長野県の木島平村中学のいじめ裁判の詳細な傍聴報告をいただきました。
残念ながら場所が遠くて、私自身が傍聴に行くことができません。許可をいただいたので、その方の感想を含めた内容を転載させていただきます。(私の判断で、一部を仮名にしたり、加筆、削除させていただいています。ご了承ください)
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1)平成15年2月14日(金)午後、長野地裁で木島平村立中学校のいじめがあったクラスの元担任Y教諭の第2回証人喚問がありました。
2)前回に裁判官から要求された元クラスメートの生活ノートのコピー、教諭自身が必要と感じた生徒たちの作文からの抜書き、生徒達が被害者生徒へ送った手紙のコピー、長野県弁護士会から要望書が出された後に道徳クラスで元同級生全員から提出させたアンケートのコピーが、証拠として提出されました。
大半は、被害者生徒Aが転校してからのものでした。生徒たちの作文には、「いじめ」が存在したと書いてありました。
3)気になったのは、生徒の手紙のコピーが3枚とページが打ってあるにも係わらず、P2、3のみのコピーしかありませんでした。原告弁護士が問うと、「1枚目は証拠として不要だと感じたので提出しない」との答弁でした。また、被害生徒に出した手紙の内3通がなく、問うと「無い」との答弁でした。被害生徒は、「あと3通は受けていたとの記憶があります」と話していました。
原告弁護士の問いに、(Y教諭の答えは)「忘れた」、「思い出せません」が、約答弁の3分の1を占めました。
4)最後にY教諭は、「原告のホームページに、生徒の生活ノートが引用されていると書かれていたが、自分としては、やはり、元同級生たちはどのように考えていたか、今、どう考えているかを証拠として出すのが最善と信じる。が、今日のこの実際の生徒たちの作文、生活ノートをホームページに掲載されるのは、裁判官の命令でも、やめてほしい」とのことでした。
実際には裁判官から、命令は出ませんでした。
須坂の前島さん(同サイトの970107参照)のいじめ裁判も代理をつとめる原告側弁護士は、「これほどの生徒たちの生活ノートや作文をコピーしているのは少し異常である。」との談でした。
5)傍聴席には、木島平村現教育長市之宮氏、現木島平校長、元木島平中学男子生徒2名の姿がありました。特に、市之宮氏は前回と同じように、最前列で一言も聞き漏らすまいと熱心に傍聴。
市之宮氏は、いじめ発生当時、教育長ではありませんでした。木島平中元校長は、次回、証人喚問予定ということで、傍聴席から退場しました。
淡々と進行する証人喚問、延々と続く裁判、次回は5月30日です。
当時、40名定員クラスの日常の忙しさの抹殺されるような学校生活、事故が起きてもおかしくないような状態の公立中学の中で、教職につく者の責任の重さを、時間をかけ、考えさせられるような裁判進行です。当時のいじめクラスの生徒たちも今は、高校3年生、進路を悩む時期になり、何を思うのでしょうか?
6)平成14年8月に再選された田中康夫長野県知事の下、再選直後、県教育長が辞任しました。
平成15年2月現在、この教育長ポストは空席のままです。
多くの、市町村の教育委員長のポストは、元校長の定年後の職です。教師の監督権等は県でなく、設置者である市町村行政に帰するのです。
事件が起きてから責任を問う前に、何故、起きる前に、ないし、起きた直後に、監督権のある教育委員会が、機能しないのでしょうか?
荒れる学校、意識の、欲望の多様化、価値感の多様化、揺れる学校日常の前に、いまだ義務教育の体制は、従来のままです。そんな中で教師たちは、いかに自分の身を守るかも課題になりつつあります。哀しいことですが現実です。そして、そんな中で、子ともたちの心は容赦なくボロボロになり、加害者生徒も、被害者生徒、両家族も、傷つくのです。
提訴する方も、される方もやるせない裁判です。
本件の場合は人種問題が絡むから、母親の母国喪失感と重なり、深い恨みが残るでしょう。
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以上です。
私もたびたび、「長野県木島平村立中学校いじめ訴訟」のサイト(http://www7.plala.or.jp/kijimadairaijime/)や関連の掲示板(http://8310.teacup.com/kizimadaira/bbs)を覗かせていただいていますが、サイト上で繰り広げられる誹謗中傷、言葉の応報には暗澹たる気持ちがします。
わが子を傷つけられた親は必死です。なりふりかまっていられない。外敵を前にわが子を守ろうと、キバを剥き毛を逆立てる動物を思わせます。テレビで母ザルが、子どもが亡くなってもけっして遺骸を胸からけっして離そうとしないで、すでにミイラ化しているのを見たことがあります。その悲しい姿に遺族がダブりました。
様々な場所で、被害者の親が「頭がおかしい」などと周囲から暴言を吐かれているのを見聞きしてきました。親が子どものために必死になる、そのどこがおかしいのでしょう。
児童虐待が騒がれる世の中で、子どもたちを支配し利用することしか考えない大人社会のなかで、こんな親もいるんだということは、子どもたちの生きる力に繋がると思います。
親の必死さを笑う前に、どうしてこの何分の1かでも、子どもを預かる学校や教師が、子どもたちのために真剣に動こうとはしなかったのか、残念でなりません。
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