わたしの雑記帳

2001/6/22 大阪教育大学付属池田小学校・児童殺傷事件(2001.6.8)に思う。


またしても、凄惨な事件がおきた。現代社会において子どもたちは、ストレスの発散の対象でしかないのだろうか。子どもたちが小動物や昆虫を殺すように、大人や年長の子どもたちが思い通りにならない世の中への鬱憤を、矛先を替えて無抵抗な子どもたちへと向ける。無抵抗な子どもたちを殺すことで、万能感を得られるとでもいうのだろうか。

今回の事件で8人の子どもたちが死に、多くの人びとが傷ついた。ある日、突然、わが子を奪われた遺族の胸のうちはいかばかりだろうと思う。
その中で、少し気になる週刊誌のタイトルを見つけた。立ち読みでペラペラとページをめくった程度なので詳しいことまではわからないが、逃げ出した教師に対して、遺族の怒りの声を載せていた。

被害者遺族は恐らく今、突然のわが子の死に動揺し、混乱しているだろう。まともな思考さえきっと働かなくなっている。宅間守容疑者にはもちろん、子どもたちの側にいて守ることのできなかった教師たちにまで怒りを感じる。場合によっては、警察の中にいて、直接、見ることも触れることもできない相手より、目の前にいる教師に怒りが集中しやすい。そして、口には出せないまでも、わが子が死んで、生き残った子どもたちがいるということさえ、きっと理不尽に感じているだろう。まるで、自分の子どもが犠牲にされたように感じてしまう。
あまりに突然の、理不尽な出来事に、わき上がってくる怒りのエネルギーをどこに放出していいのかわからなくなる。現場にはいなかった自分にすら、助けられなかったことの責任を感じてしまったりするのが親なのだから。遺族は仕方がない。

しかし、マスコミは違う。そんな遺族の混乱につけこみ、言葉を前面に押し出して、一緒になって教師たちを非難する。センーショナルに書き立てる。深く傷ついているひとたちを更にたたくような真似をする。犯人は一人で十分ではないのだろうか。
佐賀のバスジャック事件(2000/5/3-4)でも、マスコミの非難、世間の非難が、逃げた人びとに集中した。同じことが今、ここで再びおきようとしている。マスコミの先導で、被害者たちが、いつの間にか加害者にさせられている。

生き残った人たちも深く傷ついている。事件の後遺症に悩んでいる。
今回だって、子どもたちはもちろん教師たちも、死にさらされたという恐怖と、目の前で死んでいった人びとを救えなかったという思いとで、心に深い傷を負った。たとえそれが、「私にも子どもがいる」という弁解じみた言葉になろうと、きっと誰に責められるまでもなく、目の前で生徒を殺されて救えなかった自分自身を責めているだろう。その苦しさの中で、「私にも子どもがいる」という言葉の中に、自分自身を納得させざる得なかった。そう、思わなければ辛すぎて、心が壊れてしまうから。

しかし、その場にいなかった誰に教師たちを責める資格があるだろう。命はひとつだ。誰だって死にたくはない。包丁で刺されたくはない。大人が子どもを守るべきだというのは、頭で考えて言えることだ。パニックのなかで、本能はひたすら逃げようとする、それが生きるものならば自然ではないだろうか。
たとえ、目の前でわが子に死が迫っていてさえ、親は何もできないこともある。子どもを守ろうとする本能と、自分自身が危険から逃れようとする本能、どちらが強いかなんて、その場になってみなければわからない。

まして、いくら生徒とはいえ、自分の子どもではない。大人は子どもを守るべき、教師は子どもを命を落としても守るべきなどと、他人が「べき論」で言えることではないと思う。生徒の命と教師の命、どちらが軽いなどと誰が言えるだろう。自分の命と他人の命、どちらが大切かと言えば、やっぱり自分の命が大切なのは、自然なことではないだろうか。電車のなかで、からまれている人間をみかけても、誰も何も言えない。自分の命が大切だから言えない。命を張れない弱さを、責められるべきことだろうか。
弱いものが殺されない社会を人間は目指してきたのできなかったのだろうか。

子どもたちが殺されたのは教師たちの責任ではない。生き残ったのは、生き残ったひとたちの責任ではない。ふつうの生活をしていた人たちがいきなり、包丁で襲われたのだ。何一つ非はない。生き残ったことさえ素直に喜べない、傷ついているひとに投石をするようなこの社会とは何だろうと思う。
世間がこの事件を忘れても、今回の被害者たちの心にはずっと傷が残り続けるだろう。大人も子どもも、一生その苦しみを抱えて生きなければならない。これ以上、傷口を広げるような真似はしてほしくない。

それはこれからも同じことで、今は被害者遺族に同情が集中している。しかし、やがて世間が事件を忘れるのと同様に遺族のことも、忘れてしまう。お祭りのように騒ぐだけ騒いで、あとは見捨ててしまう。想いを語ることさえ、周囲が許さない雰囲気ができあがる。遺族には、5年、10年という長い時間をかけて、すこしずつ傷をいやせるように、サポートできる周囲の人びとが必要だろう。

ただ、これからのためにも今一言、学校は遺族に学校内で子どもたちを守りきれなかったことを詫びてほしいと思う。安全対策は、けっして万全ではなかったのだから。そして何より、生徒を死なせてしまったのだから。そのなかから、共に相手の想いがわかりあえる信頼関係をつくっていってほしい。わが子が殺されずにすんだ親も、それを引け目に思うのではなく、ただ亡くなった子どもたちの親の心にも寄り添って欲しい。みな、苦しいのだから、その苦しみのなかで、遺族を孤立させないでほしい。
生きている子どもたちの心は少しずつでも回復するだろう。共に、親の心にも平穏さが戻るだろう。しかし、子どもを亡くした親の心は回復することはない。愛する対象を失って、その部分はいつまでも切り取られたままだ。替わりを埋められるものなど、おそらくは存在しない。

今は、誰かを責めることよりも、同じ事件が起きないために、悲しい想いをするひとがこれ以上増えないよう考えたい。そして、そのためにも、多くの人たちが他人ごとではなく、いつ自分の身にふりかかるかもしれない出来事として、傷ついた人びとの想いを分かちあうことができればと思う。
そして、子どもたちにも、ひとが死ぬということは、こんなにも辛く悲しいことなんだよということを、子どもたちにもわかる言葉で伝えてほしい。それが、「命の教育」であると思うし、他人や自分を傷つけることの抑止力になると思う。


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