本日(2004年2月4日)、新しく開通したみなとみらい線に乗って横浜地裁へ(日本大通り駅下車)。関内駅から歩くより、ずっと近くなった。
午前11時30分より602号法廷。24席ある傍聴席は全席埋まって、折り畳み式補助イスも出された。裁判が終わって法廷の外に出ると入れなかった人たちが何人も待っていた。
被告の神奈川県側も今日は法廷内に7人来ていた。おそらく2人は弁護士で、ほかは県教育委員会の人間らしい。
傍聴人が多いためか、あるいはここのところの司法改革の流れの影響か、裁判長は被告(神奈川県)弁護士に口頭弁論の内容の要点をかいつまんで説明するように求めた。通常は「口頭弁論」とは言っても名前ばかりで、書類のやりとりだけで終わることが多い。傍聴人は「乙第○○号証の・・・」と言われても、内容はまるでわからないのがむしろ普通だ。弁護人もとまどったようで、どこまで説明すればよいのかと問いかけ、判断にまかせますとのことだった。
1月23日付けで提出された準備書面の内容についての説明となった。今回の被告側の要点は主に4つ。
1.原告の平成15年12月9日付けの求釈明書に対する釈明。
2.(原告の出した)訴状のなかで、一般的な学校の安全配慮義務がどういうものかが書かれているが、それに対する反論。
3.訴状の前半部分、学校内での体育教諭の注意義務についてと、養護教諭についての注意義務について反論。
4.それ以下の部分、時間の経過、場面ごとの体育教諭や養護教諭などの具体的な注意義務について反論。
そのなかで、被告側の主張は、
・基本的に学校側には注意義務違反はない。
・注意義務違反の前提となる事実に誤認があるか、そういう注意義務が発生するような事実そのものがない。
・教諭に注意義務があったとしても、教諭たちは義務を履行している。
・安全配慮義務違反があったと原告側が主張するならば、その立証責任は原告側にある。
として、全面的に争う姿勢を示した。
対して、原告側代理人の原田敬三弁護士は、事件のあった2002年5月7日付けの体育教諭、担任、副担任、養護教諭の報告書の写しが証拠提出された。これらは情報公開制度を使って取り寄せたものだが、それぞれの用紙には作成人の名前がない。そのことは裁判長からも指摘があり、本当に本人が書いたものなのかの確認は県側が次回までに行うことになった。
もうひとつ、原告側からは当時のクラス生徒にとったというアンケート38名分のコピーが証拠提出された。
このアンケートも同じく、原告側が情報公開で取り寄せたものだが、こちらはご多分に漏れず、生徒たちのプライバシーを盾に黒塗りが多い。しかし、この点でほかとは違うことは、原告側はその黒塗り部分の内容がわかっており、それをワープロ打ちしたものも同時に用意されていた。
このあたりの経緯を、裁判後に小野さんにお聞きしたことを加えて書けば、まずアンケートは、生徒父母から、子どもが言っていることと学校側の説明とで事実が違うので、アンケートをとってほしいという要望があって、6月に学校側がクラスで実施したという。質問内容は、朋宏くんの様子を思い出して書いてください。体育の授業について、学校について意見を書いてくださいなど。
そして、そのアンケートを朋宏くんの両親が学校側に見せてほしいと要望。学校側はプライバシーを理由にコピーは許可しなかったが、その場で書き写すことは許可した。そのため、本来なら知り得ないはずの黒塗り部分についての情報を両親は持っていた。対照すると、生徒が学校に対して不満を述べているところや体育教師が厳しいので言えなかったなど教師への批判ととれるような内容が黒塗りにされているという。
裁判所は被告側にマスキング(黒塗り部分)をはずせるか、次回までに検討してほしいと要望した。
これらの証拠をもとに原告側の主張は、学校側が後10月に県教委に提出した事故報告書の内容と、事件直後に教諭らによって書かれた内容や生徒たちの証言との間に開きがあるというもの。
一番大きな違いは、事故報告書では、保健室に運ばれたあとの朋宏くんの様子を「カーテンを握りしめ、強い力でゆっくり動かした」と書いている。
しかし、直後の教諭らの報告には「まくらもとのカーテンをにぎりしめ、強い力で手を上げて振り落とす様子を何度もした。呼吸も荒くなってきた。」「肩のあたりが痛い痛いといって体を硬直させ、5分くらい発作的に体を暴れるようにくねらせた」とある。学校側が主張するような「切羽詰まった状況ではなかった」というのは当てはまらない、もだえ苦しんでいる様子が書かれている。
ほかにも、学校側は大した症状は見られなかった、だから救急車を呼ぶ必要などなかったのだと言うために、似たような状況を説明するにも、まるで逆の捉え方をする表現をしている。(たとえば意識が混濁して奇妙な言動をしていると思われるような状況も、意識がはっきりしており会話もしていたので大丈夫だと判断したなど)
救急車を呼ぶべきサインはいくつもあったと原告側は主張する。過呼吸の手当をしても症状が回復しなかったとき、カーテンを掻きむしるようにしたとき、言動におかしさがみられたとき。そして、熱をはかるなど、もっと積極的に状況の把握に務めるべきだった。
学校側は、「養護教諭のハンドブック」を提出して、救急車を呼ぶべき要件には当てはまらなかったと主張する。
マニュアルは何のためにあるのか。危機を回避するためのもので、危機を見逃すためのものではないはずだ。
マニュアルに沿うことよりも、生徒の生命に沿った判断と行動を教師らはするべきだったと私は思う。
しかも、今回のことは一人の教師の判断ミスではない。何人もの教師が関わりながら、みすみす見逃したのだ。
そこに学校の体質を感じる。生徒の命より体面や、担当した教師の責任を問われることのほうを優先する。
もしも、わが子だったら、教師に生徒への愛情があったら、生徒の命を預かっているという自覚があったなら、小さな異常にも敏感に対応しただろう。考えるより先に行動しただろう。
生徒に対する愛情が足りない。だから、朋宏くんの命を失った哀しみを両親と共有することができない。真実を明らかにできない。遺族は学校と対立せざるを得ない。
次回は3月24日(水)、横浜地裁602号法廷。13時30分から(14時までの予定)。
私のような法律の素人にもわかりやすい裁判を心がけてくれている裁判官と、原告弁護団に感謝しつつ、ぜひ傍聴を。
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