わたしの雑記帳

2005/11/30 『不登校・ひきこもりを直す』暴力を問うシンポジウム。長田塾(おさだ)の問題


2005年11月23日、東京都渋谷区で、全国不登校新聞社主催の「子どもを“暴力”から守るために 〜『不登校・ひきこもりを直す』暴力を問う」というシンポジウムが開催された。

最初に、多田元(ただ はじめ)弁護士から「長田塾裁判について」の報告がなされた。
発端は、今年(2005年)7月22日に、男性(19)が「長田塾」(有限会社塾教育学院)とそれを主宰する長田百合子氏を不当な暴力的扱いとプライバシーの権利を侵害されたとして、慰謝料の損害賠償を求める訴えを名古屋地裁に提出したこと。
不登校新聞Fonte175号(2005年8月1日発行)によれば、「東北地方に住んでいた原告男性は、高校入学後すぐに不登校になり、その後自室にこもる状態になっていたが、01年8月(当時15歳)母親から依頼を受けた長田氏が若い屈強な男性補助者とNHKテレビの記者、カメラマンを伴って、原告男性の同意もなしに進入し、恐怖に陥っている原告に長田氏の寮へ入所するよう迫り、そのようすを至近距離で撮影、録画させ、」「修羅場の場面の録画をそのまま放映し、原告の実名と顔の映像を公表した」。また、「補助者が缶コーヒーの缶を面前で握りつぶして腕力を誇示したうえ、『力ずくで連れて行くか、自分で歩いていくか」と脅迫して寮に入所することを同意させ、連行した。原告はその後、二度寮から脱出を試みたが、連れ戻され、同年12月から約1ヶ月半、所持金がいっさいない状態で従業員に監視され、母親にも所在を知らされず、アパートに一人軟禁された。不信を抱いた母親が弁護士に相談し、弁護士が長田氏側と交渉して原告をアパートから連れ出し、自宅に戻した」』というもの。

該当するテレビ放映かどうかはわからないが、私も何回か、長田百合子氏がひきこもりの少年少女をむりやり部屋から引きずり出し、入寮させる場面はみたことがある。
子どもの前で長田氏が親を罵倒する。「親が悪い」と言って土下座させた場面もあったように記憶している。そして、子どもにも説教。あらっぽい言葉。
ここ数年、少し変わったなと思っていた。ふつうの「おばちゃん」風だった長田氏が白いスーツを着て登場する。カリスマ化をねらっているように私には感じた。教育の専門家というよりも宗教家に見えた。長田氏が経営する小ぎれいな会社のビル。「親が悪い」「親の意識を変える」という発想から、ウエートが「子どものわがままを矯正する」方向に移っていった気がした。

いちばん最近みた番組が、会場でも放映された。親と一緒になって罵倒するシーン。親と長田氏が一体となって、子どもを追い詰めていく。
「あんたは、なんの努力をしたんじゃい」と長田氏に詰め寄られた少年が「呼吸」と答える。「ばかたれ」と罵倒する。
このシーンに胸が痛んだ。少年にとって、「呼吸すること」すなわち、ただ生きてそこにいるということが、精一杯の努力の結果だったのだと思う。死に引きずられる気持ちを必死に押しとどめて、がんばって生きてきたのだ。この呼吸することさえ苦痛に感じる世の中で。
「メンタルケア」を事業として掲げ、たくさんの引きこもりの子どもたちを見てきただろう長田氏になぜそれがわからないのか。

多田弁護士は、長田氏のやり方をこう解説する。まず、親を徹底的に追い詰める。心理的にも依存させて、自分の言うとおりに動かせるようにする。そして今度は、その親に子どもを追い詰めさせる。そうすることで、子どもに「家には自分の居場所はない」と思い知らせる。あきらめさせる。
元々、子どもが不登校や引きこもりになった親は心理的に追い詰められている。周囲からは「親の育て方が悪い」と非難される。子どもからも「お前のせいだ」と言われる。しかし、どうしたらよいのかわからない。気持ちが焦るばかりで年月だけが過ぎていく。その間、引きこもりの青年がさまざまな事件を起こす。わが子もいずれと、さらに追い詰められる。
そんななか、引きこもりの専門家として、長田氏がテレビで脚光をあびる。テレビでは、うまくいった事例が紹介される。長かった髪の毛をさっばりと切り落として、笑顔で語る若者。
悩んでいる親はすがりつく。

今回の事件では、NHKの取材が同行することが、長田氏が原告の少年を引き出す条件になっていたという。なぜか長田塾の関係者だけでなく、取材記者の交通費まで母親は負担させられたという。
脅されて無理やり、寮につれていかれた。そして、二度の脱走。帰り着いた親元から連れ戻されて暴力を受けた。親元に逃げ帰っても連れ戻れる。この世に安全、安心な居場所はもうどこにもない。

シンポジウムの資料にも書いてあったが、私は長田塾のやり方をみて、戸塚ヨットスクールや風の子学園を思った。親に預けられた子どもたちが、しつけと称して殺された。逃げ出した子どもたちが親元から無理やり連れ戻される経緯も似ている。
子どもたちは思っただろう。親は大金を払ってまで、自分を捨てたと。
問題行動は子どもたちの心のSOSなのに、それを聴こうともしない。


とくに引きこもりでは、他人を傷つけたわけではない。むしろ、本人がいちばん傷ついている状態だ。それを親の期待を裏切った、世間に顔向けできないと攻められて、むりやり引きずりだそうとする。これ以上、自分を傷つける怖い場所には出たくなくて必死に抵抗する。あるいは、自分でもこんな生活をしていてはいけないとわかっている。焦りがある。でも、どうしてよいかわかない。そのいらいらが家庭内暴力として出る。

傷ついている子どもを暴力的に無理やり引きずり出すとどういうことになるのか。
シンポジウム後半で、親から精神病院に強制入院させられたという15歳の少女と27歳の青年の体験談があった。
彼らは言う。親がきらいで暴力をふるったわけではない。どんなに言葉で言ってもわかってくれないから、暴力に訴えるしかなかった。

小学校、中学校といじめにあって、少年だった男性は本当は学校に行きたくなかった。しかし、父親から殴られたり、蹴られたり、無理やり車で学校に連れて行かれた。親も先生もいじめがあると知っていた。しかし、有効な手立てはとられなかった。学校に行くたびにいじめは繰り返された。中学校では性的ないじめも毎日のように繰り返された。深い心の傷。それがあるとき、フラッシュバックして、気がついたら父親の車をバットでめちゃめちゃに壊していたという。通報されて、精神病院に強制入院されられた。3日間、ベットに縛り付けられて拘束された。男性にとって、虐待以外のなにものでもなかった。父親は「一生、いれておいてくれ」と言った。初めて殺意が芽生えたという。
「あの時はすまなかったと父親に謝ってほしかった」ただそれだけのことがかなえられない。そうすれば、こんなことにならなかったのにと思う。大人になった今も深い心の傷を癒せずにいる。

長田氏のやり方について、戸塚ヨットスクールがそうであったように、確かにそれによって引きこもりから脱することのできた子どももいるだろう。しかし、一方でどれだけ多くの子どもたちが取り返しのつかないほど深い心の傷を負ったことだろうと思う。
精神的に追い詰められて、うつ状態のときに、このような暴力にあったしたら、精神を破壊しかねないだろうと思う。家庭という唯一の居場所を失った子どもは、この世の中に絶望するだろう。社会に出るほうを選ぶだけのエネルギーがあればいいが、そうでなければ、自殺の引き金になりはしないか。また、自分をこんな目にあわせた親を生涯、許せないと思うかもしれない。たとえ親にしてみれば、子どもにとってよかれと思ってしたことであったとしても。

多田弁護士は言う。親は追い詰められて冷静な判断を欠いている。こういうときに、相談できる第三者がいたならと。そして、報道の罪は重い。よってたかって児童虐待を正当化したようなものだ。
虐待者は必ずのように「子どものため」「しつけだ」という。テレビが認めたものを私たちは無条件に信じてしまいやすい。まして、報道が繰り返されたなら。

NHKの記者が長田塾の関係者と一緒になって男性を殴ったという証言もあるという。
「アイヒマン実験」や「監獄実験」(me040523参照)のようだと思った。
閉鎖された空間。しつけるものとしつけられるもの。役割がどんどんひとを変えていく。自分のやっていることに疑問を抱かなくなる。

子育てさえ金で買える時代になった。思春期のいちばん難しい時期を誰かに金を払って丸投げできたら、楽になるのにと親は思う。
しかし、親と子の絆は私たち人間が思っているほど単純なものではないのだろう。人間は機械ではない。動物としての野生が残っている。親子の情と異性への情。私たちの意識よりもっと深いところで、私たちをコントロールしている。動植物は子孫を残すために生かされている。役割を果たそうとしなかったことへの付けはやがてくる。
逃げようのない親と子なら、それを周囲から支えるシステムこそが大切だと思う。

最初に声をあげた親子には勇気があったと思う。その思いを受けて、各地で長田塾のやり方に疑問を呈する動きも出てきているという。
これ以上、犠牲者が増えないように、裁判の行方を見守っていきたいと思う。

 



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