わたしの雑記帳

2008/4/21 千葉県浦安市立小学校養護学級でのわいせつ事件 原告祖母と母、別の被害女児の母、補助教員の証人尋問(4/23一部改)


2008年4月16日(水)、千葉地裁仮庁舎4階405号法廷で、千葉県浦安市立小学校養護学級でのわいせつ事件の民事裁判(平成18年(ワ)第978号)の証人尋問が行われた。

裁判は10時15分開始だったが、9時半から傍聴券整理券が配られ、抽選となった。
仮庁舎であることも影響しているのか、他の裁判傍聴の整理券と一緒になったのかよくわからないが、どこで整理券が配布になるのか、案内した係員によって場所が異なるなど、混乱した。
抽選はおみくじ形式で、白い棒に赤がついていれば「当たり」、ついてなければ「はずれ」。
朝6時45分に家を出て、満員電車で汗だくになって到着して、傍聴できなかったらちょっと辛いと思っていたが、くじ運の極めて悪い私が、今回は「当たり」をひくことができた。
もっとも、「支える会」のひとたちが、会員に呼びかけて、希望するひとは1回は傍聴できるように、交代で法廷内に入れるよう、調整してくれていた。

450号法廷の傍聴席は36席。内6席が白いシートをかぶせた「記者席」となっていた。
裁判官は三代川三千代裁判長(女性)、片山昭人裁判官、飯塚素直裁判官(女性)で、前回2007年12月26日の第9回口頭弁論(この日は用事があり、私は傍聴していない)から替わった。必ずしも、男性裁判官より女性裁判官のほうが、わいせつ行為の被害者の心の傷や家族の思いを理解してくれるとは限らないが、一般的にはやはり、男性裁判官よりわかってくれる確率が高いように思う。

この日の証人尋問は、A子さんの祖母に始まって、A子さんの母親、原告側証人、当時の補助教員の計4人。
被告席には、前面に弁護士、後ろの席の中央にK教師が座っている。ふつう、民事裁判では義務がないので、被告当事者は法廷に来ないことのほうが多いが、冤罪を印象づけるためか、毎回、出席している。
原告側の訴えをどのように受け止めているのか、少なくともK氏の表面からは全く感情が読み取れない。反省の色が全く感じられないふてぶてしい態度、表情に、ますます原告であるA子さんの両親、支える会のメンバーは憤りを強くする。


午前10時15分から、最初の証人尋問。A子さんの祖母Nさん(Aさんの実母)。
80歳近い年齢、小柄な体。裁判長は気遣いを見せて、聞こえなかったり、理解できない質問は問い返してよいこと、のどが渇いたら水を飲んでもよいこと、気分が悪くなったら休憩するので言ってほしいことなどを事務的でなく、穏やかに話した。

尋問の焦点は、A子さん(当時小6・11歳)の被害が発覚した平成15年(2003年)の夏休みのことと、その時のA子さんの様子や言葉を書きとめた日記の内容について。この日記は、刑事裁判のときには、A子さんの母親でさえ、そのようなものが存在するとは知らず、民事裁判になって初めて、証拠として提出された。

最初に原告弁護士からの主尋問。
Q:平成15年の夏休みのことについて。日記の記載は、本文と欄外とがあるが、どのような順番で書いたのか?
A:最初にその日の天気。次に本文。最後に欄外に、気づいたことや俳句、自分のことを書き足している。
Q:A子さんの被害を欄外に書いたのはなぜか?
A:日記は自分中心に書くものであり、自分の生活や気持ちを書く。A子のことは、自分の生活以外のことなので、欄外に書いた。A子からはすごい言葉を何度も何度も聞かされた。A子が被害を受けて、言葉では言い尽くせない、苦しさ、大変さを聞かされ、悲しい、辛い気持ちを自分なりに書きとめておいた。

Q:日記には、A子さんから聞いた話のみを書いているのか、それとも、母親から後で聞いた話も入っているのか?
A:母親からあとで聞いた話は入っていない。A子から聞いた話のみをその日のうちに書いている。
Q:もっと後になって書いた内容はあるか?
A:ない。

Q:平成15年の7月27日から秋田の祖父母の家にA子さんは行っていた。「A子が豆腐を食べない。なんで?」と書いたことについて。
A:A子は豆腐が大好きで、来ると毎朝、味噌汁に豆腐を入れていた。それが「おばあちゃん、トーフ、食べられない」と言うので、驚いた。そのときは、体調が悪いのかなあと思った。
A子が歯ブラシを使いながら、「おばあちゃん、トイレに入れられて流されると死んでしまうの?」と言うので、「えっ、なんのこと?」とびっくりした。
Q:どうしてそんなことを言うのか尋ねたか?
A:尋ねていない。誰かが言っていて、そんなことを言うのかと思った。
「おばあちゃん、トイレに入れられて流されると死んでしまうの?」と、A子はたたみかけるように何十回もしゃべり続けた。
「Kが言った」。「えっ、先生がそんなことを言ったの?」。「Kがトイレについてきて、ドアをあけるの」「Kね、トイレについてきて、ドアを開けろ、開けろと何度もうるさく言ってドアをたたく。開けるまでうるさく言ってドアをたたくから、こわかった」と話した。
以前はそういう話をしたことはなかった。
A子が「トーフを食べられない」と言うので、豆腐を寄せて、汁だけにして食べさせた。
「Kが手をひっぱって、自分の足に触らせた」「トーフのように白くてやわらかいだろって」「ゲボが出るほどいや」と、自分の足を指して言った。びっくりして、「先生は冗談にしろ、面白いことを言う」と思った。

Q:7月30日の記述について。
A:私が台所に立っているとき、掃除、洗濯をしているときもずっと、A子は尻についてきて、「トイレで流されると死んでしまう」という話を繰り返した。
また、「プールの時間に、Kが着替え室に入ってくる」「体を触って、こわかったよ」」「着替えをしているときに、Kが入ってきて、おっぱいを押さえられた」と言って、両手を胸のところにもっていって押さえるしぐさをした。
「いすに座るとき、Kは手のひらを上にして、その上に座るように言われる」と話した。A子はピアノをひくのを楽しみにしていた。ピアノのところで、「おばあちゃん、Kがいすの上に手を置くの。こういうふうに手を置いて、イスの上に座れって、言ったの。いやだから、ちょっとずらして座ると、その上にちゃんと座りなさいって」「座ると、お尻を触る」。

Q:「目隠しをされて、おもちゃの鉄砲をあてられた」という記述について。A子さんは正確にはどのように話したのか?
A:おもちゃの鉄砲というのは私の解釈。A子は「Kが目隠しをして見えないようにして、たまの出るようなので、顔にあてたの。こわかったよ」と話したので、おもちゃの鉄砲だと私が解釈した。
Q:8月7日付けの「いうことをきかないと、ビリビリ電気が出るガンを押し付ける」と書いているのは?
A:「Kがビリビリっと電気が出るのを出して、いうことをきかないとおっかないぞと言う」と言いながら、A子は手をあげて光が見えるような様子を手で表現した。私はどういうものか理解できなかったので、体に近づけると電気を出す銃のようなものではないかと思って、「ガン」と書いた。

(中略)

Q:8月23日、「家にいると口をおかずにワアワアしゃべるので」と書いているが?
A:夏休みの間、トイレの話を繰り返し、何十回となくいう。自分の怖さを聴いてもらいたいのだと思った。
Kがトイレに入って来て怖かったこと、トイレで体に触られたことを毎日、毎日、繰り返し、繰り返し、言葉にしていた。
Q:日記に書いてある被害はA子さんが自分から話した内容なのか?A子さんの母親から聞いて付け足すようにしたことはないか?
A:A子母から電話で、「あのね。A子がね、担任の先生にすごく体に触られたりして怖かったんだって」と聞いていた。しかし、具体的にどういうひどい目にあったかは聞いていない。A子が秋田滞在中も母親から聞いていない。
A子からは積極的に聞かないように心がけていた。A子の知能、性格から考えて、こちらから問いただしたら、たたみかけたり、感情を入れたりするときっと話さなくなる。「ばばが心配するからやめる」というやさしさがある。
「その次は?」ということは一切していない。できるだけ言いたいことを受け止めて、安心させるようにした。怖かったことを受け止めてやりたかった。


Q:Nさん自身、教員の経験があると聞いたが?
A:特殊学級を5年間受け持ったことがある。叱咤激励や強制的指導では、個々の気持ちがくじけてしまう。障がい児にはプレッシャーをかけないように心がけていた。個々の知能程度も違う。それに応じた指導をする。協調性を大切にして、わきあいあいの学習や生活を心がけた。その経験が今回、たいへん生きた。


Q:トイレの話はどう思ったか?
A:最初は先生の面白いジョークと思った。ホラーの花子さんのトイレ(「トイレの花子さん」のこと)の見すぎかと。
しかし、A子の恐怖感、怖さ、大変さを感じた。「おっかなかったね」「たいへんだったね」「よくがまんしたね」と声をかけた。
被害がただならない。ひとつや2つの怖さではない。恐怖にとりつかれていて、体を硬くして、「おばあちゃん、怖かったよ」と言うのを聞いて、私までも怖いという気持ちになった。
Q:昨年までの様子とは違っていたか?
A:違っていた。A子は小さいときにハシカにかかって脳症から障がいを負った。大人しく、こちらから問いかけたり、「○○しようね」と言わないと動かないし、何も言わない。ほしいものがあっても、こちらから働きかけをしないと、自分から要求することはない。
Q:担任に触られたと昨年まで話したことがあったか?
A:全くなかった。
Q:本当にされた被害について話していると思うか?
A:思う。

Q:秋田にいる間のことについて、A子さんの母に伝えなかったのはなぜか?
A:親は全部わかっている。聞かされていると思っていた。
Q:その頃、裁判になるし予想していたか?
A:夢にも思っていなかった。
Q:日記を刑事裁判に証拠として提出しなかったのはなぜか?
A:日記は自分のもので、他人に見せるためのものではないので、見せようと思わなかった。
Q:証拠として、裁判で使うことを考えたことは?
A:ない。教師という職業的に子どもたちのことを記録することが習慣としてあった。いつか話すこともあるだろうと書きとめた。
学校、教育委員会は子どもが二度とこのような被害を受けるようなことがないようにしてほしい。

(原告代理人弁護士が時間がないのでと話をさえぎろうとするのをNさんは、「これだけは言わせてください」と制して、一気に話した)
忘れられないことがある。まざまざと今でも思い出す。小学校卒業の平成16年3月。卒業記念のアルバムを開いたら、A子がいきなり、ツメである人の顔を傷つけて、「いちばん、大嫌いなKがここにいるの」と言った。「やめなさい」と言ってもやめないでこする。「この顔を消すの」「ツメで消して見えなくするの」と言った。
8ヶ月たった3月に、改めてA子の心の傷を思い知らされた。

障がい児教育のモデル校として特殊学級をつくったからと言われて、孫をお願いしたのに、心身に暴行を受けてメチャメチャにされた。改めて許せない。今も悲しみは消えることはない。これからも、一度受けた傷は消えない。苦痛と恐怖から逃れることができない心理状態で生きていかなければならない。
トイレでパンツに手を入れられたなどということは6年生の知的障がいのある子どもが考えられることでも、大人が教えられる話でもない。


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ここから、被告K氏の代理人弁護士から反対尋問。

Q:日記は7月27日から8月27日まであるが、1枚、1枚、カッターで切ってあるのはなぜか?
A:日記は自分のためのもので、誰かに見せるためでも、貸すものでもない。必要な部分を必要な方にと、その部分を切ってしまった。
Q:日記はコピーしている。見せたくない部分を隠してコピーすればよかったのではないか?
A:その時は考えなかった。
Q:欄外は本文と同じ日に記述したのか?
A:ほとんどそうだ。
Q:ペンは、N用、夫用を使用したとあるが?
A:自分用を使用しているが、夫用を使ったこともある。

Q:A子さんから被害を聴取した状況について?
A:私のほうから積極的に聞きだしたりしたことはない。私がA子の話に返事をせず、相づちをせずにいると、肩をたたいたりして、話した。
Q:A子さんが話すことにいちいち肯定したのか?
A:「違う」と否定したことはない。

Q:日記には、「K」「先生」「教師」といろいろな書き方をしているが?
A:A子は「K」と呼び捨てにしていた。私がそれを「先生」「教師」と書いたが、使い分けはとくに意図していない。

Q:「トイレに流されると死んでしまうの?」というのを聞いてホラーの見すぎと考えたと言っていたが?
A::「トイレに流されると死んでしまうの?」と何回も何回も言うので、先生の冗談が過ぎると考えた。
Q:A子さんがビデオの観すぎではと思ったと言っていたが、A子さんはホラービデオが好きなのか?
A:ちょっと恐ろしいものが入ったのが好き。

Q:7月30日のところに、プール授業の更衣室のことが書いてあるが、学校では男女に分かれている。男の先生は男の子、女の先生は女の子と別れている。「怖かった」と話したのは、証人(Nさんのこと)の関心をひこうとして話したのではないか。
A:そうは思わない。
Q:体を触られたのは、プールの授業のときか、別のときか、言っていたか?
A:言っていない。

Q:「先生って何もしないのに大きな声で怒るの。お父さんと同じだ」とA子さんが言ったと書いてあるが、父親も同じように、大きな声を出して怒ることがあるのか?
A:お父さんも大きい声で怒ることがあるので、そのことを言っていると思う。
Q:父親は子どもに厳しいひとか?カルテに、「以前にスイミングの先生を嫌がって、A子さんがいやがったのに、無理やり連れて行った」と書いてあるが?
A:ちょっと厳しいところはあるが、ふつうだ。
Q:カルテに「寝つきが悪い」と書いてあるが。自宅でも、夜9時半頃ふとんに入って、1時過ぎまで寝ないことがあると書いているが、知っていたか?
A:知らない。

Q:「学校のトイレ」とあるのはM学級内のトイレのことか?
A:学級内のトイレについてくるので、先生に見つからないように、廊下をはさんだところのトイレに行くと言っていた。
Q:A子さんはトイレには一人で行けるのか?
A:行ける。

Q:「いつも大きい声で怒ってばかり。お父さんと同じ」「おばあちゃんどう思う?」と聞かれて、どう答えたのか?
A:父親も大きい声を出すから、そう言ったのかと思う。「たいへんだね」「そうおもうね」と言った。

Q:「ガン」という言葉をA子さんは言っていないのに、「ガン」と書いたのはなぜか?
A:玉の出るのとは違うガン。それに対する認識がわからないので、勝手に解釈した。
Q:「カーテンをひいて」とあるが、どこにあるカーテンかわかるか?
A:わからない。「特別教室」のカーテンと自分で勝手に解釈した。

Q:8月18日のところに、「組の男の子たちも写真をとられた子がいたよ。裸にして」と書き、8月13日のところにも、「女の子たちも写真をとられた子がいる。他にもいるよ」と書いているが、男の子の話が出たときに女の子の話は出なかったのか?逆は?
A:ひとつひとつ聞いたことを書いた。その時どうだった思い出せない。

Q:「おもちゃの鉄砲」とは、実際にはどういう言い方をしたのか?
A:「玉の出る」と言った。

Q:被害が心配なのに、どうして一人で帰したのか?心配ではなかったのか?
A:妹と一緒に帰る予定だったのが、学校に行きたくなくて残った。ひとりで帰れるとA子が話した。だいたい飛行機で来ることが多かったので、大丈夫だと思った。

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被告の県代理人の弁護士から

Q:A市にいる間のできごとについて、母親とは具体的にやりとりしていないということだったが、これだけのことがあったら、母親に聞くのではないか?
A:親は十分にこのことをわかっていると思っていた。また、電話で話をするだけの内容ではないと思った。
Q:「親には言わないでくれ」とA子さんが言ったと書いているのだから、親には話していないとは思わなかったのか?
A:思わない。子どもなりに、親に心配をかけて、じじとばばにまで話したことを知れば、また親が心配すると思ったのだろうと考えた。
Q:母親は「先生に触られた」と抽象的なことしか言っていないが、詳しい内容や先生の処分について、母親に聞かなかったのか?
A:聞かなかった。


K被告の代理人弁護士から

Q:本文と欄外は別々のときに書いたのか?
A:時間差は少しあるが、その日に書いている。一度に書くにも、いろいろと仕事がある。自分のことはわりとさっと書ける。欄外のせまいところに書くには、どういうふうに書くか考える。できるだけ本人の言葉を書くようにした。

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男性裁判官から質問

Q:特殊学級の名前を知ったのはいつか?
A:T小学校に入学してすぐの4月に聞かされた。M学級のことは、はっきりとは覚えていない。
Q:隣の教室が空き教室になっていることは誰から聞いたのか?
A:A子から聞いた。

女性裁判官から質問
Q:トイレに流される話を聞いて、何と言って安心させたのか?
A:「本当にそんなことがあったら怖いね」「本当は流すことができないんだけどね」と話した。
Q:ビリビリと電気を発するものとはどういうものを想像したか?スタンガンという言葉は知っているか?
A:わからない。A子が動作をしたのを見て、ビリビリと光って刺激を与えるガンと理解した。

裁判長から質問

Q:A子さんはホラー映画がすきなのか?
A:夏休みに花子さんのトイレ、トイレの花子さんだったかもしれない、のビデオを見ていたことがある。
Q:ほかにはどんなタイトルがあったか?
A:・・・。思いつかない。

原告代理人弁護士から補足質問

Q:母親から、そういうビデオが好きと聞いたことは?
A:ない。
Q:ホラー映画は平成15年より前に見たのか?平成15年の夏に借りて見た記憶は?
A:前に借りて見たことはあるが、平成15年の夏に見た記憶はない。

12時10分に終了。


午後1時30分から、A子さんの母親の証人尋問。
(マイクが入っているのか、いないのか、午前中に比べても音声がとても聞き取りにくかった。聞き逃しもあるし、聞き違いもあるかもしれない)
原告代理人弁護士から質問。

Q:A子さんに被害を告白されたのはいつか?
A:平成15年7月4日に、ドアを開けたら玄関を入るなり、A子は「今日、Kにおっぱいギューされた。3回ギューされた」と言った。一瞬、わけがわからなかった。偶然、手が触ったのかと思った。しかし、A子は自分の両手を胸にもっていって、「ギューした」と話した。夜、寝る前、「Kがズボンのチャックおろすんだよ」と言った。「チャックおろしてどうするの?」「パンツ引っ張るの」と話した。
Q:それは母親が質問したから話したのか?
A:質問したから話すこともあったが、自分で繰り返すこともあった。近くにいるとき、ボソッと言う。台所に来て、ボソッと言う。
「トイレに流されるとしんじゃうの?」「Kがチャック下ろすんだよ」「下ろされたんだよ」。何十回も、何十回も繰り返した。気がつくとそばに来て話す。最後は、かわいそうで、聞いているほうが辛くなって、疲れてきた。

Q:夏休みに田舎に行っているとき、祖母からはKについての話を聞いていたか?
A:おばあちゃんから、「朝から晩まで先生の話ばかりして、頭のなかがおかしくなりそうだ」と言われた。私は「たいへんだよね」と言った。下が小3、A子が6年生。手がかかるから、忙しくしている。妹から私あてにだいたい電話が来る。おばあちゃんは、今、忙しいというのが目に浮かぶ。うんざりしていたし、母も大変だろうとわかっていたので、申し訳なくて聞けなかった。
Q:その時は裁判について考えていたか?
A:考えていなかった。

Q:A子さんが伝えた被害について。
A:「K、チンチン出すんだよ」と突然言った。ぎょっとして聞くと、「ほかの子どもの前でも出すんだよ」と言った。
「Kがトイレに入ってくる。中に入ってくることもあるんだよ」とも言った。私は「カギ閉めればいいじゃない」と話した。
「中に入るとき、おまた触るの」と言った。「やめてって言わなかったの?」と聞くと、「顔をたたくんだもの」「やめてって言ってもやめてくれなかった」と言った。
次から次へと、自分の口から出てきた。こちらが口をはさむ余裕がないくらい、次から次へと話す。目の焦点があっていない。表情はうつろで、初めて見る顔だった。いつものA子でないみたいだった。
だんだん話し出しているうちに、興奮して早口になって、また興奮したりした。

7月12日、「Kがチャックをおろすんだよ」と言われて、A子の前で泣き出してしまった。なるべく冷静を装っていたが。
あまりに次々と話すので、覚え切れないと思い、メモをした。
Q:どのようにA子さんの話を受け止めたのか?
A:どう受け止めていいかわからなかった。受け止めきれなかった。


(中略)

Q:今まで告白できなかった理由を聞いたか?
A:「なんで今で言わなかったの?」と聞いた。A子はお腹をさすりながら、「カッターでお腹を切って、殺すからねと言われて、怖くて言えなかった」と話した。これ以上のことはないと思っていたのに、またこんなことまで言われてショックだった。

Q:A子さんうそをついたとは思わなかったのか?
A:あんまり内容がひどすぎて、子どもが考えられる内容ではなかった。繰り返し言ってくる。私は「本当のことしか言っちゃダメなんだよ」と言うと、A子は「本当だよ!」と怒っていた。



(中略)

A:冷静に聞かなきゃと思っていたが、娘の前で泣いてしまった。
2学期、繰り返し話した。一つの被害のことを繰り返すこともあれば、いくつもの被害をたたみかけるように言ってくることもあった。

Q:おばあちゃんは、A子さんがホラー映画を好んで観ると言っていたが?
A:特にホラー映画ということではないので。アンパンマンやディズニーも好き。ホラーと言っても「トイレの花子さん」ぐらい。

Q:今も被害は深く残っているか?
A:小学校低学年の頃、なかなか学校になじめなかった。いじめもあった。高学年になってようやく学校に行く楽しさ、意味がわかるようになって、前向きになっていたのに、メチャメチャにされた。
5年たった今も、夜寝付けない、怖い夢を見る、夜中うなされる。男の先生への恐怖心があり、ちょっと注意されるだけで、体がガタガタ震える。今だに辛い様子がわかる。被害を受けた子どもたちが、一日も早く、心に受けた傷を回復することを祈っている。

*******

K被告の代理人弁護士から反対尋問。

Q:現在は普通学級に通っているのか?
A:普通学級に通っている。
Q:「学校なんて火でもえちゃえばいい」とM学級前にも言っていたことがあるか?
A:何回かあった。

Q:Kにたたかれたと知ったのは?
A:妹がA子がKにたたかれている様子を目撃して、A子に聞いてから。
Q:あなたが作成したメモがあるが、6月27日金曜日のところに、妹の話を記述していないのはなぜか?
A:妹がいいにくそうだったので、A子の言葉を書いたほうがよいと思った。
Q:A子さんの頭をたたいたのは、Kのみか?
A:他は聞いたことがない。
Q:S先生が何もしていない時に頭をたたいたと聞いたことは?
A:ない。
Q:A子さんはKから「言うな」と脅されていたのに、頭をたたかれたことを言ったのか?
A:妹に「言ったほうがいいよ」と言われて、言った。「言ったら、家族を殺される」「やったことを言ったらだめと言われた」と話した。

Q:6月30日の午前中に授業参観があったが、なぜ、このことに触れなかったのか?
A:一対一の個別授業が多かったので、復讐されたらいけないと思い、言えなかった。
Q:またいじめられると思わなかったのか?
A:その時は、他の被害は知らなかったので、なるべく婉曲な表現で、被害をけん制するような形で言った。

Q:7月4日、「おっぱいを3回ギューされた」というのは、A子さんは明確に言ったのか?
A:言った。「先生におっばいギューされて、とても痛かった」と話した。
Q:A子さんが言ったことそのままか?
A:まとめて書いた。
Q:3回と書いていないのはなぜ?
A:どんな被害かわかればいいかなと思った。
Q:Bさんと、Cさんの母親が、K先生のことをいろいろ言っていた?
A:その場にいなかった。
Q:B母に尋ねなかったのか?
A:自分が言われた被害で頭がいっぱいだった。
Q:BさんもA子さんと同じように被害にあっていると言わなかったか?
A:言わなかった。

Q:7月8日、9日の宿泊学習について、心配ではなかったのか?
A:一生懸命に参加しようとしている娘に対して、その場で強く言えなかった。
Q:以前、いじめにあったとき、学校から対策が出されない限り登校させないと言うことは?
A:話したことはあった。
Q:平成15年の虐待のあと、学校に行きたくないということは?
A:そのときは言わなかった。
Q:記録に「今はいじめがなくなっても、A子にちゃんと話したが、恐怖心が残っていて学校に行きたがらなかった」と書いているが、このときは言わなかったのか?
A:言わなかった。

Q:「先生におっぱいギューされた」「頭をたたかれた」「足たたかれた」と何回も言った理由はどのように考えるか?
A:辛くて、辛くて、次から次へと気持ちがあふれたのだと思う。
Q:母親にかまってもらうためのパターン化した会話ではなかったか?
A:ありえない。


Q:このとき、担任を替えてほしいとは要求していない。A子さんの担当だけ替えてほしいということか?
A:学校のシステムがわからないので。
Q:他の子を担当するなら、KがM学級で教えてもいいと思ったのか?
A:他の子どもも被害にあっているかもと思っていたので、そういうことは考えなかった。

Q:S先生に指摘されてパニックになったのはどうしてか?7月4日のことが実際には存在しないからでは?
A:それはない。

Q:7月15日のところで、A子さんが教室のなかの3箇所を指差したとあるが、被害にあった場所について、どことどこを指したのか?
A:最初にカーテンスペース。トイレのある場所。
Q:あの時に、2人きりになる時間はなかったのでは?「A子は焦りだして、髪の毛をむしり出して、ピアノのところを指した」とあるが、もう1箇所は?
A:私は2箇所だと思っている。「3回ギューされた」と話したので、S先生が勘違いしたのでは。理由もないのに被害を受けているA子の辛そうな様子から、それ以上、聞くことをしなかった。
Q:ひとつの被害について、何度も聞くことはしたか?「詳しく教えて」と聞いたか?
A:A子の知的レベルではむずかしい。どこでとか、簡単なことを聞くしかなかった。

Q:A子さんの被害が心配だったのに、祖母のところに行かせた理由は?
A:母は教師をしていただけあって、私よりずっと子どもと接するのが上手。私は母に対して全幅の信頼をしている。秋田に行って、辛いことを忘れられたらいいのにと思っていた。

********
男性裁判官から質問
Q:A子さんが「K」と呼び捨てにするのはいつ頃から?
A:6月末に被害を訴えたあと。最初の頃は「先生」と言っていた。

女性裁判官から質問
Q:他の先生も呼び捨てなのか?
A:他には後にも、先にもない。
Q:A子さんはマンガは読むか?
A:あまり読まない。
Q:姉の持っているマンガを読むということは?
A:見たことがない。テレビやビデオが主。難しい内容はわからない。

Q:平成15年の夏休み、2人を自分の母親に預けた気持ちは?
A:A子が心配だった。母は今までも私が困っているとき、話を聞いて全部受け止めてくれるような母だったので、信頼していた。


Q:A子さんが繰り返し被害を話た内容で一番、多かったのは?
A:「おっばいギューされた」とか。「先生がチャックをおろす」とか、毎日のように繰り返し話していたが、「トイレに流されたら死んじゃうの」が一番多かった



10分から15分の休憩をはさんで、4時15分から、当時、M学級の補助教員W(男性)の証人尋問
(あとから聞いた話では、刑事事件のときにも、証人として法廷に立った教員とのこと)

被告K代理人弁護士から主尋問
Q:6月7日のプールの授業後のこと。A子さんがKに2回、頭を殴打されるのを見たか?
A:見ていない。
Q:他のプールの機会に、殴られているのを見たことは?
A:ない。
Q:プールの授業のときにA子さんが怒られているのを目撃したことは?
A:ない。
Q:プールの着替えはどのように?
A:職員と生徒が一緒に、男女別々に着替える。
Q:プールの授業のあと、プールに足を入れて、話すことがあるか?
A:ない。授業後すぐに着替えて、次の授業がある。そんなことをしたら、集中力がないので、次の授業に差し支える。
Q:着替えたあと、誰かがいなかったらすぐわかるか?プールの授業後に誰かがいなかったことは?
A:ない。
Q:(現場の見取り図を指し示しながら)更衣室2つ、シャワー室2つあるが、男性、女性が行き来できるか?
A:できない。
Q:K教師だけが一人で別行動することはあるか?
A:担当の子の着替えを手伝わなければならないので、別行動することはない。
Q:Kは着替えは誰を担当していたか?
A:○○くん、○○くん。

Q:Wさんは、K教師に意見を言えたか?
A:フランクに言えた。
Q:KがA子さんを殴ったり、髪の毛を抜いたのを見たか?
A:見ていない。A子さんが自分の髪の毛を噛んだり、ひっぱったりしたのは見た。「そんなことをしたらダメ」と注意した。
Q:M学級でスタンガンを見たことがあるか?
A:ない。
Q:プール内のボールをKが何度も顔面や体にぶつけたのは見たか?
A:見ていない。ふざけてやっても、子どもが真似をするのでそういうことはしない。
Q:Kが、ガムテープで口をおおい、足を固定してボールをぶつけたのを見たことは?
A:ない。
Q:ガムテープは置いてあるか?
A:床が盛り上がって危ないので、補修用においてあった。
Q:A子さんの手がめがねに当たった際、Kがたたいたことは?
A:見ていない。
Q:教材庫に閉じ込めたのを見たことは?
A:ない。
Q:生徒は教材庫のカギやスイッチの場所は知っていた?
A:教材を取りに行ってもらったので、知っている。

Q:A子さんが「トイレに流されると死んじゃうの?」と言うのを聞いたことがあるか?
A:聞いたことがある。A子さんが「赤ちゃんがトイレに流されちゃった」と言った。そこで「本当は流されないんだけれどね」と話した。テレビで見て、怖い映画か何かで見たと言った。

Q:Kが性器を生徒たちに見せたのを見たことはあるか?
A:ない。○○くんがトイレで失敗して下半身裸で戻ってきたことがあった。

Q:A子さんはトイレは誰と行くのか?
A:一人で行く。一人で行けない子は、男児は男の先生、女児は女の先生が一緒に行く。最初の話し合いのとき、K先生が提案して、みんなで合意して決めた。

※ここまで、ほとんどの質問が「K先生が○○したのを見たことがあるか?」「ない」の繰り返しで、一部のみ掲載する。

********
原告代理人の反対尋問

Q:当時のW先生の担当は?
A:○○くん。
Q:Kの担当は?
A:C子さん、A子さん、B子さん。
Q:ほかは?3人だけだったのか?
A:当時、3年生をS先生が担当していた。ほかはよく覚えていない。
Q:担当は、いつ、どのように決めたのか?
A:4月初め、手のかかる子はマンツーマンでということになり、あとはK先生がフォローすることになった。
Q:Kが3人の担当になった理由は?
A:すでに決まっていた。担任と、請けもち部分と。
Q:○○くんがあなたの担当になったのはなぜか?
A:車イスなので、保護者からW先生でと、学校が始まってすぐに。
Q:Kの担当が決まったのも学校が始まってすぐか?
A:はい。

Q:個別指導は?
A:平成15年5月から、低学年と高学年で分けた。場所はM教室、図工室と隣の空き教室4年4組。
Q:2階の生活科を使用していたことは知っていたか?
A:知らない。
Q:1人だけ個別指導することは?
A:あった。算数と国語の個別指導を空き教室で行った。高学年は、低学年と一緒だと集中できなかったので。
Q:A子さんとKが二人きりのときもあったか?
A:交流授業のとき、あったと思う。
Q:KがトイレにA子さんと一緒に入ったことは?
A:ない。

Q:親が迎えに来たあとは?
A:○○を玄関まで送って、そのあと、教室に戻る。高学年の授業に戻って仕事をしていた。S先生の手伝い。

Q:Kが性的な発言をするのを聞いたことは?
A:ない。
Q:「胸が大きくなった」と話しているのを聞いたことは?
A:生徒下校のあと、職員室で話し合いのなかで、K先生がした。
Q:具体的には?
A:話し合いのなかで、「最近、○○さんの胸が大きくなってきた」と言った。
Q:「○○は出ているところが出ていて、引っ込んでいるところは引っ込んでいる」と言った発言と同じか?
A:同じだと思う。
Q:それを聞いて、どう思った。
A:とくに何も思わなかった。

Q:まずい発言とは思わなかったか?
A:別に、そういう感じではなくて、単発で終わってしまったので。

Q:Kと子どもたちとは、どのようなスキンシップがあったか?
A:持ち物を忘れたり、少し遅れた子やどかせるために、わき腹や前をくすぐったりした。
Q:それがスキンシップか?どこをくすぐったのか?何回くらいあったのか?
A:うでをくすぐった。4、5回あった。
Q:誰を?
A:A子さん、○○、○○、○○、○○、○○。
Q:4、5回というのは、全員あわせて1回ずつくらい?
A:だと思う。
Q:「胸が大きくなった」発言やくすぐりについて、市教委の調査で話したか?
A:「胸が大きくなった」と発言したかと聞かれて、「ありました」と話した。くすぐりについては、特には聞かれていない。

Q:市教委の調査について、「A子さんがKサイアク」と言っていたと述べていたと話しているが、A子さんはどういう状況で、いつ言ったのか?
A:学校で、休み時間に、ふざけて本人が言っていた。
Q:いつ頃?
A:何回かあった。
Q:2学期以降も言っていたのか?
A:1学期はなかった。
Q:どういう状況で?
A:ふつうの会話をしているなかで。
Q:「赤ちゃんがトイレに流されるのをテレビで見た」とA子さんが言っていたということは、市教委に話したのか?
A:話したと思う。

Q:県教委から調査を受けたことは?
A:あると思う。
Q:いつ頃か?
A:2004年3月くらい。
Q:何を聞かれたのか?
A:市教委に聞かれたのと同じこと。
Q:24項目のことか?
A:はい。
Q:場所は?
A:市の教育委員会で。
Q:どのくらいの時間?
A:15分くらい。

Q:教材庫のかぎはA子さんが自分から開けたり、閉めたりしたのか?
A:自分から。こちらから入れないように閉めたりした。

原告代理人の児玉弁護士から質問
Q:障がい児教育は何年?
A:学校で2年。
Q:子どもの虐待、性虐待については知っているか?
A:知っている。
Q:Kが女児のトイレに入っているのを見たことは?
A:見ていない。
Q:障がいのある子をくすぐるのは、どういうときか?どうやって?
A:出席のとき。表情がよくないときと反応を見たり、関わりをもつときに。
Q:生徒は喜んでいた?
A:はい。

Q:「Kサイアク」と言ったのは2学期だというが、前とは何か違っていたか?
A:変わっていない。
Q:この言葉をどういう意味でとらえたか?
A:本人はふざけて言っていたので、本当の「最悪」の意味では言っていなかったので。


*****
K代理人弁護士から補足質問

Q:個別指導で、K先生とT先生が一緒になって別教教室に移動していたが、単独になることはあったか?
A:だいたい一緒だった。
Q:くすぐるとき、K先生が積極的だったのか、子どもからせがむことはなかったか?
A:一方的にはなかった。やってほしそうな態度は表した。
Q:A子さんは?
A:かまってほしいような様子だった。
Q:「サイアク」というのは、嫌っている様子だったのか?
A:誰かの真似をしている感じだった。
Q:子どもの冗談?
A:そうです。

****
男性裁判官から質問

Q:担任と担当の違いは?
A:担任は名簿上で、成績をつける。担当は日常生活をみる。
Q:11名の生徒の担任はすでに決まっていたということだが、担当はどのように決まったのか?
A:わからない。
Q:「豆腐」についての発言は?
A:B子さんが「豆腐を食べられない」と言っていた。2学期も他の子はみんな食べていた。

Q:個別指導で、4年4組の教室で、KとB子さん、A子さん、C子さんだけのときはあったか?
A:・・・・(長い沈黙)。はっきりとわらない。

Q:「Kサイアク」は2学期以降ということだが、この頃にはKは担当を外れていた?M学級で接触を持つことは?
A:接触をもつことはなかった。
Q:2学期にKがどこにいたか、児童はわかっていたのか?
A:知らない。

女性裁判官から質問

Q:Kが担当、担任を外れた理由を聞いたか?
A:詳しくは聞いていない。
Q:どのような理由と想像したか?
A:何人かの保護者とトラブルがあったのかと思った。
Q:「サイアク」というのは、具体的にどのような文脈で言ったのか?それに対して、どのように対応したのか?
A:最初、B子さんが言った。それを真似して言っていた。突然、ぽんと言って、相手の反応を見ている。

Q:あなたは、どのように反応したのか?
A:・・・・(無言)。
Q:B子さん、A子さん、C子さんの3人は何て言ったか?
A:何も言わなかった。とくには。
Q:2人が、それ以外の先生について、このように言うことは?
A:他はない。Kのみ。

Q:4年4組の個別指導はKとT先生だったというが、いつも一緒に受けていたのか?
A:T先生の受けもちの児童と学年が違うので、教室の前と後ろで分かれて授業をしていた。
Q:交流授業その他で、T先生がよそに出ていることは?
A:個別指導は覚えていない。
Q:「Kだけになったことはなかった」とは言っていない?
A:はい。


*****
被告代理人から補足質問

Q:B子さんはいつまで学校にいたか?6月末までではなかったか?1学期のことでは?
A:そうです。



TAKEDA私見ほか。

裁判は朝から夕方まで一日がかりで4人の証人尋問だった。しかも、午後からはマイクが作動しているのかわからないような状態だったので、内容は聞き漏らしや聞き違いもあると思う。必死でとったメモも、あとから読み返すと、意味不明の箇所もいくつかあったので、だいたいの流れを感じ取ってもらえればと思う。(後日、他の方から指摘があれば、内容を訂正する可能性あり)

それから、こういうわいせつ事件に関しては、サイトにどこまでを載せるべきか毎回、非常に悩む。性的関心や興味本位で、わいせつ事件ばかりをツアーを組んでめぐっているひとたちと出くわしたこともあるし、2チャンネルなどで面白おかしく取り上げられる可能性についても考える。

一方で、とくにこの裁判では、刑事事件で、2人の障がいのある女児の証言の信憑性が認められず、日時の特定がなされなかったことを理由に被告のK元教師は無罪となり、民事裁判でも冒頭から冤罪を訴え、毎回の裁判にも堂々と法廷内に座っている。冤罪事件支援の著名なひとも向こうについているとも聞いている。これが、原告側の捏造ではないことを多くのひとにわかってもらうためには、真実こそが何よりの説得力になると思うので、いたずらに好奇心をあおりそうな箇所を除いて、かなりの部分を書かせてもらった。

そして、これを読んだ多くのひとたちには、もし自分の身近な大切な人間が性的被害にあったら、ということを真剣に考えてもらいたいと思う。
どうやって周囲は気づいたらよいのか、被害者はどのような状態になるのか、傷ついた心にどのように対応したらよいのか、二度とこのようなことを起こさないためには何をするべきなのか、学校として教師として、してはならない事後対応とは何か、学ぶべきことは多い。

私は、メキシコのNGO施設で、性的虐待にあった幼い少女、そして少年たちの話を直接聞いたことがある。日本でも、いじめのなかでの性的虐待、施設内での性的虐待の被害者やその家族から話を聞いたことがある。性的虐待についてのセミナーに参加したり、本も読んだ。
今まで出会った被害者たちはみな、被害について語るとき、とても口が重かった。涙を流す子もいた。このまま、聞き続けて本当にいいのだろうかと、何度もためらいを感じた。
被害は口にしたくないもの。言葉にすれば、さらに傷つくもの。言葉にできるようになるのは、時間がたって、ある程度、客観的にものごとを見られるようになってからの回復の過程という思い込みが、いつの間にか、私のなかに形成されいたように思う。

ところが今回、法廷で聞いた話は、その知識や経験をくつがえすものだった。
祖母の話はとても具体的で、秋田でのA子さんの様子が、目の前に浮かぶようだった。
一旦、口に出した怒りはとどまることを知らない。一日中、被害を口にする、恐怖と怒りを吐き出す。
それは、家族という安心した関係のなかでのみ、見せることのできる被害者の真の姿かもしれない。あるいは、A子さんのもつ知的障がいが、心の鍵を外すことをより容易にしたのかもしれない。処理しきれない感情を言葉にして吐き出すことは、自分の心を守るために必要な作業だったのではないだろうか。そのことを本能が知っていた。
それは信頼できる祖母の元でこそ、可能だったのだろう。

A子さんの母親の選択は正解だった。親はどうしても冷静でいられない。子どもに対して感情を見せてしまう。時には泣いてしまったり、問いただしてしまったり。やりきれない思いから、つい目の前の子どもを責めてしまったり。
そして子どもは、親が悲しむ姿、苦しむ姿にとても敏感で、口を閉ざしてしまう。心を閉ざしてしまう。
じっと見守ることのできた祖母は、誰よりもすぐれたカウンセラーの役割を果たしたのではないだろうか。早い時期に、秋田の祖母のところに行けたことは、心理的な癒しの面ではとても大きな効果があったのではないだろうか。

かつて教員をしていたというNさん。きっと長年、誇りをもって教育の仕事に取り組んで来られたに違いない。真摯に子どもたちに向き合ってきた経験が、はからずも自分の孫に生きた。
一方で、同じ教員から、自分のかわいい孫が一生残る深い心の傷を負わされた。それを他の教師も、教育委員会も、守ろうとはしなかった。みんなでないことにしようとした。どれほど、情けなく、裏切られた思いだろう。

性的虐待の加害者にはいくつかのパターンがあるという。
幼い子どもが性的虐待の意味が理解できないのをよいことに、やさしい態度や言葉がけをしながら、自分の性的欲望を満たすやり方。被害を受けた子どものなかには、自分だけ特別扱いされている、愛されていると思って、嫌がらない子どももいるという。
そして、その行為のもつ意味を理解するようになって初めて、愛情だと思っていたものが、単なる欲望だと知って、その餌食にされたことに衝撃を受けることがあるときいた。
少し大きくなると、「脅し」を使うという。「ママに言うと、ママが悲しむぞ」「一緒に暮らせなくなるぞ」「ママに嫌われるぞ」「このことが知られたら、みんなに嫌われる」。「言ったら、殺す」などなど。羞恥心と恐怖心で縛って、思い通りにする。
やさしさと暴力を交互に繰り返し、相手が自ら自分に従うようにコントロールする場合もある。
学校の部活動内のセクシャルハラスメントでは、体罰を含む厳しい指導とセットになっていることが多い。教師の指導を絶対のものとし、「いや」と言わせない。体に恐怖を覚えこませ、逃げられなくする。あるいは、特別な指導やレギュラーの座を駆け引きにつかう。

今回、K氏は、完全に暴力で支配しようとした。殴るなどの有形の暴力と、「殺す」という言葉と態度での脅しで、強い恐怖心を植えつけて、いうことをきかせようとした。
知的障がい、養護学級という事件の背景から、もっと、だましだまし性的虐待を加えることもできただろうと思う。しかし、それさえしなかった。それは、K元教師の子ども全体に対する考え方の反映ではないかと思う。
子どもを自分の欲望を満たす道具としかみていない。家畜かなにかと思っている。心があるとは思っていない。
恐怖で支配された子どもたちの心の傷は深い。

子どもたちは、なぜ、被害を口にできないか。親を悲しませたくないという思いやり。うまく説明できないし、言っても信じてもらえないだろうというあきらめ。
そして、がまんすることを日ごろ、強要される障がい児教育のあり方もまた、影響を与えているのではないだろうか。

障がい児・者は、経済最優先の国の方針のなかで、価値のないもの、迷惑なものと位置づけられてきた。障がい児を生み育てた親も、本人も、肩身の狭い思いをさせられてきた。
日本の障がい児教育は、個性を大切にし、その子どもが持っている能力を引き出すことよりもむしろ、健常者のじゃまをしないようロボットのように周囲の言うことに従う、集団からはみ出さない、他人の手を煩わせないことに重点を置いてきた。
結果、障がい児・者は、自分の存在に自信が持てず、常にコンプレックスを抱き、自分の気持ちを素直に出してはいけない、不満を言ってはいけない、何事もがまんしなければいけない。叱られたり、不当な扱いを受けるのは自分に問題があるからと思い込まされてきた。
障がい者に対する、国全体の人権軽視が、事態をより深刻なものにしたのではないか。

証言された被害の内容は、子どもが到底、考え付くような内容ではない。知的障がいがなくとも、このような内容を子どもに言えと教え込むことなどできるはずもない。
まして、親は自分の子どもがこのような被害にさらされたなど、認めたくもないだろう。大人の想像さえ絶する虐待行為。口にすることさえおぞましい。
それを、子を愛する母親が、孫を心配する祖母が、好奇の目で見られることを覚悟しながら、人前で話さなければならなかった。どれほど心引き裂かれる思いだったろう。 
それでも、「無罪」を訴え、「冤罪」を声高に叫ぶK元教師には何も届かないのだろう。そして、被告の県は、市教委は、弁護士たちは、やはり何も感じないのだろうか。(今回、わいせつ行為や虐待の具体的な内容は、原告弁護士からではなく、むしろ被告側の弁護士から、質問の形で具体的に提示された。それがなければ、一般傍聴人には知りえなかったことのほうがむしろ多い)

被害者側が、これだけの思いをしても、信じてもらえなかった、事実と認めてもらえなかった刑事裁判で、Aさん一家はどれだけ傷を深くしただろう。そして、世の性的被害を受けた女性たち、男性たちが、子どもをもつ親たちが、障がい児をもつ親たちが、裁判の結果にどれほどの絶望感を抱いたことだろう。
一方で、他人の人権を平気で踏みにじる、性的虐待をする大人たちが、どれほどほくそ笑んだだろう。


今回のこの事件の問題は、K元教師個人の問題にとどまらない。
前の学校ですでに保護者とのトラブルがいくつもありながら、その事実を隠して、浦安市の小学校のしかも養護学級に配置したこと。養護学級であれば、多少のトラブルが発生しても、対象人数が少ない、児童生徒に理解力がない、発言力がないために発覚しにくい。また、親が知ったとしても、手のかかるわが子を預けている引け目から、文句がいいにくい。そんな馬鹿にした考えで、あえて養護学級に配置したのではないか。
もし、知的障がいのある少女たちであれば自由になると被告人が考えたとしても、その意図を見抜く責任が教育委員会にはあったと思う。
そして、事件後の市教委、県教委のおそまつな対応。大人の都合ばかりが優先されて、肝心の子どもたちが置き去りにされた。形式だけの調査。自分たちの管理責任を問われたくないがために、教育委員会も、同僚教師たちも、「何もなかった」ことにしようとする。その結果が、すべて子どもの安全を脅かす事態につながるのだということを自覚さえせずに。
唯一、世の中の不正義を正してくれるかと思われた刑事裁判も、障がい児の特性、性被害の特性に配慮することなく、無罪のお墨付きを与えてしまった。

千葉県在住の小さな子どもを持つ親たちは、Aさん一家に感謝すべきかもしれない。
刑事裁判で、日時があいまいということで無罪になったことを理由に、教育委員会は、Kを現場復帰させることも考えていた。少なくとも教諭から被害を受けたという女児供述には一貫性があることなどから、疑問を差し挟む余地がないようにも思われる」という判決文の内容を知りながら、それを無視した形で。
もし、Aさん一家が、民事訴訟を起こさなければ、Kは依願退職することはなかっただろう。前科もなく、前の学校での情報もないまま、新しい学校に赴任していたかもしれない。それは、養護学級だったかもしれないし、小学校の低学年だったかもしれない。部活動の顧問を引き受けていたかもしれない。

そして、全国の子どもをもつ親たちは気をつけてほしい。教員免許を剥奪されたわけでもなく、前科がついたわけでもなく、名前も写真も公開されていないK氏が、ある日、突然、あなたの町にやってきて、大好きな幼い子どもたちに接する仕事につくかもしれない。場合によっては、養護学級ての経験のある元ベテラン教師として。
さらに、このような教師はもちろん彼ひとりではない。いじめに対する対応か日本全国どこでも一律であるように、わいせつ教師、体罰教師をかばう学校・教師、教育委員会の体質もまた、どこに行ってもハンで押したように同じであろうということを危機感をもって受け止めてほしい。
女児たちの身に起きたことが、次はあなたの身近な大切なひとにも起きてしまうかもしれない。



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