2003/9/4 | 児童養護施設・生長の家・神の国寮の裁判(2003/9/4)傍聴報告。 | |
八王子地裁で午前10時から、神の国寮の元職員K氏の証人尋問が行われた。 最初に宣誓をしたあと、原告代理人弁護士の提出文書について訂正することはないかの問いに、K氏は2点の訂正を入れた。 一つは、事前に提出した陳述書では、NくんがAくんを蹴ったあと、Aくんが自分がお金を盗ったということを認めたと書いたが、実際は、Aくんが自分一人でお金を盗ったということを認めてからNくんがAくんを蹴ったと、順序を訂正。 もう一つは、事件のあった部屋について、当時改装工事をしていたために明らかではないとした。 K氏が神の国寮の職員になったのは、昭和59(1984)年7月。 事件があったのは昭和62(1987)年7月。 辞めたのは平成2(1990)年。 社会福祉主事の資格で児童指導員として務めた。当時、男性の児童指導員(児童と接する仕事)はK氏一人だけだった。中学生以上の子どもたちを中心に、職員のいうことをきかないなど、寮はひじょうに荒れていた。 昭和59年11月に(被告の)M氏が職員として入る。荒れていたものが、M氏の指導のもと、子どもが職員に対して少しずつ言うことを聞くようになった。M氏が子どもを平手打ちにすることがあったが、愛情があれば暴力ではないと思っている。それも昭和61年が最後だった。 事件当日のことについて。 その日、Aくんが近くの店で万引きしたのが発見され、1万6千円、職員からお金を盗ったことを話した。共犯として、Yくん、MOくん、Nくんの名前をあげた。当時、K氏はYくんを担当していたので、4時くらいに話を聞いた。Yくんは「やっていない」と言い、信じた。職員は子どもの言うことを信じることが大事だ。本当のことを言っているということは、本人の目つきや挙動、真剣さでわかる。殴ったり、けったりはしていない。 MOくんには、担当ではないので聞いていない。Nくんは中学でクラブ活動をしていたので、帰りが遅く、夕食後に聞いた。Nくんは男っぽくて、情がある。裏表がない。好きだった。MOくんは目立たないおとなしい子だった。Yくんは中3の時生徒会副会長をしていた。表に出るのが好きで社交的だった。 Nくんから事情を聞いた。そこにはO職員、M職員と私がいた。殴ったり、けったりしていない。 AくんとNくんを引き合わせたのは、Aくんが他の3人に罪をきせようとしたから、Aくんに謝らせるつもりで、残して合わせた。9時までは職員がいるが、その後は宿直だけなので、職員の目の届かないところで鬱憤を晴らすといけないので、はけ口として合わせた。 事実を確認したあと、2人を残して、職員は廊下に出て、扉を閉めた。事実関係の打ち合わせのため、職員間の話が聞こえないように閉めた。部屋のなかでバタンと音がしたので、扉を開けるとと、AくんがNくんに蹴られて泣いていた。すぐに二人を引き離した。 NくんがAくんを蹴るとは思わなかった。NくんにAくんを殴るようけしかける行為はなかった。この時期、寮は落ち着いていたから。 ここから原告代理人の質問。 Q:陳述書はいつ、なぜ書いたのか? A:陳述書は今年の5月、自宅で書いた。弁護士にはあっていない。寮長から証人になってくれないかと話があった。事実と間違っているのが許されないと思ったので、出ることにした。 M氏とは退職してからも年1〜2回、電話があって、いろいろ話をきいた。 Q:事実とどこが間違っているのか? A:M氏が日常的に暴力をつかっていたということは全くなかった。どこまでが暴力と捉えているかによるが。 このことが一番大きい。 それからM氏はAくんを殴るけるしていないのに訴えられているのはおかしい。事実と異なると思った。 Q:なぜ児童養護施設に務めたのか?就職前に実習は? A:子どもに接する仕事につきたいと思っていた。就職前に実習はなかった。児童養護施設の処遇については本を読んだ程度。実際に入ってみて、荒れていたのでおどろいた。大変なことだと思った。本を読むのと現場ではそれ以上のものだった。 Q:虐待を受けていた子どもに対して体罰をすることについてどう思うのか? A:平手打ちは、愛情をもっていれば暴力ではない。言葉で言ってもいうことをきかない。間違いなんだということを教えなければならない。多くは中学で卒業していく子どもたちで、成績が大抵1か2。愛情をもってたたいた。 アフターフォローとして、なぜたたいたのか、こうしてほしいんだと説明すれば暴力ではない。当時は仕方がなかった。理由がなくたたくのではない。親が自殺したり、洗濯機に入れて回された、そういう子に対しては極力避けた。話してわからせようと極力した。 Q:たたく場合に、過去は把握していたのか。虐待された子どもの悲しみを受け止めていたのか? A:過去は把握していた。悲しみはいつも受け止めていた。 Q:子どもがうそを言っているとわかると言ったが、Aくんのうそもわかったのか? A:Aくんに対して話したのは他の職員。Aくんが話したスーパー万引きは事実。職員から1万6千円盗ったということは本当のことを話していると判断した。3人の共犯については職員は全く信じたわけではない。 Yくんの話をきいたうえで判断した。子どもは信じたい。最初から疑わない。 Q:Yくんが共犯でないとわかって、職員はYくんに謝ったのか? A:全く疑ったわけではない。休息や勉強の時間をつぶしたのはたいへん申し訳なかったと謝った。 Q:Aくんにはどう謝らせたのか? A:なんでそういうことを言ったんだと。職員の目が届かないところでやらないよう、はけ口を和らげるならと謝らせるようにした。Aくんがどのように謝ったかは覚えていない。やっていないことに濡れ衣を着せられたのだから名誉を傷つけた、謝るよう言った。 Q:2人で置いておくことに不安はなかったのか?Aくんが謝ったあと、職員は何を相談しなければならなかったのか? A:子どもたちの名誉に関することなので話し合った。 Q:最初はAくんから話を聞いたということだが、その後、Nくんがやっていないと言った。Aくんが単独犯だと認めたときには誰がいたのか?K氏はどの場面にいたのか? A:自分は他の子どもたちの世話もあったので、ずっといたわけではない。途中、様子を見に来た。どの場面でいたのかと言われても非常に困る。Aくんが単独だと認めたときにNくんはいた。 Q:Aくんが認めたあと、2人を合わせる必要があったのか?どうしてAくんがNくんに蹴られたとわかったのか? A:AくんがNくんに謝っていなかったから。バタンと音がして、扉をあけるとAくんがひじを押さえていた。Nくんは足を動かしていたと思う。時間にして3〜4秒。2人を引き離した。 Q:1万6千円はどの職員の金だったのか? A:確認したはずだが、覚えていない。 Q:Aくんが後遺症を負ったことはいつ知ったのか? A:けがの確認は翌日した。骨折していると思わなかった。病院の指示で長い間ギブスを1カ月過ぎまではめていた。M氏がリハビリや心のケアをしたと聞いた。彼の自宅で。聞いただけで見てはいない。 ここからは原告代理人の平湯真人弁護士からの質問。 Q:あなたが着任する前の男性児童指導員が、木彫りのくまの置物で子どもの頭を殴って、大けがをさせて辞めさせられたのは知っているか? A:暴行事件で辞めさせられたというのはうすうすは聞いていたが、具体的には聞いていない。 Q:福祉の世界では、体罰や虐待をやめさせたあと子どもたちが荒れるということは、千葉の恩寵園などの例もあって、知られている。前任がひどいことをしていた抑うつがとけて荒れていると感じたことは? A:職員がきつく話すだけで、子どもが「暴力だ」と言っていたので、そうかもしれないとは思った。 Q:佐々木さんの書いた本の94頁に、女性の職員が小学校高学年の女子に上半身裸で廊下に立たせるという仕打ちを加えたあと、少女は奇声をあげて全裸で寮内を走り回り、精神病院に収容されたということは知っているか? A:そんなことはなかった。 Q:育成記録に書いてあったが? A:当時、男子と女子とでブロックが別れていた。そんなことはないとは思うが記憶していない。 Q:著者の佐々木さんが、出席日数が足りなくて退学になった原因は知っているか? A:夜になって帰ってきたり、遅刻したりしたからだと思う。 Q:品川までの定期代が措置費から出ていたのに、会計職員が着服して渡さなかったために、バイトをしなければならず、疲れで遅刻したり、出席日数が足りなくなったことは知っているか? A:ありえない。子どもに対して、そんな無責任なことはやっていない。 Q:経理の男性は辞めさせられていると思うが? A:覚えていない。 最後に裁判長が、陳述書を書いたのはいつか、M氏の調書を見たのはいつかと聞いた。 5月12日に陳述書を書いて、調書を見たのは今回の直前ということだった。 なぜ、こんなことを聞いたのか、冒頭での訂正はおそらく、K氏の文書とM氏の調書の食い違いを訂正するものだったのだろう。しかし、一番大きな食い違い。M氏は、YくんがAくんを蹴ったときに同じ部屋のなかにいて、職員がほんの少し目を逸らしたすきに、目の前で暴行したと言っていた。それをK氏は職員は部屋の外にいて、扉を閉めていたので暴行に気づかず、バタンという音で初めて知ったと話した。そして、その大きな食い違いについては、調書を読めばわかるはずなのだが、訂正していない。直前に読めば、時間がなく、そこまで気づかなかったと考えることはできる。ということは、どちらかが、あるいは両方ともが嘘をついているということか。 前回、今回と、児童養護施設内の職員資格のいい加減さ、被虐待児についてほとんど何も知識をもっていないことが露呈した。教員資格をもっていても、虐待された子どもたちとは扱いがまるで違う。そのことを理解せずに、いうことをきかない、問題行動があるということで、平気で暴力をふるい、それを愛情があれば暴力ではないと、今でも言い切る不見識さを持っている。このような職員が、被虐待児を専門職として世話をしているのかと思うと、全国の児童養護施設のあり方そのものが危ぶまれる。 ほんとうは人一倍、愛情が必要なのに、まるでモノ扱い、奴隷扱いされ、暴力のなかで恐怖により管理されている。 次回は進行協議(10月23日)のため、傍聴はできない。
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