わたしの雑記帳

2002/3/20 山形・明倫中マット死の民事裁判「棄却」判決について


1993年1月13日、
山形県新庄市立名倫中学校の体育館で、児玉有平(ゆうへい)くん(中1・13)が、用具室に立てて巻いてあったマットの中に逆さに突っ込まれた形で、窒息死しているのが見つかった事件の民事裁判の判決が2002年3月19日、山形地裁で出た。


この裁判は、少年法の矛盾点を露呈させた裁判でもあった。
一度は罪を認めた少年たちが、家裁に移る段階で全員が否認に転じた。そして、少年裁判で、7人の生徒が無罪・有罪と二つに審判が別れた。有罪になった少年たちは抗告。仙台最高裁は判決の中で、7人の少年全員の関与を認めた。しかし、少年法により、一度無罪判決の出た少年たちの処遇が変わることはなかった。

黒と白、くるくると変わる判断。黒と判断されたにもかかわらず、処罰されることのなかった3人の少年たち。子どもが殺されて、加害者たちから一方的な主張がなされても、まるっきり蚊帳の外の被害者側には抗告権はない。せめて、民事裁判で、加害少年たちの、いじめを知りながら放置した学校の責任を問いたいと遺族は提訴した。

決定内容 証言について
裁判前 1993/1/17 A(14)が、「マットに入れろ」と自分が命じたと自供。B、C、(14)とD、E、F、(13)、G(12)の名前を上げた。
7人は児玉くんに暴行を加えてマットに押し込んだと供述していたが、事件が家裁に移る段階から7人全員が自白と証言をひるがえし、それぞれアリバイを主張し、否認に転じる。
少年審判1
(山形家裁)
1993/8/23 山形家裁は、少年審判を受けた7人中、A、B、Cの3人に関して、「犯罪事実なし」と無罪判決。 目撃者らはいずれも、A、B、Cをはっきり目撃しておらず、A、Bは当時自宅などに居たとするアリバイを否定できない。Cはマット室から離れた場所にいたとする弁解を否定できない。
1993/9/14 残り3人、D、E、Fに、有罪判決 D、E、Fが被害者の体を支えてロングマットの空洞に押し込むのを目撃したというGの供述は、状況や内容からして信用できる。3人の主張する当日の行動は、一緒にいた者の供述と一致しない部分があり、不一致が生じている時間帯に本件非行がなされている
少年審判2
(仙台高裁)
1993/11/30 仙台高裁は不処分者以外の3少年に、D、Eを初等少年院送致、Fを教護院送致の保護処分を確定。ほかG(12)を補導、同県中央児童相談所の行政処分(児童福祉による在宅指導)。
少年審判3
(仙台最高裁)
1993/9/16 「犯罪事実あり」とされた少年たちの内D、E、Fの3人が認定を不服として、仙台最高裁判所に抗告

高裁と最高裁は抗告を棄却する一方で、家裁の認定を覆し3人のアリバイを否定、7人全員が事件に関与していたと判断。
被疑少年らはそれぞれにアリバイを主張し、一部は友人達の供述があるが、これらの供述はアリバイの裏付けとなりえないものであったり、或いはその供述に反する他の参考人の供述と比較し信用できない。
民事裁判
(山形地裁)
2002/3/19 遺族側の損害賠償請求を棄却
7人全員のアリバイを認め、事件に関与した証拠はないと判断。

学校(市)についても、7人の関与が立証されない以上、管理責任追及を退け、賠償責任はないと結論づけた。
自白も取調官の誘導とし、捜査段階における被告の元生徒らの供述、目撃証言もほとんど否定。7人が事件現場の体育館の用具室にいなかったというアリバイを認め、事件に関与した証拠はないと判断。



少年審判のあと、父親の児玉昭平さんは著書の『被害者の人権』のなかで、次のように書いている。
(「少年法を問い直す」/黒沼克史著/講談社現代新書より抜粋)
「そもそも、事件の発端はいじめにあったはずです。しかし、骨子を読むかぎり、なぜ有平は殺されなければならなかったのか、親がもっとも知りたい点にはまったく触れられていません。ただただ、3少年のアリバイの有無に終始しているだけです。事件現場にいなかったというアリバイがあるからシロ、と断じているだけです。事件の動機など、死に至る因果関係はわからないままで、被害者家族にしてみれば真相を解明したとは認められません。極論すれば、有平の存在、その生命は無視されています。人の生命を軽んじています。その意味で家裁の姿勢は、人間の命の重さを顧みなかった少年たちの行動と共通するものがあります。有平は2度殺されたのです。1度目は少年たちによって。2度目は家裁によって。私の少年法、及び家裁への疑問は募るばかりでした」
そして、民事裁判で「棄却」判決。有平くんは再び殺された。少年審判以上の無念さを遺族は今頃、噛みしめているだろう。

山形地裁の手島徹裁判長は、7人全員を「事件に関与なし」とした。
7人の生徒のうち一部の生徒による有平君への日常的ないじめがあったことは認めたが、いじめの存在と事件との関係を否定。そして、有平くんの死に関しては、明確な判断を示さなかったが、同校の生徒の中でマットに頭から入る遊びがあったことや、遺体や現場の状況から、「事件性すら認定できない」と指摘した。学校(市)についても管理責任追及を退け、7人の関与が立証されない以上、賠償責任はないと結論づけた

判決でもいじめは認めている。
児玉さん一家は新参者ということで地域から浮いていた。標準語を話すことで敵視さえされていた。
そして、生徒たちの話では、有平くんへのいじめは小学校高学年の頃から始まっていたという。中学校に入ってからも、教室で下着を脱がされたり、上級生から歌など芸を命じられたり、殴られたりしていた。多くの級友たちが、有平くんがいじめられていたことを知っていた。
このような具体的ないじめの事実があがっており、7人のうち一部は有平くんを日常的にいじめていたという。にもかかわらず、マットでの窒息死といじめは無関係だという。
そして、「有平くんは自分で頭からマットに入って死んだ」という、少年審判時、被告側が持ち出してきた理由を証拠がないとして断定はしないものの、判決のなかでほのめかしている。

「遊びで自分からマットに入って窒息死した」そんな死因を遺族が納得できるだろうか。
いじめはあったが死亡原因とは関係ない。どんないじめが、誰によってどれだけ行われていたのか、その調査も満足になされないなかで、いじめの相談を家族からされていたということすら、ずっと否定しつづけたあげくようやく認めるような学校のなかで、有平くんがいじめられていたことは知っていたとしながら、具体的なことを生徒たちが証言してくれないなかで、事件当時、体育館には約50人の生徒がいても、ほとんどが「知らない。見ていない」と言うなかで、「単なる偶発的な事故でした。殺人ではありません」と言われて納得ができるだろうか。
顔は殴られたような皮下出血があり、大きく腫れあがっていた。手と足には打撲の跡があった。頭蓋骨陥没、骨折これらの状況のどこから、「事件性すら認定できない」と言えるのだろうか。
事件直前、有平くんは体育館内で上級生らに「金太郎」の歌に合わせて身振り手振りをする芸などをやらされていたという。被告の7人とは別に、こうした事実があげられているというのに、そのあとに何を思って有平くんが自分でマットに頭から入るというのだろうか。たとえ自分から入ったとしても、強制なしに、誰もみていないところでそのような行動をとるとは、とても思えない。

たしかに冤罪はあってはならない。しかし、かといって、ひとりの子どもが学校の中で亡くなったというのに、その原因をあいまいにしてよいことにはならない。事故なら誰も傷つかない。被害者にすべてを背負わせて、死人に口なしなどと、そんな安易な解決策であっていいはずがない。

そしてもし、7人が犯人でなかったとしても、有平くんの死に対して、学校に責任がないなどということは絶対にあり得ない。本当ならば、学校は率先して有平くんの死の原因をつきとめて、両親に報告すべきだった。しかし現実には、いじめは隠される。最初は子どもたちによって隠され、発覚したあとは大人たちによってさらに巧妙に隠蔽される。

仙台の最高裁は、
「被疑者7名は、捜査段階においていずれも本件非行に関与したことを自白しているところ、それは、知り合いの捜査官と雑談を始めてから、20分くらいしか経たないのに、捜査官の胸に抱きついてしばらく泣いたうえで自白したもの、自己と両親との関係や両親の心情を慮り苦しみながらも、捜査官に説得されて自己が体験した事実を述べたことが窺われるもの、本件非行に至る経緯及び犯行状況の全般にわたり詳細に述べ、その供述内容には体験者以外に知り得ない事項が相当部分含まれるもの、捜査官の問い掛けに泣き出しながら真情を告白したと考えられるもの、捜査官の取り調べが進行中に家族の前で非行の詳細を説明しその模様を実演してみせたりしたものなど、いずれも自己の体験を述べたものと考えられる。被疑者少年らの捜査段階における各供述には、細部において若干食い違う点はあるが、そうした食い違いは自己の責任を軽減しようとし、或いは記憶が不鮮明であるなどの理由で生じたことが窺われるうえ、各供述内容は大筋において相互に一致するものである。」
と具体的な供述に至る状況まで詳細に述べて、供述は信用に足ると認定した。それを、目撃者が証言を翻したとしてすべての証言の信憑性が覆されてしまう。

少年7人の証言はなぜ覆ったのか。捜査官に脅されてただ「やった」と答えただけなのか。それとも、事件後も被害者を非難し続け、罵声さえ浴びせかける地域のエゴに後押しされ、子どもをひとり死に追いやった反省もなく、開き直っただけなのか。
事件から9年。なぜ目撃者の証言は覆ったのか。法廷という場で並大抵ではない勇気をもって証言してくれたはずの少年。自分の言葉に真摯に耳を傾けてくれなかった大人のせいなのか。地域の圧力に負けたのか。それとも・・・。
裁判官に、大人たちに、果たして真実を追及しようという信念はあったのだろうか。

いずれにしても、初期の捜査が後に及ぼす影響は大きい。もし、これが少年事件ではなかったら、学校の中の事件でなかったら、このような黒と白がくるくると入れ替わるような判決にはならなかったはずだと思う。教育現場のなかで、いかに生命が軽い扱いを受けているか。生命を軽んじているのは誰なのか。
学校の対応を見ていると、学校をとりまく環境の大人たちの言動を見ていると、なぜ有平くんがいじめにあって、誰にも助けてもらえないまま、マットで窒息死させられたのかわかる気がする。
大人たちが、私たちの社会が、寄ってたかって子どもたちを窒息死させている。
そして、人としての権利を守ってくれるはずの裁判で、被害者の人権が踏みにじられている。被害者の名誉を回復するために、遺族の無念さを少しでも軽減するために、いったいどんな手段が残されているというのだろう。


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