石川県小松市の体罰死事件についてメールをいただきました。ご本人の許可をいただきましたので、ここに紹介させていただきます。「遺族のことを知っているためにどうしても公平な目で見られないかもしれませんが」という但し書き付きですが。
「体罰事件を一つ知っています。裁判にもなっていると思うのですが、そちらの表にのっていませんでした。たしか1986年の夏だったと思います。石川県小松市か松任(?)の中学校だったかと思いますが、教師による体罰で北野君という男の子が亡くなっています。
事件の内容を簡単に説明すれば「最近遅刻や忘れ物が多いという理由で、生徒に足払いをかけたら頭を強く打って死亡した」ということになります。しかし、私はもう少し内幕を知っています。あの夏、なぜ彼が死なねばならなかったのかと思うと今でも悔し涙がでそうになります。
彼の家族は4人で、両親と妹がいました。母親は末期の子宮ガンで、金沢中央病院に長く入院していました。時々父親に連れられて彼や妹さんもお見舞いに来ていました。そんな中で起きた事件だったのです。
ある日の午後、上記の理由で教師が宿直室に彼を呼びだし、しかったのです。そのあげく「なんやその反抗的な顔は!根性たたき直してやる!」という感じで足払いをかけたそうです。それだけだったのかどうかは知りませんが、結果として彼は意識不明になってしましました。
そしてその地区の中央病院に運ばれたのです。その知らせが彼の母親の所に届いたとき、彼女はかなり取り乱しました。「私をあの子のところへ連れて行ってください!」と病院に頼みすぐ救急車で彼のいる病院に向け走りました。たしか北野君が集中治療室にいたため、母親はそばにいられず別の病室にはいったと記憶しています。しかし、手当ての甲斐なく北野君は昏睡状態のまま亡くなってしまいました。
それからしばらくして母親も後を追うように亡くなりました。
後日聞いた話に、父親が彼が亡くなったことを告げに行ったとき、母は「お父さん、あの子死んだんやろ?今あの子ここ来たわ。『お母さん、僕やっと楽になれたよ』って笑っとった。本当にしんどかったんやねえ。」と。
私は当事者でなく、彼らの人生の通行人Aでしかありませんが、当時とてもやるせなく、行き場のない怒りや悲しみを感じました。学校は子供の家庭の事情をきちんと把握して、必要があれば家庭訪問をしたり、親と面談をしたりして子供にとってのベストを考えるべきだと思います。まず学校ありきでなく、いつも子供のことを考える学校でいてほしいと思います。教師はみな夏休みにくだらない研修や講演に行くのでなく、工場や、スーパーなどで働くような研修や、介護ボランティアなどに行くべきだと思います。本当に自分を何様だと思っている教師が多すぎます。何とかならないものでしょうか。
とりとめなく書きました。少し感情的になったかもしれませんが、こういうこともあったということをお知らせしたくメールいたします。」
メールをいただいて、本当に今までなぜ、この事件のことを知らなかったのだろうと思いました。
私も手持ちの資料を繰ってみましたが、教師の体罰によって、生徒が死亡するという極めて重大な事件であるにもかかわらず、書籍の資料欄の年表にわずか1行、石川県A中で体罰により生徒死亡という表記しか見つけることができませんでした。
図書館の新聞の縮刷版でようやく見つけた当時の記事も詳しいことは書かれておらず、生徒が死亡したことを知らせる記事の続報は見つけることができませんでした。もっとも、地方版にはもっと詳しく報じられていたのかもしれませんが。
その後、メールを下さった方から、資料のコピーを送っていただき、判決文などもう少し知ることができました。
それらの資料のどこにも、北野章くんの母親が末期のガンで長期入院していたことも、その後、章くんの後を追うように亡くなったことも書かれていません。
しかし、お母さんはどれほど悔しい思いで亡くなられたことでしょう。もしも、自分が入院していなければきっと、章くんは忘れものをしたり、遅刻をしたりということもなかったかもしれない。体罰を受けて殺されるような目にあわなくてすんだかもしれない・・・。
私自身も子どもの頃、母親が入院したときに、どれほど毎日の生活を普通に送ることが大変だったかを思い出します。家族に一人病人が出ると、家族そのものがまるで病に陥ったようになってしまう。当たり前のことが、当たり前に機能しなくなってしまう。
まして、もし、母親の病が死に至る重病だとしたら。きっと、思春期の章くんにとって学校どころではなかったでしょう。父親も仕事をしながら看病にもいかなければならない状況下であれば当然、子どもの忘れ物や連絡帳などにも気を配ることはできなかったでしょう。
親が病気であったり、家庭内でネグレストを含む虐待にあっている子ども、親が不仲で家庭が荒れている場合もやはり、子どもたちは学校の勉強どころではありません。勉強をする、宿題をする、忘れ物をしない、遅刻をしないというのは、子どもたちが安心できる環境にあって初めて次に求めることができるのです。しかし実際には、家庭で居場所のない子どもたちが、生きることだけで精一杯の子どもたちが、学校的評価のなかで、ほかでも居場所をなくしていく、子どもたちを守ってくれるはずの大人たちに追いつめられていくということが現実にあります。
担任教師ならば、章くんがなぜ遅刻が多いのか、忘れ物が多いのか、家庭の状況はどうなのか、くらいの情報は、得ようとすれば得られたはずだと思うのです。そうすれば、彼がぎりぎりの状況のなかで必死にがんばっていたことも理解できたのではないかと思うのです。
裁判所が言うように、「双方にとって不幸な事故」などと済まされる問題なのでしょうか。亡くなってしまったのは運が悪かった、ほんとうにそれだけでしょうか。もしも、亡くなっていなかったとしても、どれほど深い心の傷を受けたことでしょう。彼はどれほど悔しい思いで、亡くなったことでしょう。
もしこれが路上で行われたなら、明らかな犯罪です。たとえ相手の間違いを正してやろうと思ったとしても実刑は免れないでしょう。学校で、子どもが大人から手加減もなしで殴られて死亡した。これは「事故」ですか?
判例文によると、章くんの父親は、担任教師を責めていません。むしろ同情的で、減刑のための嘆願書さえ裁判所に提出しています。
なぜ、息子を殺した担任を許せるのか。あくまで私の想像でしかありませんが、担任を責める以前に、妻の病に気をとられ、息子の行動に行き届かなかったことに対して、誰よりも自分自身を責めていたのではないでしょうか。だから、担任を責めることができなかった。
そして、そのことで、民事裁判にもならず、結果として、この重大な事件がほとんど世間に取り沙汰されることなく終わってしまったのではないでしょうか。
章くんが亡くなったのは1986(昭和61)年7月5日。その後もいくつもの体罰事件があります。
加害者個人を責めるということではなく、やはり私たちは、このような悲しい出来事をもう二度と繰り返さないためにも、知らなければいけないと思います。
教職を目指す人たちには、きちんと、体罰は絶対に行ってはいけないことだと、徹底させてください。私が教員の資格をとったときに、教育心理は必修としてあったけれど、体罰や子どもの人権について学んだ記憶がありません。技術ばかりでなく、もっと根本的なことから、教職をとる人びとは学ぶべきだと思います。学校で実際に起きた、不幸な事件、事故について、もっと学んでほしいと思います。
忘れ物、宿題、勉強、規則。それらはいったい誰の、何のためにあるのでしょう。教育とは一体、誰のためなのでしょう。ほんとうの教育とは何を指すのでしょう。何がなんでもきまりを守らせることが教育でしょうか。きまりを守らせることで、教師が生徒をコントロールしようとしているだけではないでしょうか。子どもたちがきまりを守らないときに腹が立つのはなぜでしょうか。本当に生徒のためでしょうか。ただ単に自分の思い通りにならないことへの苛立ちをぶつけてはいないでしょうか。これは同時に親にも言えることだと思いますが。
最後に、この情報を下さったことに感謝します。北野章くんの死を、悔しさを、私たちの胸に深く刻みたいと思います。
|