2010/11/12 | 文部科学省のいじめ自殺対策 文科省と警察庁の児童生徒の自殺数に大きな隔たり! | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2010年10月23日、群馬県桐生市の上村明子さん(小6・12)がいじめ自殺したのを受けて、文部科学省は11月10日付けで、都道府県教育委員会などに対し、いじめの兆候をいち早く把握して迅速に対応することや、いじめ問題が生じた場合、隠さずに家庭・地域と連携するよう求める通知を出すという。 文部科学省は、2006年10月にも、北海道滝川市の松木友音さん(小6・12)のいじめ自殺を受けて、同じようなことを行っている。http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/seitoshidou/06102402/003.htm 参照。 学校の対応も、文部科学省の対応も結局、何も変わっていないと思う。 2007年から2010年にかけて、相変わらず、いじめが原因と思われる自殺は何件も起きている。 しかしその間、何もしなかったにも関わらず、メディアが大きく騒ぎだすとあわてて、記者会見をしたり、通知を出したりする。 そして、NPO法人ジェントルハートプロジェクトは、文科省に「これは、個々の学校、教育委員会の問題ではなく、自分たちにとって都合の悪いことは隠せるシステムに問題があるんです」ということを何度も訴えてきた。 しかし、そのたびに「これはシステムの問題ではなく、個々の教師や管理職、教育委員会担当者のモラルの問題」として、耳を傾けようとはしない。「隠すな」と声を大にしながら、隠せないようなシステムづくりに着手しようとはけっしてしない。 根本的なことは何も変えず、通知やいじめの定義を変えること、統計方法を変えるだけでさも、大きく変わったかのようにいう。 私たちは、文部科学省の自殺予防協力者会議のヒアリングでも、児童生徒の自殺後3日以内の親と情報を共有することを前提としたアンケート調査を提案した。 しかし、直後の調査は子どもたちの心に負担をかけるなどの反対意見もあり、受け入れてもらっていない。 (2010年2月8日付け「雑記帳」 このページの一番下参照) 最初は亡くなった同級生に同情し、本当のことを言わなければと思っていた子どもたちが、日にちがたつにつれ、事実を隠そうとする大人の意図を汲み取って、本当のことが言えなくなる。そのことが、どれだけ子どもの心を追い込んでいるか。 最初は反省していたいじめに加担した子どもたちも、自分を正当化しはじめ、そのうち「自分たちはいじめをしていないのに、いじめの加害者扱いされて、むしろ自分たちは被害者だ」と思い始める。 学校と被災者側の意見がどうしてもまとまらないのであれば、せめて事故報告書に被害者の意見を述べる欄を設けてほしいという要望も、文部科学省は口を出すことはできないと言って、却下になっている。 「被害者がいじめと思ったらいじめ」と言いながら、「被害者の親がいじめと主張」しても「いじめ」とは認められないらしい。 ジェントルハートプロジェクトが、2010年に学校事故事件の被災者を対象に行った「当事者と親の知る権利についてのアンケート」調査では、51人(回答者は、当事者1人、親50人)から回答を得た。 (51件中、自殺が23件、自殺以外の死亡が15件で、計38件(76%)が死亡しているケース) 学校・教育委員会の事実調査について、「あまり適切だと思わない」2件、「不適切だと思う」38件で、40件(78.4%)が、「適切ではない」と回答。「適切だと思う」はわずか1件、「ほぼ適切だと思う」は3件しかなかった。 また、「学校事故報告書」の内容をある程度知っている38件のうち、複数回答で、 「正確に書かれていると思う」は5件。 「重要な情報が抜け落ちていた」は22件。 「一部にうそが書かれていた」は12件。 「書かれていることの大部分はうそだった」は10件。 「黒塗りが多く、内容がほとんどわからない」が6件だった。 結局、被災者側が、学校の持っている情報にアクセスすることができない今の仕組みが、いい加減な調査といい加減な報告を助長している。 学校が自分たちに都合の悪いことを隠せる仕組みがある限り、どれだけ、文科省が、「隠すな」と言っても、保身にかられた学校や教育委員会は隠すだろう。 しかも、隠すなと言いながら、いじめに加担した教師にはペナルティを課すと書いてあるにもかかわらず、隠ぺいした教師や教育委員会にはペナルティはない。 例年11月に発表になる「児童生徒の問題行動等指導上の諸問題に関する調査」が、今年は9月14日に発表され、報道したメディアも少なかったし、扱いも小さかった。 しかし、相変わらず、文科省調査と警察庁の自殺調査とは大きく食い違う。学校は何かあると、調査の権限を持たないという。であるならば、警察庁の発表に準ずるべきではないかと思う。 生きているか、死んでいるのか、病死か、自殺か、少子化と言いながら、子どもの死因さえもまともに把握できない教育行政とはなんだろう。警察庁と文科省との数字の差。この子どもたちはいったいどこへ行ってしまったのか。生死もわからず、ただ学校現場から忽然と消えてしまったというのだろうか。それとも、学校に行っていない子どもたちだったのだろうか。 海外でストリートチルドレンの統計がないことを知って驚いたことがあるが、高齢者の生存確認のいい加減さといい、子どもの自殺数といい、日本も変わらない。 そして、アンケートの結果、自分の子どもの事故事件が統計上、どのように処理されているか、40件の人たちが知らない。 「知っている」と答えたひとのうち、「一致している」が1件。「ある程度一致している」が1件。 「あまり一致していない」が2件。「まったく一致していない」が4件人。
※文科省の数字は、2005年度までは公立学校のみだったが、2006年度からは国立、私立も加わった。 ※警察庁の数字は、2007年に自殺統計原票を改正し、遺書等の自殺を裏付ける資料より明らかに推定できる原因・動機を3つまで計上。 ※警察庁のいじめ自殺()内は、左が男子、右が女子。 うその報告、不正確な情報をもとに、対策を立てても結局は再発防止の役には立たない。 まずは、何があったのか、正しい情報を親と学校で共有することが第一歩だと思う。 現在、隠そうと思えば隠せるシステムのなかで、学校は隠すことばかりに全精力を注いでいる。 これがもし、最初から隠せなかったとしたら、事件事故が起きたときに、学校に責任がある場合、真摯に謝罪をし、具体的な再発防止策を立てるしか、ほかに道はないだろう。 上記アンケートで、51件中34件が、責任があると思われる人たちから謝罪を受けていなかった。 「受けた」とする13件中、「形式的な謝罪に思えた」が5件。「当初、謝罪していたが、のちに否定された」が5件。 「心からの謝罪と感じられた」はたったの1件だった。 |
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