今日(8月8日)から12日(月)まで、JR・東急大井町駅前の品川区民ギャラリーにて、『洵と香澄 天国からのメッセージ 2002』が開催される。
今日は福岡から古賀洵作くんのお母さん、茨城県牛久から岡崎哲くんのお母さんがみえていた。会場の受付には主催者である小森香澄さんのお父さんとお母さん。(3人の子どもたちはともに1998年に亡くなっている)
残念ながら、人足は途絶えがち。せっかくの夏休みに、ひとりでも多くの親と子に見てほしいけれど。
それでも、メッセージ展を見て、「いじめをやめます」と書いてくれた子どももいるから、一人でもそういう子がいるなら、続けていきたいと小森美登里さんは言う。
皮切りは7月16〜21日の川崎市教育文化会館でのメッセージ展。
小森さんの地元である横浜市教育委員会からは教育の主旨にそぐわないとかなんとかの理由で(文部科学省のいう「心の教育」「命の大切さ」を教えるためにこれ以上、子どもたちの心にストレートに届く「教育」はないと思うのだけれど)、後援をもらえなかった。それを隣の市である川崎市が、ひとりの女性の熱心な働きかけにより実現。そして、品川区へ。
今回は『命のメッセージ展』ではなく、『洵と香澄 天国からのメッセージ』。
小森さんは、洵作くんと香澄さんだけを特別にすることにずいぶんと抵抗したという。どの子も、同列に扱いたかった。自分の子どもだけを前面に押し出すことに抵抗を感じたという。
それを実行委員会を立ち上げた女性が、「おもいっきり親バカしてください」と押し切ったという。洵作くんと香澄さんがどういう子であったか、それを出すことにより、パネル一枚に凝縮されている子どもたちにも、同じようにそれぞれの人生があり、将来の夢があり、親の思いがあることが伝わるのだと説得されて、納得したという。
狙いは見るものに十分に伝わったと、私は感じた。二人の子どもたちの人生が具体的に見えてくるなかで、ほかの子どもたちの背景もふくらんでくる。
香澄さんへの両親のあふれる愛。そして、洵作くんのアフリカで撮った写真パネルの展示。私自身、写真が好きで、いろんな作品を見にいくことがあるが、実に活き活きとアフリカの動物たちが、アフリカの大地が、明確な狙いをもって捉えられていると感じた。ただ、目の前の動物に向けてシャッター切っただけではけっしてない。そこには動物の家族愛があり、生命力があり、洵作くんの愛と感動がある。
プロが撮ったと言っても疑わなかっただろう。
その写真パネルは、何よりも洵作くんがどういう少年であったかを雄弁に語ってくれている。よく、いじめられっこの典型として言われる、弱々しさや、暗さ、神経質さなど微塵も感じられない。雄大な夢をもち、現実の社会のなかでも大地にしっかりと足をつけて歩んでいる少年。ひ弱さよりもむしろ、たくましさ、力強さを感じる。
そのたくましい洵作くんでさえ力つきてしまう「いじめ」。笑顔のかわいい、どこにでもいるような平凡な少女から笑顔も未来をも奪ってしまった「いじめ」。この展示会は、いじめられて自ら命を断った子どもたちはけっして特殊な子どもたちではないということ、どこにでもいる少年少女なんだということを教えてくれる。
私は、子どもたちの自殺を防ぐためには、子どもたちに未来への夢を持たせることが必要だと思っていた。しかし、今回洵作くんの作品に触れて、彼の夢はきっと野生動物を撮るカメラマンか何かだったのではないかと想像する。香澄さんには、音楽という打ち込めるものがあった。そして、愛にあふれたとても仲のよい家族。しかし、愛も夢も全てを打ち砕いてしまうほど、「いじめ」が深刻なものであることを改めて感じた。
洵作くんが大学ノートに書き記していたといういくつもの言葉。
「ちっぽけな人間なんていないんだよね」
「大切なものはみんな心の奥にあるもんなんだ 影に隠れているものなんだよ 光ばかりみてないで すこしは影の方もみてみなよ 大切なものがみつかるかもね」
「人が笑っているのを見るのが おれは幸福だ」
「遠回りしてもいい 近道してもいい ただついた所が自分の決めた所だったら なおいいぞ」
「人間には涙をこらえられない時がある 君にもきっとある その時 ぜったい横にいてあげるから 思うぞんぶん 涙すればいいよ」
これらの言葉からイメージできるそのままの少年だったのだろう。何も問題を感じなかった。気付かなかったと、お母さんは自分を責める言葉を口にした。
大学ノートにひとつだけ、墨で書いてある言葉があった。「勇気ヲクレ」
洵作くんはどんな気持ちでこの言葉を書いたのだろう。もし、亡くなる前にこの言葉を見つけていたら、何か気付いたかもしれないのにとお母さんは言う。しかし、今だからこそ短い言葉に込められた思い、意味がわかるのだろうと私は思う。今だからこそ。
メッセージ展のメッセージの中には、いじめで自殺した子どもたちのメッセージ展であるにもかかわらず、いじめた人間への怒りや恨み、社会への怒り、そういったものが感じられない。
子どもを殺されるような形で亡くして、なぜ?メッセージ展は亡くなった子どもたちのためだけのものではない。むしろ、生きている子どもたちのものだ。自分たちの子どもを死に追いつめた社会や子どもたちに対して、なぜ愛情を注ぐの?その問いに遺族は答えた。だって、自分たちの子どもが憎しみをぶつけることをけっして望んでいないと思うから。親である自分たちが、子どもの意志を歪めるわけにはいかないと。
香澄さんは亡くなる少し前に、「やさしい心が一番大切だよ。それをもっていないあの子たちのほうがかわいそう」と言った。洵作くんは大学ノートに、「人はみんな いい人なんばい!」と書き残していた。遺書はなかった。しかし、最後の最後まで人を思いやる心、信じる心を捨てずにいた子どもたち。
自死した子どもたちのことを「弱かった」と評するひとたちがいる。子を亡くした親に、平気で「弱かったんだね」と声をかけてくる大人がいる。しかし、それは違うと思う。ほんとうに弱いのは、いじめた子どもたち。そして、自分がいじめられるのがイヤさにいじめに加担した、あるいは見て見ぬふりをした子どもたち。その子どもたちのほうが、いじめで自ら命を断った子どもたちよりもずっと、ほんとうは弱いんだと思う。
他人をいじめることでしか自分の心を癒せない人間のどこが、亡くなった子どもたちより強いというのだろう。そして、子どもたちのいじめを見てみぬふりをした大人たちもきっといたはずだ。
亡くなった子どもたちがほんとうに弱かったのなら、そして、本当に相手のことを憎んでいたとしたら、死を覚悟したくらいなのだから、相手を殺すという方法だってあったはずだ。それをしないで、自分を殺した。親もまた、相手を刺し殺してやりたいと思うことがあるという。しかし、それをしないで亡くなったわが子のことを考えると、それはやはり子どもが望んでいることとは違うと思う。その葛藤のなかで、亡くなった子どもの「親であること」を優先させた。
子を亡くした親が裁判をしなければ何もわからない。そのことの辛さについても、親たちの口から語られた。裁判をしていると誰と闘っているかわからなくなるという。最初はいじめた子どもたち。それが、学校という組織になり、裁判を通して闘う相手は一般常識や良識、当たり前の感覚とはかけ離れた法律の解釈や裁判官の不見識と闘わなくてはならなくなる。自分たちを守ってくれると信じていた法律が、真実に辿り着く前に大きな壁となって立ちはだかる。そして、裁判官の心証に左右される結果。そして、最後は遺族に裁判をおこさせる国の仕組みと闘わなければならなくなる。
裁判の辛さは裁判を起こしたものにしかわからないという。小森さんは言った。「裁判を起こすと辛いよおって、さんざん古賀さんから聞かされていたのにね」やってみて、はじめて骨身に染みたという。
公判までにすべてを出し切って準備書面を用意する。クタクタにくたびれる。そして相手のニベもない反論。その極めて事務的な文書。一週間、誰にも会いたくなくなるという。いつ死んでもいいやとさえ思えてくる。そんな中で、ふと思い出す。わが子も、この苦しさのなかにいたのだと。大人の自分がそれを耐えなくてどうすると。
裁判を起こしてからFAXの受信音に身体がこわばるようになったという。カタカタと音をたてて排出されてくる誹謗中傷の言葉。見知らぬひとの悪意が文字となって、見たくもないものがカタカタと音をたてて流れ出る。
それでも、まだ裁判を闘っているうちはよかったと古賀さんは言う。裁判が終わってしまっては、まして和解という形になっては、愚痴ることもできない。怒りを吐き出す場所がないという。このような判決をもらって満足しなければと思う。これ以上、何か言うことは単なる愚痴になるという。
子を亡くした親たちは、今でもわが子をいつでも隣において生活している。生きている時より、むしろ存在感が大きいという。自分が生かしてやるしかほかにないと思うから、どんどん存在が大きくなるという。「今は洵をどのように成長させてやるかが、わたしに与えられた課題です」と古賀さんは言った。亡くなった子どもたちの時は永遠にとめられてしまう。一方で、生きている子どもたちはどんどん成長していく。たとえゆっくりでも子どもたちを成長させてやらなければならないと思うのが親の心なのだろう。でも、どのようにして?ほんとうに、むずかしい課題だと思う。
親たちにとって、裁判を勝つとはどういうことなのか。賠償額だけではない。賠償金より何より、親にとって謝罪の言葉を相手から引き出せるかどうかが、その裁判に勝ったかどうかなのだという。そして、それは現段階では和解でしか得られない。勝訴判決で得られるのは、遺族にとっては「たかがお金」でしかない。そして、金額的な負担も大きい。弁護団を組めば、報酬も報奨金もかける人数分になるという。私は、割る人数分だと思っていただけに驚いてしまった。勝ってもたいして黒字にならないどころか、赤字にさえなる。
そして、そのうえ、「弁護士報酬の敗訴者負担制度導入」が検討されている。裁判に負けたら相手の分も弁護士費用を払わなければならなくなる。特に国や県などは大人数の弁護団を組んでくることもある。亡くなったのは一人でも、訴える相手は加害者や学校、複数のことも多い。それぞれに弁護士がつくこともある。自分の裁判費用を捻出することさえたいへんなことだ。まして、子どもが死ねば、親は仕事どころではなくなる。生計すらあやうい。調査にも、移動にも、情報収集にもお金がかかる。その上、負けた時の費用負担まで考えたら、大部分のひとは、どんなに理不尽な目にあったとしても100パーセント勝てる裁判でなければ起こすことはできなくなるだろう。
本当は、裁判など起こさなくても、真実が明らかにされる、きちんと謝罪をうけられる仕組みこそ必要だというのに。そして、子を亡くした親は自らの利益のために訴訟を起こすわけではないのだから、失われた権利の回復のために行うのだから、大きなマイナスからのスタートに対して、それこそ無償で裁判を起こすことができなければいけないと思う。
話の内容が随分、あちこちに飛んだ。ただ、子どもを失った遺族たちが集うなかに、私のようなものまでがまぜてもらって、そこで見聞きした大切なメッセージをなんとか伝えなければという思いがある。あとでまとめてなどと思っているうちに、文字にできないまま終わってしまうことが目に見えているだけに、とにかくメモ書きのようなつもりで、ここにUPした。断片のなかから、読み取ってもらえければと思う。
ぜひ、メッセージ展をひとりでも多くのひとに見てもらいたい。子どもたちのメッセージを直接、受け取ってほしい。
|