わたしの雑記帳

2008/5/28 丸谷康政くん(中3・15)の葬られた死因


今週発売された週刊現代(2008年6月7日号)に、柳原三佳さんが書かれた「葬られた“変死体”事件簿第1回 和歌山 中3男子「怪死」事件 『いじめを受けていた15歳の息子の死を警察は検視すらせずに「自殺」と断定した』というタイトルの記事が掲載された。
NPOジェントルハートプロジェクトの亡くなった子どもたちの写真パネル(ジェントルハートメッセージ)のなかに、1999年12月29日に亡くなった丸谷康政くん(中3・15)の写真もある。
私がこの事件のことを初めて知ったのは、『アジャパーWEST』3号(http://ajapa.hp.infoseek.co.jp/daisan/mokuji3.html)の記事だった。新宿にある模索舎(http://www.mosakusha.com/)というミニコミ・少流通出版を取り扱っている書店に、プラッサの仲間と「世界子ども通信 プラッサ」(http://www.jca.apc.org/praca/index.html)を販売委託しに行ったときに、見つけて購入した。

私は岡崎哲くん(981008)の裁判をずっと傍聴していて、警察の捜査が、時にどれほどずさんなものかを具体的に知っていたし、他の遺族からも、対応する警察官によって、その言動にいかに被害者遺族が心を傷つけられてきたか、山のように聞いている。そして、その後の対応はまったく同じ。警察はその威信にかけて、絶対に自分たちの過ちを認めようとはしない。
認めるのは、マスコミで騒がれて、どうしようもなくなったときだけで、それさえ、いざ、国家賠償の民事裁判になったり、関係者の処分に話が及ぶと、全面否定される。遺族の追及が始まると、ありもしない情報が警察経由でマスコミに流される・地域に流される、脅しの電話が自宅に入る・支援者に入る、ということもかなり共通している。

丸谷さんの事件は、この警察の初動捜査のずさんさと、それを隠すため、頑なにその後の捜査を拒んだために、迷宮入りさせられた事件だと私は思う。
最初に「自殺」と断定してしまったために、司法解剖も、関係者の事情聴取も、現場検証さえ行われなかった。しかも、そのおかしさを当時から家族が必死になって訴えていたにもかかわらず、警察は、自分たちのミスを指摘されるのがいやで、改めようとはしなかった。
警察以外には捜査権がない。この9年間をご家族は、どれほど悔しい思いで過ごされてきただろう。子どもの死の瞬間から、刻一刻と立証できるものは失われ、真実はどんどん遠のいていく。
月日がたつほどに、遺族は気持ちはいやされるどころか、真実が解明されないことで、傷は深まっていく。

今回、「週刊現代」の記事を読んで、それまで疑問に思っていたことが、少し見えてきた気がした。
柳原さんの解説は、本来、警察はどのように捜査すべきだったを明らかにすることで、問題点が整理されていて、非常にわかりやすい。
そして、私が疑問に思っていたこと。真夜中の親にも知らされない外出の理由。
もちろん、男の子なので、ちょっと飲み物を買いに、あるいは親に隠れてこっそりとタバコをコンビに買いにいくこともあり得るだろう(可能性の話であって、康政くんがタバコが吸っていたという話を聞いたわけではないので、誤解しないでいただきたい。念のため)。気分転換に散歩ということもあるだろう。
しかし、多くの恐喝事件で、とくに男子は、夜中に呼び出されることが多い。被害者は家族に知られないように、そっと、家を抜け出して、現金やゲームソフトなどを渡す。ましてや男子中学生は、いちばん暴力や恐喝などのいじめがが多い年代。
そして、1999年、1998年は、暴力や恐喝を苦とするいじめ自殺やいじめ事件が多発していた(子どもに関する事件・事故 1参照)。学校内の恐喝事件に、卒業した先輩からの上納金の強要や、暴力団までが関与していたという事件も数多い。
「自殺」と断定するにしても、背景に暴力や恐喝などのいじめはなかったか、調査するのは警察の仕事として、当然だと思うのだが。

しかも、今回の週刊現代では、康政くんは、生まれつき右手親指が曲がらない障がいをもっており、それをネタにたびたびいじめられていたこと、通っていた中学校が警察沙汰になるような問題が起きるような荒れたところだったこと、事件の前日にも昼過ぎに、誰かに呼び出されて数時間、戻ってこなかったこと、などが、両親の証言として書かれている。
加えて、当日、現場にはジャージ姿の男性6、7人がいたこと、康政くんの顔には殴られたようなあとがいくつもあったことの情報をあわせれば、事件性を疑う余地は、素人にだってある。

@たまたま通りかかった現場で不良グループにからまれて、暴行を受けたあとにビルから突き落とされた。、
Aいじめグループから呼び出され、暴行を受けたあとにビルから突き落とされた。
Bいじめグループから呼び出され、暴行を受けたあと、精神的ショックで飛び降り自殺をした。
この3つの可能性を考えるべきだったのではないか。そして、この3つとも、事件性がある。警察が調べる必要のあるものではなかった。


私はまだ疑問に思っていることがある。康政くんが亡くなったあとの学校の対応はどうだったのかということ。
ご両親の怒りや不信感がもっぱら警察捜査とその後の対応に向いていることもあって、いろいろな資料に、そのことは書かれていない。(私が見落としているだけかもしれないが)
これはあくまで私の勝手な想像だが、警察が「自殺」と断定し、その後の調査も何も行わなかったこと、事件が起きたのが中学3年生の12月の暮れということで、すぐ、受験や卒業に向けて生徒は登校しなくてよい日々が続いたこと、などから、学校は生徒たちに何も聞き取り調査などしなかったのではないか。このまま、無事、何事も公にならずに生徒たちが卒業していくことだけをひたすら願っていたのではないかと推測する。
もしかしたら、康政くんの両親から、調べてほしいという要望があったかもしれない。しかし、子どもを亡くしたばかりで、しかも、はらわたが煮えくりかえるような警察の対応をまえに、そういう余裕さえなかったかもしれない。

多くの少年犯罪で、加害者たちがアリバイ工作をすることは、今の時代、むしろ常識と考えなければいけないだろう。
それに警察の捜査のずさんさが重なれば、日本は犯罪大国となる。
犯罪を摘発されなかった子どもたちがどうなるか。自ら反省などできるはずもなく、事件を繰り返すだろう。それを見ている子どもたちは、被害にさらされても、大人たちに訴えることさえできない。大人に訴えても、まともに取り合ってもらえない、あるいは加害者たちの言い分にまるめこまれてしまう。そうなったときに、「ちくった」と言われて、報復を受けるのは通報者、被害者だ。

何の犯罪行為も犯していない子どもたちを、夜、歩いているだけで取り締まるよりもまず、すでに起きてしまった事件、訴えのあった事件を一つひとつ丹念に調べて、確実に解明していってほしい。
警察官の本分は、国や組織を守ることではなく、住民を守ることだと徹底してほしい。それができない警察官は、やめてほしい。
警察官は国家公務員として、業務に関することで個人的に法的責任をとらされることがない。それだけ守られている。だからこそ、間違ったこと、失敗してしまったことがあったら、素直に認めて、謝罪すべきは謝罪し、やり直すことができることに関してはやり直し、補償すべきところへは金を払ってほしい。それが結果的に、次の失敗を防ぐことになると思う。
今は、国にしても、学校にしても、失敗を失敗として認めないところから、すべてがなかったことにされて、事件・事故が教訓として生かされず、また同じことが起きるという悪循環に陥っている。悪循環を止めるのは、失敗を失敗と認めて真摯に反省する「勇気」だと思う。

なお、6月初旬に発行される予定の「世界子ども通信 プラッサ」27号の私が担当する「シリーズ日本の子どもたち」でも、「学校事故・事件の不透明な死因究明」というタイトルで、原稿を書かせていただいているので、こちらもぜひお読みいただければと思う。(申し込みは、http://www.jca.apc.org/praca/enter.html にて。送料込みで1冊500円)


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