2009/3/25 | 映画『ポチの告白』を観ました。 | |
今日、映画を観に行ってきた。警察組織による犯罪を暴いた映画『ポチの告白』。新聞報道されたこともあり、1日1回しか上映しない、しかも短期間の興行と知って、混むのではないかとかなり早めに行ったが、ほどほどの客入りだった。 上映時間は3時間。食後の眠くなる時間帯で心配したが、映画のテンポもよく、全然、眠くなる暇はなかった。演技を評価する目など持ち合わせていないが、役者もみな、なかなかよかった。 これは実際の事件をつなぎ合わせているという。 この内容は事実だろうなと感じた。断片的に私が見聞きしてきたことともつながる。 実際に被害者となってはじめて、多くの人たちは、警察というところが必ずしも市民を守るところではないと知る。何人もの被害者遺族から、警察の対応に深く心を傷つけられたことを聞いた。ちかん被害の事情聴取ひとつとっても、社会常識では考えられないような扱いを受けたりする。 また、警察相手の裁判での証人尋問に立った警察官のあきれる言い分。そして不条理な判決。それも、ひとつやふたつではない。国家賠償裁判は勝てないと言われている。三権分立のうそ臭さ。 そして、驚愕の事実を知っていても報道しないマスメディア。横並びで、他社が書くものは書くが、書かないものは書かない。スクープを争うのは同じ方向を目指しているときだけ。 こういう話になると必ず出てくるのは、「悪いことをするのは一部の人たちだけ」「ほんどの警察官は真面目に一生懸命、身を粉にして働いている」論。個人が悪いと言っているのではなく、組織が個人を変えてしまう怖さを言っているのだが。 映画でも、実直な交番勤務の巡査が、出世するに従い感覚を麻痺させていく。平気で犯罪に手を染め、そのことに疑問を抱かなくなる。「組織のため」「組織のため」と真面目で一生懸命なひとほど、染まりやすい。 同じことが、警察だけでなく、会社にも、学校にも当てはまる。 個人はどれだけいい人であっても、何か不祥事が起きれば、組織の一員として隠ぺいに回る。平気でうそをつくし、偽装工作さえする。そうするためには、心を麻痺させて、何も感じないようにする。そうでなければ組織で生きられない。 そして、組織にどっぶりつかった生活に慣れきってしまうと、組織を出ては生きられないと思ってしまう。組織を守るために、命まで投げ出してしまう。 結局、ひと握りのトップをのぞいて、ほとんどのひとはみな首に鎖をつけられ、エサを与えられて満足する「ポチ」にすぎない。 飼い主が飽きれば捨てられる。飼い主あってのポチであって、逆はない。立場はけっして対等ではない。 こうした組織に取り込まれたひとたちと、どう対話するか。巨大な組織にどう立ち向かうか。 映画にはいくつかのヒントがあった。一人では何もできない。人と人とがつながることでできることもある。そして、ネットの力と外国の目。人々の関心。 この映画は上映してくれる映画館がなかなか見つからないという。 そして、観に行くがわもなんとなく、無言の圧力を感じてしまう。 これこそがきっと権力の証なのだろう。 もしこれが、海外を舞台にした映画だったら、あちこちで上映されたかもしれない。「ひどい国だ」「警察も、国家権力も、みな腐っている」と呆れ顔でみんなが批判したかもしれない。 タイでの児童買春や人身売買を描いた映画「闇の子どもたち」の上映が現地でボイコットされた。「現地でこそ、観てほしいのに」と日本人たちが言った。日本のなかの腐敗を、日本人こそが見る必要があると思う。 なお、『ポチの告白』、横浜のシネマ・ジャック&ベティ(http://www.jackandbetty.net/B09_pochi.html)での上映は3/27(金)まで。14時40分からの1回のみ。 映画の公式サイトは http://www.grandcafepictures.com/pochi/ |
HOME | 検 索 | BACK | わたしの雑記帳・新 |
Copyright (C) 2009 S.TAKEDA All rights reserved.