2004/10/10 | 小野朋宏くんの裁判(2004/10/6)、体育教師と養護教諭証人尋問の傍聴報告。 | |
注:当日はメモをとっていますが、聞こえにくかったり、筆記が間に合わないこともあります。また、午前、午後と引き続き、3人もの証人尋問を聞き続け、正直いって集中力の限界も感じました。 |
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女性養護教諭の尋問。再び、被告代理人弁護士の尋問から。 Q:平成14(2002)年6月11日の聞き取り調査の結果に間違いはあるか? A:11時30分頃、朋宏くんが周りを見渡して、「ここはどこ」と言い、「保健室だよ」と言うと、目をキョロキョロさせたとあるが、当日書いた記載が間違っている。これはグラウンドを思い出すように言った。目をキョロキョロさせたのは、別の機会。その時は落ち着いている様子だった。 Q:なぜ、違ったのか? A:書類を作成したのは事故当日だった。朋宏くんが亡くなって、警察の事情聴取を受けてから、6時頃、教頭の指示で、保健室でひとりで書いた。とてもショックで、ものを考える状態ではなかった。短い文章でまとめなければと思った結果、正確ではない記述になった。 保健室に運ばれた朋宏くんの様子を「呼吸が乱れて、体が震えていた」と書いたが、これは、荒い息づかいでの筋肉の動きであって、体がガタガタ震えているという意味ではない。 カーテンを力一杯振り落とすような動作を何度もしたとあるが、これはカーテンレールに添って動かしたこと。表現があまりうまくなかった。 10時30分頃、硬直も収まって意識がはっきりしたとあるが、硬直とはカーテンを手でぎゅっと握った状態を離したこと。朋宏くんの足をさすっていたもうひとりのA養護教諭とあとで確認した。 「ここはどこ?」と聞き、興奮状態で落ち着きのない状態というのは、もっとあとのことで、11時45分には落ち着いていた。A養護教諭の陳述書にも目を通したが、矛盾はない。 Q:校内の救急体制についてはどうだったのか。 A:平成14年に保健主任らと相談してつくった手引き書を更新した。 Q:朋宏くんが保健室に運ばれたときの様子は? A:電話で、体育教諭から小野朋宏くんが持久走で倒れて、過呼吸の症状もあると、グラウンドでの様子が告げられた。A養護教諭は朋宏くんの新入生時に配布する基礎表をチェックしていた。 私は迎えに走った。 朋宏くんは、汗をいっぱいかいていた。呼吸は速く荒かった。目の焦点ははっきりしていた。顔色は、青かったり、チアノーゼはみられなかった。ジャージが泥で汚れていたので、倒れた状況を聞いた。力が抜けるように前に跪いて、起きようとして後ろに倒れた。頭を打ったということはなかったということだった。 過呼吸の症状がいちばん強かった。既往症にも、心電図にも悪いところはなかった。 息ができない状態ではなかったので、過呼吸の措置をして保健室に寝かせておいたほうがよいと思った。保健室のベッドとベッドの間がせまく、一人しか入れないので、ソファベッドに寝かせた。ソファベッドは広いし、寝心地がいい。 もう一度名前を確認して、「小野くん、わかる?」ときくと、しっかりうなずいた。目の焦点もはっきりしていた。呼吸が速く、苦しいので、返事はなかった。A教諭がタオルを濡らして、体を拭いた。 バイタルサインをみたところ、30秒で71、1分間にして140の脈拍だった。戻りが遅いとは思ったが、持久走をしたあとで、体重のある生徒なので、走ったあとはあがる。特に新入生は高校受験で運動をしていないので、よくあることだ。脈ははっきりとしており、とんでいなかった。 脈拍は何度もはかった。最低、4回くらい。脈は15秒で25、6前後。はっきりした記録はないが、戻りが遅いと感じた。日頃、保健室で休んでいる生徒は脈の戻りが遅いので、特別なこととは思わなかった。特に朋宏くんは、少し太っているので。体温は体温計では測らなかったが、熱くも冷たくもなかった。呼吸が荒かった。 その日は朝、雨で肌寒かったので、熱中症が考えられるような温度ではなかった。 体温計を使わなかったのは、脇には汗をかいているし、口で測るにはいろんな生徒が使っているから。また、息が苦しがっているので、しなかった。 ゆっくり吸って、吐いてと声をかけると、頷いて、自分でゆっくりと呼吸ができていた。過呼吸と判断したのは、体育教師の言葉と自分の目で確かめて。 救急車を呼ぶことは考えなかった。保健室で楽にさせてあげようと思った。嘔吐も失禁もなかった。 ペーパーバックセラピーを行った。過呼吸は11時少し前に収まったので、袋をとった。うまくいったと思った。 11時少し前に、小野くんはソファベッドから1、2回起きようとした。ゆっくり寝ているよう声をかけた。 「今までこんなことがあった?」と聞くと、「なかった」と答えた。しっかり聞き取れる声で答えていた。 体育のS教師がグラウンドでの状況、今朝の具合、持病はないことを説明した。 11時5分頃、朋宏くんは寝ていた状態で、「痛い!」と言って、手で首のあたりを押さえた。A教諭が「頭打った?」と聞くと、「打っていない」と答えた。S教諭も「打っていない」と言った。朋宏くんは痛いところを探すように、手を動かした。特に訴えはなかった。体をくねらせたのは、痛いところを探しての反応。 過呼吸では手足のしびれや筋肉の痛みがでることがある。また、不安状態で呼吸が荒くなったと思った。 ペーパーバック法を行った。ベットの横に束ねているカーテンを動かす動作をした。 カーテンはスライドするように動かした。3、40センチ。5、6回。1回につき10秒程度だった。痛いと言ってカーテンを動かしたのは4、50秒だったと思う。 硬直ではなかった。短い時間だったので、医師や救急車に連絡することは考えなかった。てんかんを疑って、既往症を調べたがなかった。 11時20分頃、落ち着いた。その後、回復した。元気になって「水がほしい」と言い、「おいしい」と言って飲んだ。授業の話もした。会話ははずんでいた。「4時限目の授業は前回、休んじゃったから出たい」と言っていた。 Q:救急車は誰が判断して、どういうときに呼ぶのか? A:その場にいる職員が状況に応じて、自分で判断する。養護教諭のハンドブックにある呼吸困難にはあてはまらなかった。ためらうことはない。救急車を呼んだことは今まで何度もある。年に1、2回呼んでいる。 ********** 原告代理人弁護士からの反対尋問。 Q:養護教諭歴は? A:20年以上。 Q:応急処置の研修も当然、受けている? A:平成12年、夏休みに救急免許の更新のための研修を受けている。看護学についても知識はある。 Q:事故報告書の記載が11月31日付けで、事情聴取は6月。陳述書の日付は7月10日になっている。保護者会や小野さんが疑問をぶつけてから、記載内容が変わったのではないか。その時の精神状態でそのような書き方になったというが、養護教諭がこのような事故で、冷静に書けなくなるものなのか?最初に比べて、全部が軽くなるような書き方をされているように感じるが。 A:もうひとりの養護教諭とも確認している。 Q:生徒に対するアンケートの回答のなかに「体が震えて止まらなかった」「保健室に運んだ友だちから小野くんが震えていた」と書いてあったが? A:ハアハアとのどから胸にかけての筋肉の動きを「体が震えていた」と書いてしまった。しかし、実際には震えはなかった。 Q:脈が1分間に140というのは、異常とは思わなかったのか?走り終わってからふつうは5分くらいで回復するものではないのか。 A:持久走で走り終わった直後なので、異常とは思わなかった。10分から15分くらい回復しないことはよくある。特に体重のある生徒はゆっくりとしたペースで、脈拍が戻りにくい。記録を取らなかったので、はっきりとは言えないが、4回くらいとった。 Q:アンケート結果には、「顔色は少し悪かった」「唇も青ざめていた」「ヤバメ」「青白い」「変わらずその後も白っぽい」とあるが。 A:そんなことはなかった。 Q:過呼吸については何人も見ているのか?呼吸がハアハアと浅く短いのは、頻呼吸ではないのか。 A:過呼吸の生徒は何人も見た。頻呼吸についてはわからない。 Q:血圧や体温を測っていないのは何故か? A:学校では、脳出血で倒れるようなことはない。本人の反応がなかったわけではないので、測らなかった。 Q:ペーパーバック法は医療行為ではないのか。養護教諭は医師ではないのでできないのでは?呼吸困難であるなら、逆効果だ。ペーパーバック法はやりすぎれば低酸素状態になるのは知っているか。 A:養護教諭としての判断で行った。吸って吐いては上手にできていた。声はでなかった。 Q:校医に相談しようとは思わなかったのか? A:みんなで協力して回復に務めたので、校医に相談しようとは思わなかった。校医は年輩で、相談しても、「他の病院に」と言って総合病院に行くよう言うだけだ。小さな開業医で内科だけ。いつも病院に直接電話している。 Q:10時45分から11時以降についての様子は? A:A教諭が小野くんの体を拭いたり、手足をマッサージしたりした。小野くんは落ち着いていた。1時限目の授業のことなど、本人は楽しくしゃべていた。 「頭痛い?」ときくと、「ないよ。大丈夫」と答えていた。リラックスしていた。 11時5分頃、突然、「痛い!」と言い出した。ぶつけたかどうか聞くと、「ない」と言った。 Q:他の原因は考えなかったのか? A:いびきをかいたり、もどしたりすることもなかった。てんかんの大発作とも違うと思った。 Q:カーテンをゆっくり握りしめて動かす動作をしたとあるのは、痙攣(けいれん)ではなかったのか。「強直」とあるが、体を突っ張って力を入れている状態を言うのではないか? A:痙攣とは判断しなかった。報告書に書いた経緯は先ほど説明した。手をあげてカーテンを握った状態のことをこのように書いた。 Q:5月15日の父母会には出席したか?教頭は「小野くんは時々、カーテンを引きちぎるような動作をしたんですね」と発言しているが、教頭には誰が報告したのか? A:父母会には出席した。教頭への報告は同じ場所にいたのでみんなでした。 Q:痙攣があったから、てんかんを疑ったのではないのか?カーテンを引っ張るという意味不明の行動は部分発作ではなかったのか。 A:うめき声をあげて突っ張ったので、てんかんと疑った。 Q:朋宏くんが「ここはどこ?」と聞いたのは何故だと思うか? A:朋宏くんは保健室に来るのがはじめてだったので、見慣れない部屋の様子にそう聞いたのだと思う。貧血で倒れて、グランドで倒れていることを思いだしている様子だった。11時20分頃、回復して再び過呼吸になった。 Q:制服を着替えさせたとき、フラフラしているので座らせようとしてもウロウロしていたとあるが? A:ソファベッドの上でズボンをはこうとした。危ないので座らせようとした。着替える場所を探しているようで、ベッドのわきに行って着替えた。 Q:帰り際にズボンが落ちたのをはかせたとあるが? A:着替えるときボタンもしめていた。担任と廊下を歩いているとき、どうしたわけかズボンが落ちたので、はかせた。 Q:ペーパーバックセラピーは何回くらい行ったのか?どんな方法で行ったのか? A:10回以上行った。20回よりも多い。回数はよく覚えていない。30センチ×30センチの買い物袋に使うようなビニール袋で、保健室にあったものを使った。カーテンの動作のあと、15分くらい当て続けていた。ただし、ビニール袋なので、きちんと空気が入るように少し離してあてていたので、空気が入らないということはない。 Q:バイタルサインの検査では、体温と脈拍をはかるのではないのか。 A:服を着ていたし、汗もかいていたので、体温は測らなかった。 Q:脈拍が100から119の場合は保健室で寝かせ、10分から15分で再検査をするように養護の本に書いてある。120以上は重症と書いてあるのは知っているか?脈は30秒から1分以上測らなければ測ったことにはならないのではないか? A:脈拍のことは知っていた。10から15秒測った。打ち方が弱いとか、とぶ場合には緊急性があるが、力強くはっきりと打っていたので、緊急性がある症状はみられなかった。120ぐらいならすぐあがる。140でも、運動をしたら上がる。ふだんからスポーツをやっているようには見えない子は急にあがることがある。 Q:緊急性を要する状態ではなかったのか? A:カーテンをスライドさせたが、引きちぎるようなことはなかった。呼吸困難には当てはまらない。ぜん息や心臓病もなかった。たいへんリラックスしており、「この授業を休んだから授業に戻りたい」と言っていた。しゃべり方から緊急性を感じなかった。 ************* 尋問が終了したのが、17時5分。 終了後、今回の尋問のポイントについて、原告弁護団から簡単な説明があった。 ・過呼吸との判断について、素人判断だったのではないか。 実際に、過呼吸は息が荒く速い、呼吸は深いはずであること、呼吸が浅いのは頻呼吸であること、過呼吸は顔色がいいのが特徴であることなど、判断基準の基礎さえ知らなかった。養護教諭として、知っていなければならないことを知らなかったことがわかる。 また、体育教師Sは、養護教諭に正しい情報を伝えていなかったのではないかと見ている。Sが過呼吸と言ったから、養護教諭もそう思い込んでしまったのではないかと思われる。 ・最初に脳貧血と判断したことが、すっかり頭から抜けて、相反する処置を取っていたことが明らかになった。 ・保健室での様子が、震えていたのが震えはないとなるなど、はじめに書いたものと、後からの報告とでは明らかにトーンダウンしている。直近のほうが記憶が鮮明なはずだが、小野さんの疑問や保護者会での不審を受けてから、何ヶ月もかけてつくった報告書とでは変化している。 次回は12月24日。13時30分より、担任のH教諭と小野朋宏くんの母親の証人尋問。 今まで裁判官はひとりだったが、次回からは合議制(裁判官3人で合議する)になるという。 部屋は503号法廷で、やはり45人ほど収容できるという。 |
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