2008/8/17 | 北海道立稚内商工高校の男子生徒(高2・16)の教師しっ責後の自殺について | |
また、教師の指導直後に生徒が自殺する事件が起きた。 2008年8月4日、北海道立稚内商工高校の男子生徒(高2・16)が、携帯電話の掲示板にほかの生徒の中傷を書き込んだとして、教師らから事情を聞かれ、停学処分の連絡を受けた後、自殺を図り、死亡したという。 簡単な時系列でみると、 7/19、男子生徒は携帯電話の掲示板に、複数の生徒をイニシャルを用いて「死ね」などと中傷する内容を書いた。 7/20、掲示板の内容が学校内で話題になっており、サイトを利用している生徒から通報を受け、生徒指導の教諭6人(? )から2人ずつ交代で約3時間近く(?)にわたって「事情聴取」を受けた。 男子生徒は「軽い気持ちで安易に書き込んでしまった」と認め、反省していたという。 生徒は約3時間後、迎えに来た母親と帰宅。その後、学校から電話で「停学」を申し渡すため、翌日、親と一緒に登校するよう連絡があった。その日の夜、自宅2階で首をつって自殺を図る。 8/4、意識不明のまま死亡。 生徒は自殺を図る前に、新しいノートに心境や事情を聞かれた際の状況を3ページにわたって書いていた。 「償いについて自分は死ぬべきだと思う」と書き出し、「自分は殺す。死ね。と軽々しく書いたので(中略)ケジメをつけるために死のうと思う」「おれって先生たちにも信用なかったんだね」「お前の罪は重いと。死ねと。他の先生からは、お前はバカか?と言われました」「罪が重すぎて自分には耐えられない」。ページの下には「僕に停学は重すぎる」などと大きな文字で記していた。 校長は「(遺書に)書いてあるような言葉を言ったことは一切ない。事情を聴く中で大きな声を出したことは2、3回あるかもしれないが、事情聴取が本人を追い詰めたとは考えられない」と否定。事情聴取が3時間に及んだことについて「いじめの有無なども調べたので時間がかかった」としている。 讀賣新聞、毎日新聞、北海道新聞のサイトニュースから事件の概要を集めた。 いくつか情報が錯綜している。 私がテレビで見たものでは、指導にあたった教師は6人となっていたように思う。新聞では4人と6人があった。単なる伝達ミスなのか。 所沢高校井田将紀くん・自殺事件では、当初、学校の説明では教師4人が事情聴取したということだったが、テレビの取材で再現してみせたとき、将紀くんを囲んだ教師が5人いたことから、教師は4人ではなく、5人であったことが偶然発覚した。 また、聴取時間についても、2時間とあるところと、2時間50分、約3時間。 新聞では、「停学処分」とあるが、テレビではたしか「無期停学処分」とあったと思う。 私はニュースをみて正直いって、「またか!」と思った。素直に自分の罪を認めている生徒に対する、複数の教師による、執拗な長時間にわたる事情聴取。その結果、生徒が自殺しても、自分たちの指導に問題はなかったと言い切る、自殺の原因はわからないと言う学校。 そして、評論家たちの、世間一般の、亡くなった生徒側に問題があって指導を受けて自殺したのだから、悪いのは、問題行動を起こした生徒側であり、たかが指導くらいで死んでしまった生徒の精神面が弱すぎる。親が学校教師をうらむのは筋違い。騒ぎ立てる親のほうが問題というもの。 何件も同様の事件を見てきて、自殺した生徒は、けっして特別な子ではなかった。ふつうの子が死に追い詰められるような指導があった。 ●複数の教師による長時間にわたる指導について 今までの繰り返しになるが、聞き取りは1対1、せいぜいが2対1であるべきだと思う。 それも、たとえば刑事ドラマにあるように、1人が責めたら、もう1人はかばったりなだめたりする役割であるべきだと思う。 それは家庭でも言える。父親が頭ごなしに怒るときには、母親がかばう。2人でガンガンに攻め立てれば、子どもは反省よりむしろ反発するだろう。 教師が一致団結して複数であたらなければいけないのは、日ごろ、教師に暴力を振るうなどの問題行動が多く、単数で指導するには、教師側が身の危険を感じる場合に限るべきだと思う。 しかし、現実には、そういう“怖い”生徒に対しては、多くの教師が報復を恐れて関与したがらない。必然的に、担任教師や腕力に自身のある生活指導担当の教師が、2名くらいで指導にあたる。 一方、今回のように、日ごろ、さして問題行動がなく、生徒も自分のしたことを反省していて、言い返したり、暴力に訴えたりしないケースに、複数の教師が関与することが多いように思う。 これはあくまで私の考えでしかないが、反省している生徒をしかりつける教師たちは、楽しかったのではないか。自分の力が誇示できる。ストレス解消になったのではないか。 指導の計画性や詳細な打ち合わせもなく、たとえ一度に参加した人数が2人だとしても、とっかえひっかえ現れては、同じことを繰り返されたら、大人だってたまらない。リンチに等しい。 少年事件で、一人がリンチにあっているのを聞きつけて、全く関係のない子どもたちが、面白半分にリンチに参加する。そんな構図を感じてしまう。 2時間、3時間という時間をどう考えるだろう。最初から自分のやったことを素直に認めて反省している生徒にとって、どれだけ長い時間だったことか。 家庭で子どもを叱るとき、どれだけの時間を使っているか。考えてみてほしい。子どもに反省がなく、言い合いになったとしても、せいぜい30分、長くて1時間ではないか。あとは大抵、これ以上話しても進展はないとして、冷却期間をおく。 我が家は子どもが小学校にあがる前から夫の両親と同居していた。私は当時、フルタイムで働いていたので、子どものことは両親にけっこうみてもらっていた。そんななかで、子どもが何か悪いことや失敗をすると、帰宅してから報告を受ける。そのときに、すでに祖父母2人に叱られたときけば、それ以上は叱らないようにしていた。 しかし、そのことに不満を感じる祖父母は自分の息子に報告し、自分たちが言っても母親が叱らないので、父親から叱ってくれという。帰宅したばかりの父親から叱られて、娘が泣いた。自分が悪いことをしたのはわかっている。でも、ほかのうちなら、1回ですむのに、なんで自分は1回したことで、おじいちゃん、おばあちゃんに叱られ、そのうえ、お父さんにまで同じことで叱られなくてはならないのかと。 子どもが反省しているときには、それ以上は叱らない。叱りすぎたなと思えば、必ず、誰かがなぐさめるなどのフォローを入れる。 当たり前のことではないだろうか。 いじめ問題で、加害者こそ問題であるのだから、加害者の指導をきちんとすべきだと私たちは主張している。 いじめの理由もきかないでくれと言っている。理由があれば、いじめてもいいことになってしまうから。 しかし、頭ごなしに怒鳴ったり、暴力を振るうことは、何の解決にもならないどころか、力に固執する子どもに、さらに、もっと自分に力があれば、教師から殴られずに済んだのにという思いを抱かせてしまうということを言ってきた。 ひして、生徒の指導は、教師が一方的に話すのではなく、気持ちを聴くことこそ大切だと思う。その子の気持ちに寄り添うことで、次に、やられた子の気持ちに寄り添うことを教える。反省に導く。 そのような指導は、とても根気がいる。楽しくない。むしろ指導をする教師側にこそ、大きなストレスがかかる。 生徒指導の目的は、やった事実を引き出し、反省を促して、二度と同じことを繰り返させないことだ。 指導後に、反省ではなく、教師たちへの不信感と怒りだけが残るようでは、大いなる失敗ではないか。 まして、最初から反省している子どもに追い討ちをかけるということは、指導とは言えない。 ●教師の体質について 校長は、記者会見で、教師が「バカ」「死ね」などの言葉を生徒に言うはずがないという。しかし、現実にはこういった言葉を日常的に使う教師は多い。 稚内商工高校の平成19年度外部評価がサイトに載っていた。http://www.shoko.wakhok.ac.jp/exap/docs/exanalysis.pdf 在校生全学年に対するアンケート調査によれば、 2.中学校生活とくらべて一番の違いは、「校則が厳しくなったことである」は、「そう思う」60.7%、「ややそう思う」25.6%、合わせて86.3%の生徒が、中学校時代よりも校則が厳しくなったと感じている。昨年度より2.8%増。 10.商工高校は校則の厳しい学校だと思いますかの問いに、56.6%の生徒が「そう思う」と回答し、「やや思う」24.9%と合わせて、81.5%の生徒が、校則の厳しい学校と感じている。 11,商工高校は自由な雰囲気の学校だと思いますかの問いに、「あまり思わない」「そう思わない」と回答した生徒が77.4%で、大部分の生徒は、自由な雰囲気の学校であるとは感じていない。 かなり高い率で、生徒たちは、校則が厳しく、自由な雰囲気のない学校だと感じている。 校則が厳しくても、生徒が教師に言いたいことが言える学校であれば、自由な雰囲気は感じられるだろう。 ここから感じられるのは、教師の権力が強い、生徒が教師に自分の意見を言えないような雰囲気のある学校ではないだろうか。 生徒たちに直接アンケートをとってみればわかる。教師が「バカ」「死ね」というのを聞いたことがないという生徒がどれだけいるか。殴られるなどの体罰を受けた生徒も多いのではないか。 亡くなった生徒は、自分のしたことを素直に認めた。にもかかわらず3時間もかかった理由を校長は「いじめの有無なども調べたので時間がかかった」としている。日ごろ、まじめにすごしてきて、たった1回の間違い、それを素直に認めて反省しても、信じてもらえなかったという思い。自分の人格を全面否定された気になったのではないか。 一方、学校・教師たちは、自分たちのしたことを素直に認めていないと感じる。遺書に、あれほどまで具体的な言葉として書かれたものを、全面否定する学校。 では、密室のなかで、3時間もの時間、何をしていたというのか。 それこそ、否定する教師たちへの事情聴取はどのように行われたのかを知りたい。校長は、教師1人頭、何時間の事情聴取を行ったのだろう。 自分たちの指導に問題はなかったというのであれば、6人の教師1人1人を呼び出して、計6人の教育委員会なり、警察なりが、2人ずつ、3時間にわたって聞き取りをしてほしい。 ●無期停学という処分について 自殺の直接の引き金になるものとして、強い「怒り」がある。そして、将来に対する希望のなさ。 男子生徒は生徒会役員もしており、それまで問題のない生徒だったという。であれば、いきなり、無期停学などという厳罰ではなく、様子をみて、繰り返す場合には停学処分にしてもよかったのではないか。 子どもは未熟で、結果の重大性を考えることができずにやってしまうことがある。だからこそ、少年法には保護観察処分というのがある。 高校生にとって無期停学は非常に重い。ただ単に、その期間、学校に行けないということだけでなく、周囲に何があったのかを知られてしまう。在学中ずっと、「いじめの加害者」として、全校生徒から後ろ指をさされながら、生活をしなくてはならない。日ごろ、問題行動を起こしている生徒であれば、ハクがついた、好き勝手にできる時間が増えたくらいにしか思わないかもしれないが、生徒会の活動をしていて、ほぼ全校生徒から知られている存在であったろう彼には、どれほど大きなことだったか。 また、高校生であれば、大学入試や就職活動への影響も考えてしまうだろう。内申書に書かれた「無期停学」がどれくらい響くものか。将来を断たれたと絶望的になったのではないか。 学校は、サイトに書き込みをしたら停学処分と生徒に告知していたという。しかし、程度にもよるだろう。 書き込んだ翌日には正体がばれている。常習者だったら、そんなに簡単に正体がばれるような真似はしない。 書き込みも、イニシャルではなく、また「死ね」などの単純な言葉で終わることもないだろう。 たしかに彼は軽率だった。しかし、それは「軽率な行為だったね」「不満があれば、どうすればよかったと思う?」と問いかけるだけで済んだのではないか。 厳罰すぎると生徒が思っても、一方的に決められてしまう。自分たちには意見表明権さえない。そのことに、亡くなった男子生徒は絶望感と怒りを感じたのはではないか。 私が個人的に思うには、証拠をつかみにくい「ネットのいじめ」でたまたま書き込んだ個人を特定できた。今、世間ではネットいじめが問題視されている。そんななかで、他の生徒への見せしめ的に使われたのではないかと思う。 長期間、同級生に暴力を振るって、体と心を深く傷つけても、春休みにわずか数日の停学処分ですべてが終わったとする学校もあるかと思えば、数行のネットへの書き込みで、期限の定まらない停学をわざわざ別の日に呼び出して、形式まで整えて処分しようとする学校。いずれも、もっとも中心であるべき「生徒」の意思がどこにも反映されていない。一部の教師だけで、すべてが決められてしまう。 文部科学省の児童生徒の自殺統計上、ずっと教師のしっ責による自殺はゼロが続いている。今回もまた、学校・教師が認めない限り、「その他」の自殺になってしまうのだろう。きちんと事実確認されないなかで、加害者側がいじめがなかったといえば、遺書に「いじめが原因で死ぬ」と書いてあっても、いじめ自殺にカウントされない。 教師が、指導に問題はなかった、因果関係がなかったといえば、遺書に「指導が原因で死ぬ」と書いてあっても、しっ責による自殺にカウントされない。 記録されないことは、なかったことにされる。誰も反省しないから、同じことが繰り返される。 過去の教師のしっ責後の自殺がきちんと対応されていたら、生徒指導上の「教師の問題」がきちんと議論されていたら、この自殺はなかったと思う。 |
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