わたしの雑記帳

2001/2/7 約20年前の『子ども白書』から


2001/2/3朝日新聞では、町村信孝文部科学相が、2月2日の記者との懇談会で、大学入学を9月にし、高校卒業後に3、4ヶ月の奉仕活動をするのもいいと述べたと報じられている。そして、奉仕活動の例に自衛隊入隊をあげ、「3ヶ月で、ぐうたら息子が変わるという。日本にはそういう場がない。体験入学とは言わないが、もうちょっとソフトなプログラムが作れるだろう」と話したとある。

自衛隊入隊のどこが奉仕活動なのかわからないが、この記事を読んで、「やっぱり」という思いがあった。12月28日付けのわたしの雑記帳にも、政府の様々な施策がすべて徴兵制への布石ではないかという、私なりの危惧を書いたが、そんなに的は外れていないと思われてくる。
そして今週、図書館から借りてきた約20年前の1979年版と、1980年版の『子ども白書』(日本子どもを守る会編/草土文化発行)にも、そのことが、すでに書かれていた。

79年、80年の『子ども白書』のテーマは主に、1977年7月に発表された「新学習指導要領」の改訂についてだった。
学習指導要領は、戦後初期の混乱期を除いて、ほぼ10年を一区切りとして改訂されている。この時期の指導要領は、小学校で1980年4月から、中学校で1981年4月から、高校で1982年4月から順次、実施されることが決まっていた。

この80年代に向けての指導要領の主な特徴は、従来「君が代」と表記されていたものが、すべて「国歌」に変えられ、国家中心主義の強化勤労体験・道徳的実践の重視能力主義のいっそうの推進、の3つであると同書は分析している。
そして、教育の基調とされた「ゆとりある学校教育」が、かならずしも「ゆとり」にはならないこと。「ゆとりの時間」を捻出するために、教科の授業時間をかなり無理して削減しなければならず、内容をそう減らさずして時間数だけを減らせば、教科のほうは駆け足となり、必然的に「落ちこぼれ」が増え、学力低下を招くことをすでにこの当時、同書は看破している。

また、それを補い入試に備えるために、塾通いがいっそう顕著になるであろうことや、「ゆとりの時間」の企画と指導に追われ、教師は更に多忙になるであろうことも指摘している。
「ゆとりの時間」を消化するために、授業の1単位時間を5分延長して45分とすることが常例とされ、授業終了時間は20分延び、昼の給食時間が遅れて12時30分以降になった。また、学校によっては、授業と授業の間の休み時間を5分に短縮した。などの弊害についても言及している。
つまり、「ゆとりある学校教育」は、子どもたちからさらにゆとりを奪うであろうと、警告している。

今、政府や学会が大騒ぎしている「基礎学力の低下」は、けっして子どもたちの怠慢によるものではなく、政府の押しつけた施策によってもたらされた当然の結果なのだということを、同書は教えてくれている。
政界・財界が次々に打ち出す方針で、すっかり歪められてしまった教育。自分たちのやり方が間違っていたと反省することはなく、その結果の悪さの責任ばかりを教育現場押しつけて、更に新しい方針をうち立てる。こんな無責任なことが、ずっとまかり通っている。
振り回されるのはいつも教育現場であり、すべてのしわ寄せは子どもたちにいく。

70年代に政府や企業が掲げた能力主義、競争主義。過当競争によって、ギスギスしてきた子どもたちの心。追い込まれた子どもの精神は異常をきたし、自殺や殺人などの問題が多発する。
すると今度は問題解決の施策として、人間には「ゆとり」が必要だと言う。しかも、競争社会を維持しつつ、「ゆとり」が大切だと言う。その「ゆとり」というのも、子どもたちに、子どもとしての時間、自由な時間を返すのではなく、「ゆとり」という名のもとに、しなければならないと決められた時間だ。

こうして授業時間を削減して、無理して捻出した「ゆとりの時間」は、新学習指導要領が重点のひとつにしている「道徳的実践力」「勤労体験学習」「「奉仕活動」に当てられる。しかも、それが子どもたちの歪みへの矯正になるという謳い文句付きで。
政府は20年前にすでに、「奉仕活動」を教育現場に持ち込んでいた。しかも、「ゆとり」と「奉仕」とを結びつけて巧妙に。余暇、すなわち自分のための時間は、奉仕活動に当てましょうという教育が、ここでなされている。そして現在、政財界、教育界は、子どもたちへの「心の荒れ」に対する「心の教育」が、「奉仕活動」で実現されるという大義名分を掲げている。

教育に対して積極的な発言を続けている西日本経済同友会が、当時、開いた総会のなかで、
教育において「目に見えないものへの畏敬の心を回復すること」「奉仕を制度化すること」の2つの革新が重要だとし、具体的には、「国民がある一定の年齢に達したとき(たとえば高校卒)、一定期間(たとえば2年間)、全員が、国や地方自治体の福祉施設・文化施設・病院などの保健施設・交通施設で働くことを義務づける」「福祉兵役」や「福祉徴用制度」の名による奉仕活動の制度化・義務化を提言している。
そして、「共同体精神の組織的な育成」に向けての青少年の訓練を学校に求めている。
様々な分野での、そして学校現場での奉仕活動の義務化の原形はすでにこの頃からできていたのだろう。

また、関西連合会の日向方斉会長は1980年2月7日、京都市の国立京都国際会館で開かれた「第18回財界セミナー」の基調討議のなかで、「いまや非常時に備え、政府が徴兵制の研究をしておく必要がある」と、財界人の中で初めて公の場で徴兵制発言をしている。

今回、町村信孝文部科学相が奉仕活動の例としてあげた自衛隊入隊だが、当時も、静岡県では、1979年6月23日を小・中・高校一斉の「社会奉仕日」とし、取り組む通達を出した。富士・御殿場地区では、6校の高校生2500人を動員して、4000人の自衛隊員とともに「富士山クリーン作戦」なる清掃活動を行っている。そして、活動に際して、小学校で日の丸掲揚をおこなっている。

この頃からすでに、教育・奉仕・軍隊が、政府や財界の手で、少しずつ結びつけられ始めていた。
子どもたちを、自由な発意からではなく、義務として総動員できる、国家が自由に使える、仕組みづくりが、20年前当時から、着々と進められてきたのだ。
一方で、愛国心の涵養を名目に、目に見えぬもの、すなわち国家・国体に対する忠誠を徐々に強化してきた。

「義務」には、自由な精神や発言を押さえる強制力が働く。
「青少年の健全な育成」という美句に飾りたてられながら、強制力は徐々に強まる。「のぞましい」から「すべきとする」に。やがて、反するものには、罰則が与えられるようになる。
政府の意向に逆らえない国民が、着々と作られつつある。準備周到に、虎視眈々と、政府は機会を狙っていた。平和ボケした国民。戦争を忘れたときから再び、戦争への道が始まっている。権力者たちにとって、今は絶好のチャンスなのだ。

それらを裏付けるかのように、
1978年8月、砂田前文相は、「戦後教育は能力主義を否定して平等主義偏重に陥っている」「教育勅語にもよいところがある」と発言し、同年12月に、内藤文相も「教育勅語」を礼賛する発言をし、1979年3月、石田和外元最高裁長官が「軍事勅諭」を礼賛する発言をし、山下防衛長官がこれを容認したという記述がある。また、同書によれば、大平内閣の谷垣専一文相も公式の席上で教育勅語を賛美、田中元首相や福田元首相にも教育勅語賛美発言があったという。
要するに、昨年の森総理の「教育勅語にも良いところがあった」の発言も、けっして個人的な失言などではなく、こういった流れの中から来ている。政府の中枢を担う人びとの、戦前から一貫して変わらない心の内を代弁したにすぎない。

79年版の『子ども白書』に、
もちろん、子どもたちに労働や仕事を経験させることじたいは一定の教育的意味をもっています。しかし、それが『社会奉仕』といった名目で一方的に子どもたちにおしつけられ、道徳教育に安易に結びつけられると、戦時下の勤労動員や錬成と変わりないものになります」「学校で行う労働的体験は、あくまでも、科学と民主主義の観点に貫かれなければならないはずです」とある。

約20年前の白書に書かれたこの言葉は、今でも十分に通用する。
表面的な言葉や理屈に踊らされてはいけない。何を真の目的としているのか、本質を掴まなければいけない。そして、一旦、これを受け入れたとき、次のステップが待ち受けていることを国民は学ばなければいけない。

今の国民が、政治的なものに関心が薄いのも、アレルギー反応さえあるのも、教育のなせる影響が大きのではないだろうか。
社会や歴史の時間にほとんど触れられなかった近代史。受験にあまり出題されないことを理由に、学生たちは熱心に学ぼうとしない。
単に時間数が足りないだけでなく、意図的に、そういう仕組みが作られていたとしたら。
学生運動防止を名目に、高校生の政治活動は禁止された。政治と学生とが切り離された。
わけも分からず、政治的活動をする人たちを差別してきた。いつからか、どこからか、インプットされていた価値観。

国民が政治に無関心になって、利益を得るのは、いったい誰だろう。
子どもがいないからといって、あるいは育ち上がったからといって、教育に無関心でいると、今にきっと、取り返しのつかないことになる。
子どもは洗脳されやすく、そして、すぐに大人になるのだから。

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