わたしの雑記帳

2001/3/6 ルポルタージュ「児童精神病棟」/佐藤友之著 にみる登校拒否


ひどい風邪をひいてしまったせいで、外出さえままならず、活動停止状態。でも、お陰で、知人から借りていた本を何冊か読むことができた。

その1冊が標題のルポルタージュ「児童精神病棟」/佐藤友之著/批評社。
初版が1981年5月25日となっているから、これもまた2/7付けの雑記帳に書いた「子ども白書」と同じく約20年前のものとなる。一般の本屋さんではもう手に入らない、おそらく絶版になっているであろう本(違っていたらごめんなさい。調べたわけではないので)を手にして思うのは、内容的に言って今でも、けっして古くはないということ。そして、20年も前にこうして警鐘を発している、ものごとの本質が見えていた人びとがいるというのに、その言葉に耳を貸さず、何の対応もしてこなかったということ。

「児童精神病棟」には、主に「自閉症児」に関して、どのように発見され、処遇されてきたか、家族や医師の苦悩などについて、児童精神病棟の医師や看護婦、障がいを持つ子の親へのインタビューや座談会を中心に書かれている。一方で、「登校拒否」についても、大きくページを割いている。
なぜ、登校拒否児童のことが、この本に、こんなにも多く書かれているのか。当時、登校拒否は「精神病院で治療する対象」として見られていたからに他ならない。

私たちは、「自閉症」についてあまりに知らないし、いわゆる精神障がいについても知らない。
1歳半、3歳検診と早くから異常を発見し、一般とは分離する政府や施設の方針によって、接触の機会を奪われてきたことが大きな原因だと思う。
あたかも「障がいを持つ子どもたちのため手厚い教育の機会を提供」するかのように見せかけて、実は分離することで、より効率よく一般の子どもたちを管理する。

管理しにくい人間を排除していけばしていくほど、子どもたちの入れられた檻の枠組みは狭まり、息苦しさから再び、そこから落ちこぼれる人間が出てくる。一方で、教師も子どもたちも、同じでないこと、同じ行動をとれないことをどんどん許せなくなってくる。狭められる「ふつう」の枠組み。そして、その枠から外れることを恐れる。大きなプレッシャーとなる。
もっと、できる子もいて、できない子もいて、様々な個性の子どもがいて当たり前にならない限り、学校は子どもたちにとって息苦しい場所になる。

障がいを持って生まれた子どもや家族がどれほどたいへんな思いをするか。偏見や排除の社会の中で、身を細らせているか。自分たちだけではどうしようもできない問題、そういった問題にこそ、行政の力がほしいのに、実際には少数派、すなわち選挙にも響かない、お金も力もない人びとの声は届きにくい。
あれから20年。果たしてどれだけ行政面では改善されたものなのか、あるいは財政困難を理由にますます締め付けられているものなのか、残念ながら私にはその知識もないが・・・。

登校拒否について、昭和30(1955)年頃から出始めて、35、6年には目立って増えてきた。もしくは、学校関連での神経症が増えてきたという。児童精神学会で登校拒否を取りあげたのが、昭和35(1960)年頃だという。
要するに、学校へ行けない子どもというのは、どこか精神的におかしいということで、児童相談所などで、精神病院を紹介された時代があった。(あるいは今でも)

ただ、ここでひとつ非常に救われる思いがしたのは、当時(1980年)、登校拒否の子どもたちをもっとも多く扱っていた国立国府台病院児童精神科医長(当時)の渡辺位氏の言葉だ。

「日本は、個人のために勉強するのではない。『人作り』という体制のなかで勉強させられている。若者たちを集団管理することで、体制批判側廻さないようにしている。そうなると、できるだけ長い間学校集団に入れておいたほうがいい、となる。そして、学校集団の中でいい成績を取れば、いい企業に就職できるといった幻想を徹底的に植えつける」

「ある小学校の校長は、『登校拒否で、学校にこないと処罰されます』といった文書を送ってきた。しかし、処罰されるなんてことはない。校長は本気でそう思っているのか、ウソをついているのか、もし本気なら、そんな学校へ行ってもしょうがない。ウソをついているのなら、責任転嫁だ。親には子供を就学させる義務があるし、行政当局には、子供たちの学校を設置する義務はある。しかし、子供が行かねばならない義務はない。子供が喜んでいくような学校をつくることをおろそかにしておいて、来なければ処罰するとは何事ですか。」

「たいていの子供は行きたくないのに、その気持ちを無理に押さえている。それが表面にでてくればいいんだけれど、言葉では『行きたい、行きたい』という。しかし、楽しいから行きたいのではない。行かないと大変だ、卒業証書がないと嫁にも行けないし、社会にもでられないなんていわれるから、『行きたい』といっているだけなのです。彼らと話をしているうちに、本当は行きたくないことがよくわかる。学校はつまらない、先生は信用できない、と彼らはいう。」

登校拒否は学校状況に対する子供の無意識的告発です。無意識のうちになされている自己防衛的な回避反応なんです。不当な状況に対して無意識でいいから、とにかく回避反応を起こして自分を守ることができるのは、将来社会生活を営むうえで大切なことです」「登校拒否の家庭がもめたりするのは、登校拒否に対する社会の見方の誤りにもとずいているといえます。」

「登校拒否とは、ある意味では、学校が子供を育てる本来の機能を失ったのを、子供たちが本能的に感じ取ったともいえるし、あるいは、そうした行動をとることで、われわれに問題を提起しているともいえる。それだけに、無理に学校に行かせることで問題が解決したことにはなりません。うちにもたしかに入院している子がいますが、決して学校へ行かせる訓練をしているわけでもなければ、まして行けるようになる薬や治療もありません。できれば子供をあんまり入院させたくない。子供が家庭で閉じこもるのにはそれなりの意味がある。むしろその辺りをまわりが考えなければいけないんです。」

同じく座談会の中で、国立小児病院精神科委員長(1980年当時)の河合洋氏が言っている。
「家庭が憩いの場であるべきなのに、登校拒否だけでなく、自閉症や知恵おくれの障害児といわれる子供を抱えたお母さんは、とても弱い立場におかれている。こんな子供をつくったのは、親の責任だみたいに。で、家の中に閉じこもって、必然的に過保護になる。
障害を持った子のお母さんにわれわれがしきりにいっていることは二つあって、一つは、世の中のおたくのお子さんを見る眼のほうがおかしいのだから、お母さんだけでも子供の立場を考え直して開き直ってほしい、と。もう一つは、家庭では普通の子以上にちゃんとしつけをし育てるようにと・・・。」」

そして、他の医師も言う。
登校拒否児のいる家庭をよく非難しますね。甘やかしで過保護だから自分勝手な子ができた、と。ほんとうはそうでない。河合先生が言うように、“見えてきた子”はだめな子じゃない。だめじゃない子を育てた家庭が、だめなはずはない」と。

20年前に、きちんと問題を捉えていた人びとがいる。比べて、20年たった今も、問題を歪めて捉えている人物。しかも、それが、国の教育方針を左右する力を持つ地位にあるなんて。
この本をぜひ、町村信孝文部科学相にも読んでほしい。

教育関係者ではなく、子どもの心や神経症という現象面に注視してきた人びとによって、上記のような内容の事柄が語られた意味は大きい。いろんな角度から見てなお、子どもたちが危機的な状況に置かれているということが証明されたのだから。

ただ、ここで断っておかなければならないのは、文中の座談会の中にも出ていることだが、登校拒否をこのように捉えていた医師はごくごく希で、多くの病院では、登校拒否する子どもを両脇で抱え上げて無理に学校に連れて行ったり、薬を使ったり、病室に閉じ込めたり、拷問に近いような治療(効果はいざ知らず名目上は)を施したりしていたこともけっして忘れてはならない。
子どもたちがどんなに人権侵害され、不当に扱われてきたか。二度と繰り返してはならないことだと思う。

それから、もうひとつ気になることは、千葉市立病院児童精神科医長(1980年当時)の佐藤尚信氏の言葉だ。
「実は、この5年位、狭い意味の精神病といわれるものの発病年齢が低くなっているんです。狭い意味での精神病とは、おおざっばにいえば、精神分裂症そううつ病です。これは従来、17、8歳からよく起きてくる。15歳以下はごく少ない。とくに、うつ病は15歳以下ではないといわれていた。ところが最近、14歳位でぽつぽつある、ひどいのは13歳でています。受験勉強の影響で、分裂病やうつ病ができるとは考えられないが、従来なら17〜8歳にならないと発病しなかったのが、もっと早く発病したということだと思います。神経症の場合は、受験勉強のために、できたのです」

これは、異常な犯罪の増加や低年齢化と付合していないだろうか。
20年前にすでに警鐘が鳴らされていたと考えるべきではないだろうか。
いろんな分野から発せられる警鐘を謙虚に受け止めて、真剣に対処方法を考えなければ、いつまでたっても私たちの社会はよくならない。

そして、もし、政府にこれらを真摯に受け止める姿勢があったなら、多くの悲劇を未然に防げたかもしれない。その反省もないままに、相変わらず何一つ変えようとしない強気の姿勢。それを支えているものは、やはり私たち国民の流されやすい意識の問題でもあるのだろうと思う。
おかしいことはおかしいと、声を上げていかなければ、訂正されない。まかり通ってしまう世の中だ。
そして、声をあげることさえ、だんだんとできない世の中が作られつつある。もっと危機感をもってのぞまなければ、子どもたちの未来は惨憺たるものになるだろう。
20年後に、あの時、すでにこんなことを言っていたひともいたんだよね、と言われてもちっともうれしくない。

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