わたしの雑記帳

2002/7/3 ある訃報とメメント・モリ


訃報が届いた。家族ぐるみで付き合いのあった若いひとの死。
友人というほどまでは言えない浅い付き合い。でも、数えればもう10年以上にもなる。
彼女がいると聞いたことはない。それでも、それなりに生活をエンジョイしているようには見えた。

元気に見えるひとが実は不治の病に冒されていて・・・。テレビドラマや小説の中だけの話だと思っていた。こんなに身近に、自分より若くて、ばりばりと仕事もこなしているような、どこからどう見ても健康そうな男性の身に起こるとは考えてもみなかった。
会社の健康診断か何かで、脳内に異常が発見されて。ずっと会社を休んでいた。「余命1年」そう聞いたときも実感はわかなかった。

彼は自分の病気のことをどれだけ知っていたのか。死を意識していたのか、あるいは告知されていたのか、それはわからない。少なくとも見た目は、相変わらず元気で明るくて・・・。ただ、頭に爆弾をかかえているようなものと医者に言われて、わずかな外出さえできなかったのが、気の毒だった。

1年を過ぎた頃には、あれは自分の聞き間違いか、噂に尾ひれがついたもの。あるいは、万が一にはそういうこともあり得るというだけの話。そう、本気で思えてきた。いつか回復して、また前のように、一緒に遊べると信じていた。仕事もして、結婚もして、子どもが生まれて、私や私の周囲の人たちの上に流れている時間と同じものが彼の上にも流れ続けるものだと思っていた。それが、突然の訃報。

年輩者の死ならいいと言うわけではけっしてないが、やはり若いひとの死は辛いものだ。誰にでも約束されていると思われた平凡な未来が、突然、跡形もなく消失してしまう。心臓の肉を抉られるような気がした。祖父や祖母、伯父を送ったときの「もう二度と生きては会えないんだね」という惜別の思いとは違う。

「メメント・モリ」という言葉がある。「汝の死を思え」。死を意識することで、今の生を大切に生きる教えだと聞いたことがある。自分自身の死を思うとき、私は下腹にずしんと重いものを感じる。
自分自身の死を思い浮かべることのあるひとでも、わが子の死を思い浮かべることのできるひとはどれだけいるだろうか。
子どもが生まれてすぐのとき、病院のベッドで、横に眠る小さな赤ん坊を見て、「この子が死んでしまったらどうしよう」と不安に思ったことがある。おそらく出産でホルモンのバランスが崩れて、そんな思いに駆られたのだろう。
いつもは元気な子どもの姿に「死」など思いも浮かばない。突然の病気や事故、事故の予感に背筋がヒヤリとすることはある。
その想像だにできないことを受け入れなければならないのは、どれだけ辛いことだろう。やはり、遠く想像に及ばない。

子どもの死に触れるにつけ、子どもへの期待がぐらつきはじめる。子どもを育てるとき親は、この子の将来のため、将来のためと思って育てる。場合によっては、今を犠牲にしてでも将来の幸せのためと子どもに無理を強いたりする。しかし、子どもの死を思うとき、将来ももちろん大事だが、今の、その瞬間がどれだけ大切かを思い知らされる。その「今」の積み重ねが「人生」であり、それらが連なった先にあるのが「未来」なのだと。目先の安易な刺激ではなく、生まれてきて心の底からよかったと思えるような喜び、楽しみをひとつでも多く経験させてやりたいと思う。

このことを学校生活に当てはめたときに、果たして、今の学校にそれがあるだろうか。「今」を生きる喜びを一日の大半を過ごす学校生活のなかで、子どもたちが感じられるだろうか。子どもたちの未来のためという大儀名文のもと、子どもたちを縛り、追いつめ、傷つけてはいないか。動物の子どもたちを見ていても、一生のなかで一番輝いて見えるときが、子ども期から青年期だ。そのかけがえのない時期を大人たちが身勝手な期待のもとに、自分たちの都合のよい次世代教育のために、子どもたちから生きる喜びを奪っている気がしてならない。

そして、子どもたちは常に危険と隣あわせにいること、生は死と隣あわせにあることを忘れてはならないだろう。少なくとも、大人たちのちょっとした不注意で、子どもたちの未来を奪うようなことは絶対にあってはならない。そのことは、全ての大人たちが肝に命じるべきだろう。

最後に若くして亡くなった彼に対して、今は言葉もない。「ご冥福をお祈り申し上げます」親しくないひとにならすんなりと出てくるこの常用句が、今はなんだか白々しい気がして、使いたくない。使えない。
ゆっくりと時間をかけて、私の中で彼の死を消化していこうと思っている。そして、彼のことを忘れない。それがせめて、生きている私が彼のためにできる唯一のことかなと思う。



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