わたしの雑記帳

2001/11/3 アフガニスタン難民キャンプの報告を聞いて


今日、ペシャワールの難民キャンプに救援物資を届けたパキスタンの方、Mr.ハルーンさんから、モスクのなかの会議室で直接、話を聞くことができた。
彼が物資を届けたのは今年の3月。もちろん、9月11日のアメリカのテロ事件が起きる以前。
それでも、干ばつによる食糧難から避難してきた人びとで難民キャンプはあふれていたという。

テロ事件の後、テレビでも度々、アフガニスタンやパキスタンの難民キャンプの状況は放映されている。しかし、実際に自分の目で見てきたひとの話は現実感を伴って私たちに迫ってきた。
難民のテントは薄いビニール製。子どものいたずらで、障子紙のように簡単に破れてしまうような粗末なものだという。3畳ほどの広さに6〜7人の家族が暮らす。そして、中には毛布もシートもない。
用意されていたのは、死者を埋葬する時に着せる白い布だけだったという。

最初の頃はトイレもなかったため、不衛生から病気になるものもいた。水も何キロも離れた場所に汲みに行かなければならなかった。食糧は、家畜用の残飯なども分けてもらって飢えをしのいでいたという。カビが生えたようなナンを水に浸けて食べる。それも、1日に1〜2食。ハルーンさんたちの目の前でも毎日、人が死んでいった。子どももバタバタと死んでいったという。
難民キャンプに来さえすれば、なんとかなると思って、みな、家畜や農具を売ったり、借金をしたりして、ここまで辿り着いた。しかし、子どもが病気になって肺炎を起こしてもアスピリンしかもらえず、死んでいったという。アフガニスタン国内でも今、決定的に医薬品が不足しているという。

難民キャンプではそのうち、トイレも一応、整備され、給水車も来るようにはなったという。
しかし、ペシャワールはこれから冬に向かうと、気温は零度を下回る寒さ。凍死者が出ることも予想される。
それでも、難民キャンプに来られる人はまだ、恵まれているという。もっと多くの人々が、アフガニスタン国内で、難民になるための旅費さえ捻出することができずに、飢えて死を待っている。

アフガニスタンは何度も、何度も外国から侵略され、あげく長い間、内戦が続いた。
その混乱続きのなかで、平和を人びとにもたらしたタリバンは、アメリカや日本のマスメディアが流しているほど、現地での評判はけっして悪くなかったという。北側との小競り合いも、それほど大規模のものでもなかった。そして、もしタリバンがそんなにひどい集団であれば、これまで支持を保って来られなかったはずだと言う。

ハルーンさんは、様々な支援金も政治的思惑で、本当にそれを必要としている人びとのところへ優先的に届けられないことを嘆く。
難民キャンプの設置場所にしても、アフガニスタンの人も、パキスタンの人もアフガニスタンの中にそれをつくって、周囲が支援することのほうがよいと考えているという。しかし、国連は何故か国の外につくらせた。そこまでたどり着けない人びとのことや、難民をキリなく受け入れる国のことを考えもしないで。

また、政治的な思惑にメディアが乗って、真実が歪められていると嘆く。
例えば、タリバンは女性の教育を禁止してはいないという。教育も予言者の教えのなかでは義務である。ただ、現状、食べるだけで精一杯で、教育どころではない。そこで、1つの世帯で必ず1人は教育を受けなさいとした。そして、それは、一家を支える男性にしなさいと。ゆとりのある家では何人教育を受けてもいい。実際に今だ女性の学校もあるという。

アヘンにしても、タリバンはアヘンを禁止した。そのことを国連もアメリカもかつてほめていたという。もっとも、100%国内をコントロールできていたわけではないが。それが、ここへ来て、タリバンの収入源はアヘンであると報道されている。

テロ事件にしても、とてもひどい事件だ、許せないと思うとハルーンさんは言う。しかし、アメリカは事件の次の日にはもう、ビーンラディン氏がやったというが、本当にたった1日で犯人がわかったのだろうか、疑問に思うと。ここ10年間の歴史の中でも、いくつものテロ事件があった。その度に、イスラムの過激派の名前が上がった。しかし、その後、関係ないことが判明している。ビーンラディン氏がやったという証拠は何一つあがっていないし、本人もそれを否定している。
タリバンはひとつの文化であって、規律としては少し厳しいかもしれないが、けっして過激ではないと言う。もちろん、なかには暴走する人たちがいることは確かだが。
そして、日本のマスメディアもアメリカに同調して、アメリカ側の主張のみを正しいものとして流していると。けっして、フェアーな立場ではないと嘆く。ハルーンさん自身の発言にしても、マスコミによって大きく歪められた、自分たちの思惑に沿った形に編集し直されたと憤る。(その不信感から、現在は編集できない生放送以外の取材をほとんど拒否しているという)

ハルーンさんは言う。日本は原爆を落とされて、世界でも一番、戦争の悲惨さ、愚かさを知っている国のはずだと。どうか、戦争を止めることに力を貸して欲しい、それができる国であるはずだと。
ある学者は、今の攻撃で今後500年は農業に影響が出るだろうと言っているという。劣化ウラン弾などが使用されれば、奇形児が多発するなどの悲劇がその後も長く続くことになる。雨に乗って近隣諸国にも影響が出る。

そして、何もしなくとも今、アフガニスタンは干ばつによる食糧難と迫り来る冬の寒さを前に、人びとは生命の危機に晒されている。薬もない。そして、政治的思惑も絡んで、援助の手も届かない。
たとえ焼け石に水の状態であっても、ただ見てはいられないと、ハルーンさんたちは物資を持って再び難民キャンプを訪れる予定になっている。イスラムにはイスラムの文化がある。それに即した援助の仕方というものもある。寒い冬に毛布やオーパーコート、セーターなどは必需品だが、ズボンやシャツは使えない。物資を送るにしても輸送費がかかる。近隣国で小麦粉を買い付けることは、周辺で影響を受けている国や地域の経済の循環を促す面でも有効である。

そのための支援金の募集を下記で行っている。
振り込み先:JIT FUND FOR AFGHAN REFUGEES  東京三菱銀行 大塚支店 普通口座 1415181

テロは許せない。しかし、無関係な人びとの命を奪うことはテロに等しい。憎しみより愛を。それは、きれいごとかもしれない。それでも爆弾と共に投下される食糧よりは、政治色のない人びとの善意のほうが役に立つだろう。遠いアフガニスタンの人びとに届くだろう。


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