わたしの雑記帳

2010/10/20 全国柔道事故被害者の会主催、第2回シンポジウムの報告

2010年9月12日(日)、全国柔道事故被害者の会主催、第2回シンポジウム「頻発する柔道事故」が長野県松本市の梓水苑で開催された。
松本駅からタクシーで約20分という場所であるにもかかわらず、メディアや柔道関係者、ほか約70名が参加した。

内容は、

1.小林泰彦氏 「日本の柔道事故の現状について」
 全国柔道事故被害者の会 会長

2.野地雅人氏 「コンタクトスポーツと脳損傷」
 神奈川県立足柄上病院脳神経外科医・横浜市立大学医学部非常勤講師・ 日本体育協会公認スポーツドクター

3.被害者家族が語る
 村川弘美氏
 滋賀県愛荘町立秦荘中学校柔道部事故遺族(母親)

 澤田 佳子氏
 長野県梓川柔道教室事故被害者家族(母親)

4.村川義弘氏 「柔道事故は防げる─欧米における柔道事故例と安全対策」
 全国柔道事故被害者の会 副会長


※第1回目のシンポジウムの内容と全く同じではないものの、要点がほぼ同じものは今回、割愛させていただいた。


1.小林泰彦氏 「日本の柔道事故の現状について」

全国柔道事故被害者の会の目的は、二度とこんな事故を起こさないための情報発信。自分たちのような辛い思いをもう誰にもしてほしくないというのが願い。

柔道事故が頻発している。
学校リスク研究所・内田良氏(愛知教育大学の社会学者)の研究によると、27年間で、中学生と高校生だけで110名以上が死亡している。毎年、4名以上の子どもたちが、柔道で死んでいる。
この15カ月(2009年5月〜2010年7月)では、成人を含め11名が死んでいる。
(2009年5月 青森(中1)、6月 岡山(中2) 埼玉(75歳)、7月 兵庫(高2)、滋賀(中1)、8月 千葉(高3)、2010年4月 広島(61歳)、5月 大分(高3)、7月 岐阜(小1)、静岡(中1)、千葉(高1))
この数字には、重症を負って植物状態になっている被害者は含まれていない。
そして、この数字は日本スポーツ振興財団が把握しているものだけで、それ以外はわからない。
日本スポーツ振興センターと柔道連盟の把握している数字は異なる。文科省も数字を把握していると思う。どれが本当の数字かはわからないのが現状。ここに乗っていない事例の報告も、被害者の会には来ている。この数字以上の人数が亡くなっているのは事実。

柔道死亡事故は、他のスポーツと比べても飛びぬけている。
中学ではダントツ1位。高校では、ラグビーに次いで2位。
とくに中学生での死亡率の高さの異常さ。高校生での柔道とラグビーの異常さ。
なぜ、死者や重い障害者を毎年、出し続けているのか?
全国柔道連盟が柔道安全指導の冊子、教育委員会も安全指導の手引きを以前から出している。柔道の指導者への講習会も行っている。内容は素晴らしい。しかし、毎年死んでいる。
精神論ばかりで、どう行動すればよいのかわからない。たとえば、部活がスタートする前にどうするのか、子どもの体調を見るにはどうするのか、体力差、技術差があるときにはどうするのか、具体的に書かれていない。
そして、現場に徹底していない。

柔道事故は、
@事故発生を隠す、
A科学的な原因分析をしない、
B原因不明のまま対策を立てている、
C誰も責任をとらない、
なかで起き続けている。


2.野地雅人氏 「コンタクトスポーツと脳損傷」 (略)

「わたしの雑記帳」2010年6月17日付け「全国柔道事故被害者の会、第1回シンポジウム「柔道事故と脳損傷」(2010/6/13)」を参照。


3.被害者家族が語る  村川弘美氏 (略)

2009年7月29日、16時20分頃、滋賀県愛荘(あいしょう)町立秦荘(はたしょう)中学校の柔道部の部活動中に、新入生であった村川康嗣くん(中1・12)の母親。

「わたしの雑記帳」2010年6月17日付け「全国柔道事故被害者の会、第1回シンポジウム「柔道事故と脳損傷」(2010/6/13)を参照。


3.被害者家族が語る  澤田 佳子氏 (柔道で遷延性意識障がいを負った武蔵くんの母親))

2008年5月27日、長野県松本市の梓川の少年柔道教室で、澤田武蔵くん(小6)が指導者に強く投げられ、一命はとりとめたものの重い意識障がいと全身まひが残った。
2010年9月14日、2年3カ月たってやっと、警察から検察庁に業務上過失傷害で書類送検された。

(以下、母親の話から抜粋。敬称略)


武蔵は週に2回、双子の兄とともに梓川柔道教室に通っていた。
平成18年2月にはじまり、道場を開設してまだ2年3カ月の教室。事故が起こったときは部員14名、内中学生1名、小学生12名、保育園児1名の小学生が主なメンバー。

K先生とは、家族ぐるみの付き合いをしていた。我が家に起きた悲劇はK先生一家にとっても悲劇であり、共に背負う問題なのだから、私たち家族に背を向けるなどはけっしてないと信じていた。

梓川少年柔道教室がスタートしてから8か月後の平成18年9月、息子2人が入部した。
K先生の口癖は、「ぼくは柔道を通じて、子どもたちに人の道を教えたい」だった。

事故のあった平成20年5月27日は、M小学校が修学旅行で、高学年が少ないときだった。
少年チャンピオン大会を4日後に控え、K先生にひときわ熱が入っていたとあとから聞いた。
事故後、双子の兄の話を聞くまでは、身長180センチ、体重80キロもあるK先生が、初心者の小学校6年生の子どもを自分の得意技で強く投げるなどということがあるとは、思ってもいなかった。
K先生がこのような技で息子を投げることは、1回か2回、まれにあった、とても怖かったと双子の兄が事故後に話してくれた。

事故の当時の様子を子どもたち、その場にいた指導者、父兄、そしてK先生本人から聞いた。
その日の練習はいつものように行われ、最後に乱取りが行われた。3本目までの乱取りの相手は、同じ6年生の子と低学年の子だった。この時まで、武蔵は普段と変わらない様子だったという。
4本目の乱取りで、武蔵が大外刈りから背負い投げをK先生にかけたところ、いきなり、K先生の得意技の片襟の体落としで強く投げられた。
その直後、武蔵の様子がおかしくなり、肩を担がれトイレへ連れて行かれ嘔吐し、痙攣をおこし、倒れた。
ほかの母親や救急隊員にK先生は「頭は打っていません」としきりに話していたという。
子どもを迎えに来ていた母親が私に連絡をくれた。
救急病院に運ばれたときには、瞳孔が開いていた。

病院でK先生に、「なぜ、連絡をくれなかったのか」と問うた。息子に何かあったらK先生が連絡をくれるものと思っていた。
「なぜ武蔵を投げたのか」とも聞いた。K先生は「武蔵にやる気があったから」と誇らしげに答えた。
当時は、その態度を奇異に思ったが、今なら、その理由がわかる。
自己を過信すること、自分が稽古をつけてやるという思いあがりが、事故を起こす原因のひとつになる。

病名は急性硬膜下血腫。危篤となったが、2週間目に命の危機を脱した。
この頃から、「責任は全部自分にある。治療費は全部僕が持ちます」と土下座して謝っていたK先生の態度が変わり始めた。
「責任は自分にある」から、「責任があるかわからない」となり、ついには姿を見せなくなった。

私はK先生の整骨院の患者だった。整骨院ではとてもやさしい先生だった。「僕は柔道着を着ると、人が変わるから」と言っていたことをもっと深く考えていたらと思う。
ひとの道を誰よりも問うていたK先生の逃げの態度の理由を理解するのに、1年以上も苦しんだ。それから2年になるが、一度もK先生に会っていない。
被害者家族は現実から逃げることができないが、K先生は「わからない」の一言で逃げ続けている。

事故から1カ月半後、私たちは代理人の弁護士を立てた。弁護士は、それから半年、K先生に話し合いに応じるよう、あらゆる手段を講じたが、応じる気配もなかった。

今年、事故から3年目に入る。事故当時11歳だった武蔵も、双子の兄も14歳になった。
手術後、たくさんの機械につながれて、冷たく横たわる息子が、機械につながれ生かされている人形のように見えた。もう二度と、私たち家族が心から幸せを感じる日はないと思った。
「お母さん、おむつを用意してください」と看護師さんに言われたとき、なぜ11歳の息子におむつが必要なのか、どうしても理解できなかった。混乱し、現実を受け入れられず、「この子と一緒に死のう。もうそれしかない」とばかり考えていた。

3年目に入り、やっと自分の状況が見えてきて思うことは、武蔵はふつうの人のような幸せは望めなくなったということ。しかし、変わりなく私の息子であり、家族の宝であるということ。

そして、もう一つは、柔道により命を失う子どもを増やさないために、誰よりも柔道に携わる多くのひとたちに考えてほしい。
息子2人は柔道が大好きだった。しかし、もう2人とも柔道をすることがてきない。
なぜ、有段者というものが存在するのか。過信や慢心、成績主義による大切なものを見失っていないだろうか。歴史があり、人生哲学である武道の精神が素晴らしくても、それを使う人間が思慮のない人であるならば素晴らしいものではなくなると思う。
一番上の方から末端にいたるまで、本来の柔道という素晴らしい武道の精神に基づき、人の道について本当に考えられる人間の育成を目指してほしいと思う。



4.村川義弘氏 「柔道事故は防げる─欧米における柔道事故例と安全対策」  (略)
 全国柔道事故被害者の会 副会長

「わたしの雑記帳」2010年6月17日付け「全国柔道事故被害者の会、第1回シンポジウム「柔道事故と脳損傷」(2010/6/13)を参照。


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