わたしの雑記帳

2001/4/21 目黒区鷹番小体罰事件の報告会に参加して


雑記帳の2001/3/24付けのところに、目黒区鷹番小の体罰事件が結審になったことを書いた。
おかまいなしとなったPTAの親たちはともかくとして(弁護士を通じて、もうこれだけ酷い目にあったのだから、原告側が控訴することはかんべんしてくれと言ってきていた)、学校側が控訴してくる可能性は考えられたが、控訴がないまま原告の勝訴が確定した。

報告会はSさん主催で、アルコールを含む飲食をしながら和やかな雰囲気の中で行われ、大いに盛り上がった。
会場には、母親と一緒にこの裁判の原告となった男児も来ていた。目のくりっとしたかわいい男の子で、少なくとも当日は体罰の心の傷などまるで感じさせない明るい表情だった。当時、小学校1年生だった男児が、今は6年生。幼稚園に通っていた妹が、小学校4年生。
子どもたちの成長は早く、そして裁判は長かった。この子どもたちのためにも裁判に決着がついてよかったと、しかもよい形で、心から思う。裁判をしている間中、原告だって、普通の生活ではいられない。月1回の裁判は、心に大きくのしかかるできごとだっただろう。

そして、その原告を支えた人びとが報告会に呼ばれていた。
裁判にかかわった弁護士さん、町田市の作文訴訟の前田夫妻のように自らも教育裁判を闘ってきた、あるいは現在も闘い続けている人びと、友人、子どもの問題や人権問題に取り組む人びと。
確かに周囲の人びとに恵まれていた。しかし、それもただ、誰かが手を差し伸べてくれるのを待っていたわけではない。
「弁護士さんをどうやって見つけたの?」と聞くと、なんと、新聞に結審がついたばかりの裁判の記事が載っていて、「この人だ!」と思ってアプローチをしたという。

普段のSさんは腰の非常に低い人で、口数も少ない。その彼女がそんな積極的な行動に出ることができたのは、やはり我が子かわいさだったのだろう。それだけでなく、地元で支援を得られない分、他の裁判の傍聴や集会にも出かけて行って、支援してくれる人びとを募っていった
ある面で素直に「HELP!」と言える人の強みだと思う。これは、簡単なようで存外難しい。体裁もある。自分の弱みを相手にさらけ出さなければならない。拒まれたらという思い。中には、平気で心ないことを言う人もいるし、藁にもすがる気持ちでいる被害者を金儲けのダシに利用するような酷い人たちがいるのも事実だ。
そして、効率よくはいかない。50人、100人に働きかけてやっと一人ふたりいるか、いないか。それでもけっして無駄なことではない。支援者は長い裁判の中で心の拠り所となる。

今回、彼女がすがりついた弁護士さんは大当たりだった。
副島(そえじま)洋明弁護士をはじめ、上出(かみで)勝弁護士、大石剛一郎弁護士、それからもうひと方(すみません、名刺交換をしていないのでわかりません)。
前回は書かなかったが、なんと、副島弁護士と大石弁護士は、岡崎さんの裁判の弁護士さんでもある。結審の日に久しぶりに出かけていって初めて気付いた。
(桜井さんの裁判はあまり回数、行けなかったのと、裁判後の報告会等がなかったために印象が薄かった。岡崎さんの裁判でお会いしたとき、あれっ、どっかで・・・と思いはしたが、本やテレビ、新聞等で見たのだろうくらいに思っていた)

元々は、子どもの問題というより、福祉関係、特に知的障害者の裁判を多く手がけている弁護士さんだという。「オレは子どもの問題はやらない!」と言いながら、頼まれると断れないのか、結局は引き受けている。

副島弁護士の面白いところは、「勝つため」にやっているのではないということ。
たとえ負けるとわかっていてもやらなければならない裁判というものがある」と言う。そのひとつが、今回のPTAに対する訴訟法律的には勝ち目がないことは、最初からわかっていたという。しかし、だからといって、親たちが学校に逆らう被害者をよってたかって排除する、異質なもの、権力に逆らうものを地域ぐるみで排除する仕組みがまかり通るのはおかしいと。

残念ながら、今回の裁判ではその名場面を見逃してしまったが、原告の思いを代弁して、かなりの闘いぶりだったらしい。相手がひびるほど。それだけで、被害者の胸のつかえがすっと下りるような。(傍聴した人からの伝聞)
「結果ではなく、プロセスの中に裁判をやる意味を求めていくのがオレの闘い方だ」と言う。公的な場で、被害者の怒り、恨みを、対面して直接的にぶつける。粘り強く延々と責めていく。
そのために証人尋問の時間が異常に長かったという、いわば裁判官泣かせの非合理的なやり方。
(裁判官は大抵、ひとつの裁判に時間を使いたくない。1年間にたくさんの訴訟をこなしたほうが評価があがると聞いたことがある)

今回、担任の責任は認められたが、学校の責任については原告の主張は認められなかった。しかし、裁判で証人として出廷した校長や教育委員長に対して、ここまで責められなければいけないのか、というほど責めていった、訴えていったという。きっと相手は眠れない夜を幾晩か過ごしたろうというほどに。(こんな弁護士を敵に回した相手は不幸としか言いようがない)

そして、PTAに対して、ここまでする必要はなかったのではないかと同情の声があがることは十分予想される。しかし、ここまでこさせたのは被告たちだ。数を頼み、自分たちの言い分を一方的に押しつけた。学校信仰のもと、すべてをまるく治めるために親子を犠牲にしようとした。本当にひどいことをしたのは彼らだ。ここまでしなければ、どんなに言葉をつくしても、泣いて訴えてもわかってもらえなかったのだ。
だから、敗訴覚悟、差し違えるくらいの覚悟で起こした訴訟だ。
人びとは学んだろう。他人を傷つける行為、いわゆるいじめは、大人だって許されない。見過ごしにされていいことではないのだと。(現実に、子どものいじめは裁かれることが多くなったが、相変わらず、大人のいじめは裁かれないままだ

副島弁護士は言う。トラブルの問題解決的裁判が多いと。しかし、それでは根本的なことは変わらない。世の中を本当の意味で変えていく、戦略的な社会的プログラムが裁判で行われなければならないと。
そのためには、もっと、人びとが自覚的に裁判を起こしていかなければならない。
この裁判でも、ひとつの大きな意味は、被害者のお子さんが生きているということだ。普通の親はなかなか、裁判にまでは踏み切れない。子どもが亡くなってさえ、泣き寝入りすることが多い。まして、生きているのなら、これ以上、問題を大きくしたくないと思ってしまう。
そのことが、結果、子どもたちの心に大きな傷を残したり、新たな犠牲者を増やしたりすることになるのだけれど。

99人対1人の闘いでも、やろうというひとを支えるネットワークが必要だと説く。被害者を孤立させてはいけない、原告をひとりで闘わせてはいけない。経済的負担だけでなく心理的負担の大きいなかで、一人を支えていける仕組みづくりが必要になる。

そして、教育裁判は多いのに、教育裁判の専門家集団がいないことを嘆く。
その根本原因は、教育裁判では弁護士は食べていけないからだと言う。教育裁判は国が相手。苦労する、長引く、わりに敗訴が多く、賠償金をとれたとしても数万円単位。今回、被害者が死亡していない体罰事件としては破格の賠償金と言われてはいても、たった50万円。
教育裁判をやる弁護士は、結局、他の訴訟を抱えながら(弁護士も生活がかかっている。事務所の維持費もばかにならない)、ボランティアで関わらざるを得ないという。
これでは、なかなかプロ集団が育たないという。

せめて、基金ができるといいけれど、お金が集まるのはせいぜい初めのうちだけ。長く運営していくとなると難しい。
たとえば、教育裁判を起こすとなったときに、原告が金の工面で困ったりしないように、弁護士費用くらいはカンパで集まるといいのにと思う。一人の裁判はひとりのためにあらず、この国の将来を担う子どもたちのため、国の根元にかかわることなのだから、もっと多くのひとが関心を寄せ、協力してもいいはずだ。一人ひとりは千円、二千円の額でも、数が集まれば、闘う資金源になる。
(裁判をしたいがお金の工面がつかないで悩んでいるひとを知っている。もちろん、そのための貸付制度はあるが、勝ち目のほとんどないと言われる裁判で、結局は返していかなければならない。家のローンはあるし、生きている家族に犠牲を強いてまで訴えるべきかどうか、悩んでいる)

お金の件ではもう一つ。これは別の集まりで出た意見だが、勝訴して賠償金が支払われることになったとしても、実際には相手にその能力がなく、月々数万円程度を何年、何十年にもわたって賠償することになったり、早々に破産宣告を出されて、実際には一銭も支払ってもらえなかったりということがある。裁判が終わっても、金のことでずっと関わり続けなければならないのは、両者にとって苦痛だ。
国が加害者に代わって原告に一旦全額を支払い、あとは国対被告との貸借契約とする制度があればいいのにという話になった。裁判で、判決だけ出して、それがきちんと履行されているかどうかを見届けないのは、無責任ではないか。裁判の意味がないのではないかと。

ひとつの裁判事例が、大きく制度を変えるきっかけとなることもある
上出弁護士が手がけた沖縄県那覇市の体罰事件の裁判では、その裁判をきっかけとして、体罰に関する条例がつくられたという。たとえば、1カ月以上の傷害を負わせたら、理由にかかわりなく免職処分にするなどの基準が示されたという。

おかしいことをおかしいと勇気をもって声をあげていく。それを個人のものとはせず、裁判という公のもとで、世の中に問うていく。法的な根拠がないという一言で片付けられてしまうかもしれない、敗訴するかもしれない。しかし、みんなが考えるきっかけとなる。たとえ負けたにしても、同種の裁判が続けば、何らかの方策を考えていかなければならない、アクションを起こしていかなければならなくなるだろう。多くの人々が、なぜ正義が行われないのか、当たり前のことが当たり前に通らないのはなぜかと裁判に対して疑問を持てば、世論になれば、それだけでも意味は大きい。
負けた裁判が、世の中を変えることもあるのだと知る。
「このぐらいのこと」「私さえがまんしていれば」今まで美徳とされてきたような、その考えが世の中をむしろダメにしていることに私たちは気付かなければいけない。

今回の裁判で一番変わったのは、Sさんだろう。5年間、揉まれに揉まれて、強くなった。
「カサ・ダヤ」のスタッフ・ギジャェルミーナさんが言っていた。「困難を乗り越えたひとは必ず強くなります」と。それを目の当たりにする。彼女は人生の闘い方をしっかり学んだ。もう大抵のことにはびくともしないだろう。そんな母親を持った子どもたちは絶対に幸せになれると思う。
Sさんは言う。「今はまだどういうことが自分の身の回りでおこったのか子どもたちにはわからないと思います。いずれ大きくなったときに、きちんと説明してやれるように、今回の資料はみんなとっておきます」と。
そう、母親とともに、小学校1年生の男の子が自ら闘う意志をあらわし、がんばったのだ。それがきっと母親の一番の力となっただろう。その勇気と頑張りに拍手を贈りたい。



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