2007/4/19 | 杉原賢哉くん(中3・14)自殺事件裁判(4/13)の傍聴報告 | |
2007年4月13日(金)、さいたま地裁505号法廷で、杉原賢哉くん(中3・14)の自殺事件の口頭弁論の第3回目が行われた。裁判長は近藤壽邦氏、裁判官は河本晶子氏と多良周作氏。 被告は、学校法人開智学園。 杉原賢哉くんは、2006年7月4日、鉄道自殺した。 賢哉くんは5月9日に学校の教室内であった「盗難事件」を目撃して、教師にそのことを告げていたという。そして、「大変なことが起きている」と母親に告げた翌日に自殺した。 その日、賢哉くんは無断欠席をした。それまで、ほぼ皆勤に近いほど欠席などなかったが、学校側は自宅に確認することをしなかったという。 賢哉くんが電車に飛び込んだ時刻は1時46分。その日、賢哉くんはいつも通り朝7時頃に家を出ている。もし、学校から家族に登校していない旨の連絡がいっていれば何らかの手が打てたかもしれない。 原告らは今回、1.欠席確認義務違反、2.全容解明義務違反、3.調査報告義務違反などを主張している。 対して被告は、「すべて否認ないし争う」としている。 学校は裁判の答弁書のなかで、原告である父親の態度が悪かったとして問題にしている。 子どもが突然、亡くなって、取り乱さない親がどこにいるだろう。まして、安全に通っていると信じていた学校側からは、謝罪のことばも、お悔やみの言葉も、説明もなく、いきなり盗難事件の目撃について、盗難という事実はあったことは認めても、加害者と目される生徒の氏名も知らせず、目撃は賢哉くんの見間違いかもしれないと擁護する発言をされたのでは。 原告は学校側の態度に激怒したことは認めたが、しつこく電話をかけてきたという内容に対しては、電話の発信記録を開示して、回数的にも、時間的にもけっして常識をはずれたものではないことを明らかにした。 私は、提訴前にこの事件のことをお父さんから聞いていたが、第1回目と第2回目の裁判の日時がわからず、第3回目からの傍聴になるので、詳しいことはわからないが、どうも、原告側が求めていることと、被告側の主張がまったく噛みあっていない気がするのだが。 そして、その噛みあわなさ、追いつめられた相手の気持ちに対する無神経さこそが、子どもを殺すのだと思う。 原告側は自殺の原因は学校にあると一方的に責めているわけではない。息子の自殺の原因がどこにあったのか、知りたいので教えてほしいと要望し、それが叶えられないことに対して、不服を申し立てている。 「なぜ」という親の当然の思い。その答えをもっているはずの学校側が、誠意を見せない。 預かっている子どもがひとり死んだというのに、その「なぜ」を解明しようとはしない。親が裁判を起こさなければ、何事もなかったかのように、ただ口を拭っているだけなのだ。 よく、裁判の判決でも、「自殺の原因には様々あり、他人には推し量ることはできない」と結論付けられてしまう。 しかし、「これ」という原因をひとつに特定してくれなくてもいいと思う。考えられることはすべて出してほしい。どこに責任があったかなかったかは、そのあとのことだ。事実をすべて出したうえで、みんなで何が彼を死に追いつめたのか、どうして救えなかったのか、どうすれば救えたと思うのか、繰り返さないためにはどうすればよいのかを考えていけばよいと思う。 ただ、何があったのかの情報の共有なしには、親も、学校も、生徒も、この人ひとりの命が失われたという事実から何も学びとることはできない。再発防止策も立てられるはずもない。 どこかのスラム街で死んだわけではない。いじめでも、事故でも、秩序ある学校のなかのできごとで、子どもが死んでいるのに、なぜ平気で「原因不明」などといえるのだろう。お金をもらって子どもたちを預かっているたくさんの大人が関与しながら、なぜ「知らない」などといえるのだろう。知らなくて平気でいられるのだろう。 こんな日本だから、金もある、食べ物もある、家もある、裕福な暮らしと言われるなかで、子どもたちが死に続けるのだ。子どもに対する愛情のなんて貧しい国だろうと思う。 次回は5月25日(金)16時30分から、さいたま地裁505号法廷にて。 |
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