2008/10/16 | 横浜市立奈良中の柔道部顧問による傷害事件の民事裁判傍聴報告 | |
2008年10月14日(火)、10時15分から、横浜地裁503号法廷で行われた横浜市立奈良中の柔道部顧問による傷害事件の民事裁判を傍聴した。 この日、裁判があることは、同じく柔道で重症となり今も、意識のない斉野平いずみさんのご家族からお聞きした。 「横浜の柔道部での事故で」とだけで内容を詳しくお聞きしていなかったが、もしかして2004年12月24日に起きた横浜市立奈良中の柔道部顧問による傷害事件ではないかと思っていた。 該当事件であるなら、一時、かなり大きく報じられていたので、もしかすると傍聴券配布になるかもしれないと、裁判が始まる30分前には横浜地裁に着いていた。しかし、傍聴券配布の告示はなく、503号法廷の前で待っていると原告であるご家族にお会いすることができた。 平成19年(ワ)第4884号。原告はKさん本人とご両親。被告は県と市、T。 裁判は合議制で、裁判官は三代川俊一郎裁判長、峰俊之裁判官、塩田良介裁判官。 傍聴人は、原告側はKさんご一家4人と私。被告側は県や市の職員だろうか、スーツ姿の男性5人だった。 民事裁判は今回で5回目となるというが、刑事裁判も平行して行われていることから、それほど進行していない様子だった。 民事裁判では、原告側に立証責任がある。しかし、刑事告訴されていれば、その捜査調書などを立証の材料として使える。 この事件の場合、被害者であるKくんは存命しているが、顧問の暴行により気を失っている。加えて、脳に強い衝撃を受け、一時は命さえ危ぶまれる状態で、その後も後遺症は重く、当時の記憶がない。 一命はとりとめたものの、言葉さえ出てこず、平仮名さえ書けない状態で、家族の献身的な介護と継続したリハビリの結果、今は、見た目は障がいがあることさえわからないほどに回復したという。 しかし、記憶が長く持たないため、通学路や学校の中でさえ、道に迷う、毎日会っている同級生の名前さえわからない状態が事件から4年近くたつ今も続いている。 裁判長は、症状は固定しているのかと原告側に質問した。直後から比べたら、格段によくはなっている。しかし、脳の一部が損傷・死滅しているので、完全に元に戻ることはあり得ないという。 次回は、被告側には、医師の鑑定について採否など意見を求めると同時に、原告側には因果関係について書類提出するよう求めた。 なお、裁判長は被害者本人が記憶を失っていることについて、立証が大変だろうが頑張ってほしいというようなことを話した。 原告の置かれた状況に理解を示す裁判官の言葉に、少し希望を感じた。 次回は、2008年11月25日(火)、横浜地裁503号法廷にて、10時00分から。 刑事裁判と平行して行っている関係で、民事裁判の法廷を出たあとすぐに検察に弁護士と原告は向かわなければならず、せっかく傍聴に来てくださる方がいても、裁判の内容の説明さえできずに心苦しく思っていらっしゃることをKさんは話された。 この日はたまたま、弁護士だけで行くとのことで、裁判後にお話をうかがうことができた。 ご両親は、民事裁判の性質上、賠償金という形で争わざるをえなかったが、何より、息子に何があったのか、本当のことを知りたくて、この裁判を起こしたと話された。 多くの学校事件・事故で起きているのと同じ、隠ぺいがここでも行われていると感じた。 Kさん一家は、最近になって福島県須賀川の柔道部事件(031018)の裁判の傍聴をして、学災連(http://www.geocities.jp/gakusairen/)など、学校事件・事故の被害者を支援してくれる団体があることを知ったという。それまで、ご家族で助け合いながら、真実を求めて学校組織と戦って来られたという。被害者同士が話し合うことで、得られた貴重な情報も多かったと話された。 もっと早い段階で、知り合えていたら、真実を追究するうえで、違っていたこともあったかもしれない。 |
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