべきもので、けっして彼らがいじめ問題解決の主役にはなり得ないと思う。(主役にいちばん高いギャラを払うのは当然)
そして、それは年齢的にも早ければ早い方がよい。いじめ対策の強化はまず、小学校を重点的にやるべきだろう。
中学校のいじめは、小学校時代から引きずっているものが多い。その中で最も根深いものが、高校生になっても残る(だからこそ、数は中学より少なくても、内容はエスカレートしている)。

なお、警察との連携について。
私は学校で子どもたちに、、「学校の外で行っても、中で行っても、犯罪は犯罪です。」「町で暴力を見かけたら、大人や警察に言うのが当り前のように、学校で暴力を見かけたら、身近な大人である教師に言うのは当然のことです。けっして仲間を売るというような卑怯なことではありません」と話している。
社会ルールとしてきちんと決まっていることについては、子どものうちからきちんと教えるべきだと思う。
子どもの為と言って、警察に通報せず、かといって指導もできないのであれば、加害者は増長し、新たな被害を生み出す。それは、加害者本人のためにもならないと思う。

ただし、元警察官が学校に常駐するなど、学校が退職警察官の受け皿となることには反対だ。学校と警察との利害関係が生まれれば、公平な立場でなくなり、学校に便宜をはかるようにもなりかねない。
また、人権感覚が乏しかったり、相手の気持ちをおもんばかることが苦手な警察官も少なくない。反面、腕力には自信がある。学校が、指導の名のもとに、大人の暴力を容認するようになるのではないかと心配する。


国が考えるべきは、まずはいじめの被害者が何を求めているか、求めていないか。そして、学校教師が何を求めて、何を求めていないか。
また、学ぶべきは過去のいじめ事例であり、何が原因でいじめが発生したかのか、なぜ教師は対応できなかったのか、なぜ子どもは打ち明けられなかったのか、いじめへの対応を阻害しているものは何か、現場だけでなく、背景となっている国や各自治体の教育方針にまで広げて原因を追究して行かなければ、本当に有効な対策は立てられない。
しかも、いじめ問題を研究するのに、その事例数はけっして不足しないはずだ。

文科省は「隠すな」「隠すな」と言いつつ、当事者と情報を共有して、学校がいじめ問題を隠せないようにする仕組みをつくろうとはしない。プライバシーの保護を理由に、生徒たちとの信頼感を理由に、せっかく寄せられた情報を当事者にさえ開示しようとしない。

NPO法人ジェントルハートプロジェクトでは文部科学省に、金のかからないいじめ防止策を提案してきた。
(文科省にとって、金がかからないということは利点ではないらしい)
その内容は、
@事件・事故後3日以内に、基本的な調査をすること。
A調査内容を当事者や親と共有すること。
Bすべての学校に「事故報告書」の作成を義務づけること。
C「事故報告書」に、家族が知る情報や意見を記入する欄を設けること。


たったこれだけのことを、何年も要望しつづけても、いろいろ理屈をつけて実行しようとはしない。実行できない理由ばかりを探している。
新たな防止策は、正しい現状把握があってはじめて生まれる。そこを抜きに様々な策を打ち出したところで被害者を救済することも、新たな被害を防止することもできない。
「明日から」ではなく、今すぐやるべきだ。毎日、子どもは死んでいるのだから。大人の都合ではなく、子どもの最善の利益を文科省にも考えてもらいたい。



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