わたしの雑記帳

2005/3/5 「川崎ダルク ファースト フォーラム」に参加して


2005年3月5日(土)、神奈川県川崎市の元住吉にある川崎市国際交流センターで、「川崎ダルク ファースト フォーラム」が開催され、行ってきた。ダルクとは、薬物依存症の人たちの自助グループで、今や日本各地にあるが、川崎でも昨年5月に設立されたという。

会場には、正直に言って、すぐにそれとわかる人もいれば、支援者なのか、一般人なのかと思う人もたくさんいた。結果的に言えば、会場の大部分が、各地のダルクから応援に駆けつけたメンバーで、あとは川崎ダルクの支援者、関係者で、どうやら私のようなまるで一般の人間の参加はほとんどなかったようだと、最後の参加ダルクの紹介、運営委員会の紹介のときに初めて知った。

私が聞きたかったのは、精神科医や学者の話ではなく、当事者たちの声。そういう意味で、フォーラムはとても満足のいくものだった。ここまで、赤裸々に自分のことを語れるものなのかと圧倒された。一方で、仲間が大勢いる場所だからこそ、語れる。逆に言えば、寝食をともにした仲間の前では格好のつけようもない、表面的に取り繕ったところですぐにばれてしまう。本音の話をするしかなかったのかもしれないとも思う。

川崎ダルクのメンバーを含め、各20分程度、5、6人ほどの当事者たちの話が聞けた。
面白いなと思ったのは、施設長も肩書きのある人をどこかよそから連れてきたのではなく、当事者であること。そして、それを隠さないこと。
メキシコのストリートチルドレンの自立支援施設では、元ストリートチルドレンが管理人になっている、スタッフとして働いているという団体や施設をいくつか見てきた。日本の福祉施設では、利用者と働き手とが分かれている場合が多い。特に施設長は世襲制だったり、大学で福祉を学んできたひとが、職員を経て就任したり。
特に児童養護施設で、元当事者が職員になれば、もっと子どもたちの気持ちが理解できるのではないかと思ったりしたが、現実には職員になるためには専門の大学に行かなければならなかったり、資格が必要だったりと、なかなか困難なようだ。

はじまりの挨拶のなかで、運営委員会委員長で、精神科医でもある村石雄二氏が言った。今は第三次薬物濫用時代と呼ばれている。特に若年者に深刻な問題になっている。一方で、川崎市に5つの精神科医院があるが、アルコールや薬物依存症を引き受けるところはなかった。
また、「薬物依存症というのは蜘蛛の巣につかまった虫のようなものだ。もがけばもがくほど糸が絡む」しかし、それを上から見ている存在があると。
以前に読んだ「我ら回復の途上にて −茨城ダルクの10年 心の居場所から−」(市毛勝美編著 那珂書房発行)にも、たしか「ハイヤーパワー」という呼び名で出ていたのを思い出した。メキシコの場合、宗教がはっきりしているので、「神」と人びとは言う。いろいろな宗教が入り交じり、無宗教者が多い日本では「神」という呼称をつかうことは特定の宗教をイメージさせるのを避けるためにあまり使われないのかもしれないが、同じものを言っているのではないかと私は思っている。

人智を超えた存在を信じ、委ねることで、現実にはまだ自分たちの手のなかにはない希望を見出そうとしているのではないだろうか。
ある当事者は言った。「依存症は治ることはない」「治った人は一人もいない。ただ、成長しつづけるために、どういうことをしていけばいいのだろうといつも考えている」「生涯治療と思って長く係わる」そして、その場所がダルクであると。
一方で、別のひとは言う。燃え尽きないためにも、「回復を信じる」こと。回復を信じることができれば、回復者になれるが、みんながそれを信じられなければ、回復者は出ないと。

何人かの体験者が、薬物依存のきっかけを語ってくれた。中学や高校で、仲間に誘われて、好奇心でシンナーや大麻をはじめた。
最初はみんな、自分は依存症にならないと思っている。実際に数回でやめられた時期もあった。それでも、また何かのきっかけで吸うようになった。大麻は合法の国もある。有名なアーティストもやっている。だから大丈夫だと自分にも家族にも言い訳をしながら、はまっていったという人もいた。
そのうち、どんどん回数が増えていく。依存していくものの種類も増えていく。精神が壊れていく。
やがて、シンナーや薬物を手に入れるために自らが売人になっていく。あるいは犯罪をおかしてでも薬物を手に入れたいと思うようになる。「刑務所に行った」と話す当事者もいた。親をだまし、知り合いをだまし、金を手にしては薬物に替える。皮肉なことに、知恵が回る人間ほど早く死んでいくという。

薬物を吸うと現実逃避ができる。逃げたい現実とは、厳しい親の支配だったり、孤独感だったり、する。
薬物は嫌な気分を取り除いてくれる。しかし、薬物をやめると、嫌な気分だけが残る。だからやめられない。

薬物を続けるとどうなるか。幻覚をみたり、幻聴が聞こえたりする。神さまになったり、医者になったりすることもあった。仲間に追われる気がする。「殺される」という幻覚をみることもある。恐怖感から逃れようとしてまた薬物に手を出す。悪い夢ばかりみる。いつも気持ちが満たされない。

苦しさから、家族に当たる。親やきょうだいの首をしめた。何人もが「死にたいと思った」という。何度も自殺未遂をしたひともいた。やせていった。眠れなくなった、虚脱感から自分で行為を起こせなくなった。部屋が汚くなる。部屋から出られなくなる。
友人をなくす。親、きょうだいから見放される。妻が子どもと一緒に出ていった。職を失う。財産を失う。誰にも相手にされなくなる。居場所をなくす。

そして逆に、財産があるうちは、家族がいるうちは、本気で薬物をやめようとは思えない。
ある人は、車に乗ってダルクに行ったら、「まだ早い」と言われたという。妻も子も、財産もなくし、部屋の電気もガスもとめられてはじめてダルクに駆け込む。財産、家族、名誉、仕事。何かをまだ持っているうちは、たとえどんな人にめぐりあっても無理だったろうとその人は振り返る。全てを失って、ようやく辿り着いた場所がダルクだった。

しかし、ダルクに入れば依存症から抜け出せるわけではない。1カ月やめられた。自分でももう大丈夫だと思う。そうするとミーティングから遠のく。誘惑は間髪いれずやってくる。「もう大丈夫」から「転落」へ。それを何度も何度も繰り返す。回復も地獄。再発も地獄。いわば、行くも戻るも地獄。薬物をはじめてしまったら、その先は地獄が待っている。だからこそ、薬物には最初から手を出さないことが大切だと訴える。

ダルクは各地にある。それぞれ特色をもつ。太鼓やレクリエーションに力を入れているところもある。
共通しているのは、ミーティングを毎日、毎日繰り返すこと。辛いミーティング。素直になれない自分。ひとをうらやんだり、妬んだり。ウソをついたり、本音を言えなかったり。誰かに当たってみたり。
そのなかで、ふと気づくことがあるという。たくさんひとを傷つけてきた。しかし、一番傷つけていたのは自分。環境のせいにしてきた。誰かのせいにしてきた。そうやって自分と向き合うことを避けてきた。全てを手放して、ダルクのミーティングのなかでようやく、自分と向き合うことを覚えた。毎日、毎日、「迷い」と「気づき」を繰り返すという。
また、別の人は、「先のことをいつも考えて苦しんでいた」。それが、「目の前にある今、今日やれること、できることをその日にやることだけを考えるようになった」と言う。

フォーラムのテーマは「居場所」だった。全てを失った人たちが集まって居場所をつくる。組織ではないという。それが、資金もないダルクがここまでやって来られた理由だと日本ダルクの代表者近藤恒夫氏は言った。ふつうの企業はピラミッド型。ダルクは逆ピラミッドだと言う。一番偉いのは、一番苦しんでいる人たち。その人たちこそがいちばん恩恵にあずかる権利がある。そして、少しでも回復を果たせたものたちが下から支える。
ダルクは金がない。借金さえもできない。それでも、金がないから断るという組織だけにはなってくれるなと言う。

グループの運営は端からみるほど楽ではないだろう。何年いたから、役職についているから、もう大丈夫という保障もない。全てのひとが回復途上であり、毎日、毎日を綱渡りしながら、過ごしている。危ういバランスのなかで、なんとか運営されている。
それでも、ダルクはこれから先もきっと潰れることはないだろうと確信に近いものを私は感じた。なぜなら、今の時代にとても必要とされているから。今のところ、ダルクに代わるものがないから。
そして、彼らを責めるだけの社会ではなく、支える人たちがいることに、とてもほっとした。

暴力団対策法で暴力団はかなり鳴りを潜めた。かつては覚せい剤、薬物を売買するのは暴力団員だった。一般人には恐怖感がある。近づき難い。だから、薬物に依存するのも特殊な世界の人間に限られていた。
それが今は、一般の人間が薬物を売買するようになった。皮肉なことに、誰でもが興味本位で手を出しやすくなった。中高生に売りつける売人は同じ中高生だったりする。恐怖感はない。むしろ仲間意識が働く。流行に乗り遅れまいとする。仲間がやっているのだから安全、安心だと思う。流れるのは、不確かな情報。それも、薬物を使いたい人間にとって都合のよい情報ばかりが、駆けめぐる。

今日の話を、もっと多くの一般の人たちにこそ、聞いてほしいと思う。
ダルクの人たちが安心して語れるのは仲間の前だからだろう。しかし、その輪をもっともっと広げて行かなければ、いつまでたっても、ダルクから外に出られない。今日の会場の雰囲気、何を言っても受け入れてもらえるという安心感、それが広がれば、依存症に苦しむ人たちへの理解が広まる。少しは暮らしやすい社会になる。
それが回復を後押しするだろう。新たな依存者を増やさないための啓蒙となるだろう。


薬物相手に「私は大丈夫」は通用しない。そう思うときには、すでにその術中にはまっているといえる。「私は大丈夫」「依存症にはならない」みんなそう思ってはじめた。「もう二度とやらない」。その意志の強さも蝕んでしまうのが依存症。
正直いって、私は依存症の人たちの混乱のなかに我が身を投じる勇気はない。せめて、身近にあるその危険性に気づきもしない人たちに向かって、警鐘を鳴らしたいと思う。
友人から誘われても、断る勇気を。でなければ、次には、もっともっと勇気もエネルギーも費やすことになるから。一瞬の楽しさ。一生の地獄。行くも地獄。戻るも地獄。迷路に踏み込まないで。




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