2004/10/15 | 佐世保市女児殺害事件、文科省の再発防止策は有効か!? | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
長崎県佐世保市の小6女児殺害事件を受けて文部科学省のプロジェクトチームは、再発防止策の最終報告をまとめた。(http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/16/10/04100501/001.htm) 対策重点プログラムの主な内容は、 (1)命を大切にする教育 (2)安心して学習できる環境づくり (3)情報モラルの指導のあり方の確立 を柱としている。 具体的には、「心のノート」の推進や、小学生等を持つ保護者に「新家庭教育手帳」を配布すること、命を大切にする子どもを育てることなどに関するビデオ資料の作成と教育委員会等へ配布、自然体験活動や奉仕活動、スポーツ活動の推進などなど。そして、いじめなどの多い小学校に警察官OBや教員OBらを配置し、生徒指導を強化するという。 ほんとうにこのような対策で、いじめや少年犯罪はなくなるだろうか。子どもたちに押し付けられる建前論。しかし、大人たちこそが、命をほんとうに大切にしているだろうか。モラルを自分たちも守り、本音の部分で必要だと感じているだろうか。 そして、警察官に人権感覚があるとは思えない。教員OBにいじめ問題の解決能力があるとは思えない。たんなる退職者の受け皿だったり、権威や力で子どもたちを押さえつけようとはしていないだろうか。 事件は、自分のなかのイライラや人間関係のトラブルを力(=暴力)で解決しようとしたところで起きている。大人たちによる一方的な押しつけや力やルールによる締め付けで、ほんとうに子どもたちは救われるのか。 学校が校内暴力で荒れたときに、警察の力を借り、教師は堂々と生徒に暴力をふるい、厳しい規則にがんじがらめにして、子どもたちをコントロールしようとしてきた。その苦しさを理解し、子どもたちを苦しくさせている大人たちの圧力を取り除こうともせずに。その結果が、本来、大人に向かうべきだったエネルギーが、横へ、下へ、より弱いもの、やり返してこないものへと向かった。あるいは、自分自身に向かった結果が、いじめであり、自傷であり、不登校ではなかったのか。 時間と愛情をかけた地道なコミュニケーションによる解決ではなく、力による支配、安易な解決策を子どもたちに教えたのは、大人ではなかったか。 文科省は、2003年12月19日発表の「生徒指導上の諸問題の現状について」において、公立の小・中・高等学校の児童生徒について、 ●不登校児童・生徒数が平成3年度以来はじめて減少 ●暴力行為の発生件数も、学校内外を通じて減少 ●いじめの発生件数は、平成7年度をピークに7年連続で減少 と報じた(http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/15/12/03121902.htm)。 まるで、すべてがよりよい方向に向かっているかのような数字を出していた。 とくに、いじめについて概要をまとめると、
※いじめについては、「@自分より弱い者に対して一方的に、A身体的・心理的な攻撃を継続的に加え、B相手が深刻な苦痛を感じているもの。なお,起こった場所は学校の内外を問わない。」ものとして件数を把握。 この報告からは、いじめは全体的に沈静化にあり、その内容も「冷やかし・からかい」など軽微なものが多く、生徒や保護者からの「いじめられている」という訴えに、学校全体として取り組んだ結果、そのほとんどが年度内に解決している。 一方で、公立の小・中・高等学校の児童生徒の自殺者は、123人〔前年度134人〕で、原因別では「家庭事情」などの割合が比較的多い。 つまり、児童虐待や家庭不和など、家庭の事情は別にしても、少なくとも学校における児童生徒の環境はかなり良好になりつつあったはずだった。それには、ゆとり教育や学校カウンセラー、「心のノート」、不登校対策が功を奏したという筋書きができあがるはずだった。 それが、佐世保の事件をきっかけに一気に子どもたちの問題が吹き出した。小学校でも、児童がナイフを持ち、「死ね」「殺す」と同級生を脅す(これを「冷やかし」「からかい」とは言わないだろう)。何万、何十万円という単位の恐喝が発覚している。 もちろん、ひとつの衝撃的な事件に触発されて、というものもあるだろう。しかし、もっと多くは、ただ単に隠されてきただけなのだと思う。 多くの保護者から、子どもがPTSDを発症するほどのひどいいじめを受けて、親は学校に対策をとってくれるよう、必死にお願いしているのに、学校は何も動いてくれない。教育委員会にもかけあったが、らちがあかない。という悲鳴にも似た訴えを私自身、いくつもいくつも見聞きしている。子どもの安全を確保するために、やむなく不登校をさせているのに、ただ学校へ来い、保健室でもいいからと促されるという。 いろいろ手を尽くしてはみたものの、結局は被害者だけが切り捨てられてしまった。そのことに納得がいかず、民事訴訟を起こした。そういう親子も増えている。 「公立学校」というくくりがあるにしても、あまりに私の実感とはかけ離れた文科省の数値だった。 それがここへ来て、文科省、各自治体が発表する数字は増加に転じている。ネットから情報を拾ってみた。
適切な対策を立てるには、まずは現実を正しく把握することから始まる。国、教育委員会にそれができているか。あるいは、本気で知ろうという気持ちがあるのだろうか。 それとも、また世間が騒ぐ間だけはいろいろな対策を打ち出し、風化するのをただ待っているのだろうか。 その間に、どれだけの命が犠牲になったことだろう。「命を大切にする教育」は大人たちにこそ必要だ。 |
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