わたしの雑記帳

2005/10/20 小森香澄さんの裁判(2005/10/11)。被告の元生徒3人の尋問。

2005年10月11日(火)横浜地裁101号法廷で午前10時30分から、小森香澄さんのいじめ自死の民事裁判が行われた。
今回は、被告の元同級生3人の尋問。いつもは裁判情報 Diary にて事前に案内をUPしているが、今回はあえて行わなかった。現在は成人(23歳)しているとはいえ、当時は未成年(15、6歳)。万が一にも、私のサイトに掲載されていることを理由に、証人として出廷することを拒むことがあってはいけないと思ったからだった。
前回(me050319 参照)から半年以上もたっていることが影響してか、傍聴人は以前ほどは多くなかった。


裁判の詳細の前に、この日の裁判で私が感じたことを書きたい。(あまり長いと読んでもらえないと思うので)
ただし、これらは、あくまで私が個人的に感じたことであり、他ひとたちはまるで別の印象を抱いたかもしれない。

結論から言っていまえば、3人の証言者たちに、反省は感じられなかった。
小森夫妻が裁判を起こした理由。子どもたちに、香澄さんとの間に何があったか事実を話してほしい。事実を事実として認めて、心から反省し、二度と同じ過ちを犯さないように生き直してほしいという思い。
それが、7年たって、裁判を起こしてもやはり通じないものかと落胆させられた。

教師らの証言や陳述書、同級生らの作文、そして自らが書いたものさえ、少女たちはことごとく否定した。
言葉や態度での心理的いじめの立証の難しさを感じる。
きつい言葉や言い方を全て否定して、言った内容だけを正当化する。
こうやって「知らない」「言っていない」と開き直られてしまえば、大人たちでさえ、どうしたらよいのか考えあぐねてしまう。

他人と違うことを頑なに拒否し、自らの言動を正当化する子どもたち。迷いがない分、怖さを感じる。
「伝統ある」「由緒正しい吹奏楽部」この言葉が、別々の子どもたちの口から飛び出した。その吹奏楽部に香澄さんの付けているものが違反したという。だから、注意するのは当然だと言う。それが本人のためだと言う。
一方で、人間関係の希薄さ。Bさん、Cさんは、わずか30人しかいないクラスのなかで、同じ部活の、しかも同じパートの仲間が、学校を休んでいるかどうかさえ知らない。その理由にも関心がない。顔を見れば一目でわかるほど悪化していたというアトピー。それも知らないという。
そして、香澄さん本人の心配よりも、大会での勝敗にこだわったと聞こえる言葉の数々。伝統ある部活動が抱える問題をここでも感じる。名前をあげること、勝つことが全て。そのための犠牲はやむを得ないとする大人たちの価値観が色濃く反映されているのではないかと感じる。

朝晩の練習、土日もない。「よい成績を残すためには当然」とされる世界。そのなかで、多くの子どもたちが体調を崩すのは当たり前の状況にさえあった。
余裕のない1年生たちのストレスのはけ口は、上級生に向けることはできないから、同級生に向けられる。トロンボーン初心者で、しかもけっして言い返さない香澄さんに向けられたのではないか。
香澄さんと「仲がよかった」と証言しているAさんにしても、彼女の休みの理由は聞いてもはぐらかされてしまったという。香澄さんの内面には一切、触れられない関係性のなかで、自分の価値観だけは押し付けて、責める言葉を吐いている。相手を思いやる気持ちや小さなことがらを許す気持ちが感じられない。
そしてそれを今だ、香澄さんのためだと主張する。様々なことを、香澄さんがもっと努力さえすれば解決できたという。いじめられる側に原因があるという考え方は、彼女たちのなかに根強くあるのを感じる。

一方で、母親の美登里さんからすれば、証言に何度も出てくる香澄さんが大会当日につけていたという花の髪留めはわずか1センチ前後の小さなもので、先輩はかわいいとほめてくれたものだという。
毎日、練習に明け暮れていた香澄さんがいつ化粧をしていたのか、彼女自身は目撃していないという(もし、それが事実としても、その年頃の少女が化粧に興味をもつことは自然で、同級生たちになら理解できたと思う。あるいは、アトピーを気にした香澄さんが、化粧でごまかそうとしたということも考えられるだろう)。
じゃらじゃらつけていたというカバンの飾りも、数個程度だったという。そしてコンクールで、カバンをもって合奏するわけではない。
校則にも、部の規則にも違反していないものをそれでも責められていた。教師や先輩が許しても、同級生が許さない「生徒間規則」。
よく、上級生が自分たちはしているのにかかわらず、新入生が同じ格好をしていると「生意気だ」と言ってシメるのに似ている。あるいは不良と呼ばれる子どもたちが、自分たちと同じように茶髪にしたり、スカートを長くしている、目立つ後輩や通りかがりの若者にイチャモンをつけるのに似ているのではないか。

さらに、合奏中に居眠りをしてしまうというのは、通常考えても異常な状態だ。元生徒たちが言うような「緊張感がたりない」「やる気がない」とは別次元のものだ。おそららく、うつ状態をよくするためにきちんと服用を続けた薬の副作用で居眠りをしてしまったのではないか。あるいは、アトピーの薬が眠気を誘うということもあるだろう。まして、精神的に追いつめられて、夜も十分な睡眠を確保できていないとしたらなおさら。
しかし、そのことを周囲から責められて、またうつになるという悪循環。

部活を遅刻したり休んだりすることや遅刻すると連絡をしたにもかかわらず連絡もなく休んでしまうことも、本人は学校にも、部活にも行きたい、行かなければと強く思っているにもかかわらず、体がどうしてもいうことをきかない。その葛藤のなかで、連絡もおぼつかなかったのではないか。
しかし、そのことを理解されず、真剣みが足りない、責任感がない、サボっていると言われる。
部活は大好きで、いじめられてもなお、行きたかった。さぼるつもりのなかった香澄さんにとっては、どれほど辛いことだったろう。

元同級生たちを証言台に立たせることに対して、周囲にはもちろん同情の声がある。確かに、きついだろうなと思う。
しかし、今まで、回避できたにもかかわらず、その努力を親も子もしてこなかった。頑なに「いじめていない。それをわかってほしい」と言われても、母親の美登里さんは香澄さんから具体的なことを聞いていただけに、納得がいくはずもない。
「いじめたつもりはなくても、傷つけていたかもしれない」その思いがあれば、謝罪のひとことがあれば、少なくとも、同級生らを被告にはしなかっただろう。そのことを私は両親の口から、何度も聞かされている。

当初は、思い悩んだ子どもたち。上級生に泣いて相談したり、小森家に手紙を送ったり。
今は、なんで自分たちが被告にされているのかわからないと、自分たちこそが被害者であると主張する。その思いを親や周囲の人たちが支えている。
このまま、ずっとこの人生を生きてしまうのだろうか。証言が終わってしまえば、すべて清算できたと思うのだろうか。そして、やがてはひとの親となるのだろうか。わが子には、何を伝えるのだろうか。
香澄さんの遺した「やさしい心」ではなく、「周囲に強さを示すこと」「けっして折れないこと」だろうか。
せめては、表面上の彼女らと内心とは違う、ということを信じたいが。
「やさしい心が一番大切だよ。その心をもっていないあの子たちのほうがかわいそう」。亡くなる4日前に、香澄さんが母親に言った言葉だ。その意味をもう一度、大人も子どもも考えたい。

一方で、香澄さんの自殺前と自殺後、「生徒たちに指導した」という教師と「聞いていない」「言われた覚えがない」という生徒たちの証言の食い違いも気になる。母親の再三の訴えにもかかわらず、ほんとうに何も指導していなかったのか、あるいは生徒たちにとって記憶にも残らない程度のものだったのか。
少なくとも、教師たちが真剣に、いじめ問題に取り組んだという形跡は、事件の前も後もまるで感じられない。

「事件のことは考えないようにしてきた」という子どもたち。
香澄さんはきっと、彼女たちとの関係を毎日、毎日考え続けただろう。自分のどこが悪いのか。どうすれば、この関係がよくなるのか。自分に努力が足りないのか。技術が向上すれば、いじめはなくなるのか。アトピーが治れば、うつが解消すれば、関係はよくなるのか。
トロンボーンの練習もして、医者にも通って、カウンセリングにも行って、精一杯の努力をしつつ、考えて、考えて、それでも答えがでず、最後は死に追いつめられてしまった。
そして、香澄さんの両親も、香澄さんが亡くなる前はもちろん、亡くなってからも一日も休まずに考え続けている。
どうすれば、香澄さんを死なさずにすんだのか。自分のどこが悪かったのか。どうすればよかったのか。辛い思いだし作業を繰り返す。香澄さんのためにはこれから、自分たちは何をなすべきかを考える。
被害者や遺族は考えて、考えて、深めていく。しかし、いじめをしたと名指しされたほうは、それを見過ごしてきたとされた大人たちは、全ての記憶にふたをする。周囲の大人たちは子どもたちから考える材料をどんどん奪っていく。みんなが、考えないように、考えないようにもっていく。
そのギャップを唯一埋めることのできるものとして、この裁判があるのではないかと思う。
大人も、子どもも、もう一度、しっかりと事実を見据えて、考えてほしい。ひとりの大切な命が失われたことの意味を受けとめてほしいと思う。それは、当事者たちだけでなく、全ての大人たち、子どもたちに、香澄さんが残していった課題だと思う。

当日の証言をメモをもとに、ここに記載する。ただし、記者でもない、法律家でもない素人が必死でペンを走らせたものであること。午前午後と長時間にわたり、メモをとる手も限界で、被告の証言を書き取ることに精一杯で、質問まではきちんと抑えられなかったことを考慮に入れて、だいたいこのようなやりとりがあったのだという理解に留めていただければと思う。
加筆や訂正は、随時行っていきたい。

なお、次回は12月6日。午前10時から。横浜地裁101号法廷にて。
原告側は臨床心理士とメンタルクリニックの医師、ほかの証人申請を行っている。
いよいよ結審するのか、それとも何人かの証人を呼んで尋問を続けるのか、裁判の今後の方向性について審議が行われる。


Cさんの証言

最初に裁判官は、「ウソを言わないように。ウソをつくと処罰されることがあります」「質問にはでぎるだけ、はっきりと答えてほしい」「録音で記録をとっているので、質問と答えを同時にしゃべらないよう、質問されてから一呼吸おいてから話すように」などの諸注意をした。

尋問は、Cさんの代理人の弁護士から。

Q:野庭高校を選んだ理由は?
A:吹奏楽部だけでなく、家から近いので野庭高校を選んだ。
Q:トロンボーンはいつから?
A:中学時代から始めて、高校時代もトロンボーンを吹いていた。
Q:野庭高校吹奏楽部でトロンボーンは?
A:3年生が2人。2年生がいなくて、1年生が3人。
Q:楽器の購入は?
A:平成平成10年4月下旬、関内の楽器屋さんでトロンボーンを買った。
小森さんも一緒にワイワイと買いに行った。

Q:4月入学から、小森さんが亡くなる7月にかけて、同級生、上級生、教師らから、小森さんへの接し方が悪いと指摘を受けたことは?
A:特に覚えはない。
Q:小森さんが精神的に病んでいたという話は聞いていたか?
A:聞いていない。
Q:小森さんが休んだりすることは気づいていた?
A:6月下旬から気づいた。教室でみかけなくなった。
Q:なぜ休んでいるのか、他の人と話したことは?
A:特に話したことはない。
Q:なぜ休んでいると思っていた?
A:体調が悪いと聞いていた。頭痛とか、腹痛とか、風邪のような症状だったので、特に気にしていなかった。
Q:それは誰から聞いた?
A:先生から聞いたと思う。

Q:小森さんのお母さんが陳述書で言っているようなことは心当たりはあるか?
A:そんなことを言った覚えはない。そういう言い方はしていない。仲間はずれにしたことはない。
Q:小森さんに「ロングターンをやるな」と言ったことは?
A:ない。
Q:小森さんが、あなたからの電話を録音したものが証拠提出されているが、どこからかけたものか?
A:自宅からした。Bさんと一緒にかけた時にはつながらなかったので、自宅に帰ってから電話した。
24日に吹奏楽部が地区予選を通ったことで、由緒正しい部としてきちんとした格好でコンクールには出てほしかった。髪型や化粧、カバンにつけているもの、じゃらじゃらする飾りをやめてほしいと電話した。
Q:コンクールの日に小森さんはそういう格好をしてきたのか?
A:はい。
Q:トロンボーンの2人で相談して、小森さんに電話をしたのか?
A:はい。
Q:あなたとしては別にいじめているつもりではないということでいいか?
A:はい。
Q:あなたは、小森さん以外の人にもこういう話し方をするのか?
A:はい。している。
Q:あなたは、小森さんに、「ブス」「バカ」「ノロマ」「死んでしまえ」などと言ったか?
A:言っていない。
Q:小森さんがいない時に、こういう言い方について言ったことは?
A:ない。

*******
原告代理人の関守弁護士からの尋問

Q:小森さんが体調が悪いということはいつ、誰から聞いたか?
A:6月下旬に、先生から聞いたと思う。
Q:あなたはBさんを××(愛称)、Aさんを○○(愛称)と呼んでいたが、小森さんのことはなんと呼んでいたのか?
A:「小森さん」と名字で呼んでいた。小森さんも、私を「Cさん」と名字で呼んでいた。
Q:小森さんは、他の同級生からは何と呼ばれていたのか?
A:「コモ」と呼ばれていた。
Q:先生はあなたがBさんといつも一緒にいたと言っていたが?
A:2人で特別行動していることはなかった。
Q:トロンボーンのパート練習は?
A:3人でやっていた。
Q:部活以外で一緒に出かけたことは?
A:ない。
Q:好きなミュージシャンについて話したことは?電話でおしゃべりしたことは?自宅に電話したことは?家に行ったことは?
A:(すべて)ない。
Q:話をするのは、吹奏楽部のことだけ?
A:はい。
Q:楽器を買いに行くとき、「わいわいやっていた」と言っていたが、この時が最後だった?
A:そんなことはない。
Q:3年生の○○さん、○○さんから、小森さんに対するものの言い方がきついと注意されたことは?
A:ない。
Q:心配して指揮者のHさんに相談に行っているのだが?
A:言われた記憶はない。
Q:3年生の××さんに言われたことは?3年生かが心配して相談しているというが?
A:覚えがない。知らない。
Q:H氏から注意されたことは? 「相手によかれと思って言っても、傷つけていることがあるから相手の立場に立って言いなさい」と言われたことは?
A:覚えていない。言われた記憶がない。
Q:あなたにとって、大したことではなかったので記憶にないのか?
A:言われていたのなら、気にすると思う。
Q:小森さんが、練習中に廊下で泣いていたことは?
A:知らない。記憶にない。
Q:練習中に姿が見えなかったら心配したりしないのか?
A:覚えていない。そうしていたかもしれないが、覚えていない。記憶にない。

Q:小森さんが亡くなったあとにあなたが書いた作文について覚えているか?
A:作文は手元にないので内容はわからない。
Q:自分で見たいという手続きをすれば見ることができるが、見たいと思うか?
A:その時、なんと書いたか内容がわからないので、見たいと思う。

Q:作文を書いたあとの生徒たちと先生との面談で、「トロンボーンパートのなかでうまくいっていなかった」「同学年が遅刻したときに冷たい」「小森さんひとりが浮いた感じ」という話が出たというが?
A:冷たい態度やそういう態度をとったことはない。部の決まりで3時間以上遅刻したら部活に出られない決まりがあるので、注意をしたことはある。しかし、「出るな」とは言っていない。
Q:そういう決まりがあるのに小森さんが部活に出ていることに対して、誰かに相談したか?
A:私から上級生や先生にそのことを相談したことはない。
Q:練習に出ないのはさぼりだ、やる気がないなどと言ったことはないか?
A:記憶にない。

Q:小森さんが練習中に寝ていたので注意したことはあるか?
A:なんとなく。Bさんと一緒になって注意はした。眠そうな態度だったり、気が抜けているようなときには注意した。
Q:小森さんは、うつの薬を飲んでいたので、眠ってしまうことがあったのではないか?
A:うつとか、全然知らなかったので、そういうことを言われても困ってしまう。
Q:小森さんに、「具合が悪いの?」と聞いたことはないのか?
A:聞いたら、「お腹が痛い」と言っていた。
Q:では、「小森さんが体調を崩していたことは知らなかった」とあなたの陳述書には書いてあるが、それは間違いなのか?
A:間違いではなく、陳述書を書いたときには覚えていなかった。
Q:裁判に際して、振り返ってみたとき、体調が悪かったなと思い出さなかったのか?
A:いろんな資料を見て、思い出すことも多かった。眠そうな様子の時には、「緊張感が足りない」「しっかりしないと」「注意力が足りないんじゃない」と、ちゃんとした態度でしてほしかったので言ったかもしれない。

Q:眠そうな時以外でも、PHSでの時は?
A:カバンにじゃらじゃらつけているもの、髪の毛につけているものが気になっていたので注意した。
Q:それらは、部活で禁止されていたのか?
A:禁止されていたわけではないが、地区予選の時に、髪が派手というわけではないが目立ったので注意した。地区予選ではきちんとした身なりで演奏してほしかったので。
Q:小森さんの身なりがおかしいと、上級生や先生は注意したのか?当日のコンクールの時に、上級生が「かわいかったね」とほめたという証言もあるが。
A:全体を見渡したときになじまないで浮いてしまったので、他の人と違うので注意した。上級生や先生から言われるより、同級生から言われるほうがよいと思った。

Q:薬局の駐車場で、CさんとBさん、小森さんの3人で話をしたときのことについて。何について話したのか?
A:内容まではよく覚えていないが、部活について話した。
Q:Bさん記憶では、小森さんがAさんから「あんたのせいで全国に行けない」と言われたと、小森さんが話したと書いているが?
A:言われていないと思う。覚えていない。同じ1年生として気になるし、もし、そういうことを言われていたとしたら、私がAさんに注意していたと思うので。
Q:Bさんが、地区大会前に小森さんが遅刻したりしたので、PHSにかけたことがあると書いているが?
A:小森さんが部活動に出ていないので、かけたことがあるかもしれない。覚えていない。

Q:(書類を見せて)ここに書いてある内容は、6月の終わりか7月初めに3人で話したときのことか?
A:その時というのは覚えていない。
Q:小森さんのお母さんのメモには、注意とか、部活動に対しての話とかあるが?
A:6月下旬に小森さんが休みがちだっので、しっかりやらないとね、がんばろうねと励ました。
Q:なぜ、休みがちなのか、小森さんに聞かなかったのか?
A:本人に聞いたかどうか覚えていない。本人から、頭が痛いとか、お腹が痛いなどと直接聞いた覚えはない。
Q:なぜ休んでいるか理由も分からないのに、励ましようがないのではないか?
A:そうだろうか?その時はそこまで気にしていなかったと思う。がんばってほしかったから言った。
Q:とくにクラスで仲良かったわけではなかったのに?
A:クラスと部活とは全然違うので。部活はがんばってほしかった。
Q:部活をがんばってほしかっのは、地区予選が近かったからか?小森さんは出られると考えていたのか?
A:地区予選に出られるかどうかはわからなかった。しかし、部活には参加しようとしていたので、がんばってほしいと思った。

Q:PHSの会話について。いつもこんなきつい話し方をするのか?他の友だちと話すときも同じなのか?
A:「きつい言い方だった?ごめんね」と話すことはあった。
Q:それはどんな時にそう思うのか?
A:話をしていて向こうがどう思っているかわかる。弱々しい様子で、うまく答えてくれなかった時にそう思った。言った内容がやかましい言い方をするので。しかし、威圧的な言い方をすることはない。
Q:電話をしたのは、地区大会でいい成績を出したあとだったはず。うれしい時に、わざわざこういう電話をするのか?何かイライラしていたのか?
A:地区予選の次の日に部活を休んでいたので、気になって電話した。次の日なので、なんで休んでいるんだろうと思って。その時に、気になっていたことを話した。地区予選の時には体調が悪いようには思えなかった。なぜ休んでいるのかと聞くと、「出かけている」と言ったと思う。
Q:なぜ、そんな話をしたのか?
A:覚えていない。話そうと思っていたことなので、話したと思う。
Q:Bさんとともにそのことを言おうと思って電話をしたのか?
A:はい。

Q:うつのことはわかっていたか?
A:当時から、ある程度はわかっていたと思う。しかし、小森さんがうつ状態だとは知らなかった。
Q:もし、知っていたら別の言い方をしていたと思うか?
A:ふだん友だちと話すよりはやさしい言い方をしたと思う。
Q:担任のI先生から小森さんに対することで注意されたことはないか?
A:覚えていない。
Q:顧問の先生からは?養護の先生からは?
A:顧問はない。養護教諭は話した覚えがない。

Q:小森さんのお葬式のときに、指揮者のHさんが参列を控えるように言ったと思う。前にも言ったが、ものごとを注意する時には相手の立場にたって話をするようにと言っただろう。反省すべき点があるかと言ったのか?
A:そんな言い方はされていない。Hさんからは、けっこうきつい言い方をされた。「お前がやったんだろう!」「そう精神的に追いつめた」と言われた。小森さんが亡くなった原因が私やBさん、Aさんにあるみたいに言われて、頭のなかが真っ白になってパニックになった。
Q:小森さんが亡くなってから、先生方がゆっくり事情や気持ちを聞いてくれたか?
A:話はしたと思う。夏休みに入っていたので、担任が家まで来た。話の内容は覚えていない。心配してくれているのかなと思った。

********
原告代理人の栗山弁護士から

Q:小森さんがアトピー性皮膚炎だったのは知っているか?いつ頃から症状が出ていたのか?
A:気にしたことはなかったので、いつ頃からひどくなったかは覚えていない。しかし、顔がかさついていたので、見ればわかった。
Q:K養護の先生は、連休あけからアトピーがひどくなったと言っている。地区大会の時にかゆそうにしていたのを覚えているか?
A:あったかもしれないが、覚えていない。
Q:裁判が始まってからのCさんの陳述書に、Bさんも私も小森さんが体調をくずしているとは思ってもおらず、本人からも、他の人からも聞いていなかったと書いているが。
A:あとから思い出した。
Q:何を見て思い出したのか?こういう資料をたくさん読んで思い出したのか?
A:何を見て思い出したのかは、覚えていない。
Q:風邪か何かと思っていたというのは何故か?
A:先生か、誰かから聞いた。
Q:小森さんは、4月、5月に休んでいたか?
A:覚えていない。
Q:6月、7月は欠席状態だったはずだか?全部風邪だと思ったのか?
A:気が付いたときには休んでいた。覚えていない。全部、風邪だと思った。

Q:PHSの内容を録音したテープは聞いたか?
A:聞いていない。
Q:聞いていないのに、普段のしゃべり方だと言えるのか?
A:紙に書いてある言い方が普段と変わらなかったので。
Q:断言できるのか?
A:はい。普段通りで、いつもと同じ口調で話した。
Q:話し方について、父母や先生から注意をされたことはないか?
A:言われた覚えはない。母からはたまに言われるが。
Q:中学、高校ときつい言い方で友だちからアドバイスされたことはないか?
A:言われた記憶はない。

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被告代理人から補足質問。

Q:Cさんが「体調を崩しているとは思わなかった」と陳述書に書いたのは、小森さんが体調を崩しているとは思っていても、この間、精神的におかしいとか、異常だとか、精神的な様子は全くなかったと言うことではなかったか?体調と精神面では違うということだったのではないか?
A:そのとおりだ。

*********
Cさんの尋問は予定より若干早く、11時35分に終わった。
Cさんは、入廷当初、法廷内にいたBさんとは全く視線もかわさず、口も聞かず、素知らぬ様子だったが、裁判の尋問が終わった途端、ニコニコと手を振って駆け寄った。親子共々ふたりの様子は、「よくやった!」という雰囲気だった。

尋問の最初のうちは神妙な様子だったが、原告代理人弁護士の質問には時折いらつきが見え隠れして、強い口調になることがあった。

正直に本当のことを話したか、反省はしているかと言えば、正直言って、教師の証言や他の生徒の作文、自分自身の陳述書との食い違いが多々あり、具体的なことになると全て「覚えていません」「記憶にありません」と答えるばかりで、真実を語っているという実感は持てなかった。
もちろん、裁判上、弁護士から入れ知恵はされていることだろう。しかし、香澄さんの両親がわずかに期待した真実の吐露と謝罪の言葉は一切、聞くことができなかった。

Bさんの証言
午後1時30分から、Bさんの証人尋問。
Bさんは、華やかな雰囲気で、この夏には1児の母となったようにはとても見えない。

被告代理人から主尋問。

Q:野庭高校でのトロンボーンのメンバーは?
A:3年生が3人、1年生がCさんと私と小森さんの3人だった。
Q:いつからトロンボーンをやっているのか?
A:中学からトロンボーンをやっている。3年間一生懸命にやってきた。トロンボーンが好きだった。
Q:野庭高校を選んだ理由は?あなたの家は高校から離れているが?
A:野庭高校の吹奏楽部は全国大会で優勝したこともある。中学の吹奏楽部の顧問から勧められて、自分でも希望した。通学は1時間程度かかった。

Q:クラスには同じトロンボーンのパートが3人いた?クラスは何人くらい?男女比は?
A:たまたまクラスにトロンボーンの3人がいた。クラスは30人ちょっと。男女は半々くらい。
Q:クラスの様子は?
A:女子は3つのグループに分かれていた。仲良しグループのみで話をして、他はあいさつ程度だった。Cさんや小森さん、Aさんも違うグループだった。クラスで深い関係ではなかった。

Q:小森さんはトロンボーン初心者だったが、通常はどれくらいかかるのか?
A:初心者は楽譜を読むところから始まって、合奏ができるようになるまで、毎日練習したとしても1カ月はかかる。
Q:吹き方の指導は誰が行ったのか?
A:3年生の先輩。
Q:CさんやAさんは経験者なので、すぐメロディーを吹けたのか?
A:はい。
Q:吹奏楽部の練習は?
A:毎朝と放課後。土日もほとんど休みがなかった。地区大会まで休みがあった記憶がない。朝6時半に父親に車で送ってもらう。7時過ぎから朝練。8時半の始業まで。夕方は6、7時くらいまで練習。遊ぶ時間、余裕は全くないという状態だった。
Q:練習はどのように?
A:パートごとに分かれて、教室ごとに自主練のようにする。同じパートの人と練習。合奏は全体。

Q:6月18日のアメフトの応援のときに、座る順番について。
A:音楽室で合奏する時と同じ。予め決められていた。間に通路があった。
Q:小森さんのお母さんから、「仲間はずれにしているのではないか」と言われた?
A:アメフト応援の後日、放課後にN先生から聞いた。2人ではなかった。「通路をはさんで小森さんが座っていたので、仲間はずれにされているのではないかとお母さんが言っているみたいだよ」と言われた。
予め決められたことなので、なんでそんなことを言っているのだろうと、嫌な気持ちがした。おかしいなと思った。

Q:地区大会から県大会を目指して、大会に通るために一生懸命練習していたなかで、小森さんが居眠りをしていたので、何度か注意をした?
A:前屈みになって寝ていたので、合奏したときや休憩時間に注意をした。「指揮者のHさんにも失礼だし、寝ていたらうまくなれないので寝ないほうがいいんじゃないの?」と言った。小森さんは、「わかった。ごめんね」と言っていた。

Q:小森さん以外に合奏の途中で居眠りをする生徒をみたことがあるか?
A:見たことがない。
Q:どうしたんだろうと思わなかったのか?
A:考えなかった。
Q:5月から6月頃、同級生から、あなたとCさんがよく話をしているとあるが、Cさんとはよく話していた?
A:席も隣だったから、そう思ったのかもしれない。

Q:薬局の駐車場でのこと。小森さんと直接話しようと思ったのか?
A:小森さんに「話をしようよ」と言ったら、「うん、いいよ」と言った。連れだしたことはない。同意のうえだった。
Q:薬局の前に言ったのは、3人だけで話をしたかったからか?学校を出たかった?
A:はい。
Q:何分くらい話したのか?
A:そんな長くはない。
Q:なぜ、話をしようと思ったのか?
A:同級生から聞いたので。私たちのせいで悩んでいたのならと思って話した。
小森さんは、「私だけ初心者なので、みんなと差をつけられるのがこわい」と言った。「私たちは中学からやっていたので当然だよ」と言った。最後は気持ちよく分かれた。

Q:6月から小森さんは休んでいた?
A:吹奏楽部はわかるが、学校のほうは気づかなかった。自由な高校だったので、授業に出ないでさぼる子もいたので。
Q:吹奏楽部も休んでいた?
A:格技場で練習するとき、譜面台や楽器などを音楽室から100メートルくらい運ばなければならない。遅刻するという連絡だったので、小森さんの分の譜面台や楽器などを、すぐに合奏に参加できるように格技場まで、私たちが運ばなければならなかった。しかし、来なかったので、楽器と譜面台を片付けなければならなかった。最初から休むなら休むと言ってほしかったので、電話した。たしか、小森さんは金沢八景にいるとか言って電波がとぎれた。「Cさんとあとで話してくれる?」と言って、電話を切った。

Q:小森さんが体調を崩していると聞いていたか?
A:聞いたことがない。
Q:うつ状態だと聞いたことは?
A:聞いたことがない。知らなかった。
Q:「うつ」については知っていた?
A:知識はあった。
Q:小森さんの様子はどうだった?
A:クラスでの様子は記憶にない。部活はふつう。
Q:地区大会に向けての練習のほかに接点は?
A:ほかにない。はっきり言って、自分のことだけで精一杯で彼女のことに気を回す余裕がなかった。
Q:Cさんと、服装の件で、地区大会が終わったあと電話したことは覚えているか?
A:派手な髪留めをしていたのは、記憶にある。
Q:服装については?
A:スカートはくるぶしまで、靴下の色、髪の毛は黒と決められている。伝統ある吹奏楽部として。

Q:小森さんが自殺したことでショックを受けたか?
A:同級生、同じ部活で亡くなった子はいなかったので。
Q:(指揮者の)H先生に、3人に対して「葬儀の場に入っちゃだめだ」と言われたのか?
A:Hさんがなんて言ったか、はっきりは覚えていない。「(葬儀の場に)入っちゃだめという意味がわかるよな」と言われて、わからなかったので、すごくパニックになった。頭が真っ白になってパニックになった。
Q:小森さんが亡くなったあと、吹奏楽部をやめた?
A:トロンボーンを見ると、小森さんが死んだのは私たちのせいだと言われたことを思い出してしまうので。思い出したくなかったので。トロンボーンをやりたくて入ったが、目標を失った。

Q:小森さんの両親から裁判を起こされてショックだった?
A:小森さんをいじめたと言われても全く覚えがないのに、原告とか被告とか言われて、なんで私がこんな目にあっているんだろうとすごくショックだった。裁判の通知が来て、何年かにわたって過呼吸になって、呼吸ができなくなって、涙が止まらなくなった。自ら手首を切ったりした。昨年、結婚して、子どもが生まれた。
Q:何か、言いたいことは?
A:裁判になる前、自分たちのせいだと言われたのを考えないようにしたが、頭から離れなくなった。考えるだけで過呼吸になった。両親や夫、友人に支えられた。もう、考えたくないです!


********
原告代理人弁護士からの尋問

Q:クラスの中で、小森さんとの関係は?
A:あいさつ程度だった。
Q:部活での会話の内容は?
A:吹奏楽部のことのみだった。
Q:趣味の話をしたことは?
A:全くない。
Q:クラスの中で話をすることは?部活以外の話はしたか?
A:たぶん、ある。ふつうの話。
Q:休み時間に小森さんと一緒にいたことは?
A:ない。
Q:友だち同士でするような、どこの中学出身でとかの話は?
A:ふつうの話はしていない。
Q:Cさんとは?
A:記憶にない。一緒に帰ったりはしていない。
Q:小森さんは誰と帰っていたのか?
A:知らない。
Q:Cさんは?
A:知らない。私は同じクラスのフルートの○○さんと帰った。

Q:Cさんのことはなんて呼んでいたのか?BさんはCさんからなんて呼ばれていたのか?
A:○○(愛称)と呼んでいた。××(愛称)と呼ばれていた。
Q:小森さんのことは?
A:小森さんと呼んでいた。小森さんからはBさんと呼ばれていた。
Q:あなたにとって、小森さんよりCさんのほうが話をしやすかった?
A:Cさんのほうが社交的なので話しやすかった。
Q:小森さんはどんな印象?
A:大人しそうな子だなという印象がある。社交的ではなかった。

Q:吹奏楽部の練習は、1年生3人だけのこともあったのか?
A:あったと思う。
Q:小森さんは、端っこのほうでひとりでトロンボーンの練習をしていたことがあった?
A:とくにここの席でと決められていなてので。自分の好きな場所で練習した。
Q:あなたは?
A:Cさんと2人で吹いた。小森さんは一緒にいないで一人ですみで吹いていたことがあると思う。
Q:小森さんに声をかけたことは?
A:何と言ったかとかは覚えていない。「こっちに来ない?」とか言ったことはあると思う。
Q:その時の小森さんの反応は?
A:覚えていない。
Q:なんで入ってこないと思ったか?
A:Cさんとイスを並べていた。小森さんのことは気にしなかった。同級生かに私とCさんがよく話しているのを気にしていると言われたことがある。
Q:何人から言われた?誰から?
A:たぶん1人。誰だったか覚えていない。
Q:複数回だった?
A:1回。5月の終わりから6月。
Q:あなたとCさんがよく2人で話をしているということは事実としてあった?
A:あった。

Q:薬局の近くで話したときのこと。
A:小森さんが私たちのことで悩んでいると聞かされて、意味がわからなかったので、どういう意味か聞いた。
Q:小森さんの答えは?
A:覚えていない。
Q:同級生から言われたことをきつかけに3人で話をした?
A:「ちょっと話をしようよ」とCさんと小森さんに声をかけようと、事前に話して、小森さんに声をかけた。
Q:場所はどうやって決めた?
A:校門を出て、歩いて、どこで話そうかと言っていて、「ここでいいか」と3人で決めたと思う。
Q:学校以外の場所をあなたたちが提案したのか?
A:覚えていない。

Q:どんな話をした?
A:小森さんが部活を何回か休んでいたので、「休んだのは私たち2人のせいなの?」と聞いた。
Q:何でそんな話をしたのか?誰かに言われたのか?
A:5月の終わりから6月初め頃、同級生から、小森さんがあなたたちのことで悩んでいると言われたので。
Q:小森さんが部活に来られないのは自分たちのせいだと思ったか?
A:思った。しかし、小森さんから「2人のせいじゃないよ」と言われて、「よかった」と思った。
Q:なぜ休みがちか確認したか?何が原因か聞いたか?
A:覚えていない。確認したかもしれないが、記憶にない。
Q:Bさんが地区大会が近づいたときに話し合いをしたと言っているが、この時以外にも話し合いはしたのか?
A:薬局以外に話し合いをした覚えはない。地区大会が近いので、がんばろうねという話をした。

Q:同級生以外から、小森さんが2人のことで悩んでいるということを聞いたことは?
A:ない。
Q:Hさんや担任、3年生の○○さん、××さんからは?
A:ない。
Q:複数の生徒からHさんは相談されたと言っているが?
A:ない。
Q:3年生が心配していると気づいていなかった?
A:はい。
Q:小森さんが悩んでいるという話を聞いたことがあるか?
A:ちょっと記憶にない。
Q:事件後、小森さんがAさんから面と向かって「あんたのせいで全国に行けない」と言われたと言ったと陳述書に書いているが?
A:今は覚えていない。
Q:小森さんが亡くなったあと、小森さんの両親にあなたは手紙を書いたが、その場で記憶を思い出して書いたのか?
A:手紙は面と向かって言われると言えなくなるので書いた。資料を見たとき、あれっ、こんなことあったかなという程度の記憶なので。
Q:小森さんとAさんとのやりとりは?
A:覚えていない。
Q:小森さんが、「2人きりのとき、Aさんは何も言っていないと言っている。でも、言っているんだよね。他の人に聞けばわかる」と言っていたと書いているが、覚えているか?
A:資料を見て、なんとなく。はっきりとは覚えていない。
当時、同級生から小森さんが私とCさんのことで悩んでいると言われて、「私たちのせいで来られないの?」と小森さんに聞いたら、「2人のせいではない」と言われた。

Q:2人のせいではないとしたら、ほかに思い当たることはないか?
A:自分が学校と部活に慣れるのが必死で小森さんのことを考えている余裕はなかった。
Q:小森さんに、何で練習に来られないか聞いたことは?
A:記憶にない。言ったかもしれないが、記憶にない。
Q:部活で小森さんが合奏中に寝ていて注意したのは地区大会より前か?何回くらいあったか?
A:1回ではない。何回かあった。いつも、「うん、わかった。ごめんね」とあやまってくる。なんで私にあやまるのかと思ったが。
Q:眠っていることをCさんも注意したのか?
A:覚えていない。
Q:原因を確認したか?
A:していない。
Q:なぜ、確認しなかったのか?小森さんは怠けている、まじめにやっていないと思っていたか?
A:なんとも思っていない。Hさんは学校の職員ではない。吹奏楽部のためだけに来てくれるのに、小森さんはあまり真剣に考えていないのかなと思ったことはある。
Q:誰かにそのことを相談したことは?
A:ない。
Q:相談しようと思わなかった?
A:思わない。先輩や先生にチクると思われたらいやなので、相談しなかった。直接言ったほうがいいと思った。人間関係を重視した。まだ15歳で子どもだったので、そこまで考えられなかった。
Q:小森さんはあくびしたとき、「緊張感が足りない」と注意されたと言っていたが。
A:あくびや居眠りではない。眠った状態だった。

Q:トロンボーンの上げ下げについて注意したことは?
A:ある。通常、右のひとに合わせることになっているから、「私に合わせてくれる?」と言ったら、「わかった」と言っていた。
Q:Cさんは、小森さんに技術的注意をしていた?
A:知らない。
Q:それ以外に注意したことは?
A:全くない。楽譜のこととか質問されたら答えたが、楽器のことを注意したことはない。教えたことはない。質問されれば答えた。
Q:小森さんが言い返したり、自己主張したことは?
A:1回もない。
Q:服装について、小森さんは違反していたのか?髪留めは禁止されていたのか?
A:服装は違反していなかった。髪留めは禁止されていなかった。ただ、黒ではなかった。派手だったという記憶しかない。
Q:あなたは決まりを守っていた?
A:大会の時は守っていた。髪留めをしていたとしても黒だった。
Q:大会以外の時は好きなものを付けていた?
A:はい。
Q:髪留めは1回だけ?
A:覚えているのは1回だけ。

Q:小森さんは青少年センターに相談に行ったり、メンタルヘルスに通ったりしていた。そのときに、Bさん、Cさんが練習をサボって、先輩に聞かれたら、「トイレに行っていると言って」と言っていたというが?
A:覚えがない。記憶にない。
Q:小森さんが、練習の途中から来ることに対して注意したことは?
A:全くない。
Q:○○さんが、小森さんが「そんな顔していいと思っているの?」と言われていたと証言しているが?
A:気になってはいても、言ったことはない。
Q:カバンにつけでいるものについて、「ジャラジャラつけている」と注意したことは?
A:言ったことはない。私もカバンにジャラジャラつけているので。大会にははずしていったけれど。

Q:小森さんが練習中に泣いていたことは?
A:知らない。
Q:いなくなっても気が付かない?
A:いなくなったとしても、トイレに行ったり、水飲みに行ったりするので、不思議には思わなかったと思う。

Q:小森さんがアトピー皮膚炎であったことは知っていた?
A:知らなかった。覚えていないので、気づいていなかったのではないかと思う。
Q:格技場の練習で、地区大会前に楽器を運んだことは何回もあったのか?
A:1回ではないと思う。何回か運んだので。遅刻と聞いていたので用意したのに、結局、小森さんは来なくて、また楽譜や楽器を私たちが運んだので、休むなら休むと言ってほしいと電話した。先輩や先生には休むと言っていたかもしれないが、私たちにも報告してくれないと迷惑だったので。休むときには休むと連絡がほしいと。
Q:腹が立った?
A:休むのは勝手だろうけれど、出したり、片付けたりするのは私たち1年生の仕事だったので、腹が立っていた。
Q:この練習前は?
A:記憶にない。

Q:Cさんが小森さんにかけた電話の録音テープは聞いたか?
A:聞いていない。
Q:Cさんの言葉を録音したものを起こした内容は?
A:見ていないと思う。
Q:小森さんの髪型については、Cさんと注意しようと決めていたのか?
A:記憶にない。格技場の記憶のみ。
Q:「花」とは髪の毛に留める花のこと?
A:だと思う。地区大会のときにつけていた。
Q:小森さんは化粧とか服装に特徴があった?
A:ない。
Q:かばんにジャラジャラつけていた?
A:つけていた。
Q:格技場のことについて、小森さんと直接話をしたか?
A:しない。
Q:その後、どんな話を小森さんとしたかCさんに聞いたか?
A:記憶にない。欠席する時は連絡くらいしてという話をしようと話したと思う。化粧や髪型のことは覚えていない。こういう電話をしたということは、この裁判で初めて知った。
Q:これは、いつものCさんの口調か?
A:ふだん、こんな感じかなという印象。
Q:内容について、聞かなかった理由は?
A:とくにない。

Q:小森さんが学校を休んでいたことは知っていたか?
A:知らなかった。朝は出席をとらないので覚えていない。出たり、出なかったりすることが多かったので。先生もとくに、○○さんが風邪で休んでいるとか言わなかった。誰が来ていないのかもわからない。
Q:小森さんが大会に出られると思っていたか?
A:大会に出られるかなっとは思った。
Q:部活にはどうして出られないのかなと思ったか?
A:思わなかった。
Q:部活が精神的にきつかったとは思わなかったか?
A:私は自宅が遠かったので、行き帰りも辛かった。私自身、いろいろ悩んでいた。小森さんは野庭中出身だったので、そうは思わなかった。

Q:N先生から、「小森さんの体調が悪いのでよろしく」とは言われなかったか?
A:聞いていない。
Q:N先生に、「小森さんのお母さんが私たちの悪口を言っているんでしょう?」と返した?
A:言っていない。
Q:アメフトの席のことは聞いたか?
A:後日、教室で話した。誰かいたかは覚えていない。
Q:N先生は何が言いたかったと思うか?
A:その時もわからなかった。何がきっかけで話したのか記憶にない。
Q:自分から話したのか?
A:記憶にない。
Q:N先生からアメフトの話を聞いて、誤解だと思って、誤解をとくために話したり、行動したことは?
A:ない。何とも思わなかった。
Q:N先生の話をCさんに伝えたか?
A:覚えていない。
Q:Hさんはきついことばを言ってはいけないと、数回、指導したと言っているが?
A:記憶にない。
Q:全体練習のときに指導されたことは?
A:記憶にない。
Q:Hさんに「葬儀を遠慮してほしい。入っちゃだめの意味わかるよね?」と言われてどう思ったか?
A:どういう意味かなと思ったことしか覚えていない。私たちのせいだと思っていない。
Q:「そのつもりがなくても相手を傷つけてしまうことがあると言ったろ?」そういう言葉で言われたことは覚えているか?
A:覚えていない。その時はただ頭が真っ白になって、どういうふうに思ったかも覚えていない。
Q:なぜ自分が拒絶されたのか、考えたか?
A:どうしてだか、今だにわからない。
Q:あなたは当時、「小森さんにとってはいじめに感じられたかもしれない」と書いているが?
A:H氏がいじめたと思っているのなら。

Q:Bさんは小森さんに1回も電話したことはない?
A:電波がとぎれたとき以外はない。
Q:小森さんがうつ状態だったことは知っていた?
A:知らなかった。
Q:知っていたら、工夫していたということは?
A:小森さんが、「初心者だからCさんに差がつけられることが怖い」と言っていたとき、「ガンバってね」とは言わなかったと思う。格技場の練習に来られなかったことに関しては、うつでも連絡はできるので、今でも電話すると思う。

Q:○○さんやほかの作文であがった事実を確認されたことは?
A:記憶にない。
Q:学校の先生が家に来たのは何回?誰と来た?
A:1回だと思う。N先生ともうひとり。
Q:A先生?
A:わからない。1回来ただけで、その後はない。


********
補足質問
Q:アメフトの応援のときのこと。何が言いたいか分からなかった?予め決められていたことだから、話題にしたことはお母さんの気にしすぎという雰囲気だった?
A:N先生は、気にしすぎだよね、小森さんのお母さんおかしいよね、という雰囲気だった。
Q:香澄さんが居眠りしていたことについてH氏が小森さんに注意されていたことは?
A:ない。
Q:上級生から小森さんが注意されていたことは?
A:ない。
Q:Hさんや上級生にとっては注意するまでのことでもなかった?
A:わからない。
Q:小森さんのスカート丈は?
A:規定だったと思う。

Q:同級生から、BさんとCさんの2人がよく話をしているから、小森さんが悩んでいると聞かされて、どう思ったか?
A:心外だった。
Q:注意した同級生には返したのか?
A:していない。
Q:なぜ?
A:返した記憶はない。深い意味はない。3人の問題なので、3人で話して、私たちのせいではないと言われればいいと思った。周りからどう思われようと関係ないと思った。
Q:2人のせいではないと言われて、Aさんの話が出た?
A:覚えていない。
Q:小森さんが部活に出られないのは誰のせいなのか、納得できる答えはあったのか?
A:覚えていない。
Q:では誰のせいなのか、関心はなかった?
A:ない。そういうふうに思っていた。

(15時頃、終了)

自覚があるかないかは別にして、3人のなかでは一番、正直に答えていた気がした。
ただ、「もう何も考えたくない」という本音が、一番あらわれてもいた。


Aさんの証言


Aさんの証人尋問。15時10分より。

被告代理人弁護士より主尋問。

Q:小森さんはどういうひとだった?
A:中学のときから吹奏楽部で一緒だった。とても仲のよい友だち。明るくて、友だちもたくさんいて、素敵な女の子だった。
Q:小森さんのお母さんはどういうひと?
A:父母会に参加していて、とても熱心なひとだったと聞いていた。
Q:中学の部活動について。
A:私はトランペットだった。中学の部活はとても楽しかった。小森さんはパーカッションだった。途中で退部した。部活の休日練習のことで、顧問の先生ともめて、こじれてしまった。
Q:顧問のT石先生はどんなひと?
A:とてもよい先生で、大好きだった。

Q:野庭高校に入ったのはなぜ?
A:中学のとき、野庭高校吹奏楽部の演奏をきいて、あこがれて入った。高校卒業後はトランペットで音楽大学に進んでと思っていた。
Q:野庭の吹奏楽部はどんな様子だったのか?
A:他よりはレベルが高かったが、その頃は部員数がへっていた。野庭の吹奏楽部はとても厳しいと聞いていたが、想像していたよりは、私にとっては甘かった。ほぼ毎日、朝と放課後、休日も平日よりは遅い時間だったが、ほぼ毎日練習があった。入部部員の数が少なくなって、大会定員の人数50人に足りなくなったので、1年生でも大会に出られた。
Q:あなたは経験者で余裕を感じていた?
A:プレッシャーで体調を崩すことはあった。食事がとれなくなって、食べてももどしてしまった。他にも体調を崩すひとはいた。でも、部活は楽しかった。

Q:小森さんはトロンボーンの経験がなかったわけだが、はじめてすぐに音は出るものなのか?
A:はじめてから3カ月はかかると思う。プレッシャーは感じていたと思う。小森さんは明るくて楽しそうで、一緒にがんばろうと言っていた。
Q:小森さんは5月の終わりから欠席していた?
A:ゴールデンウィークに私のほうが体調を崩した。小森さんに「大丈夫?」と聞いても、「大丈夫」とはぐらかされてしまった。私も体調を崩していたので同じだと思う。
Q:小森さんが、心因性のうつになっていたのは知っていたか?
A:知らなかった。遅刻や欠席はあったが、うつとは思わなかった。いつも元気で明るくて、そうは思えなかった。いつも元気で冗談とか言って楽しかった。
Q:先生から心の病について聞いたことは?
A:なかった。

Q:野庭高校の吹奏楽部は、本人のいないところで陰口を話すひとがたくさんいていやだったと書いている?
A:いた。小森さんも遅刻や休みを「なんで出てこないんだろう」「責任感が足りないんじゃないか」などと陰で言われていた。
Q:小森さんはどんな格好をしていた?
A:当時はやっていた服装をしていた。頭に花を飾ったり、腕にブレスレットをつけたり、カバンに小物をたくさんつけていたりしたので、部活中はどうだろうという話をみんながしていた。
Q:誰が言っていたのか?
A:名前を出すと陰口になるので言いたくない。

Q:一緒に登校するようになったのはなぜ?
A:中学から一緒にがんばろうと話していた。一緒に行くのがふつうだった。
Q:いつ頃からやめたのか?
A:6月半ば頃から。朝の練習に、1年生は先輩より早く着くのが義務だと思っていたので、悩んでいた。母に相談したら、N先生に話したらと言われた。N先生から、「別々に行ってみたら?」と言われてそうした。
Q:悩んでいたのに、それまでは、なぜ迎えに行っていたのか?
A:友だちだと思っていたので。陰口は遅刻や欠席とかだったので、私が迎えに行って減ればいいと思った。
Q:小森さんから嫌がられているとは思っていなかった?
A:思っていなかった。
Q:小森さんから、迎えに来ないでほしいと言われたことは?
A:ない。そう言われていたら、迎えに行っていない。

Q:6月26日に、小森さんのお母さんが来て、Aさんのお母さんと話したと思うが、どんな話をしたか聞いたか?
A:小森さんが、部活のプレッシャーがすごくて、朝、起きるのがつらいという話だった。
Q:うつの診断書は見せてもらった?
A:見せてもらっていない。
Q:きらわれているのにわざと迎えにいくようなことはしていない?間違いない?
A:そんなことはしない。違いない。

Q:「そんなのじゃらじゃらつけてバカじゃない?」などと小森さんに言ったか?
A:そういうことは言っていない。化粧やアクセサリーは陰口を言われていたので、「吹奏楽部としての時間にそういう格好をするのはいやだ」とか、「やめたほうがいい」「けじめを考えたほうがいいんじゃない?」と言ったことはある。小森さんには、はぐらかされてしまった。
Q:小森さんに対して、「アトピーがみにくい」などと言ったことは?
A:ない。私も小学生のときにアトピーがひどかったので、私がやってよかったことやよくなかったことを教えた。「お化粧はアトピーにはよくない」「顔の洗いすぎもよくない」と言った。
Q:小森さんに「トロイ」とか言ったことは?
A:ない。
Q:「あんたがいると全国大会に行けない」「じゃまだ」と言ったことは?
A:ない。みんながしっかりしないと、みんながちゃんとしないと、全国大会に行けないと言ったことはある。
中学時代から友だちだと思っていたから、今は大変かもしれないけれど頑張ろうと話した。

Q:小森さんがうつ状態だと知っていた?
A:知らなかった。知っていたら、叱咤激励していない。私のことが嫌いだと知っていたら、こわくて近寄れなかったと思う。
Q:小森さんに暴力をふるったことは?他のひとにふるったことは?
A:ない。
Q:小森さんから嫌われていると感じたことは?
A:6月頃、同じ吹奏楽部の○○さんから、小森さんが私からいろいろ言われて嫌がっている言われたとき。
Q:その内容は、実際に言っていた?
A:悪口を言っていたような内容だったので、それは言っていないと言った。香澄さんは勘違いしているのではないかと思った。香澄さんから、もしかしたら嫌われているのではないかと思った。
Q:それ以前に嫌われているのではないかと思ったことは?
A:ない。
Q:香澄さんとの接し方は変わったのか?
A:誤解されているのだろう、ちゃんと話さなくちゃと思ったが、怖くて話せなかった。
1カ月くらい、あいさつくらいはかわした。香澄さんはほとんど練習にも顔を出せなくなってしまっていたので、ほとんど話をできなかった。
Q:何回くらい?
A:何回までは覚えていない。合同練習のとき2、3回。授業は休みだった。
Q:香澄さんに、「仮病は治ったの?」「無責任」「なまけもの」と言ったことは?
A:言っていない。

Q:香澄さんがコンクールに出るということは知っていた?
A:指揮者のHさんからみんなで聞いた。
Q:香澄さんの心境はどういう状態だった?
A:わからない。

Q:香澄さんの自殺を聞いてどう思った?
A:とても驚いた。葬儀に参列できなかった。Hさんからは「お前たちを守るためだ」と言っていただいた。
Q:あなたたちが原因だと香澄さんの両親に思われているということはいつ知ったのか?
A:香澄さんが亡くなってしばらくして、噂のようなものでなんとなく知った。自宅の電話にいたずら電話がかかってきたり、知らないひとから電話があったり、無言だったり、人殺しと言って切ってしまう。
Q:いじめをしたと思われて、具体的に何が言われているのか教えてもらったのか?
A:教えてもらえなかった。具体的に知ったのは、裁判がはじまってから。香澄さんの両親から何をしたと思われているのか知った。
Q:香澄さんの自殺のあと、辛かった?
A:辛かった。手首を切ったりした。
Q:「人殺し」などと電話はどのくらいかかってきた?
A:覚えていない。インターネットの「クソガキどもを糾弾する」というホームページに、私の名前や両親の名前、住所や周辺の地図、自宅の写真が載って、それをみたひとから電話がかかった。
Q:相手は名乗るのか?
A:名乗らない。ひとこと言って切る。質問をしてくる、説教をしてくるのもいた。

Q:あなたは1年生の終わり、2〜3月頃に野庭高校を退学しているが、なぜか?
A:精神的にとても辛かった。吹奏楽部にあこがれて入ったが、気持ち的にトランペットが吹けなくなってしまって、学校にいる意味がなくなった。裁判も起きて、とても辛かった。抑うつ状態になって、手首を切ったりした。
Q:あなたは、香澄さんにいじめをしたのか?
A:いじめというものが、悪意をもって行うものであれば、絶対にしていない。
小森さんは明るくて、元気で、楽しくて、私のもっていないものをもっていて、うらやましくて、コモさんと友だちになれてうれしくて、ずうずうしいかもしれないが、今でも友だちと思っている。友だちだったのだから、何で気づいてあげられなかったのだろうと、今でもとても悔しい。ずうずうしいかもしれないけれど、今でもコモさんのことは好き。

*********
原告弁護士から

Q:部活内の陰口について、陳述書では、何人かのひとが小森さんの服装やなんで出てこないとか、遅刻のこととか言われていたとあるが?
A:「さぼり」とか「実力がない」という陰口もあった。コモさんだけでなく、私のことに関してもみんないろいろ言われていた。
Q:アトピーのことも言われていた?
A:直接は聞いていないが、あった。服装や遅刻、欠席のことが多かった。
Q:それはいつから?
A:部活や学校に出てこなくなってしばらくしてから。6月頃から。
Q:Bさん、Cさんも言っていた?
A:私の口からは言えない。

Q:香澄さん本人に、悪口が伝わることは?
A:あったかもしれないと思う。私自身もそういうことがあったから。陰口を言っていたよという陰口もあったので。
Q:内容については、どう思った?
A:言い方はとても問題だと思ったが、事実、みんなががんばっている時に出てこないのはよくないと思った。また、吹奏楽部のなかで、そういう格好をするのはよくないと思った。
Q:陰口に対して、あなたが注意したことは?
A:私は、「そういうのは聞きたくない」と言った。陰口を言ってストレスを発散するのは嫌いだが、言うのは本人たちなので、聞きたくないと思った。
Q:友だちだと思っていたのなら、「陰口はやめようよ」と言わなかったのか?
A:陰口を言われる原因を私がなくせば、言われなくなるのではと思っていた。
Q:あなた自身の意見として、香澄さんに伝えたことはあった?
A:行き帰りとかで、服装について、そういうのをつけてきたら「やめたほうがいい」と言っていた。
Q:電話で注意したことは?
A:ない。

Q:具体的にはどういうことを香澄さんに言っていた?
A:「勉強も頑張らないといけない」「部活も出ておいで」「化粧はアトピーに悪いよ」「アクセサリーはやめたほうがいい」とは言った。
Q:香澄さんのトロンボーンの実力に関して言ったことは?
A:私自身もまだまだだったので、言ったことはない。
Q:香澄さんは、お母さんに「Aさんに、顔がきたない。早く顔を直せと言われた」と言っているが?
A:「ひどくなっちゃったね」「早く治るといいね」ととは言った。
Q:Bさんに、香澄さんは「Aさんから部活にじゃまだと言われた」と相談したというが?
A:そこまできつい言い方はしていない。学校や部活をがんばろうねという意味で言っていた。
Q:「あんたのせいで全国に行けない」と言ったことは?
A:みんながしっかりしないと全国に行けないという意味を込めて、「コモさんもしっかりしないと全国に行けなくなっちゃうよ」という言い方しかしていない。
Q:これらは、香澄さんが相談を受けた人が言っていた話だが、香澄さんがそのひとにウソを言っていたと思うか?
A:本人がいないのでわからない。きらわれていたようなので、私の言い方がきつくて、そういうふうに思われてしまったのかと思う。
Q:香澄さんがウソを言うことはあったか?
A:わからない。

Q:香澄さんが亡くなったあと、作文に書いたことは自分の記憶を書いたのか?誰かに無理やり書かされていない?
A:はい。
Q:その作文には、「自分がどんなことを言ったのか、情けないことに具体的なことについては、ほとんど覚えていない」と書いているが、当時でさえ覚えていないというのに、今ここで言ったことは、だいたい当時、言っていたことなのか?
A:一言一句は覚えていないということ。作文は先生に見せるものであって、何を言ったかまでは書くものではないと思った。覚えていることもあったが、書くほどのことではないと思ったので、簡単にしか書かなかった。
Q:ニュアンスの違いまで覚えていると証言しているが?
A:「○○か」と言ったのか、「○○も」と言ったのかまでは覚えていない。しかし、いつも当時から考えていたので、間違いはない。
Q:作文には、「自分でも非を認めないわけではない。すごく悪かったと思っている」と書いているが?
A:話したと認めている内容では責める必要はないと思うが、コモさんのことがとても好きだったのに、自分にも原因があると言われたと思って、だったらとても悪いことをしたなと思っている。
Q:今から考えれば、きつい言い方をしたということか?
A:もともと、私はきっぱりと言わないと気がすまない性格だったので。○○さんから言われた。私にとってはふつうでも、コモさんにとってはきつかったのではないかと思う。
Q:当時、具体的には覚えているか?香澄さんの心を傷つけたという自覚をもっていたか?今でも自分に非があったと思うか?
A: 思う。

Q:香澄さんと対等な関係だとは理解していたか?7月18日に、K養護教諭が香澄さんから、「私はAさんに言われたことに対して、何も反発しない」と言っていたというが?
A:おどろいた。
Q:作文には、「自分の考えを押し付けるのはよくないと教えられました」と書いているが?
A:当時は、コモさんに直してほしいと思っていたので、そういう気持ちはなかったが、Hさんから言っていただいて、あとから考えれば、自分の正義を押し付けていたのではないかと思った。
Q:香澄さんが、「Aさんが冗談のふりしてたたくのが、痛い」と言っていたというが、ぶったことはあるか?
A:廊下であった時、「おはよう」と言って、ポンとたたくこともあった。香澄さんもそういうことをすることがあった。
Q:中学の友人が、あなたがおもいっきりけっていた場面を見たことがあると証言しているが?
A:ない。寸止めのかたちで、中学時代に仲の良い友だちと教えている感じでやったことはある。香澄さんとの関係ではない。
Q:○○さんが、Aさんにいやなことを言われると香澄さんから聞いたと言っている。また、Aさんが香澄さんのことを無視しているとも。
A:○○さんから聞いたときから、嫌われていると思ったので、無視ではなくて話しかけられなくなった。
Q:香澄さんが話しかけているのに、ムシしたことは?
A:ない。

***********

Q:中学時代は一緒に行くことはなかったのに、なぜ高校になって迎えにいくようになったのか?
A:香澄さんは途中で吹奏楽部をやめてしまったので。野庭高校の練習風景を一緒に見に行ったりして、一緒に頑張ろうと言っていたから、迎えに行くのはふつうだと思った。
Q:香澄さんから迎えにきてほしくないと言われたことは?
A:ない。
Q:一緒に行こうと言って迎えに行ったのはほぼ毎朝。香澄さんが先に行ったことは?
A:覚えていない。
Q:先に行っていてと言われたことは?
A:何回かあった。15分くらい待っていた。
Q:シャンプーをしているので先に行っていてと言われても待っていたことはよくあった?
A:はい。
Q:避けられている、嫌がられていると思ったことは?
A:ない。
Q:あなたが迎えに行くことが、香澄さんのプレッシャーになるとは思わなかったのか?
A:逆にひとりで行くことがプレッシャーになる。誰かと行くほうがいいと思った。プレッシャーになるとは当時は考えなかった。

Q:6月15日の保護者面接以降、迎えに行かなくなったのは、Aさんのお母さんが先生に相談したからか?
A:自分が遅刻しない程度には待っていたが、先輩より早く学校に行きたかったので、よく母に言っていたので、母が相談したのだと思う。
Q:香澄さんには直接話さなかった?
A:せっかく一緒に行こうと話していたのに、薄情な理由で置いていくのは、友だちとしてどうかと思った。直接言ったら、気まずいと思ったので。
Q:6月26日に香澄さんのお母さんが、自宅に来た理由は聞かされたか?
A:部活の練習がプレッシャーで、朝が起きられないと母に聞いた。何で家に行ったのかはわからない。
Q:香澄さんのお母さんが切羽詰まっている様子は?
A:わからない。
Q:香澄さんが学校でいじめられているらしくて、そのことが原因で学校に行けない。知っていることは何でも教えてほしいと言われたことは?
A:聞いていない。当時、友だちだったので、どうにかできないかなという話ではないかと思う。

Q:AさんがAさんのお母さんと口論して、「あなたに何がわかるのよ。けりたおしてやりたい」と言ったことは?
A:私は小学校の時にいじめられて、自分は行きたくないのに学校に無理やり行かされて当時はそれが辛かった。母が私が「そうやって立ち直ったから、学校に行かせたほうがいい」と言ったので、「それは間違っている」と言った。母と口論することは特別のことではない。

Q:香澄さんが部活を遅刻したり、休んだり、5月の終わりにクラスを休んでいたのは知っていたか?
A:出席をとったりするので気づいていたと思う。
Q:中学時代はほとんど休まなかった香澄さんが、高校になって休むようになったのは、何故だと思っていたか?
A:香澄さんは、体調が悪いとか、風邪をひいちゃったと言っていたので。私も体調が悪いのが続いたりして、保健室に行くことが多かったので、同じような感じだと思った。
Q:香澄さんに理由を確認したか?
A:した。普通の会話のなかで、「大丈夫?」と聞いて、「大丈夫」と言っていた。本当に大丈夫かなとは思ったが。

Q:6月中旬にアトピー症状が悪化したのは気づいていたか?
A:いつからかは覚えていない。中学時代は知らなかったので、ぜん息のような話も聞いたことがないし。食べ物とか、皮膚に触れるものが原因かと思っていた。
Q:アトピー症状がストレスで悪化することは知っていたか?
A:知らなかった。部活のプレッシャーとしての辛さはあるとは思ったが、そこまでとは思っていなかった。
Q:指揮者のHさんから個別に呼ばれて、きつい言葉を言うと傷つくこともあると言われたことは?
A:個別には覚えていない。全体にはあった。
Q:それは香澄さんが亡くなったあと?それとも前?
A:言われた記憶はあるが回数はわからない。指導があったら、香澄さんへの接し方や対処方法がわかっていたら、そうしたと思うので、後だと思う。
Q:葬式の日、Hさんから「これまでも何度も言ったように、人に何かを伝えようと思ったら、相手の立場に立って話しをしないと傷つけてしまうこともある」と言われたことは?
A:言われていない。
Q:学校から、香澄さんの自殺の原因の説明を受けたことは?
A:ない。Hさんからは、まだ、香澄さんが亡くなったばかりでそういう時期ではない。あちらの両親にはこちらから伝えておくからと、話を聞いてもらえてうれしかった。
Q:事実を確認されたことは?
A:聞かれたことはない。聞かれたとしても、個別ではない。

Q:香澄さんの墓参りをした時のことについて。
A:なぜか覚えていない。お通夜や葬式にも参列したかった。墓参りもしたかった。香澄さんに「ごめんなさい」と話しかけるしかできなかった。

Q:香澄さんが部活に出なくなった頃から陰口は始まったのか?いつ頃まで続いたか?
A:6月から7月にかけて、何回か聞いた。いい雰囲気ではないと思っていた。
Q:香澄さんが頑張っても、これでは出てくるのが不安ではないか?
A:陰口はみんなが言われていた。香澄さんが頑張れば直せることだと思っていた。

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被告側弁護士から補足質問

Q:香澄さんの両親が、いじめの内容としてどんなことを言っているのか聞いたか?
A:聞いていない。知っていれば作文に書いた。香澄さんがどういうことで苦しんでいたか全然わからなかった。
いじめているという意識がなくても、悪意はないのに、一方的にいじめたと言われて苦しんでいた。学校側がアドバイスをしてくれればと思う。

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Aさんは最初、おどおどと泣いているようにさえ見えた。しかし、尋問が進むにつれ、どんどん冷静になっていった。
最初の2人以上に、慎重に言葉を選んでいるという印象を受けた。
香澄さんとは仲のよい友だちだったという。しかし、彼女の香澄さんへの対応をみると「香澄さんのことをコントロールしたい」という強い気持ちをむしろ感じた。まるで、教育熱心な母親が、子どもの言動ひとつひとつをチェックして、すべて自分の思い通りに育てようとする姿に似ている気がした。
これはあくまで、私自身の想像でしかないが、もしかしたら彼女自身、そうやって周囲の大人たちからコントロールを受けてきたのではないか。同じことを香澄さんに対して行ったのではないかという気がしてしまった。
そして、言葉の端々に、自分はこれだけ傷ついているのだから、そのことをもっとわかってほしいというアピールを感じた。冷静な言葉のうらに、彼女の叫びを感じてしまった。
周囲の大人たちはそのことに果たして気が付いているのだろうか。そのすべてを、裁判を起こされてしまったから、加害者扱いされてしまったからと、責任転嫁して考えてはいないだろうか。
むしろ、その心の叫びが、香澄さんへの態度にあらわれてしまったとは考えはしないものだろうか。この7年間、誰も彼女のありのままを受けとめてくれる人間はいたのだろうか。Aさんの今後が、とても心配な気さえした。





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