2008/12/20 | 開智学園の杉原賢哉くん(中3・14)自殺事件の控訴審。父親の証人尋問 | |
2008年12月16日(火)、午後13時15分から、東京高裁824号法廷で、開智学園の杉原賢哉くん(中3・14)自殺事件の控訴審(平成20年(ネ)第4294号)第2回目が開かれた。 裁判長は、房村精一氏、裁判官が中野信也氏、ほか1名。 一審原告で控訴人である賢哉くんの父親の証人尋問が行われた。 控訴人代理人の小佐野愛弁護士から尋問。 Q:T教頭のことを、今、どのように思っているか? A:一審では尋問に出ていないにもかかわらず、判決文にはその陳述書の内容が引用されている。しかし、陳述書の内容はうそだらけで、全く信用できない。 Q:具体的にはどのような点で? A:(自殺当日の7月4日)警察からの電話の受信者はT教頭になっている。しかし、一審のM教師の陳述書でも、S教師の陳述書でも、教頭自身の申述書でもMが受けたとなっている。にも関わらず、尋問調書では、T教頭自身が受けたことになっている。 最初からうそばっかりだ。 Q:学校側は賢哉くんの自殺直後から父親が激しい言葉を使ったと言っているが? A:私は妻からの電話で、警察から連絡があったと知らされた。そのとき、聞いた内容は、今日、賢哉は学校に行っていなかったということと、学校から連絡はなかったということだった。 何があったか教えてください。なんで、私のほうに欠席の連絡がなかったのかと聞いた。 Q:「警察には何を話したのか?」と問い詰めたのでは? A:言っていない。彼らがいつ、警察に到着したかも知らなかった。 Q:担任のMに手をあげたというのは事実か? A:怒鳴って、マックの飲みかけの紙コップを投げようとはした。Mに無視されたので。Mはこちらが聞いても、何一つ答えようとしなかったので、「オシか?口がないのか?」と言った。 Q:マクドナルドの店内で、周囲から注目を浴びるようなことは? A:なかった。 警察署では、私には誰が担任で、誰が学年主任かもわからなかった。「何で連絡しなかったのか、おかしいやないか」と担任に聞いても話さない。 T教頭は、「あなたの気持ちはわかります。わかります。私も妻が二度も流産をしているので」と話し、「私が窓口になります」と言った。 Q:T教頭は、2人の教師に説明するよう促したと主張しているが? A:うそだ。「私が窓口です」と何度も言った。 Q:お悔やみや謝罪の言葉は? A:一切ない。最初から守りの感覚。Tが一方的に話すのみだった。担任は何も話さなかった。 Q:なぜ、学校はそのような対応をしたと思うか? A:やましいことがあるからだと思う。賢哉の自殺の原因は、自殺の前日の7月3日にあると確信している。 Mは証人尋問で言っている。警察から連絡があったとき、前日の件が頭にあったと。誤解があるといけないので、直接会って話しますと言ったという。 このような連絡が警察からあった場合、通常はすぐに警察に向かう。しかし、学校関係者が警察に着いたのは、2時間半後だ。 午後3時に連絡があって、警察に着いたのは5時半。警察までは学校から30分から40分。2時間、何をしていたのか。 Mは賢哉が学校に来ていないと確認したあと、学年主任のSに来ていないと伝えている。不思議だ。通常、一々学年主任に伝えることではない。担任として、生徒の自宅に電話をすればすむことだ。 Mは自殺前日にMとSが賢哉と話して、話の内容を知っているから、S学年主任にジャッジを求めたのだと思う。 当日の朝、盗難の件が頭に浮かんだはずだ。 Q:7月3日、Mと、Sと、賢哉くんとの間に何があったのか? A:どういうことが起こったのか、Mは何も言わなかった。 Sは盗難事件のことを表にしたくなかったのだと思う。賢哉に「だまっとけ」「うそではないか」「反省文を書いてこい」「明日、学校にこんでいい」と、言ったのではないか。 そのことがあったから、自宅に電話をしずらかったのではないか。午後1時46分に「賢哉くん、いかがですか?」と留守電メッセージが入っていた。当時は4時間授業だった。 Q:担任のMに言いたいことは? A:このメッセージは何を確認しているのか? 欠席確認しているのか? 誰に対して? 何のために? わからない。 Q:控訴審になってから、体育教師の陳述書が出ているが? A:何で今さらと思う。後付でつくったものとしか思えない。 Q:2008年10月30日作成になっているが? A:ありえない。作文だ。 調査も、報告も何もしていなかったと一審で認められたので、それをとりたかったのではないか。 Q:学校にしてほしかった調査・報告とは? A:学校は教師に確認したとしている。しかし、通常は全校生徒にアンケートをとるなどして、直近のみでなく、3年生になってからどういう交流があったか調査するのではないか。生徒に聞かなければわからない。 自殺する前日の賢哉の行動についても、1時間15分、どこで何をしていたかわからないとなっている。調べていないからわからないのだ。このことについても、聴き取っていたら、必ずわかるはず。賢哉は学校にいた。調べたらわかるはず。 賢哉が亡くなって2年半、アンケートもとってくれていない。 7月4日に自殺して、そのあと試験があったからといって、11日の終業式にS学年主任が学年集会でようやく、「賢哉くんが亡くなった」と伝えた。しかも、あらぬ憶測が広がるといけないので、メールを控えるようにと言ったという。隠ぺいだ。 生徒に話をしなのも、もれたら困るからだ。なかったことにしようという意図がありあり。 ここから、同じく控訴人代理の木崎孝弁護士から質問。 Q:7月3日に、どういうことがあったのか? A:3人で話したというが、Sがしゃべっただけだと思っている。 前年の盗難事件の件もある。1学年の生徒がサイフから1万4千円前後とられた。サッカー部9人のうち、3人の主犯格が退学と決まった。しかし、保護者とS学年主任が反対した。「盗難ぐらいで退学にする必要はない」とSがかけあった。 このことは開智をやめた先生から聞いた。 盗難事件が表沙汰にならないよう、賢哉に圧力をかけたと思う。 Q:警察から電話で説明を求められたときに、「誤解が生じるとしけない」と言ったというのは、いつ知ったのか? A:警察に到着したとき、妻から聞いた。「誤解が生じるといけないので、警察に行ってから話します」と教師が言っていたと妻から聞いた。 Q:賢哉くんが亡くなってから2年たつが、思いは? A:冷静になれない。賢哉は帰ってこない。真実を知りたい。 学校の対応が、裁判になってからずさんな文章ばかり出してくるので、いい加減にしてください。 ******* 被控訴人(開智学園)代理人からの反対尋問。 Q:あなたは、教師に、生徒に、調査してきたようだが、それは常識の範囲か? クラス、M担任、○○、○○。個人の携帯番号をどうして知ったのか? A:直接連絡をとりたいと言って、校長から聞いた。 Q:X先生につながらなかった。失礼な対応をされたというのは間違いないのか? A:はい。 Q:発信履歴をみると、番号が違っていた。違うひとに間違ってかけて、毎回同じひとが出たのではないか? A:2回しか話していない。3回だったかもしれない。相手はX先生ではない。 Q:X先生からかかってきた番号にコールバックしたので間違いないと書いているが? A:X先生にかけて、相手が出たのは2、3回。 Q:3年B組の生徒の自宅に直接電話をしたと聞いているが、その時の目的は? 苦情の電話がかかってきた。内容も「家に今から行くぞ」「子どもを出せ」「3年で不登校になっている生徒がいる」というものだったというが? A:そのようなことは言っていない。目的は、本件の情報収集。 内容はほとんど記憶にない。情報は何も出てこなかった。「うちの息子とは関係ないです」と言われた。 Q:違う学校に行ったB先生にも会いに行ったと聞いているが? A:O先生と一緒に行っている。 Q:学校に断られたのに会いに行った? A:断られていない。B先生にの学校に2回くらい行った。B先生には、先方も立ち会って、学校で会っている。 Q:学校の生徒に、B先生について尋ねたことは? A:ない。生徒と接触は一切ない。 Q:B先生から、杉原さんが校門の前で待っていて困ったと聞いているが? A:2回くらい学校に行ったと思うが、そういうことはしていない。 Q:教師に向かって、「センコー」と呼んだり、「Mをクビにしろ」「刑事被告人」と言ったことは? A:「センコー」とか、「Mをクビにしろ」とかは言った。「刑事被告人」と言ったことはない。 ただし、初めからではないない。マクドナルドに行ったとき、無視されたので言った。 Q:「殺してやりたい」と言ったことは? A:「ぶっ殺すぞ」ぐらいは興奮して言っている。 Q:7月3日に自殺の原因があるという根拠は、Sと賢哉くんと間にやりとりがあったということだけか? A:賢哉は空手の合宿を楽しみにしていて、1万8千円を払っている。そのときまで、死のうと思っていたはずがない。 Q:7月3日に数学の補習テストがあったのは聞いているか? A:聞いていない。数学のテストはなかったと思っている。 ******* 双方の尋問は約1時間程度で終了した。 弁論を終結し、次回、2009年2月26日(木)午後2時50分から、824号法廷にて判決。 |
HOME | 検 索 | BACK | わたしの雑記帳・新 |
Copyright (C) 2008 S.TAKEDA All rights reserved.