2010/2/8 | 文部科学省の有識者会議と、第三者調査の検討について | |
2010年2月7日(日)、朝日新聞の教育欄「きょういく特報部2010」で、「我が子はなぜ死んだのか 子どもの自殺 第三者調査検討」という紙面の約半分を使った大きな記事が掲載された。 NPO法人ジェントルハートプロジェクトでは、一昨年、文部科学省に質問や要望書を届けたことをきっかけに、その後も度々、文科省に出向き、話し合いを続けてきた。 そのなかで、ようやく実現したのが、記事にもある昨年9月15日に行われた「児童生徒の自殺予防に関する調査研究協力会議」(有識者会議)のヒアリングだった。 会からは理事4人が出席して、発言したのは、小森美登里さんと、武田さち子の2人。時間は2人あわせてわずか30分。 (そのあと、委員からの質問時間が20分) 時間オーバーはできないということだったので、2人とも原稿をつくりこんでいった。 私は、あとからでも読んでもらえればと、大量の資料を添付した(賛否両論あったが)。 私が当日用意した資料は ・子どもの自殺予防のための提案 PDFファイル ・資料1 子どもの自殺 ・文部科学省統計と報道、警察庁統計との比較 ・資料2 いじめが原因と疑われる自殺・事件概要 (239例) ・資料3 教師の体罰やしっ責によると思われる自殺一覧 (39例) ・指導死記事 (世界子ども通信「プラッサ」/大貫隆志) プラッサ28号 ・資料4 事件事故直後のアンケート案 親の知る権利2008/6/23付け 「自殺、事件、事故後の調査書」案参照 ・資料5 調査機関実施例一覧 PDFファイル ・新聞記事 そのなかで、とくに資料5「調査機関実施例一覧」では、第三者機関の主な問題点をとりあげた。 ●構成メンバーの問題 ・メンバーに誰を選ぶかによって、中立性に疑問が残る。 ・地域によっては、人材が限られている。 ・メンバーが現代のいじめや学校の実情、事故の仕組みなどを知らなかったり、人権意識が低かったりする。 ・児童生徒への聴き取りには、人権意識とノウハウが必要。 ●権限の問題 ・学校に入って事情聴取する、証拠を出させるなどの捜査権がない。 ・「勧告」「警告」「要望」に法的強制力がない。 ●当事者との関係 ・調査委員会設置を理由に、学校との交渉が閉ざされてしまう。 ・被害者や遺族が何を望むかを聞かない。要望に応えない。 ・被害者や遺族が望む調査をしてもらえない。調査方法について意見が言えない。 ・調査の中身を当事者や遺族が知ることができない。 ・当事者や遺族にとって報告内容に納得がいかなくとも、第三者が調べたのだから客観的というお墨付きのもと、事件に終止符が打たれてしまう。結果を覆すだけの情報や証拠が当事者側にない。 ●その他の問題 ・調査委員会が立ち上がることで、他の調査がストップしてしまう。 ・メンバー選出や会議等で、調査開始まで時間がかかる。 そのため 児童生徒や当事者の二次被害が防げない。 加害者の指導の機会を失う。 口封じや隠ぺいが先行し、事実が出てこない。 ・学校教師に当事者意識が生まれず、再発防止につながりにくい。 ●もし、第三者機関をつくるなら ・先に当事者や親の知る権利を保障。 ・知る権利を補完するために、調査を依頼できるシステムにする。 ・調査方法、その他に当事者や親の意見を反映させる。 ・当事者や親に情報を開示することを前提で行う。 ・外部にどの程度、情報を開示するかは、当事者や親の意向を第一優先とする。 ・構成メンバー選出、調査方法に透明性をもたせる。 過去の事例をもとに、正確な第三者委員会とはいえないまでも、何らかの調査委員会が立ち上がった17事例について、結果が被害者の望むものであったかどうかを一覧にした。(PDFファイル) 結果、多くが、委員の選定に不透明さがあったり、調査方法に疑問が残ったりした。 そして何より、調査に遺族が関与できない、遺族の意見を聞いてもらえない、調査内容を知らされないなかで、結果だけがひとり歩きすることに、再び、遺族が傷つくということがあった。 調査委員会が立ち上がるのは、報道で大きく取り上げられるような世間の耳目が集まる事件にほとんど限られている。 多くの被害者や遺族にとっては、経験がないので、「第三者委員会さえ立ち上がれば、事実を知ることができる」と思い込んでいたりする。 しかし、過去にうまくいっていないものを、十分に内容を検討せずに制度ととり入れることはかえって危険ではないかと、私たちは懸念する。 一度、制度ができてしまえば、それを変えることは難しい。 当事者が内容を知ることができない調査はないほうがマシだと思う。 第三者委員会を法律で規程してつるより前に、当事者や親の知る権利を法律できちんと認めてほしいと思う。 なお、朝日新聞な高校教師の言葉として、「自殺の背景を調べれば、家庭内の問題に踏み込む必要も出てくる。教師にどこまでできるだろうか」とある。 事件・事故の調査委員会メンバーからもよく、背景調査ができなかった原因としてあげられる。 しかし私は、家庭のことまでを学校関係者や第三者に調べてもらう必要はないと思う。 学校で何があったのか、事実だけでいい。それが自殺の原因になったかどうかの評価はいらない。 まずは、亡くなった子どもの周辺で何があったかを丁寧に拾い上げて、そのなかで、子ども自身が、あるいは教師が、学校が、反省すべき点はないか、改善すべき点はないかを考えてほしい。 学校は学校ができることをまずやってほしい。そして、その情報を親に伝えるだけでいい。 親は親で、自分たちのもっている家庭内での情報とつきあわせて、わが子がなぜ死ななければならなかったかを真剣に考えるだろう。 学校に責任があると思えば、もしかしたら裁判になるかもしれない。しかし、不当な行為によって被害を受けたら、被害を受けた人間には損害賠償を請求する権利がある。 裁判を恐れて情報を開示しないのは、それ自体が被害者の権利を奪う不当なことだと思う。 そして現実に起きている裁判の多くは、遺族たちは裁判など起こそうとは思っていなかった。 しかし、学校との交渉の窓口が絶たれ、みんなが知っている事実を知らされず、何があったか知るために裁判を起こしている。 今回、NPOジェントルハートプロジェクトと、全国学校事故・事件を語る会の内海千春さん(発言は内海さんだけだったが、同行したのは弁護士と大学教授)が、ヒアリングに参加した。 そこで、驚いたのが、自殺防止策を話し合う有識者会議のメンバーのほとんどが、今までに、遺族からの話を直接、聞いたことがなかったということだった。 また、この会議のメンバーに私たちもしくは、子どもの自殺遺族をせめて一人を入れてほしいと再三、文科省にはお願いしてきた。しかし、それは叶わなかった。 よく言われるのは、遺族が入ると委員たちが萎縮して、思うことがいえなくなるという理由。 しかし、そこで決定されたことに影響を受けるのはほかでもない遺族だ。影響が自分たちの目に見えなければいいということだろうか。 今回、ヒアリングが実現したことの意味は大きいと思う。しかし、あまりに時間が短かった。 今後は、定期的、もっと何人もの遺族の話を時間をかけてじっくりと聞いてほしい。 そこには、二度と自分たちと同じ悲劇を繰り返したくないという強い思いと、なぜわが子が死ななければならなかったを真剣に考え続けてきたなかでの知恵がつまっている。それを無駄にしてほしくない。 2009年度の有識者会議の結論が直、出されることだろう。 私たちとしては、法律を変えることも、予算をつける必要もなく、すぐに実行に移せて、効果が大きいこととして、 @事件事故直後(3日以内)の遺族に内容を最初から公開することを前提とした調査 A学校事故報告書に当事者や親の意見を併記すること の2点をあげた。 話し合うだけで何もしないのであれば、事態は何もかわらない。せめて、この2つだけでもすぐに実行に移してほしい。 導入できないのであれば、なぜ導入できないのかを明らかにし、どこをどう配慮すれば、変えれば可能なのかも示してほしい。 |
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