2011/1/19 | 長野県立丸子実業の高山裕太くん(高1・16)自殺事件。校長が遺族と弁護士を訴えた裁判で校長が勝訴 | |
ある方が、2011年1月15日付の読売新聞に下記の内容が出ていることを教えてくれた。 「2005年に長野県立丸子実業高校(現・丸子修学館高校)1年の男子生徒(当時16歳)が自殺した問題を巡り、殺人容疑で告訴されるなどして精神的な苦痛を受けたとして、当時の男性校長が、男子生徒の母親と代理人の弁護士を相手取り、600万円の損害賠償などを求めた訴訟の判決が14日、長野地裁上田支部であった。 川口泰司裁判長は「原告の社会的評価を低下させ、名誉を傷付けた」として、母親と弁護士に計165万円の支払いと謝罪広告の掲載を命じた。 母親の告訴について、川口裁判長は「自殺を予見することは困難で、犯罪の嫌疑をかける客観的な根拠はなかった」と判断した。 判決によると、男子生徒は05年9月から不登校となり、同12月6日に自宅で自殺した。母親は06年1月、校長を殺人容疑などで告訴。内容を記者会見やブログなどで発表したが、長野地検上田支部は07年10月、犯罪に当たらないと判断した。」 この件に関して、どこまで私個人が知っていることを出してよいかとても迷うところだが、すでに多くは「丸子実業高校生 いじめ 自殺事件」(http://blog.livedoor.jp/yutatakayama/)のブログに載っているので大丈夫ではないかと判断させていただく。 知人を介して、高山さんから私のところにメールがあったのは、裕太くんの自殺後、それほどたってからではなかったように記憶している。 高見澤昭治という正義感あふれた弁護士が、メディアで裕太くん自殺事件のことを知り、自ら連絡してきて、無償でこの件に関わってくれると聞いて、安心していた。 高山家はひとり親家庭。しかも、母親は元夫のDVで深く心が傷つき、そのうえさらに、裕太くんの自殺で、精神的にボロボロの状態だった。仕事もできない状態だと聞いていたので、彼女に弁護士費用を払う余裕などもちろんない。 弁護士は善意だった思う。しかし、母親は当時からすでに裁判に耐えられるような精神状態ではなかった。その判断を誤ったのではないかと私は思っている。 私は多くの被害者遺族とお会いしてきた。そのなかで、実際に裁判にまで至る例はそう多くない。 わが子の死の原因が、学校生活のなかにあると思えるのに、学校は何も教えてくれない。否定される。事実を知りたい。何もないのに死ぬような子ではなかった。命の大切さを知っている子だった。簡単に死ぬはずがない。死に追い詰められるほどのよほどのことがない限り。亡くなった子どもの名誉を回復したい。そんな思いで、多くの遺族は裁判を起こす。あるいは起こしたいと考える。 しかし、現実には、裁判する費用が捻出できない、学校を相手に戦ってくれる弁護士さんが見つからない、家族が裁判をすることに精神的に耐えられない、学校を相手に裁判をすると地元住民を敵に回す。経済活動が成り立たず、生活ができなくなる。他の子どもへの影響、などを考えて、裁判をしたくともできないことのほうが多い。 民事裁判は、弁護士に依頼したらすべておまかせでやってもらえるものではない。 まして、原告側が、被告の過失や不法行為を立証しなければならない。自分たちで証拠を集めたり、証言を依頼したりしなければならない。被害者・遺族が自ら積極的に行動しなければ、勝てるだけの材料が揃わない。 また、相手側が出してきた文章を読んで、ここは違うと反論しなければならない。実はこれがとてもつらい。多くの場合、亡くなった子どもやその親を攻撃する言葉が、あること、ないこと、書き連ねてある。 文書を読むだけではらわたが煮えくり返り、食事ができなくなる。夜眠れなくなる。最初の数行を読んだだけで、あまりのひどさにそのあとを読まなければいけないとわかりながら、辛くて読むことができなかったという話も聞く。 こういう状況を知っているからこそ、ジェントルハートプロジェクトでは、裁判を起こさなくてすむような仕組みが必要として、親の知る権利を求めている。 高山さんの場合、裁判をはじめる前から精神的にすでにぎりぎりの状態だった。それでも、自ら手をあげて、無料で引き受けてくれるひとがいれば、親の気持ちとしては当然、すがりつきたい気持ちになる。 高山さんからは何度か私のところにも、「死にたい」「死にたい」という電話をかけてきた。 2009年3月6日の長野地裁での、裕太くんに暴行した上級生の行為を認めながら、上級生1人に1万円の賠償命令、高山さんを訴えた顧問や部員への損害賠償計34万円の賠償を命じた最悪な判決(me090307)が出るずっと前のことだ。 判決後、高山さんは控訴。しかし、その後控訴を取り下げて、判決が確定している。 高山さんからは、せっかく応援していただいたのに、こんなことになってしまって申し訳ないという連絡をいただいた。 やはり、高山さん自身が、裁判に耐えられる精神状態ではなく、控訴を断念したと聞いている。 そして、勝ち馬に乗るような元校長の提訴。 ここでも、高山さんは証人尋問を求められたのを拒否して裁判所に行かなかった。なんとか、気力を振り絞って、陳述書を作成しているということだけは聞いた。 これまでも、弁護士から言われた書類が書けなかったり、尋問に応じられなかったりしたことがあったようだ。 積極的に拒否をしたわけではなく、書ける精神状態ではなかった、行って尋問を受けるような状況ではなかったのだと思う。 うつ状態になると、「○○をしなくちゃいけない」とわかっていても、自分でもどうにもできなくなる。 子どもの死と、それがいじめが原因だとは認められず、母親がモンスターペアレントであるというような判決。賠償金の支払いさえ命じられて。そして、裕太くんの死さえ、母親に原因があるかのような誹謗中傷。 たったひとつだけでも死にたくなるほどつらいことなのに、いくつも重なったこれらの仕打ちに、精神的な傷を抱えていなくとも、耐えられる人間がどれだけいるだろうか。彼女を必要とする家族の存在がなければ、とうに自殺していてもおかしくない。 尋問に応じられない理由を診断書などで示したらどうかとアドバイスをしたことがある。 しかし、医者には通っていないので、カルテはないという。 高山さんは裕太くんが亡くなる前から、DV被害により精神に深い傷を負っていた。しかし、通院はしていない。 精神科にかかるのは、かなりのお金がかかると聞いている。カウンセリングも、30分5000円だかすると聞いた覚えがある。弁護士への相談料と同じくらいかかる。生活に困窮していたら、必要性を感じていてもカウンセリングに通うこともできない。 また、カウンセリングは医師との相性が大きい。かえって傷つれられたという話もよく聞く。 詐欺の手口で、裁判所からのハガキが来て、身に覚えがないので放っておいたら、損害賠償が確定してしまったというのを聞いたことがある。 刑事裁判でも、心神耗弱(しんしんこうじゃく)は、責任がなしとされたり、軽減されたりするのに、ひどいうつ状態で、反論する気力さえもてない人間に、損害賠償命令が下ってしまう。いったいどうしたことだろう。 しかも、利益目的や面白半分ではけっしてない高山さんや弁護士に対して、名誉棄損にしても、160万円というのは異例に大きな金額だ。雑誌などの名誉棄損については年々損害賠償額が上がっている。 嘘でもなんでも書いてしまえば儲かるという「書き得」を防止する意味はある程度理解できる。一方で、言論統制の目的があるのではないかと感じる。 160万円という金額と、一個人に対して、謝罪広告を出せという判決。行政相手の苦情や訴訟を統制する目的があるのではないか、少なくともその効果はあるのではないかと思う。 そもそも、どうしてこんな判決が出るのか、私には理解できない。 裕太くんは生前、自筆の文書をたくさん残している。本人が書いたものに間違いはない。 「からかい」や「いやがらせ」が「つらかった」「死にたいくらいの気持ちでいた」と書いている。 学校には「担任の先生の言葉やバレー部のK先輩の言葉や○○くんのいじめやバレー部の仲間からのいじめにより恐くて学校に行きたくても行けませんでした。」「家を出た理由も担任の言葉とバレー部の○○くんと2年生からのいじめを何ヶ月間も受けていたので死にたい気持ちで家を出ました」と書いた自筆の手紙を本人が送っている。 学校との交渉がこじれたときに、学校に同行してくれた議員さんもいる。暴行の被害届を本人が警察に出して受理されている。第三者の証人もいる。 裕太くんがいじめられ、それを苦痛に感じていたということは、母親の妄想などではなく、実際にあったことだ。証拠もあるのに、その主張を裁判所は認めなかった。手紙も、裕太くんの言動もすべて母親の指示で行わされたことのように書いている。高校生が、死にまで追い詰められてなお、母親の言うことをきくだろうか。母親の言葉に逆らえない気の弱い少年が、ひとりで家出することができるだろうか。母親の同行なしに、議員さんと一緒に学校に抗議に行くだろうか。検察官の前で被害届を書けるだろうか。大声で怒鳴るような顧問に逆らうようなことができるだろうか。 高山さんは自身のことでは病院に行かなくとも、息子の裕太くんの様子を心配して、病院に連れて行き、うつ状態と診断されている。学校にも医師から、登校を促さないようにと手紙が行っている。 うつ状態で、しかもいじめがあるから学校に行けないと言っている本人に、学校側は、いじめのことはあとから考えると言って、登校を強要している。 本人と親とが、いじめがあると訴えたのに、学校は対策をとらず、むしろ追い詰めるような言動をし、亡くなってからはいじめの存在も、自殺との因果関係も否定する。 2010年10月23日に自殺した群馬県桐生市の上村明子さんの事件と非常に似たパターン。もっとはるかに悪質だといえる。 「されたほうがいじめと感じたらいじめ」と言いながら、被害者や親が「いじめだ」と言うと名誉棄損になるのはおかしい。 自殺は本人の意思というより、追い詰められた結果だ。 校長や顧問が適切な措置さえとってくれていたら息子は絶対に死ななかった。裕太くんの感情を無視し、バレー部を守り、いじめをなかったことにするために、むしろ積極的に圧力を加えた。親にすれば、息子は先生やいじめた生徒、裕太くんが苦しんでいるのを知っていながらSOSを無視した部員たちに殺されたと感じるのは当然ではないだろうか。 殺人は刃物だけで行うものではなく、精神的に追い詰めれば、相手を殺すことができる。まして、病気の相手であればたやすい。 今回の判決で、川口裁判長は「自殺を予見することは困難で、犯罪の嫌疑をかける客観的な根拠はなかった」と判断したとあるが、本人が生前「死にたいくらいつらい」と言っており、家出までしている。警察にまで訴えている。 ふつうに考えれば、学校にいじめを訴えれば、助けてもらえる。それが、かえってみんなにいじめ被害者である自分が攻められ、親はモンスターペアレント扱いされる。死にたくなってむしろ当然で、自殺を予見することは十分にできたと思うし、母親がなぜ、裕太くんの生前から、校長や議員や教育委員会などに働きかけたかと言えば、自殺するのではないかと予感し、心配したからではないか。 よく、自殺事件のあと、親が予見することができなかったのだから、教師が予見するのは困難として、自殺の予見可能性が否定される。しかし、高山さんの場合、自殺を予見して、必死になって、そうならないように、医師の意見書などを学校に出したり、これ以上息子を追い詰めることはしないでほしい、息子を助けてほしいとはっきりと意思表示をしていた。あらゆる方法で訴えていたのに、あえて無視された。命を守る方法として、学校に行かせないようにさえしていたのに、それも学校側は無視して登校を促していた。 裕太くんが生きるために、母親にこれ以上、いったい何ができただろう。 一方で、学校長や顧問には、やれるべきことはたくさんあったはずだ。 このような判決では、親は子どもを守るために、行動することさえためらわれる。 まして、子どもを亡くした親個人が、巨大な権力をもつ学校・教師からこのような目にあわされるのは、あまりに理不尽だ。 民事裁判はもちろん、裁判員裁判の対象ではないが、これがもし、裁判員裁判であったとしたら、果たしてこのような結論は出るだろうかと思う。 2011年1月18日付けの朝日新聞には、「小学校教諭が保護者提訴」という記事が載った。 埼玉県の市立小学校に勤務する女性教諭が、いじめの存在を訴え、担任のやり方を非難する保護者をモンスターペアレントとして、慰謝料500万円の損害賠償を求めて提訴したという。 親は学校外にいる。いじめは学校内で起きている。親は学校関係者に問題解決を委ねるしかない。 それがきちんとさなれないときには、教師にいくら言ってもだめなら、周囲から攻めていくしかない。校長に言ってだめなら、教育委員会や議員さん、メディア。わが子を守るためならなんだってする。 しかし、それが名誉棄損なったり、不法行為と言われるなら、これ以上、親に何ができるだろうか。 苦情が続いたのは、きちんとした対応がとられていなかったからではないのか。 担任教師ひとりで解決が無理なら、サポートすべきは学校だったと思う。生徒間の問題がうまく解決できない、保護者との間もこじれてしまった。そこに、他の教員の支援があったら、いじめの調査をきちんと行い、両方の保護者に説明し、問題をときほぐしていったとしたら、保護者も大騒ぎする必要はなかったし、担任も精神的に追い詰められることはなかっただろう。 問題は、いじめを訴えた保護者にあるのではなく、学校の支援体制にこそ、あったのではないか。 今は、いじめが複雑で、誰が加害者で、誰が被害者かわかりにくいことも多い。 そのときの判断の基準を、私は教師や親たちの講演のなかで、次のように話している。 「迷ったときは、このまま放置しておいたら、誰がいちばん追い詰められてしまうのかを考えてください。その追い詰められてしまうひとをそうならないように、サポートしてあげてください」。 この場合、放置されていちばん追い詰められてしまうのは、小学生の女子児童だ。 そして、テレビのニュースによれば、提訴は昨年の9月で、担任教師と親との間がこれだけこじれ、保護者が担任を変えてほしいと願い出ているにもかかわらず、今も女子児童の担任は変わらないという。 女児は毎日、毎日、どんな思いで学校に通っているだろう。担任がこのような対応をして、そうでなくともいじめられていると訴えた女児が孤立しないはずがない。教師を筆頭とした集団いじめになりかねない。 学校は教師と保護者の人権を大切にしているからコメントできないと言う。人権を大切にしているという学校が、いちばん守らなければならないのは、児童生徒ではないのだろうか。 子どもたちには、いじめの傍観者は加害者だと教えているのに、今、いちばん追い詰められている女子児童を学校は放置している。 教師が提訴する前に、学校はもっとやれることがたくさんあったはずだ。そして、ここでも、親にはほかに選択肢がない。 選択肢が限られている親と、たくさんの選択肢をもち、それを実行するだけの権限もマンパワーももっている学校や教師。努力すべきはどちらかは明白だ。 教職員は裁判の被告になる可能性が高いものという先入観があるが、文部科学省の統計資料によれば、実は被告になるより、原告になっているケースのほうが圧倒的に多い。(http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/NewList.do?tid=000001016564参照) 平成21年では、損害賠償等請求(教育職員が原告となっているもの)が36件201人(新規26件152人)に対して、学校事故等に係る損害賠償請求事件(教育職員が被告となっているもの)は17件89人(新規7件11人)。 教師が原告になっている裁判は、待遇や処分に関するものが多いようだ。権利を堂々と主張することが悪いことだとは思わないが、なかには教師が体罰をしても、処分をするとかえって、その取り消しをめぐっての民事裁判を起こされるので、それが怖くて管理職が教員の処分さえ下せないという話も聞いたことがある。 学校にとってのモンスターは親ばかりが強調されるが、報道される教師のおかしな言動も枚挙に暇(いとま)ない。 こんな裁判自体、許してはいけないと思う。まして、いちばん苦しんでいる人間にさらに重石を与えるような判決を許してはいけないと思う。 |
HOME | 検 索 | BACK | わたしの雑記帳・新 |
Copyright (C) 2011 S.TAKEDA All rights reserved.