前回(2005/11/18)に引き続き、川崎市精神保健福祉センター主催、こころの健康セミナー メンタルヘルスと自殺予防第2回 青年期のこころの危機に参加して、帝京大学医学部付属溝口病院精神神経科医長張賢徳(ちょう・よしのり)氏 のお話を聞いた。
思春期とは、体が大人になりはじめる時期。栄養状態がよくなっていることから、体の性機能の発達が早く、今では小学校4年生くらいから思春期に入る子もいる。とても早くなっている。
青年期とは、こころ(精神面)が大人になり始める時期。始まりは18歳頃から。終わりについては個人差が非常に大きいが、全体的にどんどん伸びている。今の心理学の見解では、30歳頃とされる。
青年期の最大のテーマは、親離れと自己確立。自分の価値観、同一性、人生観をつくりあげていくこと。
青年期のこころの危機とは「揺らぎ」。依存と不安。
「自分は自分」「自分の生き方はこうだ」「自分の人生の目標はこうだ」などの考えが固まるまでの間し揺らぎがつきもの。しかし、今の全体教育のなかでは、みんなと同じでなければいけない。個性が育ちにくい時代になっている。情報が氾濫するなかでメニューが多すぎて決められない。
現在起きているネット自殺は、2003年2月の事例以降、続発している。ネット心中とも言われるが、人間関係のつながりのなかでの昔ながらの心中とは異なる。自殺するという、ただその一点だけのつながり。
インターネットという手段は、自由な書き込みが行われる場である。厭世観や希死念慮、自殺願望を書き込むことで発散し、救われるひともいるが、何割かはマイナスの影響を受ける。
青春期は揺らぎの時期でもろい。青年期に一度くら自殺を考えたことのある人は実は案外多く、他国でも半分くらいはいるというデータが出ている。
そういう気持ちのときに、悩みや苦しみ、自己否定、厭世観などインターネットで何100もの同じ思いに触れると影響され、マイナスの気持ちが強化されやすい。
掲示板を禁止しても問題解決にはならない。韓国では日本より数年前にネット自殺が始まった。政府がサイトの掲示板を全面禁止したが減ることはなかった。次々に新しいサイトが立ち上がった。
禁止するよりむしろ、そうしたサイトのなかで、自殺したいひとの気持ちを支える書き込みを増やしていくほうが有効では。
ネット自殺の実態を調べてみると、実は精神科の病気や問題を患っていた人が多い。
「呼びかけ人」に多いのは、境界性人格障害、解離性障害など。他者をまきこむ。
原因のひとつとして、養育過程での愛情欠乏がある。
境界性人格障害は圧倒的に女性に多い。虐待などの影響があると、基本的な信頼感が育たない。情緒が育たない。見捨てられ不安が強く、うつになりやすい。他人をまきこみ、振り回す。リストカットや過量服薬(オーバードーズ)を繰り返す。
リストカットは、苦しい気持ちの表現。しかし、自傷するひとは一般の100倍自殺率が高いので、安易に考えてはいけない。
男性の場合は、反社会的人格障害に陥りやすい。
解離性障害は、重症になると多重人格になる。これは、虐待から逃げられない子どもが、空想の世界に逃げ込んでいるうちに、もうひとつの人格として育つ。
「追随者」に多いのは、うつ病、躁うつ病。うつ病は環境の病気と言われる。遺伝的要素は20%〜30%。一方、躁うつ病は70%遺伝性で、10代から20代に出てくる病気。育て方とは関係がない。脳も人間の臓器の一部。遺伝に影響を受ける。(遺伝的要素があるひとは絶望するのではなく、無理をしないなど、予防に生かしてほしい。)
うつ病になると、自分の主体性がもてなくなり、同じ考えのひとに引っ張られやすい。
子どもや若者のうつ病が増えている。ストレス社会や養育環境、食生活などの影響も考えられる。
こころの発達に、養育環境はとても大切。「愛情欠乏」は思春期以降の精神科的問題に関係する。
過保護、過干渉、無視、放任などの極端な態度はよくない。二重性もよくない。子どもが混乱する。
親が揺れない、一貫性をもっていることが大切。それには、親が思春期を卒業していること。
非行少年の過半数が虐待を受けている。親が愛情を注いでいるつもりでも、虐待になっていることがある。子どもが愛を感じるかどうか、子どもの主観が大切。
虐待を防ぐためには、子育て支援が必要。子どもの教育は社会全体で。日本は諸国のなかでも、いちばん母親に子育ての負担が集中している。支援が乏しい。
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ここから私の個人的な感想。
思春期は早く、青年期はいつまでも終わらない。肉体的に大人になるのは早く、精神的に大人になるのは遅い。危険な状態が、かつてよりとても長く続いているのだと知る。
自分の身を守るすべを知らないうちに、周囲からは性的な対象とされる。性的な発達が大人と同じように10代をセックスに走らせる。欲望を抑えられない。表面的な言葉に簡単にだまされてしまう。
そこから、暴力や病気、妊娠や望まない出産、心の傷が生まれる。
青年期の延長から、大人になりきれないまま親になる。そのことが、虐待増加の一要因ではないかと思いあたる。
強い自己愛だけを抱えたまま、子どもさえ、自分を満足させるための道具や手段として育てる。親のための子ども。親が愛してくれない自分という存在を子ども自身が愛せない。傷ついた心が青年期になって、さまざまな問題を起こす。
学べば学ぶほど、あらゆる問題に子ども時代の親による愛情不足や虐待があることを実感させられる。
私も子育て支援は大切だと思う。しかし、社会はもっと一人前の大人を育てていくことをしなければならないと思う。それは知識だけでは得られないことだろう。
かつてに比べて、全体的な学歴は高くなった。大学院を出るひともめずらしくなくなった。学生のうちは子ども。思春期が延びている原因のひとつではないか。
そして、人は人との関係のなかで切磋琢磨して、大人へとなっていく。自我を確立していくのだと思う。その人間関係が小さい頃から希薄で、少子化に加え、子どもが集う学校のなかでも競争社会が人と人との関係を分断していく。社会に出ても、今やマニュアル化、電子化されている職場のなかでは、人と人のつながりが減っている。一方的な情報の受発信はあっても、相互的なコミュニケーションが圧倒的に不足している。むしろ、情報があふれればあふれるほど、ひとはコミュニケーションを必要としなくなってしまうのかもしれない。
セックスができて、金が稼げたとしても、いつまでたっても一人前の大人として、こころが育たない。
動物を見れば、子育ては大人の仕事だとわかる。子どもをあらゆる危険から守ること。子どもの心身の成長を助けること。
大人になりきれない大人は、子育てもやはり満足にはいかないのだと思う。そこに、支援の手がなければ、虐待にも走ってしまう。
人が機械化したり、部品化したり、愛玩動物化したりして、人であることをやめたとき、種の滅びの道として自殺があるのかもしれない。セックスをしたくない、子どもを持ちたくない、それらも個人に起きている現象ではなく、増えすぎて、強くなりすぎて、他の生物を破壊しつくした人類が、いよいよ淘汰される道なのかもしれない。
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