1998年7月25日、吹奏楽部内でのいじめを苦に自殺した小森香澄さんの第3回公判が、今日、横浜地裁で行われた。
少し早かったかなと思いつつ、建物を入ろうとすると、小森さんを支援する「こいしの会」の方がボードを手に立っていた。教えていただいて、傍聴整理券配布の列の最後尾に並ぶ。
母親の小森美登里さんが今年1月23日、「優しい心が一番大切だよ」(WAVE出版 1500円+税)を出版されたり、テレビなどで取り上げられたりした影響もあるのだろう、冒頭陳述でも、判決でも、証人が出るわけでもない、まだ書面のやりとりだけのこの時期にこれほどの傍聴があるとは、正直、驚いた。
小森さんとは、偶然以上のものを私自身は感じている。上記の本を手にしたのは、1月30日の浦和の大野さんの裁判傍聴に行った折り、少し早く着きすぎて、途中の赤羽駅構内の書店で時間を費やしていたときにふと目に入って、思わず手にとった。「小森香澄さん」の名前にはピンとこなかった。しかし、場所が横浜ということで、その時すでに事例のなかで紹介させていただいていた市の青少年指導センターでの相談内容の開示をめぐって、何回か新聞に載っていたひとのことではないかと思った。巡り会いに胸がドキドキした。
そして、その翌日、津久井の平野さんの裁判の折り、判決後に平野さんご夫妻を囲んで一緒にお茶を飲んだ席で、小森さんのことがテレビか何かで報道されたとかで、同じ神奈川県ということもあり、話題になった。その時、私は丁度、読みかけの美登里さんの本をカバンの中に持っていたので、「この本、ご存じですか?」とテーブルに出した。すると今度は、平野さんの担当の弁護士さんの一人が、「私が担当させていただいている訴訟です」という。そこで、今日の裁判の日程と場所、時間を教えていただいた。
1月末から今日までの間に、本の後ろに載っていた「こいしの会」サイト http://www.c3-net.ne.jp/~koishi/ を訪ね、小森さんに連絡をとった。
さっそく資料を送っていただいたり、生命のメッセージ展のご案内をいただいた。そして、その生命のメッセージ展には岡崎哲くんのメッセージがあった。
私は昔から「ひとの運」があると思っている。会いたい人に偶然、会えてしまう。私の足りない部分を補ってくれるひとに絶妙のタイミングで出会う。偶然会ったひとが、いろんなところで知らないうちに繋がっていたりする。人の縁とは、ふしぎなものだと思う。
だいぶ横道にそれたが、話を元にもどそう。
開廷の15分前の段階で、用意された傍聴席48席に数名分余りがあるということで、抽選ではなく、全員が傍聴できることになった。開廷中に空いている座席は1席のみとなっていた。
「こいしの会」の方からピンクのリボンをわたされた。法定内で、私たちは小森さんを、香澄さんを応援していますという、ささやかな意志表示だ。(裁判所から、入り口や廊下での配布はしないようにということだったので、法定内でそっと手渡された)
法廷では、互いにやりとりした書類について、原告側弁護士から、「『生徒からの作文やアンケートはあるか?』と質問を出したところ、『ある』との回答だったが、その内容について、生徒が自由に書いた作文なのか、質問項目があって答えたものなのか、教師が生徒に聞き取り調査をしたものなのか、もっと具体的に知りたい」との要望が出された。
また、神奈川県教育委員会が保有している書類について、先方からは一覧表が出たが、日付順に必要なものを提出してほしいという原告弁護団の要請に対しては、「全部の書類を出すつもりはない」と被告側は回答した。
10分、15分程度のやりとりのあと、次回期日を、5月14日(水)10:00から、503号法廷にて、と決めて終了した。(6月25日(火)10:00からに急きょ変更)
裁判のあと、場所を替えて、「こいしの会」の説明会があった。
ここで、傍聴者の多くは、「こいしの会」の人びとであることを知る。ほとんどが美登里さんと同年輩の女性。お母さん方のパワーがこのような形で発揮されるのを私は初めて見た気がする。
日頃の美登里さんの行動・活動が、このような形で結実しているのだろう。
弁護団も若い弁護士さんが中心で、今まで見てきた裁判や支援の雰囲気とは少し異なるものを感じた。弁護士さんと支援者との間がとても親しい。
説明会はとても手際よく運営された。主な内容は、今日の報告、これまでの経緯、今日の裁判の内容説明、小森さんの近況、質疑応答などだった。
もちろん、小森さんご夫妻の人柄によるところが大きいことは言うまでもないが、このような強力な支援が地元にあることをうらやましいと思う。
多くの被害者、遺族たちが、学校に対して声をあげたことで、地域からも排除されてきた。
香澄さんがすでに高校生であったことも関係するだろう。小学校や公立中学校の場合、学校と地域の結びつきは強いが、高校ともなると学区が広いだけに地域との関係は薄れていく。もっとも、地方でその地域に1校から2校程度しかないような場合は別だろうが、少なくとも横浜の場合は。
多くの人たちは、地域で支援が得られないから、たとえ遠くても理解や支援の得られる場所へと出向いていかなければならなかった。地域で、学校から攻撃され、住民から白い目で見られて、四面楚歌、針のむしろのなかで、わずかな理解者を心の支えにしてきた。
一方で、笑顔をたやさず挨拶にまわる美登里さんの姿を見て、無理をしているのではないかと心配になる。他人なら、こういう会を仕切ってやっていける。しかし、当事者はもっと、もっと、不安定な心を抱えている。泣きたいときもあるだろう、怒りで人やモノに当たり散らしたいときもあるだろう、誰とも口をききたくないときもあるだろう。これだけ大きな会になると、矛盾するようだが、その中心である小森さん夫妻の負担も大きい。もちろん、そのために会には別に代表と副代表がいる。
どこかで、自分のみっともない部分をさらけ出してしまえる、グチもワガママも言える小ぢんまりした居場所があるといいけれど。背負っている使命感が大きすぎて、つぶされてしまわないように。子どもを亡くして、十分に傷ついているのだから、辛いのだから、自分のことだけ考えていたっていいんだよ。頑張りすぎないでと思う。
裁判の経過は、今後もこのサイトでも報告していきたいと思う。
裁判の予定は「インフォメーション」コーナーにて、「小石の会」のサイトは「リンク」コーナーを、参照していただきたい。
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