2008/6/20 | 暴力を容認する東国原知事の危険な発言 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
宮崎県の東国原知事は「宮崎県で『愛のムチ条例』や『愛げんこつ条例』はできないか。愛という範囲で条例化すべきだ」と語ったという。 とても危ない発想だと思う。子どもへの暴力を容認すれば、やがて大人に返ってくる。 「暴力」に「愛」だの「正義」だのと大義名分をつけて容認するようになると、いずれ戦争が起きる。 「聖戦」「防衛戦」、「やられる前にやってしまえ」ということになる。アメリカのように。 東国原知事は以前にも、「僕は徴兵制はあってしかるべきだと思っている。若者は1年か2年ぐらい自衛隊か、ああいうところに入らなければならないと思っている」と発言しているという。 考えてもみて ほしい。児童虐待にしても、DVにしても、暴力を振るう側は必ず自らの行動を正当化する。相手のため。しつけ。怒らせるほうが悪い。などなど。 そして、暴力が蔓延する場所で、子どもたちが学ぶのは、「力こそが正義」。「被害者になるのは損。加害者になろう」。銃やナイフの使い方を覚え、ひとを襲う方法を覚える。自衛隊のなかで「規律を」というが、軍隊に蔓延しているのは性的暴行を含めたあらゆる暴力だ。警察や自衛隊内のいじめは、企業以上にすさまじい。「拷問」が平気でまかり通っている。 日本人の自殺が10年連続、年間3万人を超えた。防衛省のウェブサイト http://www.mod.go.jp/j/sankou/touben/168kai/syu/situ212.html によると、 2004年から2006年の3年間、自殺した自衛官が毎年100人を超え、更に2006年度の自衛官の自殺者数は10万人当たり38.3人になり、人事院がまとめた2005年度の国家公務員の10万人当たりの自殺者数17.7人の二倍強と、国家公務員の中でも自衛官の自殺が突出して多いことが防衛省の調べで明らかになった旨2007年11月12日付で報じられている。 (※多くの自殺統計は10万人当たりの率で出されているので、このように他の職業と比べたり、他国と比較しやすい。文科省の児童生徒の自殺もこのようになぜ、自殺率で出そうとしないのか。まして、少子化の影響で過去との比較や他国との比較さえ難しい。わざと問題を見えにくくしているのではないかと疑問!) さらに、防衛省が自衛官の自殺の原因について2006年度に調査した結果では、最も多かったのが「その他・不明」の63人であると報じられている。最も多くの自殺者の原因が「その他・不明」に分類され、その理由が明らかにされていない。 また、http://www.mod.go.jp/j/sankou/touben/168kai/syu/situ251.html によれば、 平成19年10月末現在で、テロ対策特措法、またはイラク特措法に基づき派遣された隊員のうち、在職中に死亡した者は、陸・海・空の自衛隊で、合計35人であり、そのうち16人の者が自殺をしたとなっている。死因が「事故又は不明」の者は、陸上自衛隊が6名、海上自衛隊が6名となっているという。 35人中16人(46%)という自殺の多さも去ることながら、死因が「事故又は不明」の者の多さ(34%)に驚かされる。 自衛隊であれば、自衛隊病院もある。医療面の環境は整っているはず。にも、かかわらず、この死因のあいまいさは何だろう。 以前、ライフ・リンク主催の自殺防止シンポジウムに参加したときに自衛隊のメンタルヘルスチームが、自殺者が出るとすぐに駆けつけて、周囲の「自分のせいかもしれない」と思っている隊員たちに、「君のせいではない」「彼はうつという病気にかかっていたんだ」と話すことで、ケアしていくという主旨の話をした。そのときに、調査をする前にメンタルチームが「君のせいじゃない」というのは、単なる隠蔽ではないかと内心思った。 東国原知事以外にも、とくに、いじめ問題では「今は教師が生徒を殴るとすぐに110番通報されてしまうから、まともに指導もできない」という話を国の中枢を担うひとたちからさんざん聞いた。 暴力を振るわなければ、子どもを指導できないというこの発想にも驚かされたが、本当に、現在の学校では体罰は行われていないと思っているのだろうかとあきれもした。 私は今までも、子どもに関する事件・事故 2(教師と生徒に関する事件) 以外にも、この雑記帳のなかで、教師の暴力についてはたびたび述べてきた。(me050115 me050123 me061009) 教師による心と体への暴力で、多くの子どもたちが亡くなっているにもかかわらず、毎年のように、教師の叱責による自殺はゼロが続き、2006年に、いじめ自殺ゼロのおかしさを言ったときに、このことを何度もマスコミに言ったが、取り上げてはもらえなかった。 以下は、文科省の現在のいじめの定義がいじめを認めるためではなく、むしろ、いじめを認めないためにこそ使われているとジェントルハートプロジェクトで記者会見したとき、ジェントルハートプロジェクトの親の知る権利シンポジウムで、そして、先日の議員会館での議員さんとのやりとりのなかで、私が提示した内容。 文部科学省は、いじめや暴力など児童生徒の問題行動の多発を受けて、平成19年2月5日付「問題行動を起こす児童生徒に対する指導について(通知)」(18文科初第1019号)のなかで、学校に「毅然とした対応」「毅然とした指導」を繰り返し求めています。 そして、「体罰がどのような行為なのか、児童生徒への懲戒がどの程度まで認められるかについては、機械的に判定することが困難である。また、このことが、ややもすると教員等が自らの指導に自信を持てない状況を生み、実際の指導において過度の萎縮を招いているとの指摘もなされている。」などとして、「学校がこうした問題行動に適切に対応し、生徒指導の一層の充実を図ることができるよう、文部科学省としては、懲戒及び体罰に関する裁判例の動向等も踏まえ、今般、「学校教育法第11条に規定する児童生徒の懲戒・体罰に関する考え方」(別紙)を取りまとめた。懲戒・体罰に関する解釈・運用については、今後、この「考え方」によることとする。」として別紙を添付しました。 具体的には、「児童生徒に対する有形力(目に見える物理的な力)の行使により行われた懲戒は、その一切が体罰として許されないというものではなく、裁判例においても、『いやしくも有形力の行使と見られる外形をもった行為は学校教育法上の懲戒行為としては一切許容されないとすることは、本来学校教育法の予想するところではない』としたもの(昭和56年4月1日東京高裁判決)、『生徒の心身の発達に応じて慎重な教育上の配慮のもとに行うべきであり、このような配慮のもとに行われる限りにおいては、状況に応じ一定の限度内で懲戒のための有形力の行使が許容される』としたもの(昭和60年2月22日浦和地裁判決)などがある。」として、「水戸五中事件」の判決文(※760512参照)を引用しています。 教育再生会議は「厳罰化」などとは一度も言っていないということだったが、これを読めば、文部科学省が積極的に体罰容認の方向性を打ち出しているように思うのは当然ではないだろうか。少なくとも、学校現場の教師はそう受け取るのではないか。 そして、今朝(6/20)の報道番組に、文科省発表の体罰の数が出ていた。 しかし、実はこれにも、いじめ調査と同じように、からくりがある。 表1
表2
おそらく、テレビ画面のフリップに出ていたのは表2(はっきり確認したわけではないが)。これを見ても、さほど数が多いとは思わないだろう。. しかし、同じ年度の「体罰ではないかと問題にされ学校で調査した事件」と対比してみると、関係した教師のうち、半分前後は、訓告さえ受けていないことがわかる。 しかも、教員の数と生徒数を割ってみると、おそらくは1人の教師が何人かの児童生徒に体罰を行っている。 保護者や本人が意を決して「体罰をされた」と訴えても、半分しか取り上げてもらえない。「今は体罰をするとすぐ懲戒処分だから」と声高に言う割りには、体罰を認めても、ほとんどが訓告で済まされている。 体罰教師は何度でも平気で同じことを繰り返す。実際に、生徒に大けがをさせてしまった教師の多くは、過去にも繰り返している。 一方で、被害者やその保護者は、体罰を受けても、「自分(子ども)が悪いから仕方がない」と思ったり、報復されるのを恐れたり、証拠をあげるられるほどのものがなかったりして、学校や教育委員会に訴えられる保護者はごく一部にしかすぎないだろう。 しかも、事件・事故が明らかになったとき、教師の体罰の存在がそこではじめて明らかになることが多い。部活動では日常的に体罰があり、その結果、先輩部員が後輩にシゴキを当たり前のように行ったり、いじめがあっても、日ごろ、体罰をふるう教師に相談できなかったり。熱中症事件やわいせつ行為の陰には、必ずといっていいほど、体罰がある。 そのほとんどは、保護者も知らされていなかったり、学校長は知っていても教育委員会には情報があがっていなかったりする。 しかも、率で出ていないために比較しにくいが、特殊学級での体罰が多い。関係した教員数と児童数が、普通学級とちがって、逆転している。すなわち、ひとりの児童が複数の教師から体罰を受けている可能性がある。 そして、もうひとつのからくりがある。文部科学省に上げる「いじめ自殺」の報告書で、該当するものに丸をひとつしかつけられなかったように、体罰も主な項目ひとつしか報告ができない。 しかも、常識で考えれば、複数回あったなら、一番ひどいものに丸をするだろう。しかし、表の上位にあるものの項目でカウントするようにと書いてある。棒で殴ったのと、素手で殴ったのと、両方あれば、素手で殴ったになる。殴ったり蹴ったりしても、素手でも殴っていたら、統計上は素手で殴ったにカウントされる。当然、体罰の態様のほとんどは、「素手で殴った」ことになる。 表3
※複数に該当する場合は、表のより上の方に位置する項目でカウントする。 今も体罰、教師からの暴力は横行している。 しかし、現実から程遠い統計資料を作成することで、かえって現実が見えなくなる。 いじめでも、体罰でも、いかに事実調査をするかが大切になる。間違った現実認識のもとに、間違った対応策がとられる。 この責任は、各学校、教師にあるというより、文部科学省にあると思う。 頭のよい人たちがそろっていながら、わざわざ数値が見えにくい統計資料。 データの出し方もいつの間にか変わっていたりして、私の調べ方が悪いのか、統計の続きの年度を表に加えたいと思っても、見つからない。 いじめと同じで、文部科学省は、本当の数字が知りたければ、学校・教育委員会経由ではなく、生徒一人ひとりに封書で調査してみるとよい。びっくりするくらいの数が出てくるだろう。 かつて、体罰が問題になった頃は、ある面で、たくさんのひとが声をあげることができた。その手の本も出ていた。今ある体罰関係の本はたいてい、古いものばかりだ。 今は、声をあげても、「自分の子どもが悪いのに」「しつけがなっていない親が悪いのに」とモンスターペアレントにされてしまう。 実際、第三者機関と称して、モンスターペアレント対策が各地で進行しているともきく。わが子を守る正当な要求さえ、ますますはじかれてしまう。 そして、万が一、子どもが教師の暴力で大けがをしたり、心の傷を負って不登校になったり、自殺したりしても、個人情報をたてに学校・教育委員会は、調査票の内容さえ公開せず、情報があがらない。証言してくれるひとがいないなかで、口を封じられてしまう。体罰死が事故死にすり替えられてしまったのではないかと思える事件もたくさんある。 被害者が訴えなければ、世間は体罰など昔のことで今はないと思ってしまう。子どもが悪くなったのは、教師が体罰を振るえないからだなどという。現実には、ひどいいじめをする子ども、非行に走る子どもたち、ほとんどみな親や教師から、有形無形の暴力を受けている。いじめの加害者を守ると称して、そういうことさえ余り明らかにされない。 大人たちが「よかれ」と思ってやったことで、子どもたちはますます苦しくさせられる。これ以上、子どもたちを追い詰めないでほしい。今、日本のどこに、毎日が楽しく、生き生きと学校に行けている子どもたちがいるだろう。学校の先生や地域の人たちに守られていると実感できる子どもたちがどれほどいるだろう。むしろ、そういった身近な大人から、商品のように扱われ、搾取さえされている。 国のトップにいるひとたちは、安易に条例や法律をつくるのではなく、まずは正しい現実を認識できる調査をしたうえで、将来を見越した政策をたててほしい。 企業であれば、何か新しいことを始める前は、とことんリサーチをするのが常識だ。現実認識を誤れば、企業の存続さえ危うい。だからこそ、大金と時間をかけて、徹底して調査をする。 政治家たちが安易に立てた計画に振り回されるのは、国民だ。 |
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