今回、公判が始まってまず驚いたのは、裁判官が代わったことだった。1998年2月5日の第1回法廷から数えて15回目、3年が経過した。この間、2回裁判長が代わったとか。
前回までの裁判官は年輩の女性で、見た目だけではわからないものの、被告の訴えを真摯に聴いてくれているように感じていたが・・・。(もっとも、判決は蓋を開けてみるまでわからない)
学校の体育館で行われた現場検証にまで立ち会った裁判官。これが、吉と出るか、凶と出るかはわからない。
傍聴席には、体育担当のK教諭をはじめ、ネクタイを締めた男性が5〜6人、被告側の列に座った。(明確に席が分けられているわけではないが、原告が座る向かって左側に支援者が、右側には被告側の関係者が座ることが多い。)
そして今回、大地くんのお母さん、ひろみさんが陳述・証言されるとあって、いつも以上に傍聴席が埋まった。なかには、大地くんの元同級生たちだろう、女の子一人を含む20歳前後の若者たちが、8名ほども来ていた。(証言台に立ってくれた彼らのためにも、ガンバルゾとひろみさんは言っていた)
前回に続き、元校長の証人尋問から始まった。(前回の報告は雑記帳の2001/3/9付)
相変わらず、まるで他人ごとのような言い方。「あなたはその学校の責任者だったんでしょ!」「報告を受けたり、指示を出したりする責任は、あなたにあったのでしょ!」と思わず声を荒げたくなるような。
何を聞いても、はっきりと覚えていない。「私が報告を書いたわけではありませんから」「現場検証には立ち会っていませんから」という態度は、何かまずいことを隠蔽しようとしているというよりは、本当によく覚えていない、当時もそれほど真剣には取り組んでいなかった、だから記憶から抜けてしまったという感じだ。「当時はそう思いました」では今は・・・?。管理職ともあろうひとが、そんな浅い考えでものごとを決めていたというの?
学校の授業中の事故で、14歳の少年がひとり亡くなっているというのにだ。その学校の責任者だったというのに、自覚もなく。
事故原因の調査は、とりあえず翌日、「器具が壊れていないかどうか調べた」だけ。
生徒からの事情聴取など、きちんと調査をしなかった理由は、「生徒の動揺を考えて」「K教諭に聞いたから」。しかし、肝心の事故をK教諭は目視していない。生徒に言われて初めて気が付いた。
学校が行った調査で事情を聞いたのは、一番近くにいた3人の生徒のみ。なぜ、全員に聞かなかったのかは、「最初に聞いた子どもが、この子たちから聞けばわかると言ったから」。
当事者とも言えるK教諭に調査をすべて任せたのは、「一番よく事情を知っていたから」「生徒たちにも聞き易いだろうと思ったから」「K教諭に過失があるとは思っていなかったから」。
目撃状況については、きちんと書面になっていない。子どもたちにも、聞いた内容が報告書に載ることの説明もしていない。事故報告書作成要領には、そういうことが事細かく指示が出ているが、守られていなかった。「それを指示するのは、あなたの責任でしょ」と言われて、「校長はいろんなことをしなければいけないから」と忙しさを理由にした。
子どもがひとり亡くなっているというのに、それ以上に優先されなければならない仕事とは一体何だったのだろう。
この校長ならなるほど、「私たちは義務として、こうやって病院にやってきましたよ」ということを伝えるためだけに、集中治療室のわが子に付き添っている両親をわざわざ呼びだすこともやるだろうなと思った。
相手の心の痛みというものが、子どもを亡くした親の痛みというものが、ぜんぜんわからない、感情をぶつけてもはじかれてしまうようなひとなのだろうなと、当時の状況が想像できる気がした。
母親の証言では、事故状況を正確に知りたいので、現場検証をしてほしい、立ち会わせてほしいという申し入れを3回もしている。しかも、らちのあかない学校に対して、わざわざ「質問状」という書面にまでして。
それに対して、学校側は「現場検証の必要はない」としてはねつけている。
理由は尋問のところで、「遺族が、生徒を立ち会わせて現場検証をしたいと言ったので断った」「生徒を動揺させたくなかったから」と、校長は言った。事故の瞬間を見ていなかった教師。見ていた子どもたちの証言は得られない。
一方で、7月13日に教育委員会の人たちが来たときには、器具を並べて現場検証を行っている。そのときに、なぜ遺族に一言、かけてくれないのか。
ひろみさんは法廷で訴えた。「子どもを亡くして一番悲しいのは親なのに、教育委員会への説明・報告が優先されている」「現場検証に同席させてもらえれば、もう少し理解できたと思う」と。
実際に、裁判所の命令で行った現場検証に立ち会っていろんなことが、実感としてわかった。
8段もの高さの跳び箱の上に子どもが立てば、K教諭の位置からはよく見通せたこと。
マット運動のテスト中ということで、イスの前にマットが敷かれており、なるほど視線の位置は下を向いていただろうなということ。
また、目撃した子どもたちが同席したことで、さらに詳しいことがわかった。倒れていた姿勢が、学校からもらった図面とは違ったこと。最初はうつぶせに倒れていたのを駆けつけた生徒が仰向けにしたこと。
教師はそのあと、駆けつけたこと。
当時、同中学校の体育の授業には加配の指導員がいた。しかし、女子にしかつけていなかった。
テストの採点があるとわかって、全体に目がいかないことが予めわかっているのだから、加配の指導員がもしいたら・・・。
また、跳び箱の8段という高さは、なぜかこのテストの日にはじめてこの高さの段が置かれたこと。プロレス技で飛ぶなどということは、高さがなければできない。もし、このテストの日にわざわざ8段にしていなかったら・・・。
大地くんは、プロレス技を真似たふざけた跳び方をして、2回目に事故を起こしている。1回目は成功して、みんなの拍手喝采を浴びたという。もし、その1回目に教諭が気付いて止めていたら・・・。
遺族にとって、「もし・・・」はつきない。どこに原因があって、わが子は死ななければならないのか、知りたい。
これは、公判のあとの報告会で初めて聞いて知ったことだが、「ふざけた跳び方をしていて事故にあった」というのは、学校側が最初から突き止めた事実ではなかった。父親が、葬儀の日に学校側に「課外以外のことをやっていて事故にあったのではないですか?」と聞いて、その10日後に新事実が判明したとして学校側は報告に来ている。(それが初めての報告)
そのことを父親は、子どもたちから聞いて知ったという。目撃した子どもたちは、大地くんがふざけていて事故にあったとは、大地くんの名誉を考えて言えなかったらしい。このことは、大地くんにとっては大きなマイナス点である。そのことをわざわざ学校側に知らせてでも、遺族はそこで何があったのか、本当のことが知りたかったのだ。そして、同じ悲劇が二度と起こらないような対策を学校にたててほしかった。
しかし、気持ちはみごとに裏切られた。
今までろくに調査も、遺族に対する報告もしなかった学校側が、喜びいさんで遺族宅を集団で訪問する。
「ご報告していたことに間違いがあったことをお詫びに」と言って。
学校の中で、授業中に大切な生徒を死なせてしまったことのお詫びではなく。
戸塚ひろみさんの証言は結局、時間内には終わりきらず、次回に持ち越されることになった。女性の弁護士さんは、「ほんとうは今日、一日で終わらせたかったのだけれど」と言った。
今日のためにふたりで何度も練習したという。「なかなかうまく行かなくて、何度もやり直しさせられちゃった」とひろみさんは笑って話していた。
しかし、実際には・・・。子を亡くした親の心情を裁判官にわかってもらうためには、亡くなったときの様子なども証言してもらわなければならない。それは、母親にとって思い出したくない、口に出したくない、深い心の傷なのだ。そのことを本当によく、わかってくれる弁護士さんだった。
こういう形で裁判を闘わなければならない。遺族が事実を争わなければならないのは、むごいことだと、弁護士さんは言った。
闘えば傷つくけれど、亡くなった子どものためには闘わずにはいられない。
子どもを亡くして一番辛いのは親なのに、自分のことを一番に責めているのも親なのに、相手の弁護士からは、「親のせいで亡くなった」と言われ、「子どもにも悪いところがあった」と言われる。
どんなに悲しい思い、苦しい思いをしても、それが勝訴に結びつくとは限らない。これで裁判に負けたら、遺族はまた新たな傷を背負うことになる。子どもを奪われ、学校や地域からは排斥され、司法からも締め出しを喰う。これ以上、理不尽なことが続いてほしくないと願う。
それでも、もし、何も言わなければ、訴訟を起こさなければ、学校は今も当時のやり方を続けたかもしれない。大地くんのきょうだいが今、同じ学校に通っている。この子たちの安全のためにも、けっして無駄ではなかったのだ。見えないところで、多くの子どもたちが救われたと思う。
もしも、大地くんがこのことを知ったら、お父さん、お母さん、かっこいい!僕のために闘ってくれてありがとう、頑張ってくれてありがとう、と絶対に言うと思う。
次回は7月12日(木)午前10時30分から。八王子地裁401号室にて。
引き続き、戸塚ひろみさんの陳述と証言があります。ぜひ、傍聴支援を!
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