わたしの雑記帳

2002/6/28 生長の家・神の国寮の公判(ワ 第990号)の傍聴報告


2002年6月24日、八王子地裁で、生長の家・神の国寮での児童虐待に対する公判が行われた。
前回は、該当の事件の口頭弁論(実際には書類のやりとりがほとんど)が始まるのが開廷から50分ほど経過してからだったが、今回は10時の予定が15分には始まった。

合田智子裁判長は、素人にもわかる言葉で、とても丁寧におだやかに話されるので、今まで、多くのそうでない裁判官(仏頂面、ボソボソと何を言っているか聞き取れない、威圧的)ばかり見てきたなかで、もしこの人がそのまま最後まで担当していたら、いい判決がもらえるかもしれないと、つい期待してしまう。もっとも、戸塚大地くんの裁判のときも、良識的な感じの年輩の女性裁判官で、判決を期待していたら、途中で男性の裁判官に代わってしまったから、同じことがないとも限らないし、見た目と判決内容が必ずしも一致しないこともあるので、そのあたりはわからないが。

今回は、原告側が出してきた園の安全配慮義務について、被告の園側が提示してきた準備書面は、「親権者がいる者に対する安全配慮義務」の内容だったということで、「親権者がいない者に対する安全配慮義務」について、原告代理人から、次回までにきちんとした答弁をお願いしたいと要望があった。
裁判官はも、そろそろ証人尋問についても、話し合っていきたいとした。

公判は10分程度で終わったが、1階ロビーのところで、原告代理人の平湯真人弁護士から、今までの裁判の流れをざっと話していただいた。
原告側は、園で受けた暴力の後遺症により、障害等級3級の障害で左手が使えないことから、就職してもたびたび解雇されるなど被害を被ったとして、虐待した職員と、園に対して損害賠償請求訴訟を起こした。
対して、園側は、けがはフォルクマン拘縮を起こすような重傷ではなかったして、後遺症の原因を医療過誤に求めた。また、障害の程度も職業選択や日常生活には何ら支障はないと主張。
また、園生たちがやったこと(園生たちにやるように仕向けた)として、職員が直接がやったわけではないとして、園生たちに責任を転嫁した。
さらにこの事件は1987(昭和62)年7月(Aさんは当時10歳)。提訴したのが2001年4月10日(Aさんは23歳)。すでに時効であると主張。

時効の問題は、おそらくこの裁判の最大の焦点になるのではないかと思われるが、原告側の弁護団は、Aさんの場合、権利を行使できたのにしなかったのではなく、親代わりの園の職員からの虐待であり、提訴することができる条件になかったことを主張。また、怪我のせいで仕事も見つからず、そういう中で、裁判も起こせない状況にあったと主張したという。

いずれも、2001年5月1日に、霞ヶ関の弁護士会館で行われた「全国養護問題研究会」の緊急学習会me010511)で、弁護団側が予測したほぼ範囲内という感じだ。児童養護施設の問題や子どもの虐待について著書(子どもの人権双書 第1巻「家庭の崩壊と子どもたち」、第2巻「施設でくらす子どもたち」/明石書店/1648円税込)のある平湯弁護士だけに、そういう点では安心して見ていられる。

昨日(6月27日)は、かつて(1992年12月)児童養護施設・二葉学園の職員に暴力をふるわれてけがをし(後遺症なし)裁判を起こしたFさんと会った(me020424参照)。
彼の場合、職員らに10万円の損害賠償を命じる判決が出た。しかし、改めて聞いてみると、原告代理人の相川弁護士はほとんど手弁当でこの訴訟を引き受けてくれて、裁判費用は法律扶助協会から30万円を借り入れたという。結局、金銭のことだけを言えば、賠償金命令は出たものの、20万円のマイナスとなった。それでも、「相手の謝罪が欲しかった」とするFさんは、裁判をしたことを後悔してはいないと言う。(実際には、職員からの謝罪はなく、判決も必ずしも納得のいくものではなかったが)
Fさんのことをずっと見守ってきた男性は言う。裁判を通して、Fさんはめざましい成長を遂げたと。最初の頃に比べて、本人の問題意識が変わってきたと。
判決が出たのが、1998年9月7日、当時19歳。その当時、私が報告会で会ったときには、裁判に幻滅をしていた。内容的には控訴すべきという周囲に対しても、もうしたくないと言っていた。
今、23歳になって、振り返ってみれば、ということなのだろう。

彼は今も、無口ななか、時折鋭い眼光で睨むようにひとを見る。
当時はずいぶんと暴れたりもした。暴力もふるったという。自分たちは人間扱いされていない。モノ扱い、オモチャ扱いされてきたという。オモチャ扱いとは、気に入った子どもは可愛がる。性的な意味も含めて(世間知らずの児童養護施設の少女を愛情をエサに愛人に仕立てることなど造作もない)。気に入らない子どもは放置する。園から追い出す。気に入らない子どもを追い出しても、措置制度でいくらでも次の子どもが来るから、自分たちの収益に影響はないから、職員は好き勝手にできると言う。

「暴力ふるってスカッとした?」私の質問に、いくらやっても暴れたりない感じがしたと答えた。
今も、彼のなかに「怒り」を見る。誰に対しての怒りなのか。大人たちへの、社会への、親への怒り?そして思い通りにならない自分への?もう、大人入りした。社会人になった。やがて親にもなるかもしれない。それでも彼のなかの「怒り」の炎は消えていない気がした。
虐待を受けるということ、いじめや体罰を受けるということ。その人の人生に落とす影は、周囲が予想するよりはるかに深刻だ。Fさんの場合は、ほんとうに親身になってくれる大人がいた。何度裏切られても見捨てない人間がいた。だから今、私たちとも笑って話すことができる。

そういう人が誰もいなかったら?立ち直るのはもっともっと困難だろう。
ある少年は子どもの頃からずっと、ネグレスト状態にあった。トイレのしつけも、食事の世話も、満足にしてもらえず、中学に入ってから、親との力関係が逆転した。一番弱い祖母にあたる。殴っては年金を取り上げていく。親は、口では止めても、本気でやめさせようとはしない。ネグレストのあとは、今度は自分たちには手に負えないとして、逃避を決めた。いっそ、犯罪でもおかして少年院や刑務所にでも入って、自分たちの前からいくなってくれることを願っている。
この少年のなかにも、きっと「怒り」がいっぱいに違いない。それでも、子どもというものはどこかで母親を憎みきれない部分があるのだろう。母よりも祖母にあたる。

今さら、親をせめてもどうしようもないことはわかっている。暴力をふるう少年が悪くないとは言わない。しかし、今はすっかり悪者にされているこの少年をつくったのは大人たちだ。親だけでなく、どこかに本気で、この少年に関わってくれる大人がいたら、少しは違っていたかもしれないと思うと、とても残念だ。
それが、けっして容易にことではないとはわかっている。本気で取り組んだからといって、すぐにわかってくれるものでもないから。殴られたり、ナイフで刺されたりするのは誰だって嫌だ、恐い。
だからせめて、子どもが小さいうちに、一番、ひとの愛を素直に受け入れることができる時期に、もっともっと大人たちが真剣に子どもたちの問題に取り組まなければならないと思う。
一度、愛情の飢餓状態に陥った人間はきっと、大きくなってもずっとひと以上に愛情を強く求め続ける。その思いが強すぎて、独占欲が強くなったり、相手の言動に過剰反応してしまったりするのだろう。
深い愛情をすべての子どもたちにかけることが無理ならばせめて、少しずつでもいい、もっともっと多くの人の愛が子どもたちを包むことができれば、ささくれだった心を、怒りを、少しは和らげることができるのではないだろうか。

児童養護施設という、虐待を受けた子どもたちが多く入所する施設で、虐待などあっていいはずがない。虐待問題はともすれば、親から保護して施設に入れさえすれば解決したと大人たちは思いたがる。しかし、その施設にはぬくもりがなく、かといって逃げ出す場所さえない。子どもたちのなかに大人たちへの不信感が累々と蓄積されていく。
日本の児童養護施設は海外のNGOとは違う。国費、税金でまかなわれている。建物はりっぱでも、中身はどうだろう。もちろん、そうでない施設もあるだろう。本来は、それが当たり前。
ところが、現実には、「福祉」と名の付くものはいずれも惨憺たるありさま。誰が悪いのか?これは絶対に行政の責任だと思う。箱物を作っては、すべて丸投げ状態。金だけ出して、チェック機能を果たしてこなかった。そして、職員ほかからは、いろいろな要望が出されて改善もされて、受け入れる側のことは考えても、一番声の出しにくい、そこで暮らす人間のことを、本来主役であるはずの人たちのことを、そのひとの身になって真剣には考えてこなかった。施しをする、やってあげている、文句を言わずに従っていろ、という感覚でしかなかった。

たしかに、今現在、人権侵害されている人びとをなんとか救済しなければいけない。
同時に、これからはそうならないように、例えば法律など根本的なところから、解決していかなければならないと思う。二度と同じ人権侵害が起きないようなシステム。それには、専門家の意見を入れるのもいいだろうが、もっと当事者の声を反映させたものでなければいけないと思う。
誰のための法律か。一番、弱い人たちに焦点をあてたものでなければいけないと思う。一番に国の援助を必要としているのは、そういう人たちなのだから。人間、元気なときには助けなどなくてもなんとかやっていける。そして、もしも、病気をしたら、障がいを負ったら、人生につまずいたら、そういう時の国のサポートがしっかりできているなら、元気なひとはますます元気に頑張れると思う。

なんだか、途中からだいぶ、横道にそれたみたい・・・。でも、まっ、いっか!
次回、神の国寮の公判は、8月5日(月)午前10時から。八王子地裁。303号法廷にて。




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