わたしの雑記帳

2003/9/24 熱中症で亡くなった森本桂多くん(中2・13)の遺作展

2000年8月21日、夏休みの野球部の練習中に熱中症で亡くなった森本桂多くんの遺作を集めた「13年夢の軌跡」が銀座ロイヤル・サロンギンザ資生堂ザ・ギンザの2階)で9月23日(火)から28日(日)まで行われていると聞いてでかけた。お父さんにお会いするのは昨年9月30日の横浜地裁川崎支部での刑事裁判の判決(me020930参照)以来。
ひとり息子の桂多くんが亡くなって早3年、
心の傷はけっして癒えることはないだろう。この月日をどう過ごされてきたのだろうと思う。

ギャラリーの壁には、カラフルな絵がいっぱい。桂多くんは武将ものが好きだったのだろう。三国志や日本の戦国武将たちが、実に活き活きと描かれていた。頭のなかで様々なドラマが展開されていたのだろう、何枚も何枚も描かれた絵の場面に応じて武将の名前が記されていた。
芸術家であるお父さん、お母さんの影響だろう。アトリエで2歳の頃から絵筆を握っていたという。画用紙いっぱいにクレヨンと絵の具で書かれた絵。壁に貼りきれず山積みにされたスケッチブック。わが家ではとっくに捨てているような幼い頃の殴り書きまでがとってある。両親の子どもに注ぐ愛情が偲ばれる。桂多くんの豊かな才能を愛でる気持ちが伝わってくる。

よほど絵が好きだったのだろう。スケッチブックの表にも裏にも余すところなく描いている。そこには、日々成長している桂多くんが確かに息づいていた。

お父さん、お母さんの描かれた絵も展示してあった。お母さんの絵に付けられた題の「MU」は「無」なのか「夢」なのか。そして何枚も描かれたお父さんの菩薩像。顔がすべて桂多くんに見えた。
奈良興福寺にある有名な阿修羅像。合掌している顔は幼くして亡くなった子どもの顔を模していると聞いた。同じものをそこにみた。亡くなったわが子の成仏を願う親の心。せめてあの世では安らかであってほしいという思い。自分たちには守りきれなかった大切な命を神仏に託す思い。

ふしぎなもので、音楽家夫婦のひとり娘、小森香澄さんは両親に詩を残していた。わずか9歳でワープロに残した「窓の外には」は曲がつけられ、今、全国に広まりつつある。
そして桂多くんは絵を残していた。けっして親の欲目だけではない。神奈川県少年少女絵画展優秀賞を2回、カナガワビエンナーレ国際児童画展の金賞を受賞、国画水墨院J.R.部出品。芸術家の両親から受け継いだ才能は桂多くんのなかにしっかりと根付いていた。桂多くんは将来にどのような夢を抱いていたのか。
その夢も未来も、両親の希望さえも一瞬にして奪われてしまった。事故じゃない。人為的に殺された。殺人だ。

亡くなった当日の桂多くんの死に顔を何枚もお父さんがスケッチしている。デスマスクの替わりに。
娘の死に顔の横で、ピースをして一緒の記念写真を撮ろうとした香澄ちゃんのお母さん。
死に顔であっても、一分、一秒でも多く、この世のとどめておきたいという親の思い。そして、今はせめて、わが子が生きた証を残したいと思う。
亡くなってからはじめて出会った子どもたち。ほんとうは生きているときに会いたかった。せめて作品から、生きていた子どもたちを感じたい。




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