わたしの雑記帳

2004/6/10 横浜市立北方小学校の障がい児虐待事件

学校での事件が相次いでいる。
本当に集中しているのか、それとも、ひとつ大きな事件があると、平時であれば大した記事にもならないものが、読者の関心の高さから大きく報道されるされるのかは、わからない。いずれにしても、学校で事件は起き続けている。私たちはそれを一つひとつ検証していかなければならないと思う。

2004年6月9日、横浜の市立北方小学校の個別支援学級で、教師3人による児童虐待が明らかになった。
教育委員会は「体罰」と言い、新聞によって、「体罰」「暴力的指導」「虐待」などとなっているが、私は家庭内で親が子どもに「しつけ」と称して虐待を行うのと変わらないと思う。

この事件の根深さは、虐待を行った教師が、特殊教育教諭免許状を持ち、養護学校など一貫して障がい児教育に関わっていたベテラン教師ということだ。
そして、保護者からの訴えがありながら、校長も教育委員会も動かなかったことだ。副校長に昇進さえさせている。今回、児童相談所に保護者が訴え出て、ようやく市教委が重い腰をあげた。
養護学級における虐待は日常茶飯事化しており、現場の教師も教育委員会もすっかりと感覚がマヒしていることの証ではないか。


体罰ではないかとして問題とされ学校で調査した事件に係る教員・児童生徒数(文科省発表)

                                                         単位:人

区分

平成10年度

平成11年度

平成13年度 平成14年度

教員数

児童生徒数

教員数

児童生徒数

教員数 児童生徒数 教員数 児童生徒数

小学校

170

335

181

322

236 425 258 398

中学校

547

851

539

792

481 764 432 760

高等学校

250

402

267

407

226 358 241 363

特殊教育諸学校

35

31

28

32

30 32 31 29

1,002

1,619

1,015

1,553

973 1579 962 1550

文科省発表の「生徒指導上の諸問題の現状について」のうち、体罰にかかわるものを表にした。
全体的な件数をみれば、とても日本全国でこの程度とは、正直いって信じられない。上記の個別支援学級が、ふつうの小学校に区分されるのか、特殊教育諸学校に区分されるのかはわからないが、いずれにしても児童4人に対する虐待はこのなかにカウントされていないだろう。

それでも、中学校、高校等に比べても、小学校における体罰が増えている。これは何を意味するのか。
反撃する可能性の中学生、高校生には手を出さない教師が、非力な小学生相手には暴力をふるっている。いわば教師による弱い者いじめではないか。当然、「弱いもの」のなかには、障がい児たちが含まれる。
彼らは自分の感情をどう言葉にして表したらよいかわからない。また、訴えたとしても周囲から信用される確率は低い。それは水戸アカス事件を見ればわかる(障がい者の証言の信憑性が一審で否定され、控訴審でようやく認められた。現在、被告が最高裁に上告中)。

キレやすいのは、子どもたちばかりではない。大人もまた、子ども以上にキレやすい。そして、それを正当化する術を持っている。能率や効率ばかりが重視されるなかにあって、非効率なものに耐えられない。
一つひとつの行動に時間のかかる障がい児を「待つ」姿勢が大人たちにない。切り分けて、切り捨てていく。

私が障がい児の問題で、最初に衝撃を受けたのは、義務教育を卒業したあと、子どもの受け入れ先をあちこち探して回った親の体験談だった。障がい者を受け入れる特殊学校で、最初に生徒に科すことは、穴堀や土、石運びだという。意味のない肉体労働のくり返し。それを厳しく科すことで、なんでも指導者の言うことをきくロボットのような人間ができあがるという。それを企業が望む障がい者の自立のスタイルとして、職業訓練の一貫として行っているという。ずいぶん昔の話で、今現在も同様のことが行われているかどうかはわからない。
しかし、聖域化された福祉の世界では、逆に一般常識では信じられないほどの人権侵害が平然と行われている。
行政をはじめとする周囲の無関心さがそれを許している。今回のベテラン教師もこの教育の流れをくむものではないか。そういう人間が管理職となり、次世代の教育者たちを同じ感覚で育てている。

北方小の虐待事件を報じた神奈川新聞(2004/6/10)には、囲み記事で、「市教委の昨秋のアンケート調査でも、保護者の35%が小・中学校での特学での専門的な指導に「不満」と回答」とある。

ところで、平成16年4月発行の「横浜市障害者プラン」のアンケートの結果が下記にある。
身体障害児・者3000件(61.9%)、知的障害児・者600件(58.7%)、その内の学齢期のみを抽出したというサンプリングの少なさもあるのだろうが、「不満」や「改善してほしい部分がある」より、「とても満足」「まあ満足」のほうが目立っているように思える。
これからの市政計画を立てるための基礎調査にどれだけ、当事者たちの本音が反映されているだろうか。
それでなくとも、障がい児・者を抱える家族は、社会に対して負い目を感じやすい。親が行政や学校にこびる気持ちを持っていると、わが子が理不尽な目にあっていても声をあげにくい。

身体障害児・者調査結果・利用施設別満足度(%)
利用施設 全体
(件数)
とても
満足
まあ
満足
普通 改善してほしい 不満 他に変わりたい その他 無回答
学齢期の
身体障害
児・者
普通学級 25.0 50.0 12.5 12.5 0.0 0.0 0.0 0.0
個別支援学級 66.7 0.0 0.0 0.0 0.0 0.0 0.0 33.3
盲・ろう・養護学校 18 5.6 50.0 16.7 16.7 5.6 0.0 0.0 5.6
専門学校・大学・大学院 14.3 28.6 57.1 0.0 0.0 0.0 0.0 0.0
その他の学校 50.0 0.0 50.0 0.0 0.0 0.0 0.0 0.0
学齢期の
知的障害
児・者
普通学級 16.7 0.0 16.7 50.0 0.0 0.0 0.0 16.7
個別支援学級 46 8.7 34.8 26.1 15.2 4.3 2.2 0.0 8.7
盲・ろう・養護学校 35 20.0 28.6 20.0 20.0 2.9 0.0 0.0 8.6
専門学校・大学・大学院 0.0 0.0 0.0 0.0 0.0 0.0 0.0 0.0
その他の学校 0.0 50.0 0.0 50.0 0.0 0.0 0.0 0.0


北方小の教師が目指した障がい児の「自立」。それは、周囲の人間に迎合しイエスマンになることで、利用されるために都合のよい人間になること。いつもニコニコ逆らわない愛されるペットのような存在になること。
社会のなかでたとえ理不尽な目にあっても、「ノー」と言ってはいけないと教育されてきた彼らは受け入れることしか知らない。犯罪を疑われても、相手の聞き方ひとつで迎合して、「やったのか?」「やったんだな」と聞かれれば、「やりました」と答えてしまう。一方で、心は深く傷つかないはずがない。
これを「自立」と言うだろうか。

体罰事件のあと、教師は訓告や数週間から数カ月の停職で、すべて終わったこととして、現場復帰をする。
学校、教育委員会は子どもたちの心の傷について、深く考えたことがあるのだろうか。体に覚え込まされた強い恐怖。一度、謝罪の言葉を口にしたからと言って、その恐怖心、人間不信が簡単に消えるはずもない。
なかには逆恨みから、チクチクと言葉の暴力、態度を使って、生徒を追い込む教師もいる。
しかし、それで生徒が学校に行けなくなったとしても、自分たちの対応とは切り離して、生徒個人の心の問題、不登校として処理する。

家庭内でおきる虐待が犯罪であるなら、当然、学校内で起きる虐待も犯罪である。軽く見ないでほしい。
今回、わずかにすくわれるのは、児童相談所が学校内の虐待問題で動いたということだ。警察も関与したがらない施設内、学校内での暴力。教育委員会、学校が、虐待する大人側の視点しか持ち合わせていなかったなかで、児童相談所は虐待される子どもの立場を守ったとも言える。
虐待する親が「しつけ」を大義名分とするように、「教育的指導」「体罰」を虐待、暴力のいいわけにしてはならない。
今回のことで、今まで押さえられていた障がい者たち、その親たちが、声をあげてもいいんだと気づくのではないかと期待している。この問題について私たちはもっと考えなければならないだろう。障がいがあっても、経済活動の役に立たなくても、ひとりの人間として尊重される、そんな社会のなかでこそ、大人も子どもも安心して暮らしていける。





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